再録『GBIニュース』1998.11.24  会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。

ジャカルタのクニンガン地区にあるPusat Perfilman "H" Usmar Ismail(ウスマール・イスマイル映画センター)4FのKFT(Persatuan Karyawan Film & Televisi Indonesia=インドネシア映画・テレビ職員協会)に掲げられた、『インドネシア映画の父』ウスマール・イスマイル氏肖像画の前に立つスラメット・ラハルジョ氏

大川誠一の『GBIニュース』  1998年11月24日 Berita GBI(24 Nop 1998) WWCR dgn Slamet Rahardjo Djarot

【インタビュー】 映画監督スラメット・ラハルジョ氏

【ジャカルタ発】 99年2月にイ仏合作映画『テレグラム』が完成。 『映画の灯りは消えない』と強調

テレビ放送の充実、そして家庭ビデオの普及、さらには集客力のある作品が出現しないことなどによって、インドネシアの映画界は危機的状況に立たされている。製作本数こそ、さほどの減少を示していないが、低級のポルノまがいの劇場映画のみが闊歩している。情報省映画・ビデオ育成局(あの情報省で“育成”ができるとは誰も信じていない!)がまとめた統計によれば、イ国内における過去五年間の劇場映画製作数は下記の通りだ。

1993年: 27本

1994年: 33本

1995年: 22本

1996年: 38本

1997年: 36本 

一方テレビ・シネトロンの製作は、急激な上昇をみせている。同統計によれば:

1993年:   663エピソード

1994年:  1138エピソード

1995年:  2053エピソード

1996年:  3244エピソード

1997年:  3066エピソード(388タイトル)

ちなみに、1997年に製作された劇場映画の大半(9割近く)が、いわゆる「成人指定」。タイトルを羅列してみると:

Kekuatan Seksual(性の力)

Penari Malam(夜の踊り子)

Pria Simpanan(囲われた男)

Gairah Erotik(エロの欲望)

Trauma Seksual(性のトラウマ)

Gairah 100%(100%の欲望)

Gairah Seksual(性の欲望)

Sentuhan Tabu(禁じられた関係)

Permainan Malam(夜のお遊び)

Puncak Kenikmatan(喜びの頂点)

Rintihan Noda(汚れの嘆息)

Skandal Erotis(エロ・スキャンダル)

Cinta Terlarang(禁じられた愛)

などなど。どこか、日本のホテル・ビデオとよく似た題名。やはり、我らは東洋人!

こうした中で、唯一「硬派」なのが、先の東京国際映画祭にも参加して、審査員特別賞を受賞した、大女優クリスティン・ハキム(Chrsitine Hakim)が製作、若手のガリン・ヌグロホ(Garin Nugroho)が監督を務めた『Daun di Atas Bantal(枕の上の葉)』。

スラメット・ラハルジョ氏は、1995-1999の任期で、KFTの会長を務めているが、映画プロダクションであるEKAPRAYA Tatacipta Film Audiovisual Servicesも経営している。また、IKJ(Institut Kesenian Jakarta=ジャカルタ芸術学院)の映画・テレビ学部で「監督」をテーマに講師も務める。

同氏は、もともとは男優で、1970年代、クリスティン・ハキムと数々の名作で共演し、一躍銀幕の大スターとなった。そして80年代、監督としてデビュー、社会性のある作品を次々と発表。90年に製作した『Langitku Rumahku(青空がぼくの家)』は、日本でも公開されたが、90年に、ナント3大陸映画祭ジャック・ドゥミ賞を受賞。91年には、ベルリン国際映画祭児童映画祭ユニセフ賞、そしてメルボルン国際映画祭最優秀児童映画賞を受賞。

低迷するインドネシア映画。追い打ちをかける経済危機、そして社会危機。連日会議が続くKFT本部。スラメット・ラハルジョ氏が語るインドネシア映画の未来とは?


『青空がぼくの家』以来、製作活動の話が流れてきませんが?

インドネシア・フランス合作で、『Telegram』という題の映画がもうすぐ完成します。カメラ、サウンド、編集は仏が担当、監督は私。脚本(Putu Wijaya)、俳優はインドネシア人。ロケもインドネシアです。97分の映画で、危機に直面したときのある記者の心情描写が核です。99年2月に完成する予定で、おそらくカンヌ映画祭に出品されるでしょう。日本とオーストラリアでの上映権は私が持ってますから、いずれ日本でも上映されるかも。

『改革』の流れの中、民主化が強く叫ばれています。あなとにとって「デモクラシー」とは?

インドネシアはこれまで『Bhinneka Tunggal Ika(多様性の統一)』をスローガンにやってきました。つまり、多様性を美しく、素晴らしいと思う一方で、一つにまとまろう、との考えでした。ところが、最近の傾向を見ると、多様性の分裂に向かっています。これは悲しいことです。互いの違いを理解し合うこと、そこに美があったのです。私は、こうした多様性のインドネシアの一人の国民となったことを誇りに思っていました。しかし、スハルト政権の下、国家は一つだけの色で塗り固められました。他の色を許さぬ社会が生まれたのです。さらに中央集権化は、各地に嫉妬を生み出しました。デモクラシーの基本は、多様な考えを互いに理解し、認め合うことです。

今後、インドネシア映画の運命はどうなってしまうのでしょうか?

