再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏

画像

1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。

大川誠一の『GBIニュース』  1998年11月21日 Berita GBI(21 Nop 1998)

【インタビュー】 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏

【ジャカルタ発】 

GBIニュース(1998.11.20#4)で報じたように、レフォールマシ(改革)の突風が吹き荒れるインドネシアでは、過去の5ヶ月間に330もの新たなメディアが生まれた。独立後初めて味わう「言論の自由・表現の自由」に国民と記者達は酔いしれているようだ。

新たにSIUPP(出版許可証)を手に入れた330紙誌の一つに隔週週刊誌『Tajuk』がある。さる3月1日創刊号を出したばかり。タジュックとは、元々は「王冠」「冠毛」を意味するが、「思考の元」の意味でも使用される。例えば、Tajuk Rencanaは新聞の社説のことだ。3月と言えば、通貨ルピアが大暴落を続けていた時期。『よりによってこんな時に創刊するなんて、正常な人間のすることではない』と周囲から言われ続けたが、決断に揺るぎはなかった。

『こんな時代だからこそ創刊の意味があるのです』とホリッド氏。 Berita(ニュース)、Investigasi(調査)、Entertainment(娯楽)の三つを編集の基礎に据えている。新聞用の紙を使う『GATRA』や『TEMPO』誌とは異なり、高級な紙を使用し、カラーページも多く、いかにもヤング・エグゼクティブ向けの体裁。発行部数およそ30,000部。記者は25名(内5名が女性記者で、その内3名が既婚者とか)。本来のページ数は150ページだが、経済危機のあおりで現在は約90ページ。定価はRp9,900で、Tempo誌のRp8,700、Gatra誌のRp7,900と比べて割高。

モハマド・ホリッド氏は、最近復刊した『テンポ』誌の編集長でインドネシアを代表するエッセイストであるグナワン・モハマド(Goenawan Mohamad)氏の甥にあたる。グナワンの姉でホリッドの母ヒクマ・モハマド(Chikmah Mohamad)が、子供時代のグナワンに文学の面白さを教えたと言われている。

ホリッドのもう一人の叔父であるカルトノ・モハマド(Kartono Mohamad:グナワンの兄)は、元インドネシア医師会(IDI)会長を務め、現在は医学誌『Medika』の編集長。また、妻ネラ(Nella)は、インドネシアを代表する著名な東南アジア史学者であるタウフィック・アブドゥラ(Taufik Abdullah)の長女。“超”エリートの閨閥(?)を背景に、『新しいインドネシアの新しいメディア』を模索するホリッド氏(40歳)。21世紀のインドネシア・メディア界での活躍が期待される同氏に、『新しい』インドネシア像について語ってもらった。


あなたにとって『TEMPO』誌とは何であった?

僕はUI(国立インドネシア大学)を卒業したけれども、“TEMPO”と言う名の大学を卒業できなかった。君(大川)もそうであったように。我々はテンポというキャンパスで仕事をしていたんだね。しかし、政府による一方的な発禁処分。強制的に繰り上げ卒業させられたようなものさ。僕は“テンポ大学”でジャーナリズムを修行中だった。未完だった。だから、この道を卒業できるまで進んでみたい。それが『タジュック』誌の発行につながったわけだ。

『タジュック』誌のミッションとは?

健全な情報を広く国民に伝えることだ。政治的にあるいは経済的にある特定のグループだけに利益をもたらすようなものではない、そういった情報をネ。そして最終的に目指すところは、Civil Societyの建設。民主的な市民社会のネ。タジュック誌は、ある勢力に対して批判はするが、敵意は抱かない。同様に、賞賛することもあるだろうが、過剰な賞賛は避ける。僕らは、国家的な見地から、この国の未来を築く次世代に的確な情報を提供していきたいと思っている。というのも、スハルトの新秩序(Orde Baru)時代に、この国のモラルと倫理は破滅的な後退をした。国歌の『インドネシア・ラヤ』の一節にこういうのがある。「Bangunlah jiwanya, bangunlah badannya untuk Indonesia Raya(精神[魂]を築け、身体を築け、偉大なインドネシアのために)と。僕が思うに、身体だけはかなり成長したが、精神面はほとんど発展していない。これも長期にわたった権威的スハルト政権によってそうなった。精神を魂を作らなくては。そこにタジュック誌の演じる役割があると思う。

インドネシアは、まさにサバンからメラウケまで、全土的に「ウアン(お金)」が全てを決定づける社会構造になってしまったが?そう容易く変身できるものだろうか?

異常なまでのマテリアリズム。そして拝金主義、さらに地位と肩書きを追いかけるエリート志向。これもスハルトの32年間に社会の隅々まで蔓延してしまった。倫理とモラルの異常なまでの欠如状態だ。これらは、長い時間をかけて、教育あるいは宗教を通じて、変えていかなければならない。礼儀正しい、清潔な精神に満ちあふれた社会の建設のためには、まず家庭内からスタートする必要もあろう。倫理観とモラルがどれほど大切なことかは、本来イスラム教でも説いていることだ。ただ、その教えに忠実かどうかの問題だ。僕は、今回の経済危機やスハルト退陣も、神が罰を下したとさえ考えたい。偽善的な社会に対してもう我慢ができない、ということで。

で、21世紀のインドネシア像をあなたはどう見ている?

