ブンカリス県ルパット島
ブンカリス県政府が、“東洋のバハマ”を合言葉に、観光&商業複合の大リゾート基地建設を企画する、マラッカ海峡に浮かぶルパット(Rupat)島。北端に位置するタンジュンメダン(Tanjungmedang)町からマレーシアのマラッカまでは、200馬力船外エンジンを3基装着した高速艇で、わずか30分の距離だ。タンジュンメダンの北端には、1972年4月30日に、日本財団が建設した灯台があり、今でも、マラッカ海峡最狭隘部の重要な灯りとなっている。

タンジュンメダン灯台から東側は10kmにも及ぶ白砂の海岸が続く。ブンカリス県政府は、ここにリゾートホテルや総合病院、学校などを誘致しようとマスタープランを作製した。タンカーが頻繁に就航するマラッカ海峡だが、浜にオイルボールなどは見当たらない。
島内に未だ一台の四輪車もない。単車のみが島の移動手段。狭いコンクリート製の道路が主要な村々を結んでいる。北ルパット郡の人口はおよそ11,400人で約2,400戸。この内、およそ40%が先住民族のアキ(Akit)人、50%がムラユ、残りの10%が華人系。全住民の約90%が漁業に従事。漁獲は主に、“密貿易”で対岸のマレーシアに運ばれている。宗教構成は、アキ人を含み全体の約50%が仏教、イスラム教徒も約50%。キリスト教徒はごくわずか。アキ人の先祖は中国大陸から300-400年前に渡ってきたとされる華人。同郡には現在小学校が公立私立を合わせて12校、中学校が4校、高校が1校ある。就学率は小中で100%の達成率を誇っている。エンジン付きの漁船が387隻、サンパンが275隻登録されていて、年間漁獲高は約185トンとされているが、これは報告に基づくもので、実際は、この何倍、何十倍とも噂されている。“密貿易”は、「トケ」と呼ばれる華人系ボスが取り仕切っていて、ルパット側のトケとマレーシアに住むトケとの間で交渉は進められる。最近では、“密貿易”量は減少傾向とのことで、水揚げの60%がスマトラ本島のドゥマイ(Dumai)やブンカリス市へ送れらているとも。2007年に、海底ケーブルによって、マレーシアから電力を買う計画も進んでいる。ルパット島で一番使用されている貨幣は、インドネシアのルピアではなく、マレーシアのリンギットだ。ルパット島の住民の多くは、マレーシアに親戚縁者を持つケースが多く、その結果マレーシア貨幣経済圏が出来上がっている。しかし、インドネシアの通貨も当然流通している。ルパット島はインドネシアでありながら、マレー華人文化の影響を強く受けた不思議ランド。“東洋のバハマ”も夢物語ではなさそうだ。

タンジュンメダン町のゲート。広い道路だが、未だ四輪車は導入されていない。道の両側には、大きなRumah Walet(ツバメの家)が立ち並ぶ。

タンジュンメダン港。埠頭などのインフラはまだまだ。干潮になると、泥の海底が出現。


ルパット島とスマトラ本島のドゥマイ(Dumai)港を結ぶ定期連絡線。およそ6時間かかるが、高速艇ならば2時間の距離。

ドゥマイ港。インドネシア最大の原油積出港であるドゥマイ。内航船用の港とターミナルは立派なつくりだ。
リアウ(Riau)州はミナス油田を抱えるインドネシア最大の油田地帯。このモニュメントは、1941年3月、この地で最初の油井が発見されたことを記念するもの。1943年12月10日、掘削を開始し、1944年12月4日に終了したと書かれてある。
撮影:S.Okawa
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