5月23日:ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』&アチェ映画上映会(Film Aceh)

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かつてインドネシア文化宮(GBI)で上映された、アチェ人女性と日本との関係を描いた、ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」をプロデュースした吉丸昌昭さんが、去る4月、文化庁の支援の下、新たなドキュメンタリー映画を完成させました。タイトルは『語らずに死ねるか! 無名の元兵士たちの声』(45分)。多くの戦場体験者・遺族とのインタビューを重ねて、先の大戦を非職業軍人の立場から浮かび上がらせている力作です。
戦場体験者もすでに80~90歳の高齢。今や戦友会も次々と解散・消滅の時を迎えている。今語らずして、いつあの時の体験を残せるのか。そんな思いの元兵士約40名を取材。人間魚雷「回天」の搭乗員だった男性の証言、そして特攻隊員を含め3人の兄を亡くした女性の言葉も胸に迫る。

『戦場体験をした元兵士は私が最年少、最後であります。戦場体験を語り継ぐ義務がある。私たちは、幸い生きて帰ることができました。しかし、倒れた戦友たちは語ることができません。友よ。語らないうちに死ぬのはやめよう』---映画の冒頭で、淡々と語り始める、シベリア抑留体験の80歳の元兵士。戦争体験者の証言を収集し続けている「戦場体験放映保存の会」(東京・北区)の協力を得て、㈱ユニモトが製作した。監督は、「二つの故国をつなぐ歌」も担当した長尾栄治さん。






『語らずに死ねるか』予告編


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さらに、この日本のドキュメンタリー映画の後には、アチェの新進気鋭の監督マウラナ・アクバール・カハール(Maulana Akbar Kahar)さんの最新作「Silent After War(戦後の沈黙)」(24分)の上映会が続きます。州都バンダアチェで映像プロダクション「Layarkaca(レンズ・スクリーン)」を主宰するマウラナさんは、ジャカルタ芸術学院(IKJ)映画科を卒業後、アチェ伝統文化・社会問題をテーマに記録映画を精力的に製作し続けています。2005年インドネシア・ドキュメンタリー映画祭では、作品『The Tsunami Song』で最優秀賞を受賞しました。

内容: アチェでは長期間、分離独立運動が続き多数が死亡。そして2004年12月26日、突如襲ったスマトラ島沖大地震・巨大津波は十数万もの命を奪った。二つの暗黒の時代を経て、ようやく平穏な時代が訪れた。しかし、津波による、余りにも凄まじい被害からの復興の過程で、紛争時代の陰の歴史が忘れられようとしている。紛争で夫を、兄弟を、子供を失った女性たち。胸の奥にしまい込んできたトラウマと憎悪の思い。忘れたわけではない。平穏を手に入れた社会は、彼女たちに過去の不幸な歴史との和解を求める。一方、どこにその過去の清算を求めるべきか迷い、悶々とした日々を今でもおくる多くの女性たち。凄惨な紛争が終結しても黙り続けなければならない女性。カメラは、過去の実写映像を織りこみながら、彼女たちの言葉を追う。

これまでインドネシア文化宮では、アチェ州政府教育局と共催で、教育をテーマにした短編映画の上映会を実施しました(2007年11月~12月)。また、日本の映像プロダクション(㈱ユニモト)が、日本兵を父に持つアチェ人女性の半生を描いたドキュメンタリー映画『二つの故国をつなぐ歌』の上映会も数回にわたって行いました。マウラナさんの作品も、2007年5月~6月、『The Tsunami Song(Nyanian Tsunami)』、『Rencong Tanpa Laskar(部隊無きレンチョン)』、『Musik Tanpa Bunyi(響きの無い音楽)』の3作品の鑑賞会を催しました。



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『Silnet After War』


日時】 2009年5月23日(土)

上映作品】 「語らずに死ねるか! 無名の元兵士たちの声」13:00~13:45(上映後、吉丸昌昭さんのミニ講演&質疑応答があります)。    

上映作品】 「Silent After War(戦後の沈黙)」(アチェ語&インドネシア語。英語字幕付き) 15:00~15:30

場所】 インドネシア文化宮(JR高田馬場駅より徒歩約6分。地図参照)。DVDのテレビ画面上映。

参加費】 無料

申込】 お名前、住所、電話番号(携帯電話)を明記し、メールでお申し込みお願い致します(okawa@mxg.mesh.ne.jp)。



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【インドネシア文化宮の場所】東京都新宿区下落合1-6-8(東京富士大学図書館前正門向かいのビルです)








