東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖

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太平洋戦争は、ある意味で、日本人によるニューギニア探検の魁(さきがけ)の機会を与えた。しかも、その探検は、単に地理的探検に限らず、民族学的、文化人類学的、生物学的、そして資源・食糧の確保などの側面も含めて、その全てを把握する、いわば総合学術探検の顔も持っていた。オランダやドイツ、英国そして豪州などは、古くからニューギニア島を植民地分割し、それなりに同島に関して情報を有していた。しかし、日本はそうではなかった。もちろん、明治時代より、単身、この地に赴いて、まさに地元民化し、色々な事業を手がけた日本人はいる。西部ニューギニアに限ってみても、例えば、細谷十太郎(仙台藩士の息子。明治末期に渡航、ムミで綿花栽培などの農業開発)や海老名庄次郎(和歌山県出身。大正時代の半ばに渡航。サルミで椰子園などの農場開拓)。そしてメラウケで、当時パリ社交会で流行った帽子の羽飾りを求めて極楽鳥狩りを行った和田儀太郎。さらに、沖縄県出身の金城徳栄(大正時代に渡航。鼈甲亀の捕獲などを経て、ナビレでダマル樹脂採集などの事業に従事)。
既報の海軍ニューギニア調査隊は、マノクワリに拠点を置いた海軍ニューギニア民政府下で、田山利三郎博士(当時は東北帝大助教授で海軍水路部嘱託)を隊長に、第一班から第六班に分かれ、地質、鉱物、農業、植物、民族、動物、測量などの分野の調査を行った。こレらの調査隊には、東北大学、京都大学、京城大学などの学者に加え、宇都宮、岐阜の高農、東京科学博物館、南洋庁」などから派遣された職員、さらには南洋興発、日本発送電、浅野セメント、王子製紙の社員なども参加した。


海軍ニューギニア調査隊に関しては以下のブログ参照

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_17.html



『鰐部隊とパプア人マンドル』。筆者がまだ学生時代、著者の徳野氏とお会いした。徳野さんは、一般的なイメージにある“中野学校”卒とは思えない、とっても優しく、義を重んじる群馬県人だった。ニューギニアで特務機関員として過ごした青春時代に悔いを持っているようには見えなかった。パプア民族の未来に光が当たることを真に願っていた。あれからパプアはどう変わったのだろうか


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東西ニューギニアを合わせて20万人以上もの日本軍将兵並びに軍属が戦死しているが、戦闘以外の事由で亡くなった者は、主に、熱帯病そして餓死であった。このことは、側面を変えて見れば、日本がニューギニア島に関して、開戦前に、ほとんど情報を持っていなかったことと大いに関連する。このことは、開戦直後に大本営で、ニューギニア放棄論さえ出たことからも窺い知れる。「開戦以来既に一年余、事前研究が不足であったニューギニアの処理は、依然、大本営における苦悩の種であった。(中略)(筆者注:昭和18年)一月末、大本営陸軍部の第三部長(鉄道、船舶、通信等担任)若松只一中将は、最近の膨大なる船舶損耗、海軍戦力運用の拘束(護衛兵力増大)などを避けるため、ニューギニア作戦を中止するか、あるいは補給が確保できる最小限の兵力で柔軟な戦闘を行なう方針の採用を第一部長(作戦担任)綾部橘樹少将ぬすすめた。(中略)(筆者注:大本営陸軍部では)ニューギニアははたして絶対的に必要か、必要ならばどの線を保持するか、その確保のためには長期連続不断の航空大持久戦を行わねばならないが、今後数ヵ年これを完遂する可能性があるか、などが問題とされた。(中略)三月十四日、大本営陸海軍部の両作戦課は、この問題を合同研究した。(中略)結局ニューギニアは放棄すべきではないという結論に到達したが、南太平洋全般の放棄という根本的な論議が、軍の中央部に起きている事態を重大視した両統帥部は、その研究直後にわざわざ覚え書きを交換し、漁軍一致して同方面の作戦を強化することを申し合わせた」(『戦史業書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)。


