『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(3)

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『薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線(池見坦著)』によれば、ゴアイに駐屯していた池見氏を含む工作機関(鰐機関:内山守衛中尉指揮下)は4月27日に、ゲニム西方の村(村名不明)で、ゲニムから転進してくる「哀れな日本兵」の姿に接している。乞食同然の姿。銃を持つ者は皆無。手には杖、腰には飯盒と鞘なしの帯剣。この記憶に間違いがなければ、これら日本兵は、4月26日ゲニムを発った第1梯団とも想像される。あるいは、デムタかデパプレ方面から、もっと早くサルミに向けて出発した一団かもしれない。いずれにしても、ゲニムを発って1-2日の距離にある地点でさえ、すでに日本兵が疲弊しきっていたことがうかがわれる。
この鰐機関(注:正しくは龍機関。日高岩男少佐率いる工作隊の鰐機関はマンベラーモ川に派遣されていた)は、ゴアイからおよそ34-35日要してトル川に到達。トル川を筏で渡り左岸へ。連合軍と戦闘中の松山部隊がいる付近から約2km奥地へ後退し、さらにトル川左岸方向に戻った付近は『白骨街道』と化していた。「転進してきた将兵の死骸が百メートル歩く毎に十~十五人位、野晒しになり横たわっていた」。ここでは、大腿部の肉が切り裂かれた遺体もあったという。人肉食の跡だ。


故瀧澤吉治准尉。昭和15(1940)年12月、伍長進級時の撮影と思われる。


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瀧澤吉治伍長(右)。昭和16(1941)年4月1日、第21回整備学生として入学した陸軍航空整備学校での撮影と思われる。後方には三式戦闘機の飛燕。


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5月15日:(第6飛行師団長心得の)稲田少将一行は、サルミ東方約80kmのアルモパ東側付近(アルモパ南東密林内)でホランジアに向かう第36師団(雪部隊)歩兵第224連隊(松山宗右衛門大佐)の第1大隊第1中隊(上原靖彦中尉)に会う。この部隊は、4月22日連合軍の上陸を受けたホランジア部隊を救援する目的で計画された「ホランジア支隊(歩兵第224連隊)」の派遣を前に、補給拠点の確保と敵状捜索を目的に送り込まれた。第1中隊は、4月28日、約170名でマッフィンを大発2隻で出発、翌日の天長節の日、アルモパに到着した。
この第1中隊とは別に、同連隊の第5中隊(玉井貞蔵中尉)の先遣隊は、5月3日にサルミを大発2隻で出発し、ホランジア西方のタナメラ湾のさらに西方のデムタ(注:アルモパの東約15km。海軍の監視哨があり、海軍の糧食集積所もあった)に翌5月4日到着した。
これ以前、5月11日には、稲田司令官が先発させた操縦者集団(第1梯団→第14飛行団長恩田謙蔵大佐が率いる6個戦隊→第68戦隊(前年の12月1日、曹長に進級していた瀧澤吉治もこの中にいたものと推定),第78戦隊,第63戦隊,第248戦隊,第33戦隊,第77戦隊の人員約200名)がアルモパを通過、西進していた。

5月半ば:「上原中尉が小兵力を率いて偵察に出、翌日帰途についたときのことである。疲れきった日本兵が、三々五々密林から出てきて、よろめくようにして歩いている。聞いてみると、5月はじめにホーランジャを撤退した第6飛行師団の隊員であった。海岸の退路はすでに敵が上陸しているため、やむなく奥地に進路を求めたが、山岳にぶつかって、また海岸へ出てきたという。銃は半数の者しか持っていない。食糧はむろん皆無」(『西部ニューギニア戦 雪部隊 苦闘の軌跡』大國五郎著・角川書店)。
「彼等は三、四人が一組になり、全く放心状態のまま歩いている。軍衣もボロボロ。身につけているのは“三種の神器”の帯剣、飯盒、火種」(『歩兵第224連隊史』)。

