Mr.おじいさん&Mrs.おばあさんコンテスト
“Lama hidup banyak dirasai, jauh berjalan banyak dilihat”-----長生きすれば多くを感じ、遠くまで歩けば多くを見る。日本の諺で『老いたる馬は道を忘れず』に相当するインドネシアの諺です。古今東西、一般的に、お年寄りは、豊かな経験と見識で尊敬されるものです。ただ問題は、お年寄りの意見やアドバイスに耳を傾ける気持ちを若者たちが持っているかどうかかもしれません。
バリ島のずっと東に位置するNTT(東ヌサトゥンガラ)州のアロール(Alor)県。近年、多くの若者が、大学進学や就職のために、島を遠く離れ、バリ島やジャワ島、そしてスラウェシ島などに旅立ちます。異なった文化背景の民族集団(Suku Bangsa)の中で生活することは、ある意味で、インドネシア人としてのアイデンティティの醸成に役立ち、一方でマイノリティとしてのアロール人としてのアイデンティティを再認識する機会にもなっています。首都ジャカルタに暮らす、アロール出身の主婦フェリーさんは、「多様な民族集団の坩堝のジャカルタで、私はいつもアロール人であることを意識しています。インドネシア国民である前に、アロール人なのです」と話す。
マタル郡在住のルカス・ラカタさんと若い奥さんマルガレッタさん。新聞とコーランを読むことが趣味だというルカスさんは、ユーモア好き。マルガレッタさんとの間に1男2女。「海に沈むのも妻と一緒なら、海面に出てくるのも一緒。わしは何でも妻と一緒だ。一つの枕に二つの頭で寝ているんだから」と会場を沸かせた。
【Kakek Nenek Bijak(思慮分別のあるおじいさん&おばあさん)】
ハンスさん(Hans Josephus Maleimakuni、72歳)と妻のマルタさん(Martha Elisabeth Maleimakuni、70歳)。県都カラバヒ在住の二人は、49年間の結婚生活で4男2女を授かる。人生訓は『人に強要しない、人を搾取しない、しかし給与額に見合った自分自身の人生を』。元公務員だったハンスさんは、今時のインドネシアの公務員が聞いたら、はなはだ耳が痛い“正しき公務員の姿”を訴える。『隠れた愛情よりも是々非々の叱責』をモットーに子供たちの教育を行ってきた。『つまり、私たち夫婦の子供たちへの愛情とは、厳しい教育そのものだったのです』と。結果は?4人が高校を、2人が大学を卒業し、2人は公務員、3人が会社勤め、残る1人が縫い子として働いている。『正直で誰に対しても誠意を持つ。しかし暮らしは質素。そして常に高いディシプリンで自分の仕事に責任感を持つ』----ハンスさんが語る人生哲学に、聴衆の公務員たちは、うなづいてはいた。
【Kakek Nenek Sahaja(質素なおじいさん&おばあさん)】
サレ・ジャハ(Saleh Djaha)さん(79歳)と第二夫人のオミ・ジャハ・タンさんは、1957年に結婚した。二人の間には12人の子供が。これで驚いてはいけない。サレさん、実はこれまでに3人と結婚し、合わせて24人の子持ち。第一夫人の故ハリマ・ジャハ・マイルとの間に4人の子供、そして第三夫人の故マシタ・ジャハ・ウマールさんとの間に8人。しかし、24人中7人は、すでに他界。また孫は総勢で36人だが、その内7人はすでに亡くなったという。トップバン村出身で、現在は県都カラバイに暮らすサレさんは、日本軍の占領を経験している。「オランダ植民地時代に小学校へ通っていたが、日本軍がやってきたため、学校はやめてしまった」そうだ。1955-1988年、県政府の公共事業局に勤務。人生のモットーは?「今の状況を最高のものとして楽しみなさい。多くの人が持っているからといって、自分もそういった物を持ちたいと思ってはいけない。全ての人を敬いなさい。そして神を畏れよ。この世に生きている人間にとって、最も大切な薬は、恥と畏れ」
