インドネシア共和国の“維新”を目指すスルヤ・パロ氏。Restorasi Indonesia

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去る8月15日付けで、インドネシアの与党・民主党(Partai Demokrat)総裁に就任した友人のアナス・ウルバニングルム氏について記したが、今回は、やはりジャカルタ出張の折に、9ヶ月ぶりに再会した元ゴルカル最高顧問委議長で、現在は社会組織Nas Dem(Nasional Demokrat・民主国民)議長を務めるスルヤ・パロ(Surya Paloh)氏の最近の動向についてリポートしたい。スルヤさん(インドネシア国内ではイニシャルでSP=エスペーと呼ばれている)は、友人であると同時に、筆者が所属しているメトロTV(Metro TV)のオーナーでもあるので、“上司”というべきか。

2009年10月、ゴルカル(Golkar)総会で、総裁の座を元国民福祉調整相だったアブリザール・バクリ(Aburizal Bakrie)氏と争い、スルヤ氏は敗退。その翌月、“傷心”を癒すかのように、米国経由で来日。東京から紅葉の日光へ向かう車中で「ゴルカル総裁の座を得られなかったからと言われるのは心外だが、近く、社会団体を立ち上げる」と語っていた。「やがて政党になるかもしれない。それは国民が決めることだが、インドネシアが抱えているあらゆる問題を包み込むような組織を目指している」とも。

日本滞在中、“部下”である筆者は、日光旅行に加え、御徒町でのサウナにも付き合い、そして六本木の交差点近くでの、易者との会話を通訳した。「あなたは、ここ数年は厳しい状況にあるが、2014年頃から上向きに転じる」---易者の言葉にスルヤ氏は相好を崩した。2014年には総選挙、そして大統領選挙がある。「あなたは暫く日本と関係のあるプロジェクトに関与すべきだ」---易者はそうも言ったが、スルヤ氏は怪訝な表情だった。

“インドネシア維新を目指す!”----Nas Demは綱領で所期の目的をそう明記する。「改革(Reformasi)」でも「革命(Revolusi)」でもなく、“‌維新(Restorasi)”こそが火急の歴史的使命と強調する。日本の明治維新を強く意識した、新生インドネシアへの願望か。

Nas Demの取り巻きには、あのジョグジャカルタの王様・ハメンクブオノ10世(Hamengku Buwono X)もいる。友人スルヤ・パロは世界第4位の人口大国で、かつ世界最大のイスラム人口国インドネシア共和国を、どこへ連れて行こうとしているのか。多くを語ってくれた。理想に燃えたそれらの言葉は、熱かった。しかし、振り返ると、その内容に強烈な残滓はなかった。

もうすぐ還暦のスルヤ・パロ氏。41歳になったばかりの民主党総裁アナス・ウルバニングルム氏。インドネシアでは急激な“世代交代”が進行している。“維新”こそが“救国”なのか、それとも新たな“神話”を創ることがインドネシア共和国の近未来のあるべき姿なのか。間もなく、断食月が終わり、雨季が訪れる。


Nas Dem本部のスルヤ・パロ氏(上)。総裁室にある銀細工の水牛の角(下)。

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Nas Dem機関誌「AND(Amazing Nasional Demokrat)」。上から2010年5月創刊号、6月号表紙(Ahmad Syasfii Maarif)、7月号(Hamengku Buwono X)。

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2009年11月、日光・華厳の滝にて。

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2007年4月、東京・六本木の炉辺焼き店にて。

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2005年6月、インドネシア文化宮(GBI)で。


【参考ブログ】

インドネシア民主党総裁に就任したアナスさんは未来の大統領?Anas Urbaningrum
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201008article_14.html

Nasional Demokrat
http://nasionaldemokrat.org/

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