ゲニム(ゲニェム)を発って半月後の5月中旬頃から、転進各梯団で急激に死亡者が増えたことが伺える。

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「3月ころから敵の秘密偵察隊がひそかに侵入しているらしく、トル河以東の原住民に、変化のきざしがみられるようになった。敵の爆撃が開始され、ビラ(注:投降勧告ビラ)まきがはじまると、原住民の指導者たちは通敵行為にはしった。トム郡長の一味は、表面は我が軍に好意を示しながら、陰では敵の指令下に諜報活動を行っているらしかった。アルモパ郡長のグループは、敵のホーランジャ上陸後は露骨に反抗的態度を示し、転進兵の無力な者には、直接抵抗を試みるようになった」(『西部ニューギニア戦 雪部隊 苦闘の軌跡』大國五郎著・角川書店)。

5月16~17日:夜半から明け方にかけて、米軍はワクデ島、トム、アラレ、マフィン方面に猛烈な艦砲射撃。夜が明けると、近海一帯に艦船が多数。ワクデ島は三方向から十数隻の艦艇に包囲され、その集中砲火を受け、全く火の海と化し、同島飛行場の航空燃料の火焔は天に冲し、そ凄惨の状正視に堪えぬものがあった。トル河沖合西方においては敵巡洋艦、駆逐艦は主としてクマンバ島方面に望見された。5月16日、松山支隊はワクデ対岸の東方を東進中で、飢え疲れて三々五々西進してくる第6飛行師団将兵と行きつ会いつつ前進していた。トム東方のケデル(松山連隊の通信、衛生、補給、砲兵などの直轄諸隊)のさらに東のマシマシに連隊本部、その東に第2大隊(川島大隊)、その東に第3大隊(土井大隊)、そしてヤムナには松下第51野戦道路隊。

5月17日:連合軍のワクデ島、対岸のトル河口付近上陸。この頃から、デパプレ方面から海岸地区を後退して来た一部の労務者や兵員などが無秩序にサルミ方面で食糧を捜し求め、第36師団は当惑していた。第36師団の第6飛行師団に対する態度は厳しいものだった。第36師団のトル河口方面攻勢は月末ころ最高潮に達していた。このとき多数の敗退部隊が無統制でサルミ地区に入ることは、第36師団の戦闘を妨害する虞が大であった。稲田少将は涙を振るって隷下指揮部隊に対し、トル河右岸に一時停止を命じた。サルミを唯一の希望として、ひたすら飢餓を忍んできた将兵にとって、それはあまりにも大きな衝撃であった。損耗は一挙に激増した(『戦史叢書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)。
この日、第6飛行師団は南方に迂回してトル河畔のブファレに向かうことを決した。この機動は、ほとんど道のない山野を突破した。方向を誤らぬため直進主義を採り、約1週間でトル河畔に出た。第4梯団長の北川季人中佐は17日、戦病死。ブファレには農園があるはずだった。稲田師団長は原田金兵衛参謀に師団主力を同地に誘導させ、自らは一部のものと共に別行動し、第36師団司令部に向かった。


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5月18日:メナドの第4航空軍は、ホランジアにいた約400名の空中勤務者の内、約100名をサルミから潜水艦で輸送することを関係方面に要請。しかし、海軍は「あ」号作戦の準備最中であること、またサルミ付近は潜水艦の到達が困難であった。残された方法は、第2方面軍が所有する発動艇による沿岸機動とサルミからの空輸。前者は舟艇の実情、制海権状況から見て問題。後者は飛行場の補修、制空権の観点から危惧があった。(『戦史叢書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)。

5月27日:寺本第4航空軍司令官は、「第6飛行師団長はホランジアからの転進部隊中、所要のものを戦場到着後、第36師団長の指揮下に入れ、飛行師団司令部、飛行団司令部、空中勤務者、主要整備員、その他所要の人員を速やかにハルマヘラ方面に集結すべし」と命令。

5月31日:朝、稲田師団長、第36師団通信所に到着。

5月末~6月上旬:第6飛行師団部隊がトル河畔で停止。



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トル河畔での停止について(『戦史叢書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)

5月31日午後~6月1日:稲田師団長は第36師団首脳と懇談し、以下の事に関して合意。
① 空中勤務者と第6飛行師団司令部の主体とを、マンベラーモ川河口のテパからマノクワリまで舟艇輸送する。
② 第5航空通信連隊と第22飛行場大隊等を第36師団の戦闘に直接参加させる。
③ その他の諸隊は作戦の妨害とならぬように、トル河畔にとどめ、戦況一段落とともに適宜サルミ方面で現地自活させる。
この決定は、第6飛行師団の作戦主任参謀の岡本貞雄少佐が6月2日以降、トル河畔に各部隊を探し求めて伝達。)



