再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 
1999年4月~9月、GBI(インドネシア)文化宮で実施された『ハルディ個展』のカタログ表紙。

大川誠一の『GBIニュース』1998年9月4日 Berita GBI(4 Sept 1998) WWCR dgn Pelukis Hardi

【ジャカルタ発】
 インドネシア絵画界のヒーロー「ハルディ氏」 『美は理解への橋。アートの力は美にある』 インドネシア文化宮で『ハルディの世界』展を開催!

今、インドネシアで最も有名な若手画家であるハルディの名を知る日本人は多くない。それには理由がある。『特定の美術評論家やキュレーターが、思想的そして商業的に、特定の画家のみを海外で紹介しようとしている。その姿は排他的であり、差別的でさえある』と、ハルディ氏自身が表現するように、確かに、『現代アジア・モダン・アート』の名の下に、閉鎖的な「談合組織」にも似たシンジケートが、日本のその筋の団体や博物館と「癒着」しているのも事実だ。

その築き上げられた「利権ルート」は、時に「アート」という錦の御旗や、美術評論家の恣意的・戦術的なカモフラージュの結果、また、その評論家のネームバリューが故に、誰も疑問をはさめない形で温存され続けてきている。インドネシアを含めアジアには、絵画ブローカーが暗躍する舞台がある。それは、日本サイドに、現地絵画事情に詳しい人材が(ものすごく)不足していることとも関係している。それは、ジャカルタにいる文化機関関係者の(圧倒的)能力の欠如とも関連している。要するに「有名」であればいいのだ。特定の美術評論家が推薦さえすれば、その言いなりで、日本で展覧会が開かれる。

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ハルディ氏(撮影:98/09/03)

広く公正に機会を与えるという原則は、そこにはないし、機能していない。ハルディ氏は、かつて政府により共産主義者の烙印を押され、そのために地元マスコミも、同氏のことを本当は高く評価していたものの、作品の紹介を避けてきた。1979年12月、ハルディ氏は、25枚のグラフィックアートを完成させた。タイトルは「2001年インドネシア共和国大統領スハルディ」。「スハルディ」は、スハルトの頭のスと、自分のハルディを合成したもの。

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作品『2001年インドネシア共和国大統領スハルディ』

初代スカルノ大統領の将軍服に自らの顔をモンタージュした作品だ。『美術展の初日は大丈夫だった。しかし翌日当局が会場にやってきて、作品を撤去。その晩には軍人3名が自宅を訪れ、連行され、拘束された。海外からの非難の声に押されて、当時のアダム・マリク副大統領は、最終的に私の釈放を命令した』と、ハルディ氏。

あれからおよそ20年。スハルト「開発独裁」政権は倒れた。そしてさる8月末、「改革」の後押しを受けて、同氏は3枚の「2001年の大統領」画を、サヒッド・ジャヤ・ホテルで開かれた展示即売会に出展。『大財閥のリッポー・グループが3枚とも購入した。値段は3枚で一千万ルピアだった』と。

ハルディ氏は、東ジャワのブリタール市の南10kmのガンバール村生まれ。ガンバールとは、まさに絵画という意味だ。父は村長、母は小学校の先生だった。この恵まれた環境が、ハルディ氏の生まれながらのコンプレックスを打ち消す上で、どんなに貢献したことか。ハルディ氏は掌に障害をもって生まれた。右手は、正常な人差し指と、わずかな親指のみで、あとは拳だ。そして左手は、正常な親指、それから癒着した小さな中指と薬指。

『村長の息子でなかったら、僕はどれほど辛い思いをしたことか。僕は、この手のおかげで一生懸命生きることの大切さを学ぶことができた。他人に負けないように、どれほど頑張ったことか。この二本の正常な指だけで、タイプを練習し、誰よりも早く打てるようになった。全部の指がそろっている友人よりも遥かに女性にもてた。ダメだと言われたが、シラット(インドネシアの護身術)を始め、いまでは黒帯で師範になった』と、ハルディ氏。

今、彼の周りには、若い女性がひきもきらず寄ってくる。モデル志願者たちだ。『僕はまだヌードは描かないけれど、彼女たちはそれさえ望んでいるようだ』と。

『改革時代を迎え、画家は本来の画家の姿に戻れるようになった。かつて僕は反体制画家として、政治社会問題と対峙した。しかし、いまや政治批判も社会批判も、マスコミが自由にできる時代がやってきた。僕らが絵画を通じて批判することは、どんどん意味を失ってきている。これからは、クオリティこそが大事な時代だ。イデオロギ―を考慮に入れる必要がなくなった。芸術が政治に取り込まれる時代は過ぎた。これからは、芸術が芸術として存在する時代だ』と、芸術性、質の高さを問う時代の到来を強調する。

ハルディ氏は昨年の12月、まだスハルト政権時代に、スハルトの肖像画を描いた。それはスハルトが階段を降りるシーンだ。『僕は、その絵にスハルト退陣の願望を込めた。ところが、どうしたことか、その絵を買ったのは、なんとスハルトの次男であるバンバンの妻だった。それも3,500万ルピアも支払ってくれた。彼女には僕の狙いが理解できなかったのか。それとも、その美しさに魅了されたのか?』

インドネシアで最も注目されている画家ハルディ。彼は日本での展覧会を強く望んでいる。『これからジャワを経てバリへ旅に出ます。僕は描くのが早いから、たまった作品を日本で展示しましょう。それから、日本で描きつつ展示する、いわゆるライブ展もやりましょう』と。インドネシア文化宮は、同氏との協力で、この冬にも個展を開催予定。さらに、来春、同氏を招き、『ライブ展』を実施できたらな、と思っています。できるかな?


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作品『文化外交』

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2011年5月26日、ハルディ氏は還暦を迎えた。記念出版で「Hardi 60 tahun」を出版。自画像。

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1999年、来日したハルディ氏はGBI代表と沖縄・与那国島を旅した。首里城で記念撮影。

備考
『ハルディ個展』は1999年4月18日~9月17日、インドネシア文化宮(GBI)で実施された


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1999年4月18日~9月17日、インドネシア文化宮(GBI)で開催された『ハルディ個展』会場の様子。
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Copyright 1998-2011 Graha Budaya Indonesia (GBI)
インドネシア文化宮に掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。 著作権はインドネシア文化宮またはその情報提供者に属します。


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【参考動画】


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展5(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/EewbR7wFwlM


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展4(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/GbEHJeJPU5o


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展3(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/RqXnE6Szcz8


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展2(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/ai84C_BdqxM


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展(1999年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/k_p3FDr02Po

【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.9.3#3 WWCR dgn Poppy Darsono
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_28.html

再録『GBIニュース』1998.9.3#2 Berita GBI 3 Sept. 98 YLKI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_27.html

再録『GBIニュース』1998.9.3Berita GBI WWCR Permadi SH
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_21.html

再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Johny Lumintang
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_20.html

再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Ratna Sarumpaet
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_19.html

再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_12.html

再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_11.html

再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_10.html

再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_9.html

再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_8.html

再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_7.html

再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_3.html

再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_2.html

再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_27.html

再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_26.html

再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_25.html

再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_22.html

再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_21.html

再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_18.html

再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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