再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 
ダワム・ラハルジョ氏

大川誠一の『GBIニュース』  1998年11月13日 Berita GBI(13 Nop 1998) WWCR dgn Prof. M. Dawam Rahardjo. SE, Rektor UNISMA(Universitas Islam “45”)

【ジャカルタ発】 
  
【インタビュー】 ダワム・ラハルジョUNISMA(イスラム大学)学長兼PAN(国民信託党)副総裁

GBIニュース(98.11.11#2)で国立インドネシア大学政治社会学部講師のアルビ・サニット氏が、ポスト・ハビビの有力大統領候補の一人に挙げたのがダワム・ラハルジョ氏。

私立イスラム大学学長、並びに東ジャワのマラン市にあるムハマディア大学教授として、インドネシアのイスラム知識人の間で絶大な影響力を持つ。同氏は、日本の月刊『世界』98年8月号にも「イスラム政治と国民和解」と題する原稿を寄せている。インドネシア次期大統領候補として、メガワティ女史と共に、最も“至近距離”にいると言われる急進改革派PAN(国民信託党)のアミン・ライス党首の側近として、同氏の理論的バックボーン役を演じている。アミン・ライス党首とは、6-7歳の頃、ソロ市で同じ宗教学校に通った仲だ。『私は大統領の器ではない』と自嘲気味に語るが、『副大統領なら.....。』と、将来PANが政権を取った場合、アミン党首を支えていく野心も示した。以下、ダワム氏とのインタビューの抜粋。


今日の、そして21世紀初頭のインドネシアにとってイスラム勢力とはどのような意味を持つのか?

私は、イスラム教、イスラム勢力がどうのこうのとは考えていない。インドネシアの80%以上の国民が実際の所イスラム教徒であるという現実に即して考えたい。私たちは非イスラムの全ての宗教も完全に認める。イスラムは元々非常に民主的なのです。イスラム勢力は統合すべきだとの考え方も国民の間にはあるが、私はその必要を感じない。もしもそうなると、この国にイスラム対非イスラムの対立構造が生まれるからだ。たくさんのイスラム政党が存在することが望ましい。Islam is not oneなのです。従って、イスラム勢力が何を果たすのかよりも、圧倒的人口のイスラム教徒が、つまり国民としてどのようなインドネシア社会を作るのかに興味がある。願わくば、イスラムが経済面で力をつけるようになって欲しい。そもそもジャワ文化とはイスラム文化とさえ言って差し支えない。だが、イスラム国家の建設には絶対反対する。

イスラムの経済力強化とは?

これまで、非イスラムに比べて、イスラムの経済力ははなはだ脆弱だった。言い換えれば、圧倒的多数のインドネシア国民の経済力が脆弱だったということだ。別の見方をすれば、インドネシア経済の興隆とはイスラム国民の生活興隆と密接に関係している。学校、病院、モスク(イスラム寺院)の建設などには多額の費用が必要だ。そのためにも、イスラム勢力が経済的に豊かにならなければいけない。それは自動的に、インドネシアの多数の国民の生活向上につながる。しかし、私は、プリブミ(純インドネシア人)とノンプリ(華人系インドネシア人)とを区別・差別はしたくない。彼ら(ノンプリ)との経済競争も恐れない。かつて、彼らは経済面で政権から「飼われ」てきた。いずれにせよ、自由な競争が重要だ。

この家族主義の国・インドネシアからKKN(汚職、癒着、縁故主義)を無くせるのか?

そのためには、倫理を持った近代的な官僚機構を作らなければならない。さらに、公平と正義の精神がとても重要となる。政府は清潔で、国民の誰に対しても公正、正義でなければならない。99年5月の総選挙を経て、清潔な政権が生まれれば、KKNの問題は解決可能だ。これまで政府高官らはプリブミとの癒着を恐れてきた。なぜならノンプリは口が堅いが、プリブミはすぐそのことを暴露してしまうからだ。この結果、とくにノンプリとの間でKKNが蔓延した。

PAN並びにあなたが望むインドネシアの未来像は?

それはズバリ、シビル・ソサエテイ(Civil Society)の建設だ。経済の公平な分配があり、公務員給与も人並みとなり、汚職に対するチェックシステムがあり、一般国民からのコントロールも高まり、さらに自らが透明性を持った政権が誕生すれば、市民社会を迎えることができる。市民社会とは、自らの力で自らを訂正できる能力を持った社会だ。そういった社会を創造するためにも、私たちは今、前進、正義、民主主義の三つのテーマに関して研究を続けている。理想としては、スカンジナビア諸国のような国家かも。日本の姿からも多くを学べると思う。

PDI(インドネシア民主党)のメガワティ女史とNU(ナフダトゥル・ウラマ)の連合によって政権が誕生する可能性は?

可能性は否定できない。元々、NUは民族主義グループと連帯し、我々ムハマディアはリベラル勢力と連帯してきた。しかし、メガ(ワティ)が勝つとは思わない。彼女はマスコミによって大きな存在となっただけで、根っこがない。

PANがメガワティのPDIと「結婚」する可能性は?

協力関係が築ければいいとは思う。しかしながら、PDIはABRI(国軍)の二重機能を認めるフシがある。ここは我々とは違う。PANは国軍の政治面からの即時撤退を主張している。

アミン・ライス氏とは一体どのような人物?彼の弱点は?

彼はいまだに動き続けている。時の変化に従って激しく動いている。言い換えれば、イスラムのリーダーから国家のリーダーへと移行している。彼にはその変化をマネジメントできる能力がある。弱点? 彼は自らと他人に対して実にオネストだ。タフではないとも思われている。妥協的ともとらえられている。しかし、これらは危機的な状況の下ではやむを得ない。彼は非常にシャープな思考を持っている。動揺することなどない。決断すべき時には決断できる能力がある。

あなたは将来「大統領の器」だと思いますか?

そうは思わない。副大統領なら、考えられなくもないが......。あるいは国家開発庁の長官のようなポジションも適しているかも。

【ダワム・ラハルジョ氏のプロフィール】

ダワム・ラハルジョ(Prof. M. Dawam Rahardjo. SE)。1942年4月20日、9人兄弟の長男として中部ジャワのソロで生まれる。両親はバテイック製造業。身長163cm、体重60kg、血液型B。1969年、国立ガジャマダ大学(UGM)経済学部卒。1960-1961、アメリカの高校へ留学経験。東ジャワのマランにあるムハマディア大学教授(開発経済)。1996年11月から、ジャカルタ東部のブカシにある私立イスラム大学(UNISMA)学長。1998年6月より、アミン・ライス氏らと共に創設した政党PAN(Partai Amanat Nasional)の副総裁。著書に、『Bank Indonesia Dalam Kilasan Sejarah』(LP3ES 1993)や『Intelektual, Intelegensia dan Perilaku Politik Bangsa』(LP3ES 1992)など多数。英語、アラビア語をこなす。
UNISMA(Universitas Islam “45”)は、付属の幼稚園、小学校、中学校、高等学校なども合わせて生徒数はおよそ4,000名。内大学生は約2,750人。

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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
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再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
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再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
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再録『GBIニュース』1998.11.10#2 SIMPR(国民協議会特別会議)開催
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再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
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再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
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再録『GBIニュース』1998.8.28#2 Berita GBI 28Agu98 PUDI
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再録『GBIニュース』1998.8.28 Berita GBI 28Agu98 IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.27 Berita GBI 27Agu 98 Perpu
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再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke
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再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
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再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
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再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
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再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
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再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
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再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
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再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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