日本とアジアの戦争記録映画と戦争体験者の声を聴く8月9~13日(2)

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蝉時雨の高まりと共に、また終戦記念日が目の前に迫っている。あれから65年。戦場体験者は概ね85の齢に達している。既報のように、2010年8月9日、『日本とアジアの戦争記録映画と戦場体験者の声を聴く』(主催:㈱ ユニモト)が始まった。初日は東京・高円寺の座・高円寺で、そして8月9日~13日は、中野のなかのZERO本館で行われる。

その初日、シンポジウム「戦場を語り継ぐ」を覗いた。ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』の監督・長尾栄治氏を司会に、3名の“戦場体験者”がその体験を語った。第133飛行場大隊の一員としてフィリピンのミンダナオ島で終戦を迎えた谷口末廣さん(89歳)。第27師団第2連隊に所属、中国戦線に参加した黒田千代吉さん(86歳)。そして第2航空軍第22対空無線隊の兵として中国東北部に駐留、戦後捕虜としてシベリア抑留の体験を持つ猪熊得郎さん(82歳)。

「戦争は勝っても負けても同じこと。外交・話し合いで問題解決を。自衛隊は憲法違反。憲法の原点に戻るべきだ」----谷口さん。

「戦争は大嫌い。憲法9条は戦争を放棄している。市民一人ひとりが戦争反対の砦、要塞を作らないといけない。戦争は二度と繰り返してはならない」----黒田さん。

「戦争のための青春だった。侵略戦争だった。戦争のためではなく、平和のための青春であるように、戦場体験を語り続けたい」----猪熊さん。


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2010年8月9日(月)会場は座・高円寺2
第1部(無料): 10:00~13:00 「忘れられた皇軍(大島渚)」、「ニューギニアに散った16万の青春(牛山純一)」
第2部(\1,000): 14:00~17:40 「シンポジウム(戦場を語り継ぐ)」映画「語らずに死ねるか(長尾栄治)」&「続・語らずに死ねるか(長尾栄治)」

2010年8月10日(火)~13日(金)なかのZERO本館
第1部(無料):10:00~12:00
第2部(\1,000):13:00~17:00

10日
第1部:「生きている海の墓標 トタックの海底をゆく(大島渚)」「生きている玉砕の島 サイパンの海底をゆく(大島渚)」
第2部:講演「玉砕」 映画「語らずに死ねるか」「続・語らずに死ねるか」

11日
第1部:「女たちの太平洋戦争&2」
第2部: 講演「女性たちの戦場」 映画「語らずに死ねるか」「続・語らずに死ねるか」

12日
第1部:「ニューギニアに散った16万の青春」
第2部:講演「死の戦線ニューギニア」 映画「語らずに死ねるか」「続・語らずに死ねるか」

13日
第1部:「忘れられた皇軍」「あの涙を忘れない!日本が朝鮮半島を支配した36年間(牛山純一)」
第2部:シンポジウム「シベリア抑留」 映画「語らずに死ねるか」「続・語らずに死ねるか」


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【参考ブログ】

日本とアジアの戦争記録映画と戦争体験者の声を聴く 8月9~13日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201008article_7.html

語らずに死ねるか
http://katarazuni.blog20.fc2.com/

ドキュメンタリー映画「Silent After War」&「語らずに死ねるか」上映会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200905article_23.html

パプアニューギニア・セピック川探検ドキュメンタリー映画鑑賞会のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200902article_17.html

アチェのサクラさんが来日・上映会&懇親会(Sakura Aceh ke Negeri Sakura)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200804article_1.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』上映会のお知らせ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200704article_2.html

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  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(16) 第6飛行師団第14飛行団司令部

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  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 連合軍がホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)に上陸した昭和19(1944)年4月22日。日本を発つ段階での赴任先である第14飛行団司令部附けであれば、おそらくセンタニ飛行場群付近にいたであろう上.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-27 23:24
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    Excerpt: 連合軍上陸時(昭和19(1944)年4月22日)、ホランジア地区とセンタニ湖周辺にいたおよそ1万5千の日本軍将兵。ホランジアに限っても、把握できているだけでもおよそ2,700名が同地で戦死している。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-08-30 20:31
  • 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(22) 第6飛行師団第14飛行団司令部

    Excerpt: 上杉重邦軍医少佐(戦死時大尉)の戦没地に関する考察を21回にわたり連載してきた。現時点で入手可能な記録を読み解き、幾つかの想定シナリオに基づいてその疑問に迫った。しかしながら、満足できる結論を導き出.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-09-02 23:19
  • 京都産業大学「ふるさと論」講義の感想文Remaja Jepang &amp; Perang Dunia II

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/14_school.gif" />紅葉のピークにはあと数日かと思われる先々週の木曜日(2012.11.8)、京都・上賀茂の京都産業大学で教壇に立った。今年で五回目。一般教養枠の「ふるさと論」の講義。今年も昨年同様、『故郷としての祖国.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2012-11-17 22:27
  • 京都産業大学「ふるさと論」講義感想文2Remaja Jepang &amp; Perang Dunia II

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  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日本の真南およそ5,500km。ニューギニア島の西半分。インドネシアの最東端部にパプア州と西パプア州がある。そこは70年ほど前に日本軍と連合国軍とが死闘を繰り返した戦場でもある。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />数か月前にサルミ地.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 18:55
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2014年10月7日、『朝日新聞』東京版の国際ページに、小さな記事が掲載された。「インドネシア 旧日本兵の遺骨を確認」との記事。インドネシア・パプア州のプアイという場所で、戦死した旧日本兵の遺骨を焼.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 19:07
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  • 西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づい.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-09 20:53
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  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />遺骨収集作業なのだろうか、それとも遺骨回収事業なのか? 実際に、土むくれを掘り起しているのは地元のパプア人。そして、ある程度の“量”がまとまると連絡してくる得体のしれない“現地インフォーマント”。次.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-25 02:09
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />煮えたぎるような高湿度。吐き気をもよおす異臭。蚕棚のような狭い空間。敵潜水艦の魚雷攻撃を避けつつ、ジグザク操舵で進む古びた貨物船の船底。今から70年以上も前、何万、何十万もの将兵が、日本から、そして.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-25 18:38
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />当たり前の話だが、かつての戦場で、あるいはその付近で見つかる遺骨の個人特定をする場合、戦史との照合、元帰還兵の証言などからの推察、さらには個々の遺骨の周辺部から出てくる数々の遺留品(例えば、認識票、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-10-28 20:10
  • 西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />去る10月10日、西部ニューギニア(旧蘭領ニューギニア・旧西イリアン・旧イリアンジャヤ・旧パプア州:現在はパプア州&西パプア州)から戦後69年ぶりに祖国帰還を果たした(おそらく)旧日本兵と推定される.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2014-11-15 21:50