第二軍工作隊の活動エリア。第36師指揮下、“鰐工作隊”は、日高少佐指揮の下、マンベラーモ川を縦横無尽に動き、ロンベバイ(Rombebai)湖で壮絶な連合軍との死闘を繰り広げた。


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満足な兵要地誌もないニューギニアの戦場で、その弱点を補うことを求められたのは、いわゆる“秘密戦士”たる工作隊員だった。西部ニューギニア戦では、特に陸軍中野学校出身者を隊長に編成された10を数える工作隊が、各地で宣撫工作活動や謀略作戦にあたった。直線距離で、サルミ(Sarmi)の西方約100kmに位置するマンベラーモ(Mamberamo)川。ニューギニア島最大・最長の川だ。標高3~4千メートルの中央高地を水源とする水が、東から西へイーデンブルグ(Idenburg)川として流れ、西からはルファエール(Rouffaer)川が東に向かい、合流点で一気に北へ向かい、山脈に深い谷を刻み、太平洋へと流れ込んでいる。
マノクワリに司令部を置く第ニ軍や、サルミを拠点とする第36師団は、このマンベラーモ川が作りだす大湿地帯(メールクラフテ)並びにその南の中央高地一帯までが作戦地域だった。この背景には、昭和18(1943)年1月時点で大本営が決めた、西部ニューギニアにおいては、中央高地が連なる南緯4度以北を持って、占領すべき地域との指示がある。ハベマ湖やウィッセル(現パニアイ)湖は、まさに南緯4度の線上に位置している。つまり、ここに水上基地や、周辺に陸上の飛行場を設けることは、大本営の指示に合致している。
昭和18(1943)年12月8日、マノクワリに司令部を置いたばかりの第ニ軍が下した「第二軍作戦準備要項」。この中で、中央高地にあるハベマ湖(日本軍はハッペマと呼んだ)とウィッセル湖(現在のパニアイ湖)について以下のように触れている。「ハッペマ湖及ウィッセル湖高原地帯ニ対シテハ特種謀略ヲ指向シ為シ得レハ機動飛行場ヲ整備ス」。



マノクワリ本部の小森少佐はヌンホル島の工作も担当、“梅工作隊”(桜井大尉)は、ビアク島、“虎工作隊”(原大尉)はサルミ地区、龍工作隊(内山大尉)はボンゴ地区、小川(大尉)班はウィッセル湖方面、富田(少左)班は南部のミミカ地区を担当。第二軍直属の“神工作隊”(新穂少左)はホランジア(現ジャラプラ)方面を担当した。


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昭和19(1944)年7月31日未明、“鰐工作隊”は、マンベラーモ川近くの、ロンベバイ(Rombebai)湖のヤピナ島にあった連合軍の水上基地を夜襲。この戦闘で日高少佐は戦死。苦戦を続けていた第36師団にヤピナ夜襲の成功は、久々の朗報だった。


第二軍がマノクワリに進出する以前、アンボンにあった第19軍は、西部ニューギニア作戦域の兵要地誌を作成するため、昭和18(1943)年6月、中野学校出身の将校ニ名(富田、廣瀬義武の両中尉)に健脚の兵60名を付し二組に区分して偵察に派遣したところ、富田中尉指揮の南部探検隊は3ヵ月後帰来したが、廣瀬中尉指揮の北部探検隊(マンベラーモ川流域)はまだ帰還していなかった。廣瀬隊は5ヵ月後の11月に帰還したが、三分の一の人員に減じ、この生還者もマラリアと栄養失調で口もきけないほどになっていた(『戦史業書 豪北方面陸軍作戦』)。
『鰐部隊とパプア人マンドル』(徳野明著。今日の話題社。昭和45年8月15日発行)によれば、第二軍には、マノクワリの本部を含め計10の工作隊が編成されていた。その一つ“ハベマ湖探検隊”の異名を持つ、日高岩男少佐指揮下の『鰐工作隊』は、第36師団の指揮下に入り、サルミよりマンベラーモ川を遡上し、ハベマ(Habema)湖の占領・確保を最終目標に中央高地に入り、高地民族数万を宣撫工作して、日本軍の作戦に協力させようとの壮大な狙いがあった。