僕は、来年の総選挙と正副大統領選挙を経て、新しい政府の下で始まる西暦2000年を、「新インドネシア歴0(ゼロ)年」と考えたい。すべてが、ゼロからスタートする年だ。まさに、モラルと倫理を築き上げていく、重要な新世紀への幕開けだ。
画像

『Tajuk』誌創刊号表紙

【プロフィール】

Mohamad Cholid(モハマド・ホリッド)。1958年1月16日、バティックと港町で知られる中部ジャワのバタン市(ペカロンガン市の東)で、四人兄妹の次男として生まれる。下の二人は異父弟妹。物心もつかない頃、実父は母と離婚。『ホリッドは俺の子ではない』が理由とか。マシュミ党の活動家で州議会議員だった実父は、反スカルノ政権を掲げ、1952-1957の5年間、政治犯として獄中生活を送る。
この間、同じくマシュミ党員(後にムハマデイアに所属)であった母が更紗の製造・販売で家計を支える。しかし、中学三年生の時、母は継父と離婚。『小学校低学年の頃継父が現れたと思ったら、またすぐ消えていた。幼少時代の大半を祖母と叔父らと過ごした』。
1978-1981,総合ニュース週刊誌『TEMPO』ジョグジャカルタ支局で臨時雇い記者。1981年国立インドネシア大学(UI)文学部(中国事情)入学。卒業と同時に『TEMPO』誌記者(1986-1994)。教育文化デスク、経済ビジネスデスクを経て、外報部エディター。1994年6月の同誌発禁処分に伴い、日刊紙『Media Indonesia』や週刊誌『Tiras』等でフリーランス・エディター。
1996年2月、経済紙『Neraca』副編集長。1997年3月、元テンポ誌の仲間達と、隔週週刊誌『Tajuk』の創刊準備に入る。1998年3月1日、同誌編集長として創刊号を発売。身長173cm、体重73kg。血液型O。
敬虔なイスラム教徒。好きなインドネシア語は「Janji(約束)」。『家族、そして自己に対して、さらに神に対して約束したことを守り通すことが大事』と。
妻のネラ・サフィトゥリ・アブドゥラ(32歳)は、インドネシアで高名な東南アジア史学者のタウフィック・アブドゥラ(Taufik Abdullah)の長女。父が、米国のコーネル大学留学中に生まれたことから、ネルをもじってネラと命名された。6歳、3歳の二人の娘を授かる。ネラは妊娠中で、『あと数日で生まれる予定』とのこと。



Copyright 1998-2011 Graha Budaya Indonesia (GBI)
インドネシア文化宮に掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。 著作権はインドネシア文化宮またはその情報提供者に属します。


画像

【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_18.html

再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_17.html

再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_16.html

再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_15.html

再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_14.html

再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_12.html

再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_11.html

再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_10.html

再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_9.html

再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_8.html

再録『GBIニュース』1998.11.13#2 血塗られたSIMPR(国民協議会特別会議)最終日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_7.html

再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_6.html

再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_5.html

再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_4.html

再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_3.html

再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_2.html

再録『GBIニュース』1998.11.11 会見:政治学者アルビ・サニット Arbi Sanit
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_1.html

再録『GBIニュース』1998.11.10#3 SIMPR(国民協議会特別会議)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_30.html

再録『GBIニュース』1998.11.10#2 SIMPR(国民協議会特別会議)開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_29.html

再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_28.html

再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_27.html

再録『GBIニュース』1998.9.29 東経141度 岩手・衣川村の太平洋戦史館
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_26.html

再録『GBIニュース』1998.9.19 東京Asian City Festival '98
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_25.html

再録『GBIニュース』1998.9.11日本の農協システムに学ぶDelegasi Mendagri
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_24.html

再録『GBIニュース』1998.9.10 イ内相がGBIで記者会見 Mendagri di GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_21.html

再録『GBIニュース』1998.9.8#2 Solidamorが『東ティモールの昔と今』を発刊
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_20.html

再録『GBIニュース』1998.9.8 “改革”音楽カセット限定販売 Lagu2 Reformasi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_18.html

再録『GBIニュース』1998.9.7 書籍「スハルトからハビビ」限定販売BukuReformasi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_16.html

再録『GBIニュース』1998.9.6#2インドネシア内相がGBIで記者会見予定
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_6.html

再録『GBIニュース』1998.9.6 WWCR dgn Sri Bintang Pamungkas
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_5.html

再録『GBIニュース』1998.9.5 大阪のアジア展 Dynamic Asia di Osaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_3.html

再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_31.html

再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_29.html

再録『GBIニュース』1998.9.3#3 WWCR dgn Poppy Darsono
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_28.html

再録『GBIニュース』1998.9.3#2 Berita GBI 3 Sept. 98 YLKI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_27.html

再録『GBIニュース』1998.9.3Berita GBI WWCR Permadi SH
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_21.html

再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Johny Lumintang
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_20.html

再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Ratna Sarumpaet
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_19.html

再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_12.html

再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_11.html

再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_10.html

再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_9.html

再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_8.html

再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_7.html

再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_3.html

再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_2.html

再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_27.html

再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_26.html

再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_25.html

再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_22.html

再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_21.html

再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_18.html

再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック