再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 

IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ・シデイック・モティック女史

大川誠一の『GBIニュース』  1998年11月17日 Berita GBI(17 Nop 1998)
21世紀のインドネシアは“女性の世紀” 

【ジャカルタ発】 
 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ・シデイック・モティック女史会見

正確な数字は把握していないが、インドネシアでは、いろいろなセクターで女性の進出ぶりが目に付くようになってきた。少なくとも日本と比べても見劣りしないばかりか、優れているセクターも多い。スハルト政権崩壊後の今では、非難の対象となり始めているが、ダルマ・ワニタ(Darma Wanita)すなわち公務員の奥方達の組織は、職能単位で編成されており、夫君の肩書きに準じて序列が決められ、いわゆる「翼賛団体」的な社会活動を繰り広げてきた。ダルマ・ワニタの活動は、時にインドネシアの女性達の「社会参加」を強く印象づけるが、実際の所は、夫の社会的地位にぶら下がった権威・極楽トンボ集団とも言えよう。

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IWAPIのロゴマーク

高学歴、高収入のインドネシア女性達の生き様は、日本のそれと比べても天国と地獄ほどの差があるような気がする。これはお手伝いさんやベビーシッター(時には看護婦の資格を持った女性がその役を演じることも多い)の充実と大いに関連している。つまり、子供は「産みっぱなし」でいいのだ。後は、ベビー・シッターとお手伝いさんが面倒見てくれる。従って社会復帰も簡単にできる。海外旅行までベビー・シッターを同行させることも決して珍しいことではない。恵まれているというか、所得の大きな差異がそれを可能にしている。

自由貿易とグローバリゼーションの世の中、インドネシアでも女性の起業家・企業家がどんどん誕生している。多くは小規模で家内工業的なものだが、その背景には、生活の向上のためにはどうしてもダブル・インカムを必要とするという状況がある。もともと行商や出稼ぎが当たり前の国だけあって、マネジメントの不備や規模は別問題として、ウサハ(事業)が十分な事前準備なしに始められる素地がある。今や女性企業家の存在は、GNPに影響を与えるまでになってきている。

スルヤニ女史は、こうしたインドネシアの女性経営者・事業家らを傘下におく経済団体IWAPI((Ikatan Wanita Pengusaha Indonesia=Indonesian Business Women's Association)の会長。1997年11月~2002年10月までの任期だ。97年の10月までは5年間、同協会の事務局長を務めた。妻、母、そして社長、団体役員の四つの顔を持つ。ジャカルタ中心部メンテン地区、スハルト前大統領私邸からさほど遠くない距離にあるスルヤニさんの古めかしい「豪邸」を訪ね、インドネシアの女性達のビジネス・スピリッツについて聞いた。


そもそも生物学を修めたあなたが、どうしてビジネスの世界へ飛び込んだのですか?

高校生の時、生物の先生の教え方に感動したのが始まりで、将来は生物学の先生になろうかと思っていました。そのころ、高3の卒業試験の一週間前に父を亡くし、姉たちはそれぞれ結婚などで家を出ていたこともあって、私が家に残る最年長の子供として父の事業を引き継がなくてはならない状況が生まれたのです。父は、ベチャ(輪タク)を150台ぐらい所有し、貸家業も営んでいました。しかし、入学試験に受かったので、結局はジャカルタのIKIPへ入学し、生物学を専攻しました。その後、日本政府の奨学金のおかげで、米国留学できることになり、渡米。そこで、初めて事業に関連する人材開発や人材マネジメントを勉強することにしたのです。

で、帰国後ビジネスをスタート?

そのころ今の夫のファイザル(UI法学部卒)とつきあっていたのですが、89年12月22日に帰国すると、『来月結婚式だからね!』と言われビックリ。あれよあれよで翌年1月15日に結婚式。夫は弁護士をしてましたが、韓国の会社から靴下の製造をやらないかと誘われて、私が手伝って工場建設までもっていったの。でも、ファイザルは私が外で仕事をする事を余り快く思っていなくて、私はその事業から退いたの。
そうこうする内に、アメリカの知り合いから、インドネシアの爬虫類の輸出の話が転がり込んできた。相当な利益になるというので、手伝うことにしました。生きたワニやヘビそしてトカゲなどを輸出したわ。イリアンジャヤ(インドネシア最東端の州)の中央高地のワメナで一匹20米ドルで仕入れたブレニと言う名の黒いヘビは、ジャカルタから送る際には2,000米ドルにまで高騰。あまりにも儲かるので、アメリカの会社は、ジャカルタ近辺に養殖場を建設しようと言い出す始末。でも、許可のプロセスが余りにも煩雑で、お蔵入り。
このペット輸出業を一年間やった後、91年にコンサルタント会社を設立、ようやく米国留学の成果を駆使できる状況が生まれました。

インドネシアの女性達にとってビジネスチャンスは多い?

それはとてつもなく広がっていると言っていいでしょう。可能性は非常に大きいと思います。そればかりか、21世紀は『女性の世紀』と言って差し支えないでしょう。アメリカで言えば、レーガン大統領が直面した経済危機克服の上で果たした女性たちによる新ビジネス展開をみても分かるように、女性はビジネスに向いているのです。男性は銀行からの借り入れに関しても、結構アバウトなところがありますが、女性はすごくハティ・ハティ(注意深い)のです。

インドネシア女性が持っている、近隣諸国の女性達と比べて優れている長所は?