“子供たち、そして若者たちこそがアロールの未来だ!”----県政府主催の式典で頻繁に述べられる言い回しだ。確かに、間違いではない。“未来”のアロール県を築く主役は、今の子供たちと青年男女だろう。しかし、言い換えれば、アロールの“過去”を築いた主役は、今の老人たちだ。県政府も一般住民も、そのことは十分理解している。しかし、お年寄りたちの知恵と体験が、主に農漁村の家庭内で、次世代によって受け継がれているとは言え、公の場で耳にすることは極めて稀だ。アロール県も、他地域同様に、猛スピードで、開発と近代化が進んでいる。携帯電話の普及と航空事情の改善は、一気に陸の孤島を過去のものとし、パラボラテレビの普及とソーラー発電は、どんな山奥の村々にも瞬時に世界のニュースと娯楽を届けている。
【Kakek Nenek Didik(教育おじいさん&おばあさん)】
アロール島の西に浮かぶパンタール(Pantar)島の東部に暮らすイスカンダール・トラン(Iskandar Tolang)さん(87歳)と妻のマイムナ・ゴーマン(Maimunah Gomang)さんの自慢は、なんと言っても子供の教育。2男4女の父と母。内5人が高校を卒業、長男のイスカンダール・アブバカール(Iskandar Abubakar)さんは、州都のクーパンにあるムハマディア大学で修士号を取得、1997年に同大学の社会学部長に就任。2005年、博士過程に進んだ。「働くことはすべて子供たちに高い教育を受けさせるためだった。妻と一生懸命働いた。養鶏そして土器作り。それらをお隣のフローレスのレンバタ島に売った。人生訓は、歩いている者は好きにさせればいい。自分も群がって歩いていく。私が歩くのも好きにさせてくれ、たとえ逃げ出すものがいたとしても」と、1930年に小学校を3年生で中断したイスカンダールさん。
古老らの話に聞き入る聴衆。アロールの老人はタレント度抜群!なによりも話が面白くて聞く人を飽きさせない。
そんな、急激に社会環境が変化を遂げている今だからこそ、老いたる人々の話を聞きたい。まさにアロールの“未来”のために----そこで、インドネシア文化宮(GBI)は、(おそらく)インドネシア史上初の『Mr.おじいいさん&Mrs.おばあさんコンテスト』を、第5回アロール・エキスポ(2006年8月3日~7日)で実施することを県政府に提案し、実現した。温故知新はもとより、お年寄りたちが、県の文化ビッグイベントの桧舞台に、主役として登壇することの意義は大きい。男性8名女性5名(内男女4組が夫婦)の計13名が語る、苦渋と歓喜の大人生は、聴衆に涙と笑みとを同時にもたらした。ミスコンやミスターコンと異なり、お年寄りを“コンテスト”することは所詮ナンセンスだ。いわんや優勝者などといった順位を付ける事は、アロール伝統社会のモラルに反する。そこで、GBIと県政府は、最終選考に残った全ての参加者を“アロールの賢者(Budiman)”と捉え、各々に特別な“称号”を授与する表彰形式を執ることになった。例えば「賢明なおじいさん&おばあさん」、そして「平和のおじいさん」、「堅い意思のおばあさん」などの名称だ。賢者のKakek(おじいさん)そして賢者のNenek(おばあさん)たちは、どんなアロール哲学を伝えたかったのだろうか?
【Kakek Rohani(スピリチュアルなおじいさん)】
9人の子供と11人の孫を持つベルナバス・アタファニ(Bernabas Atafani)さん(67歳)は、県都カラバヒが面する真珠湾(Teluk Mutiara)のほとりのモラ村生まれ。9人の子どもの内4人を大学までいかせた。「子どもたちへの教育で一番重要視したことは、神への畏怖、そして善良な国民の一人になることだった」と、1971年以来、牧師を務めるベルナバスさん。「子どもが小学校へ入学したら、以下のことを皆さんにも心がけて欲しい。①朝は子どもを怒ったり叩いたりしてはダメ。なぜなら学校へ通う落ち着きを失うから。②子どもの教育費は親の責任で、必ず満たしてやらなければならない。③そして最も重要で最も優先させなければいけないことは、子どもたちへ宗教の教えをきちんと伝えることだ」---さすが、牧師様!