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『鰐部隊とパプア人マンドル』に掲載されたロンベバイ湖(下)と衛星画像で見た今日のロンベバイ湖。


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昭和19(1944)年7月31日払暁、日高岩男少佐以下計16名の“鰐工作隊”は、ロンベバイ湖の東北にあるヤピナという名の小島をベースとする敵軍の水艇基地を攻撃した。この攻撃で日高少佐は戦死、日本側の犠牲者は合わせて3名。連合軍側の記録によれば、「おおよそ50名の日本兵が攻撃してきた。内、15名が戦死、1名を捕虜とした。我が軍は7名が負傷」。『鰐部隊とパプア人マンドル』によれば、16名の出撃で、3名の戦死。小さな交戦でありながら、参加人数で16対約50、戦死者数で3対15と大きな開きがある。ちなみに、連合軍兵士は、同日朝、飛来した救援のPBY飛行艇に救助された。この際、負傷した1名の日本兵(鰐工作隊の小泉雅少尉)が捕虜として同飛行艇で、ビアク島の南に連合軍が築いたオウィ島の基地へ連れて行かれた。小泉少尉は青山学院大学を卒業、陸軍予備士官学校卒業後、第二軍司令部付となった。英語が得意だった。小泉氏は、その英語力が自分の命を救ったと、1970年代に面会した筆者に語った。暗闇での交戦で負傷、意識不明となった小泉氏は、米兵に発見されたが、英語で会話ができたため、捕虜として連行された。最終的にはオーストラリアのブリスベンにある海軍病院で治療を受け、終戦後の昭和21年3月の引揚船で祖国へ帰還した。
衛星画像からはヤピナ島の存在が確認できない。



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豪州と米国とを分断し、インドネシアを始めとする占領地の資源確保のため、ニューギニア島に多くの飛行場が建設された。しかし、“絶対国防圏”は、戦況の悪化に伴い、短期間で後退を繰り返した。


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豪北(オーストラリアの北方)方面で日本軍並びに連合軍が造成した主な飛行場。
は日本陸軍、は日本海軍、は連合軍が建設。は日本軍が水上基地を設けようと計画した湖。



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ロンベバイ湖(衛星画像)。マンベラーモ川のすぐ脇にある。


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マンベラーモ川の蛇行。西部ニューギニアの中央高地に降った雨は、この大河を通じて太平洋に流れ込む。


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マンベラーモ川の日本軍工作隊による“探検行”は、この『鉄砲を一発も撃たなかったおじいさんのニューギニア戦記』(深津信義著。日本経済新聞社)にも詳しい。


