東部インドネシアの旧日本軍航空基地(45) Bandara Dai Nippon(45) ジャヤ峰

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インドネシアそしてオセアニア地域で最高峰のジャヤ峰(Puncak Jaya:カルステンツ・ピラミッド=Carstensz Pyramid:4884m)。その“脇腹”で発見された、世界最大級の銅、金、銀鉱山。発見は1936年末。オランダ王立地理学協会(Royal Netherlands Geographical Society=RNGS)がスポンサーとなり、カルステンツ峰初登頂を目指した登山・探検隊(A.H.コライン(Colijn)博士を隊長に、オランダ空軍将校F.ヴィッセル、そして地質学者J.J.ドージィ博士(Jean Jacques Dozy)などが参加)は、南側からアプローチ、地質調査をしつつカルステンツ山群に入った。隊は“初登攀”に成功したと思った。が、後日、それは最も高い峰ではないことが分かった。彼らは幾つもあるピークの一つであるンガ・プル峰(Nga Pulu/Ngga Pulu:4862m。ちなみにハインリッヒ・ハーラー著の『石器時代への旅』はこの峰をナガパルと訳している)に登っていたのだ。隊は、メーレン(Meren)氷河の東端付近に位置するンガ・プル峰を、当時、最高峰と考えていた。つまり、カルステンツ山群の第二峰へ登頂し、第一峰のカルステンツ・ピラミッド(ジャヤ峰)には挑戦しなかった。
幾つもの峰が連なるカルステンツ山群、そして厚い雲と濃い霧。GPSなど持たない当時の登山方法では止むを得なかった。ジャヤ峰初登頂のハインリッヒ・ハーラーでさえ、峰の区別に悩んだ。「そしていまにしてはじめて、われわれは本当のナガパルに立ったのだ。先週の日曜日、ナガパル第二登頂と信じ込んで登った山頂は、東へ逸れた名もない雪山にすぎなかったのである。今日におくれてしまったが、われわれは「日曜の素人猟師」に因んで、これを「日曜三角点」と命名した。現にわれわれが立っているこの山は、カルステンツ山脈の三大高峰の一つで、壮大かつ秀麗、しかも威厳があった」(『石器時代への旅』より)。


中央のクレーター状の場所がグラスバーグ鉱山。その右にカルステンツ山群が連なる。世界で最も生産コストの低い銅鉱山と言われている。



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最高峰カルステンツ・ピラミッドの初登攀はならなかったが、コライン登山隊は、とてつもない“宝”を発見した。カルステンツは正に“宝の山”だった。彼らはエルツブルグ(Ertsberg)一帯がむき出しの“銅の山”であることに驚愕した。そして第二次世界大戦を挟んで24年後。西イリアン奪還を目指すインドネシア軍とオランダ軍が武力衝突する前年の1960年、米鉱山会社フリーポートは、二人の地質学者フォーブス・ウィルソン(Forbes Wilson)とデル・フリント(Del Flint)をエルツブルグへ送り込んだ(注:当時の会社名はFreepot Minerals Company)。1936年のオランダ隊のリポートを再確認するための調査だった。そして、世界最大級の銅鉱脈の可能性を確証した。フリーポート社は、エルツブルグ鉱山の開発にすぐにでも着手したかった。しかし、時代はインドネシアで、そしてパプアで激変の時を迎えていた。1963年、スカルノ政権は、エルツブルグ鉱山開発プロジェクトを棚上げにした。まだ同地の最終的帰属問題に決着がついていなかったからだ。しかし、“銅の商人”は、早くも、この時点で、開発についてジャカルタと交渉を持っていた。
1962年のニューヨーク協定を経て、インドネシア軍とオランダ軍との武力衝突までに至った西イリアン(蘭領ニューギニア・西部ニューギニア)紛争が終結。これによって、同地の行政権は実質的にインドネシアへ委譲された。そして1969年7~8月の“自由選択権の行使(The Act of Free Choice:筆者注:この自由選択権の行使については、一般のパプア生まれの住民を含め、パプアの独立を主張する勢力が、その違法性を今日でも問題視している)”を経て、1969年8月17日、インドネシア共和国の第24回独立記念日を期して、同地はインドネシアへの帰属が決まった。西部ニューギニアの最終的帰属が未決定のこの時期、インドネシア国内では1965年に“9.30事件”が起き、スカルノ初代大統領が失脚、1966年3月には、西イリアン解放作戦(トリコラ作戦)司令官を務めたこともあるスハルト陸軍戦略予備軍司令官の手に実質的な権力が委譲され、1967年3月に大統領代行、そして翌1968年3月に、第二代インドネシア共和国大統領に就任した。



