東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38) ヤムール湖

画像



第二軍の司令部があったマノクワリ(Manokwari)には、昭和17(1942)年10月13日、海軍の「ニューギニア民政府」が置かれた(総監は浜田海軍中将。但し二年後の2月1日、民政府は解体され、第26海軍建設部が設立された)。この海軍民政府の要請に基づいて、昭和18(1943)年、学者を中心とした編成で、「海軍ニューギニア調査隊」が西部ニューギニア各地で地質、鉱物、農業、植物、民族、動物、測量などの分野の調査を行った。当然のことながら、この第一班から第六班に分かれて実施された調査は、将来の軍用飛行場や軍用道路、さらには将兵の自活を支える農場適地などについて重大な関心を持たされた。
昭和18(1943)年9月30日、大本営陸海軍部は、中・南部太平洋方面作戦陸海軍中央協定を発表したが、この中で、濠北方面の航空基地設定に関する分担表を提示し、ヤムール湖地域においては、海軍が担当して第一から第五までの計5個の飛行場の造成を計画していた。この陸海軍中央協定が結ばれる数か月前に、海軍はすでにヤムール地峡での飛行場適地探しを行っていた。



ヤムール(Yamur)湖。8 X 4kmの菱形をしている。周囲約35km。


画像


ヤムール湖を源にオンバ(Omba)川が発し、南西6km地点でウラマ(Ulama)川と合流。そこから南東約67km地点でナプリ(Napri)川と合流、後、アラフラ海のオンバ村に注ぐ。


『㊙ ニューギニア調査報告書 第9篇(測量班報告)』(昭和19年6月 海軍ニューギニア調査隊)は、ヤムール(Yamur)地峡とベラウ(Berau)地峡の調査結果をまとめている。調査期間は昭和18(1943)年3月12日~5月17日で、マノクワリを出発点とした。その「測量班報告1」は「西部ニューギニア・ヤムール地峡交通路踏査報告書」と題し、調査員・海軍嘱託・遠藤友平の名でまとめられている。同報告書は、“結論”の項で、飛行場適地の有無に関して次のように記している。
飛行場適地として:a.パプー部落附近、b.アカマ、シニミ間路線近傍、c.ヤムール湖東方モロパリイ一帯、d.オンバ川と支流ウラマ川合流点右岸地域、e.オンバ川とナプリイ川との合流点左岸地域、f.オンバ部落附近、g.エトナ湾頭ナノサ岬
水上基地として:a.ヤムール湖、b.エトナ湾一圓
この報告書は、資材集結所や貯蔵地の適地についても言及している。また道路については「本地峡の交通路開設は比較的容易にして軍用道路として價値あるのみならず、路線沿に展開する可耕地約3萬町歩と推定さるるに付産業道路としての價値亦極めて大なり」と、軍派遣の調査隊らしい、期待感溢れる提言をしている。
調査隊の名称は「資源調査隊第3班先遣隊」。遠藤友平海軍嘱託を含め計4名の測量班、これに医療班が2名、輸送並びに原住民調査担当として、泉靖一調査員以下2名、通信担当1名、通訳1名、並びに海軍報道班員1名の計11名が調査員。これに警戒隊と称する海軍兵士が計4名加わり、この他、カナカ軍夫(日本統治下のミクロネシアから連れてきたパラオ人)を常時5名使用し、さらにパプア人苦力を村ごとに募集し、延べで3,647名使用したとされる。しかし、ヤムール地峡の飛行場が建設されることはなかった。



画像



ヤムール湖に浮かぶアンガディ(Anggadi)島(左)とアイリピアマ島。


画像



『㊙ ニューギニア調査報告書 第9篇(測量班報告)』(昭和19年6月 海軍ニューギニア調査隊)


『西イリアン記』(廣川書店刊 昭和38年6月5日初版)を著した佐竹義輔氏は、東京帝国大学理学部植物学科を卒業後、昭和14年から東京科学博物館(現在の国立科学博物館)で学芸官を務めていたが、この海軍ニューギニア調査隊の第三班(東京科学博物館職員で編成)の班長として参加した。同書によれば、調査隊の計6班は、人の和を重んじて、一班一校(所)の指針で編成された。第一班は東北帝国大学、第二班は資源科学研究所、第四班は京都帝国大学、第五班は南洋庁、そして第六班は南洋興発株式会社だった。第三班に課せられた重要任務は「ヤムール地峡の軍用道路の測量、飛行場の適地を調査する」ことであった。
「ヤムール地峡は軍略上極めて重大な所であるから一日も早く我軍がこれを確保し、南アラフラ海への連絡軍用道路を作りたい。大体が平地であるからワオブの直ぐ南にある三〇〇米の山を迂回又はケーブル施設によって征服さえすればあとは道路建設も楽と思う。ヤムール湖畔附近に兵舎建設地及び幅ニ〇〇米の飛行場を偵察選定されたい。湖より南方エトナ湾までの水路並に陸路を偵察し、戦略的地点は特に注意されたい」---『西イリアン記』によれば、二十五根拠地司令官(筆者注:海軍第25特別根拠地隊。司令官は鈴木長藏少将)は、そのように田山利三郎海軍ニューギニア調査隊長、佐竹義輔第三班長、そして遠藤友平嘱託(南洋庁技手・測量担当)の三氏を前に語ったという。「要するに目的は、軍用道路建設のざっとした測量と兵舎及び飛行場の適地選定であることがわかった」---佐竹班長がその時の感想を述べている。