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200807article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200708article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />インドネシア共和国の最東南端に位置するパプア州(Provinsi Papua)のメラウケ(Merauke)県は、東経141度ラインで隣国PNG(パプアニューギニア)と接し、トレス海峡を挟んでオー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-17 23:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(48) Bandara Dai Nippon(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />中部ニューギニア北岸の要衝・ホランジア(Hollandia・現在のジャヤプラ)は、ガダルカナル島撤退と並ぶ、太平洋戦争における日本軍の象徴的敗北の一ヶ所となった。昭和19(1944)年4月22日.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-18 21:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(49) Bandara Dai Nippon(49) ジャヤプラ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍(海軍陸戦隊)がホランジア(現ジャヤプラ)を占拠したのは開戦四ヵ月後の昭和17(1942)年4月。ホランジアの西およそ40kmには大きなセンタニ(Sentani)湖があり、その北側には平地.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-19 22:24
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50) Bandara Dai Nippon(50) ジャヤプラ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />米軍資料によれば、昭和19(1944)年4月22日の連合軍ホランジア(現在のジャヤプラ)上陸敢行に先立つ3月、潜水艦を使って、二組の偵察隊が密かに送り込まれた。計12名からなるチームはアメリカ人.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-20 22:54
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(51) Bandara Dai Nippon(51)ケイ諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />バンダ海に展開していた第16軍隷下の第48師団(海兵団:土橋勇逸中将)の任務を継承する形で、昭和18(1943)年2月、第19軍(冨永信政中将)隷下の第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、バンダ海域.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-21 22:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(52) Bandara Dai Nippon(52)アルー諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アルー諸島はかつてマルク州東南県(Kabupaten Maluk Tenggara)の一角を占めていたが、2004年初旬、アルー諸島県(Kabupaten Kepulauan Aru)として分離.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-22 23:41
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(53) Bandara Dai Nippon(53)アルー諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アルー諸島本島の最南端に位置するトゥランガン(Trangan)島南東海岸付近のシア(Sia)に2個概成し、未だドカ飛行場の設定が始まる前、昭和18(1943)年6月、第5師団を隷下に置く第19軍.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-23 23:22
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年3月末~4月中旬、海軍陸戦隊は西部ニューギニアで、ファクファク、バボ、ソロン、テルナテ、マノクワリ、ムミ、セルイ、ナビレ、サルミ、ホランジアなどを占領した。ちなみに当時、陸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-25 17:07
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />タニンバル諸島セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-26 00:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年1月11日、蘭印(オランダ領インドネシア)攻略作戦の緒戦として、まずボルネオ(現カリマンタン)東部の油田地帯であるタラカン(Tarakan)島と、セレベス(現スラウェシ)島.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-27 23:37
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オランダの東インド会社(VOC)に代表されるよ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-28 22:39
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut)島。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-29 23:13
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリアン(.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-30 22:31
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属してい.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-01-31 22:16
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となった1万.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-01 21:52
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)ティモール島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(1941).. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-02 22:33
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と東半分.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-03 19:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palembang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-04 17:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後、プト.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-05 21:33
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupang)へ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-06 20:36
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛行集団.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-07 19:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領ティモールで各地の飛行場造成に協力)は、昭.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-08 20:00
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面における航空基地整備に関する分担リストも発表し.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-09 18:22
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に位置する、世界自然遺産のコモドドラゴンが.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-10 22:51
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」を通じて、小スンダ列島全域とアラフラ海前.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-11 20:06
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負った。インド洋とティモール海を挟んで、連合.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-12 20:43
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スンバワ島は、他の小スンダ列島(ティモール島.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-13 19:28
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコロには陸軍が1個(滑走路は計3本か?)新.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-15 21:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1,992,299人。そして見事(!?)第.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-17 18:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-18 22:12
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ)、サンギヘ、タラウド方面の基地建設と防.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-19 22:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ワシレ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、武松派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第25軍から派遣され、同年12月末、第12.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-20 18:26
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第1.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-21 19:53
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれたカウ、そして第1野戦根拠地隊司令部が置か.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-22 21:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博物館”。モロタイ島の南部には“星条旗”.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-23 19:08
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sangowo)、島中西部のワヤブラ(Waj.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-24 18:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容易なわざでないということが、上陸早々気が.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-02-25 18:39
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り返した。日本軍による初めての対豪爆撃は、.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-01 19:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こうして、日本軍はフィリピン・オーストラリ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-02 17:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように述べている。「日本軍のトレス海峡方面一挙.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-03 17:39
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-04 16:29
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモー.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-04 16:29
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙するよりも、その海軍力を活かして、ニューギ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-05 18:20
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(Darwin)には豪第43飛行中隊(偵察・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-07 04:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・マナド)、そして南東部のケンダリ(Ken.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-12 17:07
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計画した。つまり、フィリピン南部や、セレベ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-13 16:27
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新設飛行場の工事に取り掛かった。しかし、松.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-14 14:30
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリマンタン=Kalimantan)、セラム.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-15 19:19
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Biak)島、ヌンホル(Numfor)島、サ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-16 18:21
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島での“玉砕戦”に近い激戦を控え、作戦命令.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-17 18:46
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷下の1001部隊(横須賀第1特別陸戦隊・.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-18 18:06
  • 西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/06_spring.gif" />2009年3月19日、午前10時30分。メディアが、そして日本中が熱い視線でワールド・ベースボール・クラシックの日本・キューバ戦の開始を待つおよそ1時間半前、東京・霞が関の厚生労働省2階の共用第.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-20 17:17
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapenget)、ランゴアン(Langoan/L.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-22 23:47
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Talaud)諸島は、開戦当初は、海軍陸戦隊によ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-23 19:15
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥランギ(Samratulangi)飛行場は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-24 16:50
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Barat)州には、主用空港が計12ヵ所ある.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-25 16:14
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻略作戦に着手した。すでに占領したフィリピ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-28 20:34
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Balikpapan)東方のマンガール(Mang.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-29 19:37
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点から最も豊かな州だ。例えばボンタン(Bo.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-03-31 18:19
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)のシャムスディン・ヌール(Syamuud.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-01 19:02
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung Raya)県の県都プルックチャフ(Puru.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-02 16:44
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putussibau)には、パンスマ(Pangsum.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-04-03 16:11
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今日のマレーシアのサラワク(Sarawak.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-18 17:32
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の州都所在地だ。戦前の北ボルネオの中心地は.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-05-19 12:41
  • 「ニューギニア未帰還兵展--私を祖国日本へ帰らせてください」開催のお知らせ

