再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Ratna Sarumpaet

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 

“改革の旗手”ラトゥナ・サルンパエット女史。手にしている写真は女工のマルシナさん(撮影:98/09/01)

大川誠一の『GBIニュース』1998年9月2日 Berita GBI(2 Sept 1998) WWCR dgn Ratna Sarumpaet

【ジャカルタ発】

“社会革命”の可能性を危惧。『ハビビは現職を名誉と思っている。しかし国民は名誉を与えていない』

1949年7月16日、一人の女の子が北スマトラのタパヌリ・ウタラで生まれた。名前はラトゥナ・サルンパエット(Ratna Sarumpaet)。父と母は、PRRI(インドネシア共和国革命政府)創設のために闘い、その関係で彼女は「ゲリラの子」として山中で過ごす。『スカルノの国家観に対抗した両親。そして両親はスハルトによって名誉回復。でも私はそのスハルトを倒すために闘った』と、2男2女の母であるラトゥナは語る。

ナイトクラブやジャカルタの老舗ディスコの経営者であった夫ファフミと13年前に離婚。いまやインドネシアで反体制派の「最前線」にいるラトゥナは、ボーイフレンドがいることは認めこそ、民主化の実現のために『私はいつでも独立している』と「鉄の女」ぶりを強調。

ラトゥナは、民主化や改革というキーワードがポピュラーでなかった昨年の総選挙の時点から、果敢にスハルト政権の矛盾と非民主的姿勢に立ち向かった。代償は大きかった。1997年5月、総選挙キャンペーンの最中、「Demokrasi」と書いたイスラム式の棺桶を街に繰り出し、逮捕され、18時間の拘束。次いで1998年3月10日、スハルト政権崩壊の2ヶ月前に、ジャカルタのアンチョール地区で、「インドネシア・サミット」を主催し、スハルトの7選拒否を主張。

このため、娘ファトムと共に当局に検挙され70日間の刑務所暮らし(娘は13日間のみ)。『私が釈放された5月20日午後9時の12時間後、翌21日午前9時にスハルトが退陣を決意した』とラトゥナさん。

19歳の時にプロテスタントからイスラムへと改宗したラトゥナは、本来、演劇監督。後にテレビドラマのシナリオも書くようになる。しかし、やがて民主化闘争の最前線に立つ。ことに、女工マルシナが当局によって「虐殺」された事件以降は、人権と民主化をテーマに街頭に繰り出すデモを指揮。ラトゥナが演出し彼女自身が主演を演じた『マルシナ・地下からの歌』、そして『マルシナは告訴する』の二作は、国民の間に圧倒的な支持を集めた。

『舞台・一つの赤』を1974年7月に創設したラトゥナは、元々は「従順な妻」だった。『彼は私を愛していた。でも、愛し方が間違っていた。私は解放されたかった。でも彼はそうさせなかった。で、離婚した』とラトゥナ。実父サラディン・サルンパエットは、インドネシアの連邦制を唱え、スカルノ政権と対峙した経験の持ち主。そればかりか、「インドネシア共和国革命政府」の国防大臣だった。

『でも、父は、子供は男の子でなければ、と考える古い北タパヌリの伝統に固執する人でもあった。でも、私は決してフェミニストではない。私は男と女から成る、この世界を認めている。私は子供を産み、子供に乳をあげ、子育てをし、子供達の幸せな成長に立ち会った。この成功は、私の公演の成功よりも遥かに大きい』とラトゥナ。

スハルト政権崩壊の直前、ラトゥナは仲間と共に「SIAGA(アーミンとメガのためのインドネシア連帯)」運動を起こし、「改革運動」の先頭に立った。『その目的はスハルトの退陣で終止符となった。あくまでシンボルとしてのアーミンとメガワティだった。今、シアガの名前も消えようとしている。それでいい。役目は終わったのだから。反体制の最前線にいる人間として、ハビビに期待してきたが、最近ハビビの素顔を見たような気がする。彼にはチャンスがある。なのに、その機会を生かしていない』と。

ラトゥナは、来る1月、日本で『マルシナ』を公演する予定だ。東京、京都、大阪、名古屋の計4カ所で実施予定。来年は、英国、オランダでも公演予定とか。

『東ティモールはインドネシアのものではない。私は、支配する側のインドネシア国民であることを大変悲しく思う』とも。


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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_12.html

再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_11.html

再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
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再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
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再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
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再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
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再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
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再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_26.html

再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_25.html

再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_22.html

再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_21.html

再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
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再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

この記事へのコメント

サトル
2013年05月30日 06:18
米国留学中、ネティサランパエットというガ-ルフレンドがいて、インドネシアのオイル会社に勤めていた!いい仲でしたけどアッサリ帰国され、周りから何で結婚してやらなかったと突っつかれました。帰国の途上日本に立ち寄った為、実家に連絡して成田に車で迎えに行って貰い一月程実家に逗留してから帰した。私が結婚して仕事でドイツに駐在するまで手紙のやり取りしてましたが今は、すっかり疎遠です。ネティサランパエットは、このランタナさんの妹だった。消息ご存じの方連絡下さい!

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