【参考ブログ】


『語らず死ねるか!無名の元兵士たちの声』
http://katarazuni.blog20.fc2.com/

4月25日(土)アチェ最新ドキュメンタリー映画【Silent After War】上映会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200904article_19.html

明日4月18日(土)アチェ最新ドキュメンタリー映画【Silent After War】上映会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200904article_17.html

4月18日(土)アチェ最新ドキュメンタリー映画【Slient After War】上映会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200904article_14.html

4月18日(土)アチェ・ドキュメンタリー映画【Slient After War】上映会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200904article_13.html

アチェ・ドキュメンタリー映画【Slient After War】上映会のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200904article_11.html

アチェ最新ドキュメンタリー映画上映会開催予告(Silent After War:Aceh)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200903article_28.html

スマトラ島沖大地震・巨大津波四周年報道写真(Pameran Foto Aceh 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_27.html

アチェ西海岸ムラボの村人が首都公演(Pertunjukan SHE LAGEE di JKT)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200806article_1.html

アチェのサクラさん&ディーヴァちゃんの日本滞在記(2)Kenangan Sakura(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200805article_2.html

アチェのサクラさん&ディーヴァちゃんの日本滞在記(1)Kenangan Sakura(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200805article_1.html

アチェのサクラさんが来日・上映会&懇親会(Sakura Aceh ke Negeri Sakura)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200804article_1.html

アチェの画家マフディさんの個展(Pameran Mahdi Abdullah di NAD)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200802article_2.html

アジア創造美術展始まる(Pameran Asia Creative Art Exhibition 2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200801article_2.html

アチェとパプア絵画を国立新美術館で展示(Asia Creation Art Exhibition)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_1.html

アチェ津波絵画&風刺漫画を義援金に(マフディ・アブドゥラ氏の作品)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200711article_5.html

アチェ津波被災三周年企画展のお知らせ(Pameran Aceh 3 thn Tsunami)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200711article_4.html

アチェの津波ポールとアンボンの津波防災啓蒙看板(Tugu Tsunami Aceh) 
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200711article_3.html

バンダアチェの樹木の運命(2) Nasib pohon2 Banda Aceh(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200711article_2.html

バンダアチェの樹木の運命(1) Nasib pohon2 Banda Aceh(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200711article_1.html

アチェ教育映画上映会のお知らせ(Pemutaran Film2 Aceh)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200710article_1.html

アチェに死す(3) Kuburan Warga Jepang di Aceh(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_5.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_4.html

アチェに死す(1) Kuburan Warga Jepang di Aceh(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_3.html

アチェで日本のドキュメンタリー&アニメ映画を上映(Pemutaran Film di Aceh)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200709article_1.html

アチェのドキュメンタリー映画上映会のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200705article_4.html

アチェ伝統刺繍文化展のお知らせ(Pameran Budaya Sulaman Aceh)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_1.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』ジャカルタ上映&報告
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_6.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』上映会のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_2.html

早春賦をテーマにした映画が完成しました!
http://soushunfu.blog89.fc2.com/

映像で見るアチェの今昔
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200701article_2.html

スマトラ島沖大地震・巨大津波二周年報道写真展のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_7.html

アチェ&早春賦(映画:二つの故国をつなぐ歌)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200702article_2.html