    Excerpt: お母様、お父様、お変りございませんでしょうか。 お婆様、お爺様 お元気でしょうか。 兄上様、姉上様、そしてご家族の皆様、達者でお暮らしでしょうか。 叔母様、叔父様、そしてご家族の皆様、お変わりあり.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-07-26 10:59
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私を祖国日本へ帰らせてください』2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャング.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-07-27 23:19
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』3 ビアク島日誌

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/14_note.gif" />一万数千名の犠牲者を出したビアク島の戦い。終戦後、マノクワリの日本軍と連合軍との合同捜索隊が同島に入った。しかし、生存兵わずか八名を収容できたのみだった。その生存者の一名が、連合軍の厳しい監視を.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-07-30 11:31
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』4 ビアク島戦史

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャングル.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-01 20:26
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』5 ビアク島戦史

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャング.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-02 22:26
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』6 ビアク島からの遺留品

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャング.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-04 03:33
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』7 ビアク島からの遺留品2

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャング.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-04 11:56
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』8 ビアク島からの遺留品3

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁台地の洞窟、深いジャング.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-04 13:42
  • 今日からスタート『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />今日、2009年8月8日(土)から『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』が始まります。間もなく戦後65年目に入ります。しかし、激戦地だった西部ニューギニア(現在のインドネシ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-07 19:15
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 が始まる

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />広島と長崎の64回目の“原爆の日”を挟む8月8日(土)、インドネシア文化宮(GBI)で『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』が始まった。世はお盆の帰省ラッシュのスタート。展示.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-09 15:32
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』11ビアク島戦史

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』は、主に、“玉砕の島”ビアク(Biak)島の未帰還兵に焦点を当てている。1万を超す兵が戦死したが、いまだに約6,000人の遺骸が.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-09 23:56
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 12 ビアク島へ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』のスタート二日目の8月10日。展示主要対象地であるビアク(Biak)島に向けて五日後に出発するという、京都産業大学の安田和彦教授ご夫妻が.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-10 20:01
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』13

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に、身内を西部ニューギニアで亡くした方々がたくさん駆けつけている。もしや、展示されている遺留品の中に、身内の物が含まれていないか.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-12 19:30
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』14

