スマトラ島マラッカ海峡のブンカリス県
リアウ(Riau)州ブンカリス(Bengkalis)県の紋章
マラッカ海峡と言えば「日本の生命線」。そして同様に韓国、中国にとっても「生命線」。最近では海賊の出没が深刻な問題となってきている。このため、日本政府は、インドネシア政府に対して、マラッカの安全確保の支援策として、巡視船を提供するほどだ。インドネシア文化宮(GBI)では、2007年に『マラッカ海峡展』を企画しているが、そのパートナーが、スマトラ島リアウ州のブンカリス県。スマトラ島とマレー半島の最も狭い地域に位置する、インドネシアで、東カリマンタン州のクタイ・カルタネガラ県に次いで二番目に豊かと言われる県。シリーズで、ブンカリス県のあれこれについて紹介します。
インドネシアで二番目の富裕県が、リアウ州のブンカリス県。SLC(スマトラ・ライト・クルード)で知られるミナス油田は、ブンカリス県にある。インドネシア最大の油田地帯を抱えることが、その豊かさの背景にある。同県は、ミナス油田のあるスマトラ本島部と、マラッカ海峡に浮かぶ五つの島々から構成されています。五つの島は、北西から南西に向かって、ルパット(Rupat)島、ブンカリス(Bengkalis)島、メルバウ(Merbau)島、テビン・ティンギ(Tebing Tinggi)島、そしてランサン(Rangsang)島。県都はブンカリス島の中央部、南海岸に位置している。面積は11,481km2。2003年の統計で人口はおよそ63万。全体で13郡(Kecamatan)を数える。マラッカ海峡を隔ててマレーシアとシンガポールに近く、IMS-GT(インドネシア・マレーシア・シンガポール)の、いわゆる“成長の三角地帯”のど真ん中に位置している。
かつて少なくない“海賊”が徘徊した地域でもある。また、数時間で隣国に到達可能な地理的背景から、密出国や密入国、さらには密輸の“基地”と化した時期もあった。しかし今では不法出入国するインドネシア人の数は急減している。地域の経済発展が非合法活動の必要性を駆逐しつつある。県政府は、マラッカ海峡を見据えた、隣国との国際貿易&投資によって、未来のブンカリス県発展の礎にしようと考えている。隣国と一衣帯水のマラッカ海峡は、ブンカリス県にとって、まさに“生命樹”であり、またマレー中国文化を色濃く残す同県一帯は、ある意味で“マラッカ海峡地域共同体”とも呼べる経済&社会関係を着実に推し進めている。
地図の中心部がブンカリス島のある所。マラッカ海峡を隔てて、北側にマレーシア、東にシンガポールが。高速艇で約2時間30分~3時間で隣国に。
地図上でオレンジ色部分は、石油基地デュリ(Duri)を中心にマンダウ(Mandau)郡。その東の薄緑部分がブキットバトゥ(Bukitbatu)郡、黄色がルパット(Rupat)島。ブンカリス島の北半分の薄オレンジ色部分は、バンタン(Bantan)郡、南半分がブンカリス郡。ブンカリス島の南側に浮かぶピンクで表示されたパダン(Padang)島は、メルバウ(Merbau)郡。その南東にテビン・ティンギ(Tebing Tinggi)島がある。
ブンカリス県政府が、21世紀最大のプロジェクトと位置付けている巨大開発構想の中心地がルパット(Rupat)島。かつては密貿易、密航の基地でもあったが、シャムスリザール(Syamsurizal)県知事は、この平らなマングローブで覆われた島を、“東洋のバハマ”にすると宣言している。
首都ジャカルタの大統領官邸も顔負けしそうな、豪華絢爛の県知事公邸。番犬ならぬ番虎がいる。巨費を投じたことに批判の声もあるが、シャムスリザール県知事は『この程度の施設があるからこそ、マレーシアやシンガポール、そしてやがては世界の元首クラスをお泊めすることもできる』と、一向に気にしない様子。

県都ブンカリス市内。ブンカリス全島に、坂はない。まっ平らな道が続く。インドネシアの他地域同様に、商店街の主は、やはり華人系住民。しかし、ここでは、マレー&中国文化が、インドネシア文化と融合し、独特の雰囲気を醸し出している。

これも、巨費を投じて建設した新県庁。市内には、過去数年内に完成した、巨大な病院、そして学校やスポーツ施設が並ぶ。

東洋と西洋文化とを折衷した県知事公邸。中に入ると宮殿か、博物館かと見まがう。

GBIからのお土産・古伊万里の大皿を受け取るシャムスリザール県知事。年間何日か、マラッカ海峡を越えて、博士号取得のためにマレーシアの大学へ通っている。
ブンカリス島の北端に位置するセラット・バル(Selat Baru)町から北のマラッカ海峡を望む。

セラット・バル(Selat Baru)町に最近完成した近代的な港。近く、こことマレーシアのマラッカ、そしてジョホールバル、さらにシンガポールとを結ぶ高速艇が就航予定だ。


