アロール島の謎の壺(Priuk Ajaib Pulau Alor, NTT)

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アロール県(Kabupaten Alor)は不思議に満ちている。村を回ると、幾つもの“奇怪”で“摩訶不思議”な伝説や現象を耳にする。既報の「冷たい潮に浮く大量の魚」もその一つ。
(参照)
アロール島で潜る(9) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(9)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_24.html

アロール島の南部、南アロール郡は、まさに“アロールの不思議の玉手箱”かもしれない。郡長から直接聞いたことがあるが、彼の地にはなんでも“すくえない泉”があるという。つまり、水は確かに存在するのだが、ひしゃくや手のひらですくおうとしても、水はそのままで、何度トライしても汲むことができないという。地元では“奇跡の泉”と呼ばれているとも。いずれの日か、画像や詳細な情報を入手できれば紹介したい。

さて、今号では、“地中から湧き出す土器”に関してリポートする。場所は、やはり南アロール郡。到達は極めて困難に直面するロケーションだが、知人のオランダ人青年が漁船と徒歩で現場に入り、リポートを送ってきた。



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毎年、雨期に入ると、南アロール郡のアプイ(Apui)、マンマス(Manmas)、ピド(Pido)の村人は落ち着かない。今か今かと、ある“超自然現象”を待ちわびる。ミステリアスな力によって、あたかも地中から押し出されてくるかのように、土器が地上に“湧いてくる”現象だ。
地元から伝わってくる話では、近年、その出現度が、過去に比べて頻繁になり、また、不定期になっているという。このため、ますますアロール県民が持つ伝統的スピリッツ、殊に超自然現象を素直に受け入れるメンタリティに拍車がかかっている。

“湧きだす土器”は幾つかのロケーションで起きているそうだが、特に、ピド村の近くの二つのサイトが突出している。過去数年間に、この二つのサイトで出現した土器の数は劇的な増加を見せた。村人の証言によれば、新たな土器(以前から地表に見えていた土器とは別のもの)は、一夜にして出現するという。この現象は、特に大雨の翌日に見られるそうだ。それらの土器は、そのすべてが無傷で、傷や欠けなどは一切無いとされる。つまり、地表にある壊れかけた土器とは異なり、その下から新品無傷の壺がどんどん湧き出してくるというのである。

土器は、色々なサイズがあり、それらの多くは、一筋もしくは二筋の縄文モチーフが刻まれている。土器は本来、アロール島に存在しなかった。外島から伝わってきた文化だ。いつ頃からかは分からないが、土器文化はアロール島にも到達し、今では何カ所かで素焼の土器が作られている。しかし、それらの場所は、ピド村からは遥か離れた場所にある。そして、現在ある土器の製造村の人々の証言によれば、その昔から、アロール産の土器のモチーフは縄文模様だった、という。一方で、現代の土器製造者たちは、ピドの土器の厚みが、余りにも薄いことに一様に驚いている。『ここまで薄い土器を作ることができるとは、凄い技術を持った陶芸家でなければ無理だ』----県都カラバヒ近辺で素焼の土器を作る職人の言だ。



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アロール島の中央高原地帯は、未舗装の赤土の道路で結ばれているが、雨期には自動車の通過が極めて困難な状態に急変する。高い車高の四輪駆動車で、かろうじて移動が可能だ。しかし、この赤土故に、高原地帯は優良なトウモロコシやバニラ栽培地となっている。

地元民が語るところによれば、土器は雨と豊作とをもたらす“聖なる壺”と捉えられている。早く新たな土器が地表に出現すれば、その分、豊かな収穫が期待できると信じられている。
その昔、“土器の山”への“巡礼”は、雨期明けの、作物の収穫期である三月頃に決まって行われていたそうだ。
しかし、キリスト教が布教されるや、こういった“アニミズム”は宣教者によって否定・撲滅され、それと共に、村人たちは、表面的には、土器信仰を捨て去ったかのような生活形態をとる一方で、教会の“監視”を巧妙に避けながら、そのアニミズム信仰を今日まで墨守し続けてきたと言われる。土器は依然、“神聖”なものと捉えられている。そして、豊作を願う村人によって、今日でも、多くの“供物”が作られ続けているそうだ。



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これらの供物は、地元の“シャーマン”のみが先祖代々、作ることを許されている。土器を別の場所へ持ち去る、あるいは触れることは、村では重罪とみなされている。一般的な罰は、犯罪者の髪の毛をすべて剃り落し、それらを土器の上に撒くというものだ。実際、これまでに幾人かの少年が、この“刑”を受けた。また、あるローカル聖職者が土器を一つ持ち去ったことがあり、この際にも村人は、その聖職者を丸坊主にしようと押しかけた。しかし、その時は、幸いにも、上部の宣教師が介入し、髪の毛をそり落とすことなく、事なきを終えたという。