それは一言で言って「Ketekunan(懸命・真剣)」の点でしょう。それは伝統工芸品の完成度を見ても明らかです。一方、抱える短所は、アクセスとネットワークがないということです。このため、私がIWAPIの会長に就任してからは、インターネットを駆使して、全27州に必要なインフォメーションを相互に伝えていく整備に取りかかりました。IWAPIはおよそ12,000の加盟者がいますから、アクセスとネットワークさえ充実すれば、信じられない展開をしていく可能性があります。

ところで、直面する「弱点」は?

まず、経営者が女性とわかるや、銀行が融資を躊躇する傾向にあることです。それからこのことはどこの国でも言えることですが、女性は妻、母を双方うまくこなさなくてはいけないとの東洋的な考えがありますので、負担が大きいということです。大都市では、ダブル・インカムでないと豊かな生活が得られませんが、地方ではいまだに女性は家を守ればいいとの考え方が主流です。さらに、アジアでは、女性の収入は男性よりも低い方が良いとの考え方もいまだに蔓延していますので、女性の起業家精神にブレーキがかかるのです。でも、例えば日本と比べれば、私はインドネシアの方が遥かに女性が働きやすい社会だと思います。

将来どのような分野で女性事業家のチャンスがあると思いますか?

それはズバリ、Knowledge Baseの分野です。知識を使った、例えばサービス業、教育産業、インターネットを駆使した事業、コンサルタント業、アグリビジネスなどです。また、高学歴の女性達が、低い教育レベルの女性達の中に入っていって、起業のためのトレーニングを行うことも重要でしょう。

女性起業家・企業家が増えると、結婚しない女性や、不倫問題も増えるとの説もあるようですが?

確かに男を必要としない社会が生まれるでしょう。しかし、この東洋の国々では、女性は結婚すべきとの考え方が依然強く、また男が「主人」との考えもあります。その辺のバランスがどうなるかは、まだ予想が難しい状況です。しかしながら、21世紀には男女の賃金格差はどんどん狭まり、都市部では「主人」ではなくて「パートナー」となるでしょう。不倫に関しては、確かにそういったことも言えるかも。私は無縁だけども(ウフフ)。ちなみにIWAPIメンバーの20%ぐらいがシングル・ウーマンね。

インドネシアでは、多くの女性の起業は、夫や親族のコネと地位の「おかげ」との印象もありますが? また、「性」を「武器」に使う女性も多いと聞きますが?

ハハハ。確かに!およそ50%は、夫の成功でビジネスを始められたと言っていいでしょう。しかし、残りの50%は夫の死後にビジネスで成功しているのです。夫が生きているときは自由にならなくて、能力が埋もれていたのネ。「性」を利用する人もいますが、その成功は長続きしません。それもこれも、ビジネスの相手の男性が、綺麗か、若いか、などといった基準で、女性経営者を見がちだから起こるのです。一方で、若くて美しいってことはある面、確かに武器ネ。

女性がビジネスで成功するための鍵は?

これは男女共通のことだけれども、一番重要なことは、嘘つきではないということ。正直者でなければネ。次にプロフェッショナリズムが高いということ。次いで、ビジネス倫理に秀でていること。


【プロフィール】

スルヤニ・シディック・ファイザル・モティック(Dra. Suryani Sidiq Faizal Motik, MGA)。

1961年7月17日、11人兄弟の第9子四女として南ジャカルタ生まれ。身長158cm、体重51kg、血液型O。両親も祖父母もジャカルタ出身の純粋の「ベタウィ=Betawi(バタビア)人」。いわゆる生粋の“江戸っ子”。1985年ジャカルタのIKIP(教育師範大学)卒。専攻は生物学。1986年米国ジョージ・ワシントン大学留学、人材開発専攻。1987年米国アメリカン大学(ワシントン)で英語プログラム終了。

1989年、米国カトリック大学(ワシントン)で教育学専攻。1989年米国メリーランド大学で人材マネジメント専攻、GMA取得。1984年には日本の、いわゆる中曽根21世紀プログラムの学生グループの一員として来日。米国留学費用の大半も日本政府からの奨学金とか。1982年、現在の夫君であるファイザル・モティックや友人らとISAFIS(Indonesian Student Association For International Studies)創設。

1989年12月末に帰国、二週間後に企業家ファイザル・モティック氏と結婚。一男(7歳)一女(4歳)の母。1991年PT.Indo Prima Advisa Management Concultant社(経営コンサルタント業)設立、社長に。1992年PT.Pratama Griya Persada社(瓦製造)設立取締役。1997年11月より5年間の任期でIWAPI会長就任。好きな言葉は「KanalisasiEnalization」、つまり運河を開く、水路を開くだ。IWAPIはおよそ12,000社が加盟。

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スルヤニ女史の共著『人材マネジメント』(1997年10月初版。STIALAN Press刊)


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【参考ブログ】

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再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
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再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
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再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
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再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
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再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
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再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
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再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
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再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
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再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
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再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_18.html

再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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