ブンカリス市内にある港とターミナル。リアウ州の州都プカンバル(Pekanbaru)やミナス原油の積出港のあるドゥマイ(Dumai)、そしてマレーシアのマラッカやバタム、ビンタン島などとの間を高速艇が行き来している。
ブンカリス市内に立つ、美しいモスク。イスラム色が強いスマトラ島にあって、マラッカ海峡に浮かぶブンカリス島では、非イスラム住民との平穏な共生が印象的だ。
ブンカリス市内にある華人系住民の先祖崇拝廟。ブンカリス県内には、何世代も前にマラッカ海峡を越えてやってきた、少なくない華人系子孫の農民や漁民が暮らしている。
ブンカリス市内には、高層マンションかと見まがう、巨大な建物があちこちに見られる。これらは「Rumah Walet(ツバメの家)」。裕福な華人系住民は、巨費を投じてツバメ・ハウスを建設し、ツバメの巣を集めている。市内では一日中、ツバメの鳴き声の録音テープが流され、所有者らは祈るような気持ちで、野生のツバメが、自分のハウスにやってきて巣を作るのを待つ。しかし、最近の鳥インフルエンザ騒動で、ツバメの巣の価格は下がる一方だ。

夕刻、ツバメが市内のハウスに戻ってくると、天空を覆う凄まじい泣き声。空に何匹かのツバメが見える。

家というよりも、豪華マンション。インドネシアには家を持たない国民も多いというのに、ここブンカリスでは、ツバメが優雅な暮らしを満喫(?)している。

【シンガポールからブンカリスへ渡る方法】
以下は、最近、シンガポールからビンタン島経由でブンカリス県を訪れた東信太郎さんが寄せてくれた現地情報。
ブンカリスへの道 ~シンガポールより~
1.シンガポールより
ブンカリスへ行く船は、バタム島かビンタン島から早朝に出発します。
シンガポールはインドネシア西時間の+1時間なので、バタム経由だとうまく乗り継げるかもしれません。が、両替したり、インドネシアの雰囲気に慣れることができるので、ここで1泊しても決して無駄足にはならないと思います。あんまり遅くにバタム/ビンタンに到着すると両替ができません。午前中に出発するか、シンガポールで両替しておきましょう。
バタム島のスクパン(Sekupang)へは1時間かからない距離だが、港から中心地の街ナゴヤ(ナゴヤ)まで少し遠い。ビンタン島のタンジュンピナン(Tanjung Pinang)行きの船は3時間弱かかるが、街の中心に港があります。街の雰囲気は、断然タンジュンピナンの方がいいです。
どうしても船が苦手で、フェリーに乗る時間を短くしたい場合は、シンガポールのQueens Street Bus Terminal(地下鉄Bugis駅から徒歩10分)かLavender Street Bus Terminal(地下鉄Lavenderから500m)からマレーシアのマラッカ行きのバス(8マレーシアリンギットくらいなので、2500円程度?)に乗り、そこからブンカリスかドゥマイへ。
※ブンカリスは、日本人に到着ビザを発行できないので注意。
ドゥマイに渡ると、船のスケジュールにより1泊する必要があるかもしれません。
急いでいる人は、シンガポール-プカンバルを飛行機で飛んで、プカンバルから船でブンカリスへ。これが一番楽かもしれません。
-バタム島へ
シンガポールの地下鉄(MRT)HarbourFront駅近くにある、HarbourFront Centrenフェリー乗り場から、朝7:30くらいからフェリーが出ています。スクパンまでは、S$16で1時間かかりません。インドネシア時間で7:30頃に着くので、そのままブンカリス行きの船に乗れるかもしれません。その場合、シンガポールで両替しておきましょう。
-ビンタン島へ
シンガポールの地下鉄Bedok駅か、TanahMerah駅からバスNO.35に乗れば、Tanah MerahFerry Terminalに到着。チャンギ空港のすぐ近く、シンガポール中心地からタクシーでS$20くらい。タンジュンピナン行きの出発時間は、0930/1050/1310/1530/1730/1855(休日は、0915/0945/1020/1330/1410/1505/1730/1820/1855)で、料金がS$27です。
一応、国際港なので小さいながらもタバコやウィスキーなどを扱う免税店があります。
2.ブンカリスへ
ブンカリス島行きの船は最終目的地がドゥマイ(Dumai)行きの便で、早朝に出発します。乗り遅れたら、もう一日待たなければなりません。(バタム島からは、もう1便あるという話も聞いたが、真偽は分かりません)。Ferry Dumai Expressという会社が船を運航しており、船でもチケットは買えます。
Tanjung Pinag—Sekupan—Tanjung Balai Karimun—Selat Panjang—Buton—Sungai Pakning—Bengkalisというルートを航海し、ブンカリスには、13時頃到着。
タンジュンピナンからだと、だいたい7時間くらいかかります。
船には、弁当、飲み水、お土産を売る行商人が山ほど乗り込んでくるので、食事の心配はいりません。インドネシア飯がダメなヒトは、港の売店でパンやお菓子を買っておきましょう。
ブンカリスを寝過ごすと、ドゥマイまで行くことになります、船員や近くの客に、「ブンカリス!」と告げておくといいでしょう。