オランダ植民地時代、アロール島中央高原地帯は、アニミズムの最後の“砦”だった。オランダ人宣教師のA.Aヴァン・ダレン(A.A. van Dalen)による布教が1921年に成功する以前、当地では、精巧な木彫の大きな蛇やワニ、そして空想の創造物が、アニミズムの信仰対象になっていたという。また、特定の場所や、特定の石や動物などが、“超自然力”を有するものとして崇拝の対象となっていた。

キリスト教が村に入ってくるのと時を同じくして、こういった信仰対象物はことごとく破壊されてしまった。何世紀もの間、村人が“超自然力”を有すると信じられてきた、これらのオブジェクトは、彫刻、彫像、そして聖なる家を含めて、ことごとく焼かれたとされる。同様に、オランダ人宣教師ヴァン・ダレンが立ち会う中、土器類も粉々にされた。



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【参考ブログ】


アロール島で潜る(12) Diving di Pulau Alor・ Pantar, NTT(12)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_27.html

アロール島で潜る(11) Diving di Pulau Alor・ Pantar, NTT(11)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_26.html

アロール島で潜る(10) Diving di Pulau Alo &Pantar, NTT(10)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_25.html

アロール島で潜る(9) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(9)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_24.html

アロール島で潜る(8) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(8)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_23.html

アロール島で潜る(6) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(6)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_20.html

アロール島で潜る(5) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_16.html

アロール島で潜る(4) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_14.html

アロール島で潜る(3) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_13.html

アロール島で潜る(2) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_12.html

アロール島で潜る(1) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200811article_11.html

第7回アロール県エキスポ画像リポート(2)Expo Alor ke-VII(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200808article_2.html

第7回アロール県エキスポ画像リポート(1)Expo Alor ke-VII
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200808article_1.html

第7回アロール・エキスポ情報(Expo Alor ke-VII)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200807article_2.html

オスカルさんの新ブティクがオープン(Butik Oscar Lawalata Culture)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200805article_12.html

アロール県エキスポでオスカルさんのファッションショー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200708article_5.html

第6回アロール県エキスポで日本の竹製品を紹介
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200708article_4.html

第6回アロール・エキスポ情報(Expo Alor ke-VI)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_11.html

アロール県がタマンミニにパビリオンをオープン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_4.html

Mr.おじいさん&Mrs.おばあさんコンテスト
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200611article_5.html

アロール島でミスコンを主催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200611article_4.html

世界で二番目に美しい海中公園アロール島
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200611article_3.html

第5回アロール・エキスポで日本の絣&着物を展示
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_7.html

第5回アロール・エキスポで寿司を握る
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_6.html

アロール島事典(日本語): http://alor.hp.infoseek.co.jp/

アロール県政府公式ホームページ(インドネシア語)
http://www.alorkab.go.id/

アロール県Website(英イ語): http://www.alor-island.com/

インドネシア文化宮(GBI)活動記録
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

「じゃかるた新聞」の「アロール島探訪」シリーズ記事

2002年5月28日 じゃかるた新聞掲載
アロール島探訪(1) 海辺で紡ぐイカット 伝統手法で民力向上
http://www.jakartashimbun.com/pages/alor01.html

2002年5月29日 じゃかるた新聞掲載
アロール島探訪(2) 連帯感を生む踊り 木に繋がれたブタ
http://www.jakartashimbun.com/pages/alor02.html

2002年5月30日 じゃかるた新聞掲載
アロール島探訪(3) ダイバー憧れのサンゴ礁 海の男が差し出す魚と酒
http://www.jakartashimbun.com/pages/alor03.html

2002年5月31日 じゃかるた新聞掲載
アロール島探訪(4) 海を渡ってきた銅鼓 今も生活に溶け込む
http://www.jakartashimbun.com/pages/alor04.html

2002年6月1日 じゃかるた新聞掲載
アロール島探訪(5) 島の文化を全国に宣伝 村へ戻ろう運動を展開
http://www.jakartashimbun.com/pages/alor05.html

Alor Divers(パンタール島)
http://www.alor-divers.com/

la P’tite Kepa(ケパ島)
http://www.la-petite-kepa.com/

Dive Alor(アロール島)
http://www.divealor.com/

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