再録『GBIニュース』1998.11.25 『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。

ジャカルタ本社の約250名の社員を前に、“リストラ”を発表するブディオノ社長

大川誠一の『GBIニュース』  1998年11月25日 Berita GBI(25 Nop 1998)
『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?


【ジャカルタ発】 経済力の前に跪く「言論の自由」   改革派は新雑誌発行へ急ぐ

GBIニュースで既報(98.11.23#2)の、ニュース誌『ガトラ』に関する続報を伝える時が来た。自らが所属する会社と雑誌の内情をリポートしなければならないとは。94年6月の『TEMPO』誌発禁のショックにも匹敵する、“試練”。なるようにしかならないのか? 不運のネバーエンディング・ストーリー。インドネシアの「レフォールマシ(改革)」は頓挫している。

11月24日(火)午後2時。ジャカルタのメインストリートであるタムリン通りに面した、コスゴロ・ビル20F。総合ニュース週刊誌『ガトラ』本社(4-6F)の社員およそ250名が集まった。発行母体であるPT.EMI(Era Media Informasi)のブディオノ・カルトハディプロジョ(Budiono Kartohadiprodjo)社長の呼びかけに応じたものだ。目的は、11月20日に行われたRUPS(株主総会)の決定事項を、従業員に報告するというもの。

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記者のブルシハール氏が緊急発言。『私は悲しくはない、ただ動揺しているだけだ。この中で、会社は別問題として、雑誌に対して忠誠ではない者は立て! 僕は誰もが雑誌に対しては忠誠心があると信じる』と。『立っているのはお前だけだ!』とのヤジで大笑い。

『みなさんに尋ねたい。このまま会社に残るのか、それとも去るのか?』と、第一声から恫喝かつ攻撃的な発言。『会社は、会社を取り巻く環境に鑑みて、会社に忠誠を誓う人間だけを必要としています。忠誠で、忠実で、堅固な姿勢を持っている人を。共に歩もうとする人だけを必要としています』と。11月20日のRUPSは、前日の『ガトラ』誌創刊満4周年を受けて開催された。決議事項の主なものは次の通り。

(1)取締役であるLukman Setiawan(総務)、 H.Mahtum Mastoem(会社代表)、 Herry Komar(編集長)、 Harjoko Trisnadi(経理)の四名を「発言権のない相談役」とする。相談役に就任する意志があるのかないのか、11月末までに回答すること。

(2)これまで取締役には給与が月額1,500万ルピア支払われていたが、相談役としての給与は750万ルピアとする。

(3)「ジャヤ財団」が所有していたPT.EMIの株20%は、すでにボブ・ハッサン氏によって買われ、従ってボブ・ハッサン氏の所有する株は、75%となった。残りの25%は、これまで通り、従業員組合が保有。

(4)ボブ・ハッサン氏が関与する政府融資に関連して、インドネシア政府は氏の所有する資産を差し押さえているが、PT.EMI社名義の銀行預金は、近く凍結解除される予定。しかし、凍結が解除されない場合は、法的手段をとり、行政裁判所に対して、早期の凍結解除を求める。従って、PT.EMIのキャシュ・フローに問題はない。

(5)来る12月には、キャシュ・フロー面で、およそ7億5,000万ルピアのマイナスが予想され、その後も厳しい状況が続く。従って、リストラ、合理化が急務。

(6)ボブ・ハッサン氏は、氏が所有するPT.EMI社の株を従業員に段階的に譲り渡す考えを持っているが、そのための環境が訪れるのを待っている。

(7)ヘリー・コマール(Hery Komar)氏を編集長の職から解き、後任にウィディ・ヤルマント(Widi Yarmanto)現リポーター・コーディネーターをあてる。同時にウィディは、「総務(Pemimpin Umum)」にも就任。マフトゥム・マストゥム(Mahtum Mastoem)を会社代表の職から解き、後任に現制作マネージャーであるニコ・J・タンピ(Nico. j.Tampi)をあてる。

(8)取締役は、当面ブディオノ取締役社長一名とする。

(9)本日午後4時より、「会社に残るか去るか?」に関してアンケートをこの場で実施する(この発言が行われたのは午後3時頃!つまり一時間後には態度を決めろという、性急な脅迫テクニック!)。