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/06_palm.gif" />終戦から満64年。2009年8月15日(土)正午。東京・九段の日本武道館で、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。“戦後”は65年目に入った。終戦の年に19歳で徴兵検査を受けた人も、今では83.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-15 17:18
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 14 小野寺中尉の水筒

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で涙を見ない日はない。開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』を目指して、親族を西部ニューギニアで亡くされた方々が多く訪れている。64回目の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-20 00:51
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 16 飯盒・鈴木信太

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍将兵の水筒、飯盒などの遺留品.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-20 18:37
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』17飯盒の内蓋 渡辺貞雄

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍将兵の水筒、飯盒などの遺留品。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-22 16:59
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』18 水筒 長野一彦

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍将兵の水筒、飯盒などの遺留品.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-23 11:34
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』19 飯盒の内蓋 中島愼希一?

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「太平洋戦史館」がホランジア(現ジャヤプラ)西方のゲニェム(ゲニム=Genyem)地区で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-23 12:17
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』20 飯盒の内蓋 久保金治

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍将兵の水筒、飯盒などの遺留品.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-23 13:16
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21 金属カップ 杉本

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />およそお洒落な形のカップに似合わない、銃弾貫通の跡。「太平洋戦史館」(岩手県奥州市)が、玉砕のビアク(Biak)島で見つけた金属製のカップ。誰が、何を飲むために使っていたのだろうか。いや、すくな.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-24 22:46
  • “玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)Goa Jepang, Pulau Biak, Papua

    Excerpt: 京都産業大学の安田和彦教授が今夏、パプア州のビアク島を訪れた。インドネシア共和国が第64回独立記念日を迎えた2009年8月17日早朝、首都ジャカルタからおよそ6時間の夜間飛行の末、安田さん夫妻は“.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-30 00:39
  • “玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)2 Goa Jepang Pulau Biak Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「(注:昭和19年)六月二十一日頃になると、西洞窟は殆ど完全に包囲され、敵は至近から戦車砲、火焔放射器及点火ドラム缶等で洞窟内を攻撃する様になった。洞窟入口附近の戦闘は酸鼻を極め、支隊長(注:第3.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-30 14:59
  • “玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)3 Goa Jepang Pulau Biak Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />戦後は終わっていない(安田和彦) Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-08-31 02:39
  • “玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)4 Goa Jepang Pulau Biak Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの戦争が残したもの(安田和彦) あの戦争とは何を指すのか。それは生まれ育った時代、そして国籍によって異なるのだろうが、“戦後”20年も経ってから青森県で生まれた私にとって、あの戦争とは太平洋戦争.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-01 12:12
  • “玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)5 Goa Jepang Pulau Biak Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海のビアク(安田和彦)) 赤道直下の南太平洋、チェンドラワシ(極楽鳥)湾に浮かぶビアク島。そこで、豊かで美しい海の姿に出会った。ビアク・ヌンホル県の県都ビアク市内の魚市場。天気が良くて出漁のあった.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-02 01:46
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「読売新聞」が報道

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「読売新聞」がインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に関して、「日本は迎えに来ていない 激戦ビアク島 帰れぬ遺骨」と題する記事を都民版に.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-03 17:48
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』22 岩渕宣輝が東京へ

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「あのォー、ビアク島の遺留品の中にYの苗字の物はないでしょうか?」----フィリピンのルソン島で実兄を亡くした、現在84歳の女性から電話があった。航空部隊に所属していたという兄の戦死の通知は、一枚.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-04 21:51
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』23 故瀧澤吉治准尉

    Excerpt: 瀧澤吉治。大正7(1918)年8月13日、瀧澤吉助の長男として岩手県盛岡生まれ。 瀧澤吉治。昭和19年(1944)年5月30日、西部ニューギニアのトムで戦死。 瀧澤吉治。20歳と4ヶ月で入隊。25.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-05 22:21
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』24 岩渕宣輝が語る

