東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ
歩兵第11連隊は、1943年5月11日、ミミカに長さ1,000m、幅50mの飛行場を完成させた。連合軍が中部ソロモンや東ニューギニアなどの南東方面で反攻を整えつつあったこの時期、日本軍には楽観論もあった。例えば、同年8月上旬、第5師団のバンダ海での部隊展開が順調に進んでいることを踏まえ、第5師団長の山本務中将は「現在の空海状況が一年続けばこの戦争に日本は勝つ」と日誌に記したとされる。この頃、日本軍は、西部ニューギニアでは、北岸ではホランジア(ジャヤプラ)、ワクデ島、ナビレに飛行場を有し、またベラウ湾奥のビントゥニ湾にはバボ基地があった。しかし、ソロンのエフマンやベラウ湾のサガでは造成中だった。一方、南西岸エリアでは、カイマナ(マトア)、ミミカが完成し、さらに、アルー諸島、カイ(ケイ)諸島、タニンバル諸島、そしてセラム島・アンボン方面でも幾つかの航空基地がすでに建設済み、もしくは造成中だった。
ミミカは、西部ニューギニアでは、連合軍と対峙する“最前線”だった。同地の眼前のアラフラ海の南東にはメラウケ(Merauke)があり、連合軍の航空基地があった。結果的には、連合軍はニューギニア島の北岸を西進して反撃作戦を実施したが、当初は、ニューギニア島の南岸からアラフラ海、バンダ海に進攻してくる可能性も予想され、このため、第5師団が同地域へ展開の命を受けた。
ミミカ県は、パプア州そして西パプア州の西部ニューギニアで最も豊かな県だ。県面積は約21,522km2、人口はおよそ178,000人(2006年:投資調整庁)と、さほど大きな県ではないが、ここには“世界最大”の銅・金鉱山であるテンバガプラ(Tembagapura=銅の都)がある。ティミカ(Timika)を県庁とするミミカ県は、地方自治法並びにパプア特別自治法に基づき、天然資源開発の巨額の利益を得ている。
日本軍が飛行場を完成・造成したビントゥニ湾(ベラウ湾)のバボとサガ沖合で今開発が進む、世界最大規模の天然ガス田であるタングー・ガス田があるように(既報)、日本軍が飛行場を建設したミミカの目と鼻の距離に、世界最大級の銅・金鉱山があったとは。資源獲得戦争の一面を持った大東亜戦争にあって、皮肉にも、それら天然資源の巨大な宝は、硝煙とは無関係に眠りについていたのであった。
1936年に、オセアニア最高峰のプンチャクジャヤ(Puncak Jaya:当時の名称はカルステンツ=Carstensz、もしくは通称カルステンツ・ピラミッド。4884m)の山腹で発見されたエルツブルグ(Ertsberg)銅鉱脈に端を発するテンバガプラ開発は、1960年の米フリーポート(Freeport)社による調査によって本格化した。1967年、フリーポート社はスハルト政権から、期間30年間の条件で鉱業権を得た。1988年には、エルツブルグよりも大規模なグラスバーグ(Grasberg)鉱脈が発見された。これにより、同地区の埋蔵量は2億立方トンとなった。
ミミカ県のエリア
ミミカ防衛隊が造成した飛行場の位置。現在、跡地がどうなっているのかは分からない。雲に覆われ、衛星画像でも確認ができない。この日本軍建設の飛行場西方には、現在ココナオ(Kokonao)空港(滑走路の長さ600m、幅18m)があり、C-212型機やDHC-6型機などの双発小型機のみが離着陸可能。東方のアママパレ(Amamapare)には、フリーポート社の積み出し港がある。
昭和18(1943)年9~10月頃の、第19軍や第3飛行団による偵察飛行分析によれば、連合軍は西部ニューギニアの南岸のメラウケ(Merauke)に相当規模の部隊を集めていた。すでに航空部隊も進駐していた。12月中旬、第19軍は、アラフラ海に面するアガッツ(Agats:日本軍はアガチと呼んだ)に連合軍の情報謀略拠点があると判断し、同地の占領を計画し、12月下旬、地上偵察を開始した。次いで、翌年(1944)年1月、陸軍航空部隊の第73中隊は、カイマナ、ミミカに進出し、アガッツ攻撃地上部隊の援護として、アガッツ付近の偵察爆撃、攻撃部隊の舟艇機動誘導準備にあたった。また第70中隊(百式司偵)は、メラウケやタナメラ(Tanah Merah)の連合軍の飛行場を偵察、アガッツ付近の空中撮影も行った。偵察によって、アガッツ駐屯の連合軍部隊は、機関砲数門を有する約50名と推定された。第5師団はミミカの歩兵一中隊にアガッツ攻撃を命じた。同中隊は海軍陸戦隊の一部と共に、1月28日、アガッツを占領した。無血占領だったとされる。
アガッツは現在はアスマット(Asmat)県の県都所在地。同地にあるカトリック宣教団に記録されているアスマット史によれば、「1942年11月:800名以上の日本帝国陸軍兵士がミミカに駐屯。最終的には1,000名を超えた」とある。(筆者注:昭和17(1942)年12月15日、海軍陸戦隊270名がミミカに上陸していることは事実だが、これ以前に800名もの兵が本当にミミカにいたのかどうかについては未確認。1942年11月の段階で“帝国陸軍兵士”が駐屯したエリアはアルー諸島やタニンバル諸島の第48師団で、ミミカまでは展開していなかったと思うが、仮に、宣教団の記述間違いで、実際は1943年11月であれば、第5師団の歩兵連隊が進駐しているので符合する)。
教会のアスマット史はさらに続く。
「戦時中、日本の部隊はヤマシ(Yamasj)、アスアタット(As-Atat)、カピ(Kapi)、アオ(Ao)に駐屯。オーストラリア軍はアンボレップ(Amborep)村とジャオサコール(Jaosakor)村の間のシレッツ(Siretsj)川にポストを設けていた」
「日本軍は少なくともシュルー(Syuru)村で22人、エウエール(Ewer)村で5人、アス(As)村で12人、そしてヤマシ村とユフェリー(Yuffery)村で18人を殺した。日本軍によって22名を殺され弱体化したシュルー村は、ワルセ(Warse)村に襲われ10人を殺され、またアヤム(Ayam)村に襲われ、14名の子供、10名の女性、1名の男を殺された」
「日本軍は1942年7月31日、ラングール(Langgur:[筆者注]カイ諸島のラングールか?)でアンボンの司教と13名の教会関係者を殺した」
(注)ベースの地図は『ASMAT Leben mit den Ahnen』(1981)から引用
(注)ベースの地図は『Asmat Art』(1993)から引用
右側の茶色部分がアガッツ(Agats)。現在はアスマット(Asmat)県の県都。
アスマット県行政区地図
フリーポート・インドネシア社が建設したティミカの近くにあるテンバガプラ(Tembagapura)空港(もしくはTimika空港)。滑走路の規模は、長さが2,390m、幅が45m。B-737型機の離着陸が可能。
ジャヤ峰(右)の西山腹にグラスバーグ鉱区があり、掘削中の巨大なクレーターが見える。
フリーポート・インドネシア社(PT.Freeport Indonesia)が銅・金を採掘する、プンチャク・ジャヤ(ジャヤ峰)山腹のグラスバーグ鉱区。
【参考ブログ】
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ(Kaimana)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_12.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39) ファクファク(Fakfak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_11.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38) ヤムール湖(Danau Yamur)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_10.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_9.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_7.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_6.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_2.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_34.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_6.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_5.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_4.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
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マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
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マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
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マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
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マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
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マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_5.html
マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_4.html
マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_3.html
アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_4.html
戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200708article_6.html
パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_4.html
パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_3.html
西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/
パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/
マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/
ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id
ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/
ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/
南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/
サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/
ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/
ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/
ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/
ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/
カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/
ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/
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