早稲田大学探検部が新種生物との遭遇のためパプア州へ出発
早稲田大学探検部の後輩らがインドネシア文化宮(GBI)にやってきた。なんでも、二月末に、インドネシア最東端に位置するパプア州へ“新種生物”発見の旅に出るという。隊長は、第二文学部の4年生で、探検部4年の鈴木邦和(すずき くにかず)さん(上記画像の右側)。そして医療担当隊員が斉藤真理子(さいとう まりこ)さん。斉藤さんは、桐朋学園大学音楽学部ピアノ科の3年生で、早大探検部2年(上記画像の左側)。そしてもう一人は、保険・食料担当隊員の長谷川達樹(はせがわ たつき)さん。長谷川さんは学習院大学経済学部の2年生で、早大探検部の2年。いずれのメンバーも“生物学”とは縁遠い専攻だが、計画書に拠れば、「ただの新種生物ならいくらでもいよう。しかし、人の常識や、限界を揺さぶるような特異な生物がいとしているなら...これは、もう、行くしかない」との“信念”は評価に値する。
パプア州最長のマンベラーモ川。中流域を上空から見る(『西イリアン探検 II』大川誠一著より)
場所は、2006年にカエル類、蝶類、植物など数十種類の新種が発見された、パプア州(旧イリアンジャヤ州)北部のマンベラーモ川流域の山岳地帯。実は、このエリアは、1980年代初期に、欧米の石油探索会社による大規模な地質調査が行われた地域でもある。有望な油田は発見できなかったそうだが、それから四半世紀後に、新種の生物が続々と発見された。マスコミ報道でも“ロストワールド”として大きく取り上げられた。
さて、このマンベラーモ川流域は、余り知られてはいないが、第二次世界大戦の最中、日本軍の工作隊が入域し、今なら、もの凄い探検と呼ばれるような行動を取った地域でもある。特殊工作員養成学校であった「中野学校」を卒業した、群馬県出身の徳野明さんが戦後著した『鰐部隊とパプア人マンドル』(1970年今日の話題社刊)に、その行動が詳しく記録されている。この著ににも、“空を飛ぶ蛇がいる”と書かれている。
パプア州は、地方自治法、パプア特別自治法に基づいて、東部のパプア州、中部の中イリアンジャヤ州、西部の西イリアンジャヤ州に三分割されたが、反対運動などもあり、中イリアンジャヤ州は正式には成立していない。インドネシア共和国の最東端に位置し、日本との時差はない。
早大探検部イリアンジャヤ・プロジェクトと題する計画書によると、2月26日~3月24日までのおよそ一ヶ月間をかけて“予備調査”を敢行して来るそうだ。仮に、“人の常識を超えた”生物の存在の手がかりが摑めれば、遠くない将来、本格的な調査隊を編成する計画も持っている。
筆者も、その昔、『早稲大学イリアンジャヤ学術調査隊』を編成、1973の予備調査を経て、翌年、現地へ乗り込んだことがある。以降、テレビ取材なども含め、1981年まで毎年通い詰めることになるとは、当初は思ってもみなかった。それほどまでに“未知”に満ちたエリアであることは探検少年・少女の心をくすぐって止まない。
現地には、“Telaga Wanita(女の湖)”と呼ばれる、地図にもない大きな湖があって、そこには“女族”が暮らしている、との情報もかつてあった。なにやら、なんでもありのような“ロストワールド”だ。皆さん、元気に帰国して、知られざる世界のお土産話を聞かせてくださいね!
マンベラーモ川流域は、ハビビ政権時代、大規模なダム建設による発電で、巨大開発プロジェクト構想が浮上したが、現在では鳴りを潜めている。太平洋に面した一帯は、第二次世界大戦で多くの日本兵が“転進命令”によって、命を落とした地でもある。そればかりか、サルミには日本企業が戦前から運営する大規模な農園もあった。このため、戦前には、このオランダ領ニューギニア(現在の西部ニューギニア)を、オランダから買収しようとの動きさえあった。
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