再録『GBIニュース』1998.12.3 【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。
ミラさんと最新作『Kuldesak(袋小路)』のポスター

大川誠一の『GBIニュース』  1998年12月3 Berita GBI(3 Des. 1998)

【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん

最新作『Kuldesak(袋小路)』を仲間と共同製作。
『インドネシア映画は必ず復活する』と確信。

国内映画産業が壊滅的な状況の中、今マスコミの話題を独占している映画が『クルデサック(Kuldesak)』。『TEMPO』誌最新号(98.12.7)のは、Film欄3ページすべてを割いて同映画の批評。見出しは:「Sebuah Film Bermodal Darah Muda(若い血を資本とした一本の映画)」。「They are the New Kids on the Block」そして「Hasil Perdana Kuartet Sutradara Muda(若手監督四重奏の初の作品)。『制作費を削るため、彼らは“高い”俳優たちをタダで動員した』と、テンポ誌が書く。

この映画は、女性プロデュ―サー兼監督のミラ・レスマナが音頭をとり、仲間の女性監督ネン・T・アフナス(Nan T. Achnas)や、男性監督のリリ・リザ(Riri Riza)、そしてリザール・マントヴァニ(Rizal Mantovani)を誘って作り上げた、まさに「四重奏」。各自が撮影した都市の若者を描いたフィルムをつなぎ合わせて110分の映画に仕上げた。

有名な若手監督であるガリン・ヌグロホ(Garin Nugroho)が『彼らはマルチメディア産業の落とし子だ』と評しているように、その製作・撮影手法はまさにMTVの世界。都会に住むコスモポリタンな若者たちの生態を描いたこの作品は、『あんな世界は、ほんの一部の若者たちの世界であって、インドネシアの平均的な若者の姿とはほど遠い』(日刊紙『スアラ・プンバルアン=Suara Pembaruan』の文化担当記者談)との批判に代表されるように、マスコミ報道から見る限り、全体的に好意的な論調は少ない。

しかし、2週間の予定だった上映期間が2月に延長されたことからみても、少なくともジャカルタの「豊かな階層の」若者たちにはウケていることが分かる。『リザールを除いた他の3名はみなIKJ卒業生。クルーも全員IKJ卒。私たちは映画を作るためにIKJを卒業したのに、その映画産業が死に体状態。そこで、とにかく映画を作ろうってことで仲間の意見が一致したの』とミラさん。以下、ミラさんが語る映画、家族、そして夢。


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仕事部屋のミラさん

『Kuldesak』製作のエピソードは?

インドネシアの映画事情を考えると悲しくてたまらない。そこで、仲間に声をかけた。資金は私が準備したわずか5,000万ルピア(1US$=Rp2,500当時)。でも必要な制作費は6億ルピア。それも、出演者が全員無償で参加してくれたらの話。結果的には民放のRCTIが、半分ほどを負担してくれることになった。『Kuldesak』は110分の映画だけども、RCTIは、使わなかったフィルムを足して、48分番組を監督数に合わせて4本作る予定。3億ちょっとの投資で4本手にするというのは、これはかなりのお買い得。お金が無ければ映画製作は不可能。その意味では、民放にも友情出演の俳優さんたちにも感謝してるワ。

この映画はなんでも情報省の事前の許可無しでクランクインしたとか?

そうなの。インドネシアでは、何から何まで許可が必要。シナリオも事前に情報省の許可が必要。そして撮影のための許可証。さらには上映前にはタイトルまで許可を受けなければならない。私たちはゲリラ的に撮影をスタートしたの。そしたら、今度はKFT(インドネシア映画・テレビ職員協会:GBIニュース98.11.24参照)から、映画監督になるためにはKFTのメンバーになること、さらに助監督を4本以上経験済みであること、などの必要条件を通告されたの。スラメット・ラハルジョKFT会長は、『ミラ。先走らないで!』と言われたけれども、すでに動き始めてしまっていて。でもね、最終的にはスラメット会長の許可が出た。それに続いて情報省も撮影許可を出してくれた。96年6月にクランクイン。でも情報省からの許可は96年末に出て、撮影終了が97年3月。私は一月間にやっとKFTメンバーの申請書を提出したばかり。 

ポルノ映画を除けば、劇場映画は壊滅状態。一方テレビはますます普及。インドネシア映画はどうなってしまう?

いずれ必ず復活の日が来ると信じてるワ。だって、輸入映画を観る人はまだまだたくさんいるでしょう。ポルノ映画を観る人だって少なくはない。映画を好きな人はまだまだいるってことね。昔テレビが出現した頃、みな将来の映画産業やラジオの運命を憂いた。しかし、実際はラジオは健在だし、映画だって、おもしろければ観客は集まる。テレビ、テレビって言うけれど、例えば『スター・ウオーズ』をテレビと映画館のどっちで観たい?当然映画館よね。要は、インドネシア映画が総合的におもしろくなればいいのよ。

ガリン・ヌグロホ氏の映画は海外で高く評価されてます。しかし、当地では小難しくてシリアス過ぎるとの批判もあるが?

