インドネシアのコマ(独楽)文化(No.8)
インドネシア文化宮(GBI)で2007年4月~5月開催予定の『アチェ伝統刺繍展』のマスコットとなる巨大なコマ(独楽)が東京にやってきた。スマトラ島北端のアチェ州の州都バンダアチェに暮らす、同州を代表するアーティストであるマフディ・アブドゥラ氏が、GBIの要請を受けて、一ヶ月半の時を費やして完成させた。“家族コマ”で、父親、母親、そして3人の子どもの計5個から構成。平らな台座に載った、とても微笑ましい作品です。インドネシア語でコマはガシン(Gasing)、アチェ語ではガセン(Gaseng)。
「一枚の板に集まったコマは、まさに一隻の小船に乗った一家族の姿を表象しています。どこまでも共に航海し、歩み続け、そして発展を遂げる。コマの持つ、回転し続ける生命力を、このコマで表現しました。アチェは未曾有の巨大津波の被害を受けましたが、願わくば、コマの如く、この地球の如く、永遠の“動”の生命力を持ち続けてほしいものです」と、マフディ氏。
左が母親コマ。柔らかな曲線と丸みを帯び、女性らしさを表現した。頭は、アチェ女性伝統の髪型。側面に描かれたヘビは“生命の中の誘惑”を象徴。
右は父親コマで、直径はおよそ38cm、高さは約28cm、重さはおよそ11kg。頭に、アチェ男性の伝統帽子であるKupiah Meukeutop(クピア・ムクトップ)の形状を取り入れた。側面には、アクリル画。子どもの誕生、成長、恋愛、結婚、そして未来に続く人生の歩みが描かれた。
子どもコマ。素材は、ナンカ(Nangka)と呼ばれる木。フットボール大のナンカの実は、ドリアン同様に神秘的な味。
5個の総重量は約23kg。アチェの伝統コマは大きいものでも直径は10~15cm前後。「つまり、これらのコマは、おそらくアチェ史上最大のコマ」と、マフディ氏。
マフディ・アブドゥラ氏と家族(2007年1月、北スマトラ州トバ湖のサモシール島で)
マフディ氏の作品。タイトルは「261204」(アクリル画・70 X 80cm、2005年4月作)
作品解説:
2004年12月26日に起きた大地震、そして巨大津波。一瞬にして十数万の命が奪われ、数えきれない建物が消滅した。世代も分断された。天国に向かったお年寄り、そして若者。そして現世に残ったお年寄りと若者。父・母そして子供たちとの永久の別離。
不思議な光景が残った。津波の直撃を受けたウレレ海岸の海辺に建つモスク、そしてランプウ村のモスク。それらは、周囲の全てが消えたというのに、毅然と立っている。
巨大な津波の渦に浮かぶ赤、黄、緑の線。それらは遺体であり死体である。アチェの伝統家屋に見られる赤、黄、緑のタペストリ。赤は民衆、黄は王族、そして緑はウラマ(イスラム法学者)。逃げ惑う人々に容赦なく襲いかかる海水の壁。
261204-----アチェは、神が与えた空前の試練を受けた。
【マフディ氏のプロフィール】
マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah) 1960年6月26日、バンダアチェ生まれ。バンダアチェ・ムハマディア大学建築工学部卒業。ジョグジャカルタ芸術大学(非公式)卒業。2002年1月~3月、東京で個展『Nyawoung Aceh(アチェ・命)』、2005年2月~4月、東京で『風刺漫画展』、2005年6月~10月、東京、京都、浜松、函館で個展『アチェ津波絵画展』。地元紙「Serambi Indonesia」に勤務、風刺漫画やイラストを担当。
以下は「絵心が家族の命を救った」と題する『アチェ津波絵画展』に寄せた手記。
日曜日には、きまって家族と過ごすことにしていた。その何年も続いた生活習慣が、僕の家族の運命を決めることになった。
2004年12月26日(日)。その日の朝、僕らは州都バンダアチェ郊外のジャント(Jantho)へ向かった。未完成の絵画を仕上げるためだった。家を出たのはちょうど7時ぐらい。道中、目的地で食べる昼食を購入。そして8時。走る車が左右に大きく揺れた。奇遇にも、その場所は、一週間前まで僕ら家族五人が暮らしていた家の前だった(一週間前の日曜日、僕らは市内中心部にある僕の両親の家へ引っ越していた)。僕は、元の家に残してあった画材をピックアップしようとしていた。もの凄い揺れだった。車から降り、家族はそれぞれが自らの身を守ろうとした。電柱にしがみつく長男。垣根に張り付く次男。僕は末っ子の赤ん坊を抱きかかえ、車の脇で身をかがめた。止んだかと思うと、また大きな、長い揺れ。周辺の家々から、叫び声をあげながら、青ざめた表情の人々が道路に飛び出した。
家の中で電話が鳴っている。崩れはしないかと気にしながらも、僕は家に飛び込み、受話器を取り上げた。妹からだった。『お兄ちゃん、こっちは皆大丈夫。家も問題ないわ。お父さんも、お母さんも、弟も大丈夫….』そこで電話は切れた。安心すると同時に、どうして電話が突然切れてしまったのか嫌な予感がした。