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蛇行するグリメ(Grime)川下流部分。この川の上中流部に、“白骨街道”を生み出したホランジア→サルミの“死の転進作戦”のスタート地点であるゲニム(ゲニェム)が位置する。


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アラレ(Arare)に上陸した連合軍(US Army 17 May 1944)


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トラックを積んでトル(Tor)川右岸へ渡河する米軍LCM(小型揚陸艇)。1944年6月初旬頃か(ソース:U.S.Army in World War II 「The Approach to the Philippines」)


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“命を取る川”とまで言われたトル川についに恒久橋が架かった(2009年7月撮影:木村宏)


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1944年5月30~31日のトム村海岸付近の米軍戦闘配置図。歩兵第163連隊第2大隊、工兵大隊、そして高射砲部隊が展開していた。


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連合軍は昭和19(1944)年5月17日、第36師団司令部があったサルミの東方、アラレ(Arare)並びにトゥム(トム)付近に上陸。翌18日、トム沖合いのワクデ(Wakde)島へ上陸した。

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「太平洋戦史館」が主催した西部ニューギニア慰霊巡拝団一行は、2009年7月7日、サルミで、祖国に還れない未帰還兵の霊と共に七夕を祝った・前列中央、赤い浴衣姿の女性が、故瀧澤吉治准尉の姪にあたる座間淳子さん(2009年7月撮影:木村宏)。


【参考ブログ】


『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_11.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』25 故岩渕金次郎准尉
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_8.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』24 岩渕宣輝が語る
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_7.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』23 故瀧澤吉治准尉
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_6.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』22 岩渕宣輝が東京へ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_5.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21故田中應海大尉
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_4.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「読売新聞」が報道
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_3.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)5 Goa Jepang Pulau Biak Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_2.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)4 Goa Jepang Pulau Biak Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_1.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)3 Goa Jepang Pulau Biak Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_32.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)2 Goa Jepang Pulau Biak Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_31.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)Goa Jepang, Pulau Biak, Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_30.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21 金属カップ 杉本
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_28.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』20 飯盒の内蓋 久保金治
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_26.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』19 飯盒の内蓋 中島愼希一?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_25.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』18 水筒 長野一彦
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_24.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』17飯盒の内蓋 渡辺貞雄
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_23.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 16 飯盒・鈴木信太
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_21.html

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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』14 終戦記念日
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』13 トル川
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_13.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 12 ビアク島へ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_12.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』11ビアク島戦史
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 が始まる10
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』6 ビアク島からの遺留品
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200908article_3.html

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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』3 ビアク島日誌
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_64.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』2 Pameran Prajurit
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_63.html

「ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ」開催のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_62.html

太平洋戦史館
http://www14.plala.or.jp/senshikan/

東部インドネシアの旧日本軍航空基地関連記事一覧
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200903article_21.html

ニューギニア島の西パプア州で大きな地震発生(Gempa bumi Papua Barat)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_5.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200706article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200905article_19.html

(この間に107~38のシリーズがあります)

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_28.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_26.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_17.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_16.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_15.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_14.html

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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200812article_2.html

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小隊長
2013年06月27日 21:58
大叔父が70年前にこの地で亡くなりました。

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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはその.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-17 22:32
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(2) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊は、『海軍設営隊の太平洋戦争(光人社刊:1996年4月)』の著者で元海軍第203設営隊の技術大尉佐用泰司氏によれば“不運な設営隊”だった。「この不運な設営隊は、ニューギニア北岸の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-19 00:42
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(3) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊(昭和18(1943)年11月15日、横須賀で編成。部隊長は永田亀雄海軍技術少佐。隊員数860名。所属艦隊は第四南遣艦隊・山縣正郷中将。派遣元は海軍横須賀施設部)のわずか60数名.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-19 18:46
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(4) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />海軍第202設営隊(永田亀雄海軍技術少佐)は、第4南遣艦隊(山縣正郷中将・司令部はアンボン)から派遣された白石義雄、桑原三郎両海軍技術大尉の現地調査を基に、当初ビアク島のボスネック海岸裏手の高台に.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-20 15:53
  • 『ニューギニア未帰還兵展』10月30日まで延長。Pameran Prajurit Jepang