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1966年、インドネシア共和国の実質的最高権力がスハルト大将の手に移ると、未だ正式に大統領の座についてはいないものの、スハルト“政権”は、外国投資の導入を含む大規模な経済改革路線を打ち出した。そして、この路線に沿って、フリーポート社はジャカルタへ招待され、エルツブルグの開発に関して、インドネシア政府当局との間で、具体的な打ち合わせに入った。そして翌1967年4月、フリーポート・インドネシア社(PT. Freeport Indonesia=PTFI)は、インドネシア政府から、10km2のエルツブルグ銅山の鉱業権を30年間の期限で承認された。1967年12月、フリーポート社によるエルツブルグ一帯の探索・調査が始まり、1970年5月、本格的な施設建設がスタートした。そして1972年12月には、輸出第一船にこぎつけた。1988年には、エルツグルブ鉱区のすぐ近くのグラスバーグ(Grasberg)盆地で大鉱脈を発見し、これによって一帯での埋蔵量は2億立方トンとなった。そして1991年には、インドネシア政府との間で、第二次探鉱開発契約が結ばれ、PTFI社は更に30年間の鉱業権を手に入れた。PTFIによれば、1992年~2005年の間に、同社が支払った配当、鉱区使用料、税金の総額は39億ドルだったとされる。PTIF社の親会社はフリーポート・マクモラン・カッパー・アンド・ゴールド社(FCX=Freeport McMoRan Copper & Gold)。

PTFI社のホームページ(http://www.ptfi.co.id/)に掲載されているグラスバーグ鉱区。ハーラーが初登頂した時の記録によれば、ここには大きな盆地があった。中央のクレーターの東西に不必要な土や岩を捨てる場所が設置されている。


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PTFIのホームページに掲載されているグラスバーグ鉱山の現場の光景。


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PTIF社の鉱区解説図。上方が採掘現場。インドネシアの民間企業では最大の“納税者”であるPTIF。しかし、環境破壊問題や人権問題と無縁ではない。同社は、そういった諸問題に積極的に対応しているとPRしているが、国際NGOの監視は継続している。


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採掘断面図。現在採掘しているすり鉢状の巨大な穴(灰色)の下には未採掘のグラスバーグ鉱脈()があり、その地下南部(標高約2,605~3,115m)には“野良猫”と名付けられた鉱脈(オレンジ)がある。ビッグ・ゴッサン(Big Gossan)鉱脈(青緑)は、エルツブルグ鉱脈の南西約1,000m付近にある(標高約3,000m)。ドム(Dom・水色)は、エルツブルグ鉱脈の南東1,500mに位置する。ESZ(Ertsberg Stockwork Zone・黄)は標高約3,126~3,626mのDOZゾーン()の南西に位置する。MLZ(Mill Level Zone・ピンク)は、DOZの真下に位置し、標高は約2,890~3,220m。ジャヤ峰(勝利の頂の意味)は、そのわずか1,000~1,500m下の脇腹に腹一杯の銅・金・銀を貯めこんでいる。まさに“黄金郷 ”だ。富士山で言えば、6合目から8合目辺りでの採掘ということになる。PTIF社によれば、グラスバーグ露天掘り鉱脈で採掘可能な埋蔵量は、銅が130億ポンド、金が2000万オンス、銀が2300万オンスとか。


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地下の採掘風景(PTFI社ホームページより)


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PTFI社が開発した、ティミカ郊外にある新興都市クアラ・ケンチャナ(Kuala Kencana=黄金河口)。インドネシア初の上下水道完備の街とのことだ。衛星画像で見るとゴルフ場やプールなども見え、いわば“ジャングル・リゾート”。