しばらくすると、遠くから『水が来た、水だっ!』と、多くの人々がこっちに向かってきた。『水が三叉路まで来ている!』。まるでマラソン大会のような光景だ。誰もが恐怖に慄く表情だ。『なぜ水が?』----僕はそう思った。津波など想像もできなかった。そして急に不安が襲った。『市内にいる両親たちは大丈夫だろうか?』
水が引いた後、近所に預けてあった単車に乗り、僕は市内へ向かった。道路はオートバイで溢れていた。しかし、トゥク・ウマール通りの文化公園に近づくと、前に進んでいたオートバイが方向を逆転、一斉に戻ってきた。前方で、軍服を着た集団が『水が来た。戻れ!』と叫んでいる。失望感を抑え、僕も戻ることを決めた。ファキナ病院付近まで戻ると、中庭には、たくさんの蒼白で硬直した死体が、運び込まれていた。知り合いがいないか、僕は、一体ずつ顔に掛けられた布を取った。その夜、僕は家族と共にTVRI(国営放送局)バンダアチェ支局前の庭に、避難民としてとどまった。余震も止むことはなかった。
翌日、僕は徒歩で、両親の家を目指した。中心部へ近づくと、道路わきのあちこちに死体が並んでいた。両親の家があったタマン・サリ通りの手前。道路上は瓦礫と倒れた街路樹、そして死体で埋まっていた。学校の制服を着た子供。全裸の女性。僕は、倒木の上をおそるおそる、前へと進んだ。芸術評議会の建物前まで来た時、僕は吐き気に襲われた。でも戻るわけにはいかない。自らに進めと命じた。腐り始めた死体の顔を何百体も調べた。知人や両親家族の姿はなかった。
タマン・サリ通りに到着。僕は絶望感に打ちのめされた。かつて住宅が並んでいた通りは、平らな土地に変わっていた。夕刻のお祈りの時間が迫っていた。僕は妻と子供たちが待つ場所へ戻らざるを得なかった。
父(アブドゥラ・ラティフ)、母(マヤム)、妹(ヌルマラ・デウィ)、そして弟(アズハール・アブドゥラ)。僕が愛した両親そして妹弟たちよ。今、どこにいるのですか?
Innalillahi wa inna Ilahi rajun. Allahummaghfirli zunubi waliwalidaiya warhamhuma kama Rabbayani saghira. Amin!
【関連ブログ】
アチェ伝統刺繍文化展のお知らせ(Pameran Budaya Sulaman Aceh)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_1.html
マフディ・アブドゥラ氏ホームページ
http://www.mahdiart.com
インドネシアのコマ(独楽)文化(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200703article_1.html
インドネシアのコマ(独楽)文化(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200703article_2.html
インドネシアのコマ(独楽)文化(No.3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200703article_3.html
インドネシアのコマ(独楽)文化(No.4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200703article_4.html
インドネシアのコマ(独楽)文化(N0.5)
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インドネシアのコマ(独楽)文化(N0.6)
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インドネシアのコマ(独楽)文化(No.7)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200703article_7.html
インドネシアの独楽(コマ)展のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_4.html
インドネシア独楽(コマ)展の予定
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200611article_1.html
町田良夫の「日本の独楽 世界の独楽」
http://www.tokorozawa.saitama.med.or.jp/machida/
日本独楽博物館
http://www.wa.commufa.jp/~koma/
独楽大図鑑
http://www.fsinet.or.jp/~eohashi/
映像で見るアチェの今昔
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200701article_2.html
スマトラ島沖大地震・巨大津波二周年報道写真展のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_7.html
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