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />2009年9月6日(日)、太平洋戦史館の岩渕宣輝会長理事が、インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』会場を訪れ、西部ニューギニアに放置され.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-06 20:15
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』25 故岩渕金次郎准尉

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「ひいじいちゃんと太平洋戦争」----2009年9月6日(日)、インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に、表題のファイルを持った少年がや.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-08 01:30
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和19(1944)年4月22日、連合軍はホランジア(現ジャヤプラ)へ上陸するが、その前月末、ホランジアには第4航空軍(寺本熊市中将)司令部と、その隷下にある第6飛行師団(板花義一中将)が東部ニュ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-11 14:57
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線(池見坦著)』によれば、ゴアイに駐屯していた池見氏を含む工作機関(鰐機関:内山守衛中尉指揮下)は4月27日に、ゲニム西方の村(村名不明)で、ゲニムから転進してく.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-12 18:31
  • 『ニューギニア未帰還兵展』を10月30日まで延長。Pameran Prajurit Jepang

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最期”に関する情報を探し続けてき.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-13 15:52
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』28 故田中梅男伍長

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />今日、民主党政権が旗揚げした。期待と不安---とマスコミは描く。どんな未来像が生まれるのかは別にして、日本政治史が新たなページを記し始めたことは確かだ。その歴史の執筆者は、鳩山由紀夫総理。一方、自.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-17 01:45
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(1) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはその.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-17 22:34
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(2) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊は、『海軍設営隊の太平洋戦争(光人社刊:1996年4月)』の著者で元海軍第203設営隊の技術大尉佐用泰司氏によれば“不運な設営隊”だった。「この不運な設営隊は、ニューギニア北岸の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-19 00:44
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(3) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊(昭和18(1943)年11月15日、横須賀で編成。部隊長は永田亀雄海軍技術少佐。隊員数860名。所属艦隊は第四南遣艦隊・山縣正郷中将。派遣元は海軍横須賀施設部)のわずか60数名.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-19 18:48
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(4) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊(永田亀雄海軍技術少佐)は、第4南遣艦隊(山縣正郷中将・司令部はアンボン)から派遣された白石義雄、桑原三郎両海軍技術大尉の現地調査を基に、当初ビアク島のボスネック海岸裏手の高台に.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-20 15:55
  • 『ニューギニア未帰還兵展』10月30日まで延長。Pameran Prajurit Jepang

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、実に多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最期”に関する情報を探し続け.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-23 12:04
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「東京新聞」が報道

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催期間を一ヵ月延長し、10月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。未だ“戦後”を実感することのできない多くの人々が、インドネシア文化宮(GBI).. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-28 18:48
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催中の『ニューギニア未帰還兵展』に菊池英昭さん(67歳)が「朝鮮人戦死者名簿」を持ってやってきた。立川市在住の菊池さんは、10年の歳月を費やし、旧日本軍の軍人・軍属として日中戦争・太平洋戦争で戦.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-30 01:05
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男 

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武内満多男さん(83歳)から.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-04 19:11
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニューギニア・ソロン派遣隊長.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-05 20:29
  • 海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-08 11:15
  • 海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-08 19:54
  • 海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-09 15:03
  • 海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-11 12:22
  • 海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-20 22:49
  • 海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-21 16:45
  • 海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-24 09:50
  • 海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 01:49
  • 海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 02:50
  • 第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 16:50
  • 海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-02 11:02
  • 海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-03 14:01
  • 海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-05 12:11
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-08 21:03
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-10 13:30
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-12 10:12
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-13 08:50
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-14 16:29
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-15 00:32
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-18 09:39
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-19 10:30
  • 海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-20 11:38
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-21 00:00
  • 海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-22 09:56
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-23 11:00
  • 海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-23 21:16
  • 海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-26 10:59
  • 海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-27 22:10
  • 海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-29 13:21
  • 海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-01 09:52
  • 海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-02 09:53
  • 海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-05 11:07
  • 海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-06 11:23
  • 海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-09 12:22
  • 海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-10 21:48
  • 海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-12 14:41
  • ☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-13 14:32
  • 海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-14 10:34
  • 12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-15 12:29
  • 海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-18 14:13
  • 海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-19 09:54
  • 三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-24 19:32
  • 三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-24 19:32
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-26 12:56
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-28 08:56
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-29 12:12
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-29 12:12
  • Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai)。東西約20km、南北.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-04-28 20:20
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「私は早速(注:日高少佐の左手の小指を)拾っておしいただき、手拭いにくるくると巻いて胸につり下げた。三人の兵隊はもっていた円ぴで穴を掘った。そして遺体の頭部を日本の方に向け、日章旗をおおって埋葬した.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-04-29 14:47
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publis.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-04-29 20:44
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用) <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-04-30 11:36
  • 再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai)。東西約20km、南北.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-03 18:07
  • 再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「私は早速(注:日高少佐の左手の小指を)拾っておしいただき、手拭いにくるくると巻いて胸につり下げた。三人の兵隊はもっていた円ぴで穴を掘った。そして遺体の頭部を日本の方に向け、日章旗をおおって埋葬した.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-03 18:09
  • 再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publis.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-03 18:11
  • 再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用) <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-03 18:13
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />陸士第50期卒で、陸軍中野学校の甲2卒業生でもある日高岩男少佐。72年前の昭和19(1944)年7月31日未明、西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-19 10:06
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />西部ニューギニアの大河マンベラーモ川一帯を、主要な宣撫工作活動地域に設定した、日高岩男少佐率いる「鰐部隊(機関・工作隊)」。同少佐は、昭和19(1944)年7月31日未明、河口に近いロンベバイ湖(.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-26 16:11
  • 終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2016年8月15日。終戦71周年。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話をしたい。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-08-14 22:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)

    Excerpt: 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-19 21:39
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-20 19:25
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-21 23:54
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭和53年4月、83歳で没.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-22 22:01
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-23 21:21
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワリに置かれた第二軍(豊嶋.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-24 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いにあったが、戦局の激変に伴.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-25 21:53
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官らが、前年の12月8日、開.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-26 19:03
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描いたスケッチ画。マンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-27 18:39
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖に繋がる二つの水路は、川.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-28 18:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を発った。以降、バタビア瀑.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-29 18:17
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が。また、左端には、祖国か.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-30 17:55
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publis.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-31 18:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル』で、ヤピナ島奇襲攻撃は.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-01 20:24
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか、兵要地誌情報をしたため.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-02 19:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />この地図は、朝鮮半島の南に「上海」と記し、次に「台湾」、そして「ヒリッピン(フィリピン)」と続き、その南に「ハルマヘラ」があり、そこから矢印でアンボン方面へ向かった行程が描かれている。日高は、11月.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-03 16:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-04 17:14
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思われる。ちなみに「7.2.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-05 18:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの●印の上には消しゴムで削.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-06 18:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 10:28
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 20:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />海抜3225mに位置するハベマ湖。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-08 18:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-09 22:32
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-11 10:35
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-12 10:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-13 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-14 11:34
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-15 17:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-16 12:40
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向け.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-17 11:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-18 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であるこ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 20:41
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-21 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-22 13:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-23 11:10
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録さ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-24 22:25
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-25 16:56
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-26 11:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-27 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-28 16:19
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-01 13:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-02 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-03 21:45
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-04 12:46
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-05 10:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-06 16:22
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-07 10:36
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上し.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-08 10:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-09 10:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-10 19:31
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。こ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-11 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-12 10:52
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-13 12:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-14 14:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-15 10:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-16 11:02
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-17 11:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-18 11:13
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-19 10:49
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-20 11:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-21 19:24
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-07-31 12:18
  • 終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-08-14 18:38
  • 終戦73周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2018年8月15日。終戦73周年。今年も、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2018-08-13 18:53