インドネシアのコマ(独楽)文化(No.1)
インドネシア文化宮(GBI)は2006年12月16日~29日、第一回目の『インドネシアの独楽(コマ)展』を実施しました。コマ(インドネシア語でガシン:Gasing)は、まさに“森の文化”であり“回転文化”です。樹木と人の手が生み出し、数世紀にわたって庶民に愛されてきた遊びであり、そして競技スポーツでした。その文化を支えていたのは、言うまでもなく豊かで広大な熱帯林でした。
しかしながら、開発の名の下、熱帯林の破壊が急速に進む一方で、プラスチック製の玩具が世を跋扈している昨今、インドネシアでもコマ文化はどんどん衰退の一途をたどっています。しかし、それでも同国のコマ文化は、まだ世界中で一番と言っても過言ではないまでに、多種多様な形で各地に“潜んで”います。まさに、西の端サバンから東の端のメラウケまで、各地にその跡を見ることができます。そればかりか、世界中のコマの起源は「インドネシアにあり」と断言する説も同国内にはあります。
“独楽(コマ)が歯をみせたら”をキャッチフレーズに、首都ジャカルタで大規模なコマ展示会が行われた。
現在でもコマ文化がしっかりと生き続けている地域は、スマトラ島のリアウ州ブンカリス県、リアウ諸島州、バンカ・ブリトゥン州、そしてカリマンタン(ボルネオ)島の東部のダヤク民族地域など数えるほどしかありません。こうした中、インドネシアでは、2003年にPERGASI(Persatuan Gasing Seluruh Indonesia・全インドネシア独楽協会)が設立され、コマ伝統文化の復活に着手しました。この組織は、バンカ・ブリトゥン(Bangka Belitung)州のバンカ島の州都パンカルピナン(Pangkal Pinang)に暮らすアグス(Agus MD)さんがイニシアティブを取って設立したものです。
アグスさんは、2002年10月にマレーシアのマラッカ市で開催されたASEANコマ祭り(Festival
Gasing Tingkat ASEAN)に参加し、そこでAGA(Asean Gasing Associaiton・ASEANコマ協会)の設立にも参画しています。まさに、インドネシアのコマ文化の生き字引的存在です。
コマ展会場では、コマ土俵が作られ、周囲にはネオンも。来訪者は自由に、各地のコマをエンジョイ。
一方、PERGASIの活動に共鳴した、ジャカルタ在住で企画会社を経営するエンディ・アラスさんは、コマ文化の復活と振興を目的に、2006年11月17日~2007年1月31日、首都のど真ん中に位置する近代的なモールの一角を借り切って、「Pameran dan Atraksi GASING Nusantara(インドネシア独楽アトラクション展示会」を開催し、多くの観客を集めました(一番上の画像は、同展のチラシ)。現在、PERGASIは、近い将来に計画している、全インドネシア・コマ競技会や、ASEANコマ大会、そしてASIAコマ大会に向けて、コマ競技に関わるマニュアルの作成を行っています。いわゆる統一ルールの作成です。
マラッカ海峡を挟み、スマトラ島とマレー半島には“Top Road(トップロード)”とも呼ぶべき、“コマの道”がかつて存在していたことをうかがわせる痕跡が残っています。ブンカリス島では毎年八月、海峡の向こう側からやってくる親戚を交えて、インドネシア・マレーシア・シンガポール三カ国のコマ競技大会が催されています。また、マレーシアのマラッカ市にはコマ博物館があるとのことです。そして、南シナ海とジャワ海に挟まれたバンカ・ブリトゥン州やリアウ諸島州でも、州政府をあげてコマ文化の振興に励むなど、コマ文化が長年育まれてきたこと傍証しています。コマ文化がマラッカ海峡を経てスマトラ島とマレー半島で発展してきたことは、その昔の民族移動とも大いに関係していると想像されます。つまり、南下してきた華人とマレー系民族とが、この辺りで共存社会を作り上げ、その双方の民族がコマ文化をその地に定着させたとする考え方です。
古いバリ島のコマ。バリのコマは円盤状で、カラフルな着色が特徴。しかし、今ではバリ島からコマ文化は消え去ろうとしている。
東ジャワ地域のコマ作製過程もパネルで展示された
スラウェシシ島北端マナド地方のコマ
日本ではコマは、中国から伝わったとする説や、いや朝鮮半島から伝わったとする説、さらには日本で独自に生まれたと考える説など諸説がありますが、インドネシア国内で見られる、その多種多様なコマ形態や分布地域などを考慮しますと、実は、インドネシアこそがコマ発祥の地ではないかと思わせる傍証がたくさんあります。仮に、北側から、つまり華人やマレー半島の民族が持ち込んだ文化とするならば、その形状は、その後の発展段階を考慮しても、多少は似ているものであろうと考えられます。
しかしながら、今日、インドネシアの全土で見られる伝統コマは、実に様々な形状を有し、またお隣の島との間隔が極めて近い島嶼地域、例えばNTB(西ヌサトゥンガラ)州やNTT(東ヌサトゥンガラ)州、そして東部インドネシア海域などでも、島々で異なった形状のコマが存在しているのです。例えば、今日のベトナム北部地域で生まれたとされる青銅器文化、すなわちドンソン文化が南下し、インドネシアにも普及しましたが、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島、バリ島、そしてNTB、NTTなどで発見された青銅器文化(例えば銅鼓や青銅楽器など)は、その形状が極めて酷似しています。つまり、渡来した青銅器文化が、その形状や形態を変えずに、伝播して言ったことを示すものです。このことから見ても、コマ文化が北方から伝わったと考えることには無理があります。
従って、コマ文化が今日のインドネシア地域で生まれ、島嶼部で、独自に発展を遂げた、と考えた方が論理的です。一例を挙げますと、宮崎県にある神代独楽は、その形状が、中部ジャワの古都ジョグジャカルタで見られる竹製のコマと瓜二つです。どちらで先に生まれたのか?筆者は、ジャワ島で生まれたコマが、いわゆる黒潮文化の流れに乗って、九州まで伝わったものと考えます。
バリ島のコマ
東部インドネシアのアンボン地域のコマ
西部ジャワ州バンドゥン地域のコマ
バリ島の東、ロンボク島のコマ。木の実で作ってある。
中部ジャワの古都ジョグジャカルタの竹製コマ。宮崎県の神代独楽に酷似
【関連ブログ】
インドネシアの独楽(コマ)展のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_4.html
インドネシア独楽(コマ)展の予定
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200611article_1.html
町田良夫の「日本の独楽 世界の独楽」
http://www.tokorozawa.saitama.med.or.jp/machida/
日本独楽博物館
http://www.wa.commufa.jp/~koma/
独楽大図鑑
http://www.fsinet.or.jp/~eohashi/
この記事へのコメント