神田外語大学第4回インドネシア語スピーチコンテスト Lomba Bahasa Indonesia

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神田外語大学(千葉県美浜区)が主催する「インドネシア語スピーチコンテスト」が第4回目を迎え、2010年11月13日(土)、同校のミレニアムホールで実施される。インドネシア文化宮(GBI)は、第1回から協賛メンバーに名を連ねている。今回のテーマは「共に歩む日本とインドネシア」。参加者は5分間以内で同テーマについてインドネシア語でスピーチを行い、審査員からインドネシア語によるインタビューを受けるとのことだ。

インドネシア語(Bahasa Indonesia)を“アジアの共通言語に”との思いを抱くインドネシア文化宮は、その昔、東京、そして北京でインドネシア語をテーマに国際シンポジウムを開催したことがある。1993年、『TEMPO』誌東京支局主催で、六本木の国際文化会館を会場に、日本、インドネシア、韓国、中国の四ヶ国のイ語教師の参加を得て、極東エリアにおけるインドネシア語教育の現状と未来とをテーマに語り合った。

そして1995年12月には、『GATRA』誌東京支局として(前年『TEMPO』誌発禁に伴い、GATRA誌へ移籍)、北京大学と共催で、北京大学キャンパスを会場に、八ヶ国(日・イ・中国・マレーシア・韓国・北朝鮮・モンゴル・ロシア)の参加を得て、“インドネシア語・アジア未来の言語”をテーマに実施。

さらに翌年1996年8月、『GATRA』誌東京支局主催で、モンゴルの首都ウランバートルで、地元の外国語大学と協力して、モンゴル史上初のインドネシア語短期講座を催した。

インドネシア文化宮でも、これまで幾度となく、平易なインドネシア語会話講座を開設してきた。インドネシア語は、世界中のどの民族にとっても、母国語に次いで習得が一番簡単な言語とされる。そのことは、数千もの言語集団から構成されるインドネシア共和国で、インドネシア語教育の普及のおかげで、極めて短い年数の内に、全土的にイ語が“共通言語”として定着した実績からも明らかだ。

筆者は、韓国取材、中国取材などにおいて、大抵、現地でインドネシア語を話すことのできる人を通訳としてお願いする。その経験からも、インドネシア語が“アジアの共通言語”に十分成り得ることを実感している。

ただ、日本における最近のインドネシア語熱の急激な低下には、心を痛めている。経済・貿易面で、中国の存在が急拡大し、その結果中国語の重要性が高まり、また韓ドラの影響か、韓国語を学習する人口の増加など、イ語離れが着実に進んでいるようだ。一方で、インドネシア国内では中国語熱が急上昇、そして韓国では就職に有利な言語としてイ語人気が高い。

筆者のこれまでの体験からみて、中国や韓国、そして北朝鮮でイ語を学ぶ生徒のイ語能力は、日本の学生の数倍はある。これは、イ語教師の能力差と比例している、とみてよい。中国や韓国のイ語教師はネーティブ並みの読解・会話能力を有している。読めて、書けて、話せる---三つの視点から、卒業までには相当なレベルに達するような教育プログラムが用意されている。

一方、日本はどうか。留学体験などから、あるレベルまでの会話能力を持った生徒(卒業生)は確かにいる。しかしながら、中国や韓国の学生のように、ディベートできるまでの会話能力を持つ者は皆無に近い。しかも、会話能力こそ、まあまあであったにせよ、彼ら・彼女らのインドネシアに関する知識は、もはや赤ちゃん並だ。この欠陥も、筆者は講師陣の力不足が原因とみている。生徒たちは、せっかく数年間、外国語としてのイ語学習の機会を得ながら、そこそこのイ語理解と、そこそこのインドネシア理解で終わってしまっている。

果たしてこれら問題の解決の糸口はあるのか。あるとすれば、それは生徒の“やる気”ではなく、教師の“やる気”ではないか。卒業までに、相当なレベルまでイ語能力とイ理解力を生徒に授けるためには、まず教師陣の能力向上が先決問題だ。そのためにも、冗談ではなく、教師陣を対象としたイ語のスピーチコンテストの実施も一つの方法かもしれない。


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【関連Website】

神田外語大学ホームページ
http://www.kandagaigo.ac.jp/kuis/

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