午後4時30分からアンケートの回収を開始。翌25日午前10時が締め切り。25日午後3時、アンケートを開票。地方および海外の従業員に関しては、FAXですでにこの件に関して通告済み。25日までに回答が無い場合は、退職希望と判断。退職を希望した者は、11月26日までに、会社に属するすべての物品を返却すること。これを怠った者は、犯罪をおかしたと見なされ訴追される。退職者には11月の給与並びに12月のボーナスが支払われる。

などがブディオノ社長の口から発表された。次いで質疑応答の時間が与えられた。主な発言は(1)アンケート実施の撤廃、(2)今回の変革の背景には、政治的な動機があるのか?(3)たった一人の取締役では「独裁」の可能性もあるが?(4)巷間、ガトラ誌は、スハルト=ボブ・ハッサンの関係から、「クロニー」との声があるが、改革の世、これでは時代に逆行しないか?(5)報道方針に変化があるのか?等々。

(1)に関しては、人間関係を壊すおそれがあること、疑心暗鬼に陥る、ことなどから、多くの社員の支持により、ブディオノ社長が「撤回」を約束。(2)に関しては明確な回答はなく、この経済危機の中で、どのようにサバイバルするかの一つの選択として行ったと、あくまでも経済的理由を強調。(この件に関しては圧倒的多数の社員が、政治的動機を信じて疑わない!)。(3)については、『もしも私が独裁的になってきたと思ったら、遠慮無しに意見をしてもらいた。私はそれらの声に耳を傾ける心づもりだ』と、ブディオノ社長。(4)に関しては、『この件に関しては新編集長が決めることであって、私は関与しない』と、編集方針に干渉する意志がないことを示唆(しかし、誰も信じない)。

社長説明会は午後4時30分に終了。誰もが暗い表情で200Fを後にした。新編集長のウィディに個人的に尋ねてみた。『自信はあるの?』と。『インシャ・アラー(神の思し召し任せ)と一言。重苦しい雰囲気の中、誰もの顔に、「アンケート」が撤回された安堵感のようなものがあった。今後一体何人が退社していくのか? ブデイオノ演出の「クーデタ」は一応の成功をみた。4名の取締役らは、ハルヨコ(経理)担当がいまだ躊躇しているが、他の3名は『相談役に留まるつもりはない』と明言。この3名は、24日の夜にも社外で緊急ミーティングを開き、新たなニュース週刊誌発行(当面『改革ガトラ』と名乗るそうだ)に向けて歩みだした。筆者もその会議に強く誘われたが、インタビュー予定があり、不参加。

94年の『テンポ』誌発禁処分。そして今回の『ガトラ』誌の劇的方向転回。『東京支局』が選ぶ道は?『ボスの判断に従います』と、支局員。支局員は支局長に“忠実”だが、支局長は、ガトラ新体制に“忠誠”を誓う決意はできていない。岐路に立たされた『ガトラ東京支局(旧テンポ)東京支局』』。

インドネシアの政治の行方と同様に、一歩先が見えない不確実性、不透明性。内情を暴露すれば、すでに一年間にわたって、「経済危機」のあおりを受けた形で、東京支局は、本社より家賃が支払えるかどうかのギリギリの「支局費」しか与えられていない。健全ではない、確かに。

しかし、『テンポ』誌時代にそうであったように、『東京支局』は、経済的利益よりも、両国間の情報の橋渡し役としてのジャーナリストの責務を痛感することで、かろうじてその「貧困」を素直に受け入れ、耐えててきた。インドネシア文化宮(GBI)も、そんな思いで「清水の舞台」的スタートを切った。

『東京支局』の前に、『ガトラ』があり続けるのか、それとも別の名称が付くのか?そんなことは、実はとっても小さな問題なのかもしれない。インドネシアが直面している大改革時代と比較すれば。あなたなら、どうする?


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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.11.24  会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏
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再録『GBIニュース』1998.9.5 大阪のアジア展 Dynamic Asia di Osaka
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再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.3#3 WWCR dgn Poppy Darsono
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再録『GBIニュース』1998.9.3#2 Berita GBI 3 Sept. 98 YLKI
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再録『GBIニュース』1998.9.3Berita GBI WWCR Permadi SH
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再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Johny Lumintang
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再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Ratna Sarumpaet
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再録『GBIニュース』1998.9.1#2 Berita GBI 1 Sep 98 PIJAR
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再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
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再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
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再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
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再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
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再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
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再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
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再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
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再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
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再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
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再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
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再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
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再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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