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(44) Bandara Dai Nippon(44) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(43) Bandara Dai Nippon(43) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(42) Bandara Dai Nippon(42) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ(Mimika)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_13.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ(Kaimana)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39) ファクファク(Fakfak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38) ヤムール湖(Danau Yamur)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
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マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200807article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
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マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
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マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
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アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
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パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut)島。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-29 23:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリアン(.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-30 22:31
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属してい.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-31 22:16
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となった1万.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-01 21:52
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)ティモール島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(1941).. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-02 22:32
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と東半分.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-03 19:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palembang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-04 17:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後、プト.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-05 21:33
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-06 20:36
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛行集団.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-07 19:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領ティモールで各地の飛行場造成に協力)は、昭.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-08 20:00
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面における航空基地整備に関する分担リストも発表し.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-09 18:22
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に位置する、世界自然遺産のコモドドラゴンが.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-10 22:50
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」を通じて、小スンダ列島全域とアラフラ海前.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-11 20:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負った。インド洋とティモール海を挟んで、連合.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-12 20:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スンバワ島は、他の小スンダ列島(ティモール島.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-13 19:28
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコロには陸軍が1個(滑走路は計3本か?)新.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-15 21:13
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1,992,299人。そして見事(!?)第.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-17 18:26
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-18 22:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ)、サンギヘ、タラウド方面の基地建設と防.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-19 22:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ワシレ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、武松派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第25軍から派遣され、同年12月末、第12.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-20 18:26
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-21 19:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれたカウ、そして第1野戦根拠地隊司令部が置か.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-22 21:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博物館”。モロタイ島の南部には“星条旗”.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-23 19:08
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sangowo)、島中西部のワヤブラ(Waj.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-24 18:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容易なわざでないということが、上陸早々気が.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-25 18:39
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り返した。日本軍による初めての対豪爆撃は、.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-01 19:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こうして、日本軍はフィリピン・オーストラリ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-02 17:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように述べている。「日本軍のトレス海峡方面一挙.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-03 17:38
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-04 16:28
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙するよりも、その海軍力を活かして、ニューギ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-05 18:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(Darwin)には豪第43飛行中隊(偵察・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-07 04:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・マナド)、そして南東部のケンダリ(Ken.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-12 17:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計画した。つまり、フィリピン南部や、セレベ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-13 16:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新設飛行場の工事に取り掛かった。しかし、松.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-14 14:30
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリマンタン=Kalimantan)、セラム.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-15 19:18
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Biak)島、ヌンホル(Numfor)島、サ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-16 18:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島での“玉砕戦”に近い激戦を控え、作戦命令.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-17 18:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷下の1001部隊(横須賀第1特別陸戦隊・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-18 18:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapenget)、ランゴアン(Langoan/L.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-22 23:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Talaud)諸島は、開戦当初は、海軍陸戦隊によ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-23 19:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥランギ(Samratulangi)飛行場は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-24 16:49
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Barat)州には、主用空港が計12ヵ所ある.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-25 16:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻略作戦に着手した。すでに占領したフィリピ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-28 20:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Balikpapan)東方のマンガール(Mang.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-29 19:37
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点から最も豊かな州だ。例えばボンタン(Bo.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-31 18:19
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)のシャムスディン・ヌール(Syamuud.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-01 19:01
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung Raya)県の県都プルックチャフ(Puru.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-02 16:44
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putussibau)には、パンスマ(Pangsum.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-03 16:11
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今日のマレーシアのサラワク(Sarawak.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-18 17:32
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の州都所在地だ。戦前の北ボルネオの中心地は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-19 12:41
  • オセアニアの最高峰ジャヤ峰 カルステンツピラミッド Puncak Jaya, Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco092.gif" />パプア州の州都ジャヤプラに本社を置く「Papua TV」。添付の動画は、同TV局の人気番組である「Tabea(こんにちは)」で紹介された、オセアニア地区で最も高く、ニューギニア島の最高峰(4884.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2010-08-19 13:45