-バタム島から
早朝なので、乗り合いタクシーかバイクタクシーで港があるスクパンへ。ナゴヤというメインの街にもフェリーのエージェントがあり、チケットが買える。Ferry Dumai Express以外のエージェントで買うと高値になるかもしれません。
7:30頃出発。シンガポール発の第1便との乗り継ぎができるかどうかわかりません。料金は不明ですが、Rp200,000くらいだと思われます。
-ビンタン島から
街中に宿を取れば、歩いて港までいけるます。港の近くには宿も多いです。
直接港に行ってもチケットは買えます。Rp245,000です。港のすぐ近くにあるFerry Dumai Expressのオフィスでも同じ値段で買えます。心配性のヒトは前日に購入しましょう。
出発は6:00。名物のOtakotak(魚、えびのすり身をバナナの皮に包んで焼いたもの)の屋台はさすがに出ていませんが、物売りが売りに来てくれます。1箱単位で売っているので、本当にお土産にしない限り食べきれません。ブンカリスの港は立派。外に出ると、ベチャ、バイクタクシーが客引きにやってきます。ベチャでのんびり宿探しがいいでしょう。
3.ブンカリスから
シンガポールに帰るには、
・元のルートを戻る
・マレー半島に渡る
・プカンバルまで行き飛行機でシンガポール
の3ルートです。
マラッカ海峡の一体感を感じるために、ぜひマレーシアへ。
インドネシア好きのヒトは、行きとは違う港(タンジュンピナンかスクパン)からシンガポールへ。インドネシア土産も買いやすいです。
※ブンカリスから、マラッカ(Melaka)、ムアール(Muar)行きの船も出ています。
が、日本人が出国できるかどうか不明。
私がブンカリスに行った時は、マラッカ行きのフェリーが定期点検中ででていませんでした。
ブンカリスのエージェントに聞いたところ、ムアール行きの船は
・火曜日、木曜日、土曜日の週3便
・出発時間は11:00
・料金はRp200,000(インドネシア人料金。10%の出国税があるかもしれません)
・3時間弱でムアールに到着
とのこと。
-マレー半島に渡る
まず、ドゥマイへ。マラッカ行きの船にその日のうちに乗るためには、8:00発の船に乗りましょう。12:30の便もありますが、ドゥマイで1泊することになります(ムアールなど他のマレー半島へ行く船もあるかもしれません。が、せっかくなのでぜひマラッカへ)。
ドゥマイへは2時間くらい、運賃はRp58,000。港にチケット売り場があります。街から港までは、ベチャでもバイクタクシーでもRp10,000。
ドゥマイに着くと、石油のニオイがします。
マラッカ行きのフェリーは、11:30と13:00の毎日2便で、運賃はRp150,000+10%。
3時間弱でマラッカに着きます。ちょうど、11時前に着くので、11:30発のマラッカ行きのフェリーが待っていますが、なんとマラッカへ行くチケットは港で売っていません。
街へチケットを買いに行かなければならないのです(ブンカリスでも購入できるかもしれませんが、インドネシア人にとってはマレーシアへ行くのにドゥマイへ行く必要はないので無理かもしれません)。
参考までに、雨だったのと、私が困っているという立場にあったので、往復Rp30,000でバイクタクシーを利用しました。
11:30の便は満員のこともあります、ドゥマイで最後のインドネシア飯を食べたり、タバコやお菓子などのインドネシア土産を買うといいでしょう。
13:00の便でマラッカへ行くと、港の両替屋がしまっています(マレーシアに着くと、時間は+1時間となります)。ドゥマイ港の待合室には、闇両替のお兄さんがマレーシアリンギットを持ってウロウロいますので、最低限の両替をするといいでしょう。
4.シンガポールへ
マラッカのバスターミナルまで、市内からタクシーでRm12くらい。シンガポール行きのバスは1時間に1本くらいあり、料金は忘れましたがRm8くらい。タクシー代の方が高いです。
途中でマレーシア出国とシンガポール入国手続きをして、4時間ほどでシンガポールのQueens Street Bus Terminal(地下鉄Bugis駅から徒歩10分)かLavender Street Bus Terminal(地下鉄Lavenderから500m)に到着。
【東信太郎さんのプロフィール】
1975年大阪府生まれ。
小学6年生のとき、初めていった海外旅行先、マニラでアジアに興味を持つ。
高校2年生のバリ家族旅行では、インドネシアの雑然とした姿に衝撃を受ける。
大学入学後、国際政治の授業でインドネシアへのODAを調べたのをきっかけに、語学でマレー・インドネシア語を選択し、東南アジアとりわけインドネシアの魅力に取り付かれる。
自称「東南アジア研究」を専攻しつつ、スマトラ、ジャワ、バリ、スラウェシ、ヌサ・トゥンガラ、東ティモールを点と線で結ぶように訪問。
大学卒業後、ガイドブックを出版する旅行会社に就職。
現在は、「エコロジーとファッションの融合」をテーマにした雑誌を発行する出版社に勤務。
就職した後も、2年に1回のペースで仕事とは関係なくインドネシアへ足を運ぶ。
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