画像



ヒクイ鳥の形にも似ているニューギニア島。ヤムール地峡は、ちょうどその首部分にあたる。


画像




画像




画像



印は、調査隊が推薦した6ヵ所の飛行場適地


画像



アラフラ海上空から見たヤムール地峡(衛星画像)。幅およそ2-3kmのエトナ湾がアラフラ海から約45km先のキルル村まで続く。


画像




画像



現在では、ワオブからヤムール湖方向に向けて道路が出来ている。おそらく木材業者が整備したものと思われる。


画像



画像



マナミ湖の中心部をオンバ川が貫流。湖の中、左右に陸地を抱えるオンバ川。珍しい光景だ。


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200807article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200708article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />大東亜戦争がハワイへの奇襲攻撃で幕を開けた時点で、大本営は、豪北方面(オーストラリアの北方地域)の作戦に関しては、取りあえず、ニューブリテン島のラバウル(Labaul)と、ティモール島西部のオラ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-09 18:04
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />第19軍(冨永信政中将)隷下で、バンダ(Banda)海並びに西部ニューギニアの南西岸一帯を作戦地域とする第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、ジャワ島のマランに終結していた歩兵第11連隊(高橋辯大佐.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-10 23:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />歩兵第11連隊は、1943年5月11日、ミミカに長さ1,000m、幅50mの飛行場を完成させた。連合軍が中部ソロモンや東ニューギニアなどの南東方面で反攻を整えつつあったこの時期、それで日本軍には.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-12 00:00
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(42) Bandara Dai Nippon(42) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />「飛べども飛べども果てしなく続く大密林、積乱雲、白雪の雪山山系」----第19軍の河村高級参謀は、西部ニューギニアで空中偵察した感想をそのように述べている。西部ニューギニア戦に参加し、好天に恵ま.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-12 23:56
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(43) Bandara Dai Nippon(43) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />インドネシアが独立後、依然オランダ領として残った西部ニューギニア(当時のインドネシア名は西イリアン=Irian Barat。インドネシア併合後から2005年までイリアンジャヤ=Irian Jay.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-13 23:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(44) Bandara Dai Nippon(44) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />1623年、オランダ王室に仕える航海者ヤン・カルステンツ(Jan Carstensz:Jan Carstenszoon)は、アラフラ海を航海中、偶然、北の山脈に雪を抱く峰々を目撃した。雲に覆われ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-14 22:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(45) Bandara Dai Nippon(45) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />インドネシアそしてオセアニア地域で最高峰のジャヤ峰(Puncak Jaya:カルステンツ・ピラミッド=Carstensz Pyramid:4884m)。その“脇腹”で発見された、世界最大級の銅、.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-15 22:30
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(46) Bandara Dai Nippon(46) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />「2月10日、午前中は氷河の測量で過した。その結果は驚くべきもので、25年間に、カルステンツ氷河は452m後退し、メーレン氷河は745mも後退していた」----1936年末、オランダ王立地理学協.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-16 22:41
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(47) Bandara Dai Nippon(47) ジャヤ峰