Kakek Sadar(自覚おじいさん)】
ウェナン・リビン(Wenang Libing)さん(79歳)は、カロンダマ村出身。オランダ植民地時代に小学校に六年間通った。子どもは男8人、女4人の計12人。1948年以来、2002年まで、ずっと村長(Kepala Desa)の要職にあった。そして現在は一人の“農民”として田畑と向き合う。人生訓は「働いた分だけ成果を得る。それこそが最高の幸せ」
【Kakek Damai(平和おじいさん)】
ドゥロロン村生まれのイマン・アブドゥラ・トダ(Imang Abdullah Toda)さん(81歳)は、日本軍政時代に“兵補(Heiho)”だった。「わしは、1943年に兵補になり、最後の階級は分隊長(Buntaicho)だった。アロール島のあちこちに点在していた米や衣服の野戦倉庫(Yasen Soko)を守るのが任務だった」。日本軍がやってくる前は、1935-1940年、オランダ植民地下で、小学校へ通った。男5人、女4人の計9人の子を授かった。今では孫が35人、ひ孫が5人とか。オランダ、日本、そして独立インドネシアの三つの時代を生き抜いてきた。「大日本(Dai Nippon)時代、私たち青年は大日本の兵士になるよう訓練を受けた。兵補として、日本兵のための食糧管理を行った。そしてインドネシアが独立後、県知事によって県都カラバヒの公立病院の職員に採用された」と、今はビノンコ地区の区長職で忙しくしているイマンさん。人生のモットーは?「わしの人生の大半は、植民地と戦争にあった。独立のありがたみを誰よりも強く感じている。だから、言うんだ。平和がどれほどまでに尊いかってね」
【Kakek Tani(百姓おじいさん)】
ベルバドゥス・ロバンタン(Bernadus Lobangtang)さん(86歳)は、トンバン村生まれの敬虔なカトリック教徒。「僕はまだ一回しか結婚していない。1947年のことさ。12人の子どものうち、今でも生きているのは女が3人、男が6人だ。孫は30人、ひ孫が3人」
ベルバドゥスさんも、日本占領下で“兵補”として1942-1945年駆り出された経験を持つ。部隊名は『Yamamoto Butai』だった。太平洋戦争後、カトリック教の伝道師になる傍ら、文盲撲滅運動の先生として教えたことも。「わしはオランダ時代、わずか三年間しか小学校に通っていないが、子どもは全員高校を卒業させた。百姓一筋でそこまでやったんだ」
【Nenek Tegar(堅い意思のおばあさん)】
メリチェ・カデナ(Merice Kadena)さん。推定73歳。東ウェライ村出身。夫亡き後、細腕で2男1女を立派に育て上げた。「望みは元気で長生きすること。そして子どもたちに最善を尽くしてあげること」「夫は言ってたわ。いつでもお前らの傍にいるとね。それが最期の言葉だった」
【アロール・メモ】
『アロールの民族集団間の相互信頼醸成システム』
およそ17の言語を有するアロール県。17の町(郡)で計158を数える村々。伝統社会の秩序を堅持するための重要なファクターとして“Bela(ベラ)”と呼ばれる制度が古くから伝わっている。これは部族間で、相互扶助、相互不可侵を約束するもので、さらに怒った態度を見せたり、汚い言動を厳禁するものである。ベラは、“Bela Baja”という名の儀式を通じて正式に発足する。ベラに従わない者に対しては、天罰が下ると信じられている。
現在、ベラ同盟を締結している民族(村)は、以下の通り。Alor Kecil村とManatuto村、そしてAtauru村。Kolana村とLikukisa村。Bungabali村とTaruamang村。Lendona村とAtauro村に暮らす外来者。PantarとKolana村、そしてGaliao Watang Lema村とSolor Watang Lema村。
【参考URL】
アロール島事典(日本語): http://alor.hp.infoseek.co.jp/
アロール県Website(英イ語): http://www.alor-island.com/
インドネシア文化宮:http://clik.to/GBI
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