ガリンの映画は、インテリたちが好きなのね。そしてポルノは下の方の大衆が好む。で、この中間の層が楽しめる映画がないのね。このいわばメインストリームを私は意識しているの。この真ん中の層が満足する映画を作りたいの。ガリンの映画は疲れる、確かに。でもああいった映画もあっていいのよ。ポルノ映画だって、それがあるからバランスが取れるんであって、無くす必要はないと思うワ。

あなたは、映画プロデュ―サー兼監督、そして会社経営。さらに妻であり、二人の息子の母。うまくこなせていますか?

一般的に、都市部でさえ、インドネシア女性はいまだに「夫の言うことが正しくて、夫のやることを認める」って傾向があるのね。でも我が家はとっても幸福。俳優の夫は、家庭でも良い夫と父を演じてくれる。彼は母系制のスマトラ島西部の生まれ。だからかどうか、女性のポジションについて本当によく理解してくれる。彼とは90年のバレンタインデーに結婚式を挙げたの。その前4年間はイチャイチャしていて。ウフフ。母として子供たちと接する機会が少ないことが一番辛いこと。だからこそ、時間を自分で調整できるようにと、会社も興したの。土曜日と日曜日は子供のために全力を捧げているワ。日本と違ってこちらではベビーシッターが簡単に雇える。これもキャリア志向の女性が増えている重要な背景だと思う。でもね、ベビーシッターだと、どうしても子供たちが甘やかされて育ってしまうので、これも問題ね。

映画・番組制作会社運営の上で、直面する問題は?

欧米や日本と違って、インドネシアでは、制作会社がまずお金を投じて映画やテレビドラマを製作。それから初めてテレビ局に売り込んだり、映画館相手に交渉をスタートするの。だから、リスクが大きいの。買ってもらえるとは限らないから。うちの会社も97年にテレビドラマの台本26本を元に、とりあえず2作品だけ製作したの。これには1億7,500万ルピア投じたワ。でもいまだに売れる気配がなく、製作も中止してしまったワ。



【プロフール】

Mira Lesmana(ミラ・レスマナ)。1964年8月8日、父ジャック・レスマナ(Jack Lesmana:故人)と母ニン・レスマナ(Nien Lesmana)の長女としてジャカルタで生まれる。父は、有名なジャズ・ギタリスト。母も有名な歌手兼ラジオアナウンサ―だった。弟のインドゥラ・レスマナ(Indra Lesmana)は、売れっ子ジャズピアニストでアルバム『Aku Ingin』(作詞はミラ・レスマナ)が有名。夫のマティアス・ムチュス(Mathias Muchus・42歳)はミラと同じくIKJ(ジャカルタ芸術学院)卒で、現在は俳優。
大ヒットのテレビドラマ『Jangan ribut suamiku』の主演を務める。二人の間に、ガリ(Galih・8歳)とカフカ(Kafka・8ヶ月)の息子。小さい頃のあだ名は「スマイリー」。『悲しくても笑っていた』そうだ。で、いまだに趣味は「微笑むこと」とか。身長161cm、体重60kg、血液型A。1988年IKJ映画・テレビ学部を卒業(専攻は監督)。
1988-1992年、広告代理店のLintas Advertising Agencyで、テレビCM製作プロデュ―サー、後にディレクター。1992-1995年、番組制作会社Katena Filmsのエグゼクテイブ・プロデュ―サ―。やはりテレビCM製作が中心だったが、社外でビデオクリップの製作も手がける。1995年3月、CM並びに映画制作会社のマイルス・プロダクション(Miles Productions)を設立。Milesは名前のMiとLesを合わせたものだが、英語のMilesにも符合。
『本当はマイルスと発音するのが正しいけれども、いつのまにやらミレス・プロダクションと呼ばれるようになってしまった』とか。1996年に製作した『Anak Seribu Pulau(千の島の子供たち)』は、民放五局で同時放送され全国的な大反響。8名の監督がインドネシア各地へ飛び、子供たちの生き生きとした生活を記録。
ドキュメンタリー番組としては不朽の名作。ミラが製作し、昨年末に放送されたテレビドラマ『Buku Catatanku(僕の日記)』は98年シネトロン・フェスティバルのドラマ部門賞にノミネートされている。


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再録『GBIニュース』1998.9.3Berita GBI WWCR Permadi SH
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再録『GBIニュース』1998.9.1 Berita GBI 1 Sep 98 同姓同名?
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
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再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
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再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201104article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201101article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201005article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201001article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200612article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200610article_4.html

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