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />インドネシア共和国の最東南端に位置するパプア州(Provinsi Papua)のメラウケ(Merauke)県は、東経141度ラインで隣国PNG(パプアニューギニア)と接し、トレス海峡を挟んでオー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-17 23:11
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(48) Bandara Dai Nippon(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />中部ニューギニア北岸の要衝・ホランジア(Hollandia・現在のジャヤプラ)は、ガダルカナル島撤退と並ぶ、太平洋戦争における日本軍の象徴的敗北の一ヶ所となった。昭和19(1944)年4月22日.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-18 21:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(49) Bandara Dai Nippon(49) ジャヤプラ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍(海軍陸戦隊)がホランジア(現ジャヤプラ)を占拠したのは開戦四ヵ月後の昭和17(1942)年4月。ホランジアの西およそ40kmには大きなセンタニ(Sentani)湖があり、その北側には平地.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-19 22:24
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50) Bandara Dai Nippon(50) ジャヤプラ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />米軍資料によれば、昭和19(1944)年4月22日の連合軍ホランジア(現在のジャヤプラ)上陸敢行に先立つ3月、潜水艦を使って、二組の偵察隊が密かに送り込まれた。計12名からなるチームはアメリカ人.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-20 22:54
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(51) Bandara Dai Nippon(51)ケイ諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />バンダ海に展開していた第16軍隷下の第48師団(海兵団:土橋勇逸中将)の任務を継承する形で、昭和18(1943)年2月、第19軍(冨永信政中将)隷下の第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、バンダ海域.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-21 22:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(52) Bandara Dai Nippon(52)アルー諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アルー諸島はかつてマルク州東南県(Kabupaten Maluk Tenggara)の一角を占めていたが、2004年初旬、アルー諸島県(Kabupaten Kepulauan Aru)として分離.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-22 23:41
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(53) Bandara Dai Nippon(53)アルー諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アルー諸島本島の最南端に位置するトゥランガン(Trangan)島南東海岸付近のシア(Sia)に2個概成し、未だドカ飛行場の設定が始まる前、昭和18(1943)年6月、第5師団を隷下に置く第19軍.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-23 23:22
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年3月末~4月中旬、海軍陸戦隊は西部ニューギニアで、ファクファク、バボ、ソロン、テルナテ、マノクワリ、ムミ、セルイ、ナビレ、サルミ、ホランジアなどを占領した。ちなみに当時、陸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-25 17:07
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />タニンバル諸島セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-26 00:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年1月11日、蘭印(オランダ領インドネシア)攻略作戦の緒戦として、まずボルネオ(現カリマンタン)東部の油田地帯であるタラカン(Tarakan)島と、セレベス(現スラウェシ)島.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-27 23:37
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オランダの東インド会社(VOC)に代表されるよ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-28 22:38
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut)島。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-29 23:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリアン(.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-30 22:31
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属してい.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-31 22:16
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となった1万.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-01 21:52
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)ティモール島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(1941).. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-02 22:33
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と東半分.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-03 19:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palembang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-04 17:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後、プト.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-05 21:33
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-06 20:36
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛行集団.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-07 19:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領ティモールで各地の飛行場造成に協力)は、昭.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-08 20:00
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面における航空基地整備に関する分担リストも発表し.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-09 18:22
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に位置する、世界自然遺産のコモドドラゴンが.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-10 22:50
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」を通じて、小スンダ列島全域とアラフラ海前.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-11 20:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負った。インド洋とティモール海を挟んで、連合.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-12 20:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スンバワ島は、他の小スンダ列島(ティモール島.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-13 19:28
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコロには陸軍が1個(滑走路は計3本か?)新.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-15 21:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1,992,299人。そして見事(!?)第.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-17 18:26
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-18 22:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ)、サンギヘ、タラウド方面の基地建設と防.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-19 22:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ワシレ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、武松派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第25軍から派遣され、同年12月末、第12.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-20 18:26
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-21 19:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれたカウ、そして第1野戦根拠地隊司令部が置か.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-22 21:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博物館”。モロタイ島の南部には“星条旗”.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-23 19:08
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sangowo)、島中西部のワヤブラ(Waj.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-24 18:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容易なわざでないということが、上陸早々気が.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-25 18:39
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り返した。日本軍による初めての対豪爆撃は、.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-01 19:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こうして、日本軍はフィリピン・オーストラリ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-02 17:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように述べている。「日本軍のトレス海峡方面一挙.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-03 17:38
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-04 16:28
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙するよりも、その海軍力を活かして、ニューギ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-05 18:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(Darwin)には豪第43飛行中隊(偵察・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-07 04:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・マナド)、そして南東部のケンダリ(Ken.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-12 17:07
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計画した。つまり、フィリピン南部や、セレベ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-13 16:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新設飛行場の工事に取り掛かった。しかし、松.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-14 14:30
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリマンタン=Kalimantan)、セラム.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-15 19:19
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Biak)島、ヌンホル(Numfor)島、サ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-16 18:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島での“玉砕戦”に近い激戦を控え、作戦命令.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-17 18:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷下の1001部隊(横須賀第1特別陸戦隊・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-18 18:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapenget)、ランゴアン(Langoan/L.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-22 23:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Talaud)諸島は、開戦当初は、海軍陸戦隊によ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-23 19:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥランギ(Samratulangi)飛行場は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-24 16:50
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Barat)州には、主用空港が計12ヵ所ある.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-25 16:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻略作戦に着手した。すでに占領したフィリピ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-28 20:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Balikpapan)東方のマンガール(Mang.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-29 19:37
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点から最も豊かな州だ。例えばボンタン(Bo.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-31 18:19
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)のシャムスディン・ヌール(Syamuud.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-01 19:02
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung Raya)県の県都プルックチャフ(Puru.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-02 16:44
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putussibau)には、パンスマ(Pangsum.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-03 16:11
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今日のマレーシアのサラワク(Sarawak.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-18 17:32
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の州都所在地だ。戦前の北ボルネオの中心地は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-19 12:41