『改革』の流れを受けて、意識の上ではインドネシア映画は「復興」に向かっています。そのスタートはすでに切られました。しかし、問題は経済的バックボーンの欠如、そして人材の欠如です。例えばIKJにある設備は、もはや新人を育てるには極めて不十分です。古いものばかりです。一方で、安物のポルノまがいの映画ばかりが作られ、質の高い映画人が育っていません。しかし、それでもインドネシアの若者たちが、今後映画の灯火を守り続けてくれると確信しています。彼らは、映像世代で、またどのように表現するかについても、先人たちとは違った、素晴らしい感性を持っています。確かに、劇場映画よりもテレビ・シネトロンへ向かう若者が多いのも事実です。しかし、それは一時的に「避難」しているだけです。

ところで、なぜこうもインドネシアの映画は劇的な衰退を辿ったのでしょう?

それは、唯一、モノポリによって引き起こされたのです。1980年代後半から、ある権力が映画に関係する全てを独占していったのです。映画の輸入、配給、そして映画館まで、何から何まで、彼らがモノポリ化したのです。そして、今彼らがなんて言っていると思いますか?『ドルが高くて、外国モノの輸入ができない。国内にいい作品はないか?』と。何をいまさらです。国内映画はすでに死刑執行されたのです。私たちはもう映画作りを忘れたのです。今作れと言われて、どうしてできましょう。

「愛」と「女性」とは、あなたにとって何?

愛とは、ある人を理解することです。彼女、彼の強さ、そして弱さを理解し、愛おしく思うことです。愛は、突然訪れて、突然去っていくものです。なぜ愛したのか分からない、なぜ消えてしまったのか分からない、そんなものです。愛は理解です。ですから、互いに理解することが一番大事です。そしてそこにはある倫理が働きます。愛は育むことも大切です。一方、女性とは、美の泉みたいなものです。芸術家とは本来、美を讃える人々です。しかし、彼らは愛情を分配することはなかなかできないのです。私は偽善者ではありません。しかし、女性の魅力に強く惹かれることも事実です。

日本への期待は?

例えば、国際交流基金に協力を申し出ると、日本と何らかの関係が含まれていないと、資金援助はできないと言われます。私は、日本のような大国であればこそ、そういった条件を付けずに、「製作:日本」という形で、日本と無縁のテーマであっても協力して欲しいと願っています。しかし、これは私の経験ではとっても難しいことです。美しく、パワフルな映画がインドネシアで生まれるために、日本が支えてくれたらどんなに素晴らしいことでしょうか。

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KFT会議室で談論風発。右奥がスラメット・ラハルジョ氏。

【プロフィール】

スラメット・ラハルジョ・ジャロット(Slamet Rahardjo Djarot)。1949年1月21日、西ジャワのセラン市生まれ。7人兄弟の次男(兄が3歳で亡くなったため、実質長男的存在とか)。すぐ下の弟エロス・ジャロットも有名な映画監督。妻のミラ・スリアネガラ(Mira Surianegara、40歳)は、『Forum Keadilan』誌販売部長。ララス(中2)とカシ(小4)の二人の娘の父。
身長175cm、体重75kg。血液型B。宗教:イスラム。好きな言葉は『Mengerti(理解する)』。『知っているよりも、理解している方が遥かに大事だ』と。父のジャロット・ジョジョプラウィロ(Djarot Djojoprawiro)は、空軍中佐で退役、64歳で亡くなった。母エニー・スレスニ・タヌディレジャ(Enie Sulesni Tanoediredja)はスラメットが子供の頃、離婚。子供たちは父方の実家のあるジョグジャカルタの祖父の家に預けられる。
『今日の私を形作ったのは父と祖父の教えです。父は、人を疑うな、と教え、祖父は規律の大切さを教えてくれました』。

まだ10代前半のある日、スラメットが井戸から水を汲み、エロスが畑に水やりをしていた。と、一個のマンゴが落ちていた。それを拾おうとしたスラメットを祖父は、靴を頭に投げつけて怒った。『お前のマンゴじゃない。俺のだ』。そしてスラメットに尋ねた。『マンゴは好きか?』。スラメットは答えた。『うん』。祖父は言った。『好きだったら自分で植えろ。他人ものを盗むんじゃない!』


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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.11.23 国際セミナー『インドネシアの民主化と東ティモール問題』
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再録『GBIニュース』1998.11.22 アジス&ドゥイの結婚式
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再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏
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再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
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再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
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再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
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再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
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再録『GBIニュース』1998.9.7 書籍「スハルトからハビビ」限定販売BukuReformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.6 WWCR dgn Sri Bintang Pamungkas
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再録『GBIニュース』1998.9.5 大阪のアジア展 Dynamic Asia di Osaka
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再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_29.html

再録『GBIニュース』1998.9.3#3 WWCR dgn Poppy Darsono
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再録『GBIニュース』1998.9.3#2 Berita GBI 3 Sept. 98 YLKI
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再録『GBIニュース』1998.9.3Berita GBI WWCR Permadi SH
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再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Johny Lumintang
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再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Ratna Sarumpaet
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再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
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再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
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再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
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再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
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再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
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再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
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再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201106article_2.html

再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_25.html

再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_22.html

再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_21.html

再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201105article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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