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  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(13) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 『小学6年生か中学1年生の頃だったと思いますが、家にあった父からの葉書を読みました。どこから送ったのか、いつ日本に着いたのか今では分かりません。というのも、その後、火事に遭って焼けてしまったのです。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-21 02:36
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(14) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: すでに書いたが、三好正之軍医中尉の第36師団(雪部隊)第224連隊従軍記を描いた『戦場の聴診器』(中田整一著・2008年9月15日初版・幻戯書房)によれば、三好中尉は昭和19年1月末、秋津丸で広島の.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-21 22:36
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(15) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 終戦のほぼ一年前、昭和19(1944)年8月10日、「ホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)方面で戦死」とされている第6飛行師団第14飛行団司令部附け軍医の上杉重邦大尉。戦後、一途に父親に関する情.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-22 22:01
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(16) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 上杉重邦軍医大尉が、昭和19(1944)年4月末時点で、おそらくホランジア・センタニ飛行場群地域にいたことは、あてはまらない情報の消去法によって導かれる結論だ。フンボルト湾、そしてタナメラ湾の東西両.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-25 00:59
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(17) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 生きていて長命であったのならば、上杉重国軍医大尉は、昨日8月25日、102歳の誕生日を迎えていたはずだ。34歳の誕生日まであとわずか2週間。岡山医科大学を卒業し日本陸軍軍医となった上杉は、祖国に妻ビ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-26 00:18
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 『恩田部隊473名(戦闘操縦者を主とし、飛行団司令部を含む)は、ゲニム(注:ゲニェム)に向って行軍を開始した。サルミまでは当然、海岸線を行けば、距離も近く、行軍も楽ではあるが、タナメラ海岸にも敵が上.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-26 23:52
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 連合軍がホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)に上陸した昭和19(1944)年4月22日。日本を発つ段階での赴任先である第14飛行団司令部附けであれば、おそらくセンタニ飛行場群付近にいたであろう上.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-27 23:24
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(20) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 上杉重邦軍医大尉が、連合軍ホランジア上陸時(昭和19(1944)年4月22日)以降、センタニ湖北岸のコヤブにあった第113兵站病院(通称陣之内兵站病院)へ、何らかの事由で出かけていた可能性は否定でき.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-29 20:12
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(21) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 連合軍上陸時(昭和19(1944)年4月22日)、ホランジア地区とセンタニ湖周辺にいたおよそ1万5千の日本軍将兵。ホランジアに限っても、把握できているだけでもおよそ2,700名が同地で戦死している。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-30 20:32
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(22) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 上杉重邦軍医少佐(戦死時大尉)の戦没地に関する考察を21回にわたり連載してきた。現時点で入手可能な記録を読み解き、幾つかの想定シナリオに基づいてその疑問に迫った。しかしながら、満足できる結論を導き出.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-09-02 23:19
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/14_school.gif" />紅葉のピークにはあと数日かと思われる先々週の木曜日(2012.11.8)、京都・上賀茂の京都産業大学で教壇に立った。今年で五回目。一般教養枠の「ふるさと論」の講義。今年も昨年同様、『故郷としての祖国.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-11-18 22:31
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日本の真南およそ5,500km。ニューギニア島の西半分。インドネシアの最東端部にパプア州と西パプア州がある。そこは70年ほど前に日本軍と連合国軍とが死闘を繰り返した戦場でもある。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />数か月前にサルミ地.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 18:55
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2014年10月7日、『朝日新聞』東京版の国際ページに、小さな記事が掲載された。「インドネシア 旧日本兵の遺骨を確認」との記事。インドネシア・パプア州のプアイという場所で、戦死した旧日本兵の遺骨を焼.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 19:07
  • 西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づい.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 20:53
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />遺骨収集作業なのだろうか、それとも遺骨回収事業なのか? 実際に、土むくれを掘り起しているのは地元のパプア人。そして、ある程度の“量”がまとまると連絡してくる得体のしれない“現地インフォーマント”。次.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-25 02:09
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />煮えたぎるような高湿度。吐き気をもよおす異臭。蚕棚のような狭い空間。敵潜水艦の魚雷攻撃を避けつつ、ジグザク操舵で進む古びた貨物船の船底。今から70年以上も前、何万、何十万もの将兵が、日本から、そして.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-25 18:38
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />当たり前の話だが、かつての戦場で、あるいはその付近で見つかる遺骨の個人特定をする場合、戦史との照合、元帰還兵の証言などからの推察、さらには個々の遺骨の周辺部から出てくる数々の遺留品(例えば、認識票、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-28 20:10
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />去る10月10日、西部ニューギニア(旧蘭領ニューギニア・旧西イリアン・旧イリアンジャヤ・旧パプア州:現在はパプア州&西パプア州)から戦後69年ぶりに祖国帰還を果たした(おそらく)旧日本兵と推定される.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-11-15 21:50