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、実に多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最期”に関する情報を探し続け.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-23 12:01
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(5) 故小池省吾軍属

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />1944年5月27日の連合軍ビアク島上陸後、海軍第202設営隊の軍属工員約720名並びに指揮部隊など総計860名(但し内60数名は捕虜となり戦後帰還)はどのような運命をたどったのか?これを知る唯一.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-25 13:47
  • 『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「東京新聞」が報道

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催期間を一ヵ月延長し、10月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。未だ“戦後”を実感することのできない多くの人々が、インドネシア文化宮(GBI).. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-28 18:46
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催中の『ニューギニア未帰還兵展』に菊池英昭さん(67歳)が「朝鮮人戦死者名簿」を持ってやってきた。立川市在住の菊池さんは、10年の歳月を費やし、旧日本軍の軍人・軍属として日中戦争・太平洋戦争で戦.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-09-30 01:02
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男 

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武内満多男さん(83歳)から.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-04 19:10
  • 『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニューギニア・ソロン派遣隊長.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-05 20:27
  • 海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-08 11:14
  • 海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-08 19:48
  • 海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-09 15:01
  • 海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-11 12:20
  • 海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-20 22:47
  • 海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-21 16:43
  • 海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-24 09:49
  • 『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-10-24 17:52
  • 海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 01:47
  • 海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 02:49
  • 第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-01 16:49
  • 海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-02 11:00
  • 海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-03 13:59
  • 『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-04 09:50
  • 海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-05 12:09
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-08 21:02
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-10 13:28
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-12 10:10
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-13 08:49
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-14 16:28
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-15 00:31
  • 『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />岩手県盛岡に生まれ、中国戦線を経て、西部ニューギニアへ赤道を越えた瀧澤吉治。陸軍第6飛行師団第68戦隊の幹部整備士だった。20歳と4ヵ月で入隊。25歳と9ヵ月で戦死。青春花盛りの齢。 Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-17 00:03
  • 『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />岩手県盛岡に生まれ、中国戦線を経て、西部ニューギニアへ赤道を越えた瀧澤吉治。陸軍第6飛行師団第68戦隊の幹部整備士だった。20歳と4ヵ月で入隊。25歳と9ヵ月で戦死。青春花盛りの齢。 Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-17 11:07
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-18 09:38
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-19 10:28
  • 海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-20 11:36
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-20 23:58
  • 海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-22 09:54
  • 陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-23 10:58
  • 海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-23 21:13
  • 海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-26 10:57
  • 海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-27 22:08
  • 海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-11-29 13:19
  • 海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-01 09:50
  • 海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-02 09:51
  • 海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-05 11:05
  • 海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-06 11:22
  • ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(1) Gua Dai Nippon Biak

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィア.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-07 10:46
  • ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(2) Gua Dai Nippon Biak

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィア.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-07 10:59
  • 海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-09 12:20
  • 海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-10 21:47
  • 海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-12 14:40
  • ☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-13 14:31
  • 海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-14 10:33
  • 12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco149.gif" />来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホ.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-15 12:27
  • 東西ニューギニアから計702名の遺骨が祖国帰還

    Excerpt: Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-17 21:53
  • 海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-18 14:12
  • 海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-19 09:52
  • 2010年にも始まるワクデ島の遺骨収集 Pulau Wakde &amp; Prajurit Jepang

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />3月に次いで今年二回目となった、厚生労働省による西部ニューギニア域戦没者遺骨収集団が去る12月17日帰国した。3月の108柱のおよそ2.7倍に当たる291柱が無言の祖国帰還を果たした。彼らは、現在.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-20 18:26
  • 三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-24 19:30
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-26 12:54
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-28 08:55
  • 三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi &amp; Papua

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-29 12:10
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(109) Bandara DaiNippon(109)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-30 11:03
  • 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/hdeco/hdeco082.gif" />2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日の.. Weblog: インドネシア文化宮 racked: 2009-12-31 01:07