再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ

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大川誠一の『GBIニュース』  1999年6月10 Berita GBI(10 Juni 1999)
ガリン・ヌグロホ監督

【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
『危機の時代だからこそ新たなエネルギーが生まれる』


総選挙(Pemilu)が終わったばかりのインドネシアから、映画監督ガリン・ヌグロホ氏が日本へやってくる。来日は6月16日、帰国は21日を予定している。GBIニュース(99.6.5)で既報したように、国際交流基金アジアセンター(TEL: 03-3265-1425)が主催する『アジア映画監督シリーズ⑧:ガリン・ヌグロホ特集』(1999年6月17日~20日:港区赤坂2-17-22赤坂ツインタワー1F国際交流フォーラム)へ参加する。

来日を前に、GBI記者は6月9日夕刻、ジャカルタのBlok Mにあるアンバラ・ホテルのコーヒーショップ"Pelangi(虹)"で同氏と会見を行った。以下、インタビューの一部抜粋。

インドネシア映画が現在直面する脅威、チャンス、強さ、弱さについて話していただけますか?

現在の状況は70年代や80年代のように、映画が唯一の娯楽だった時代とは大きく異なります。今では多くの人が家でレーザーディスクやVCDさらにはインターネットなどを通じて、映画以外の娯楽と情報を手に入れています。映画産業の凋落が言われていますが、それは映画に限ったことではなく、ポップ・カルチャーも文学の世界でも同様なことが起きています。映画もかつての映画のようには生きていけない時代を迎えたのです。現在、技術的にも大きな時代の転換期に入っています。世はデジタル時代というのに、インドネシアはかなりの遅れをとっています。映画は映画館だけのものではなく、テレビでもレーザー・ディスクでもVCDの中にあってもいいのです。将来的には、映画はテレビやVCDやレーザー・ディスクとは違った役割を持つことでしょう。いわんや21世紀はデジタル全盛時代となることは確実です。映画も時代にあった転換を図れば生きていくとができるはずです。例えば、芸術や映画はよりパーソナルなものとして、よりパーソナルな表現が求められていくでしょう。テクノロジーがさらにグルーバル化を迎えている現在、映画は個性に溢れ、そして地方色も打ち出した感性の中で展開していくことでしょう。

あなたにとって映画制作の上で基本に置いている姿勢、哲学は?

それはヒューマニズムです。言い換えればヒューマニズムの価値の置き方でしょう。政治を見ても、経済を見ても、社会を見ても、インドネシアでは、さらにはアジア全体的に"バイアス"がかかっているようです。あらゆる分野で、直面する問題を解決できるリーダーの不在が顕著です。経済で言えば、フォークで食べ物を口の中に入れながら、同時に自らの喉を傷つけている状況です。国内では、政治対立、宗教対立が噴出しています。高度な政治の世界に生きる人々がいる一方で、政治に関してまったく盲目の人々も多くいます。その中間がいないのです。経済もそうでしょう。いい物と安物はあっても、その中間の物がない状況です。パラドックスは確かに天候と同じで避けることができないものです。しかし、もう一度私たちはヒューマニズムの原点に立ち返らないといけないと感じています。そういった努力の中で、映画も新たな役割に遭遇し、娯楽として、そして社会派的なものだけではない、新たな役目を見つけることでしょう。これまでインドネシアの映画史上では、映画は常にプロパガンダとして使われてきました。オランダ時代、そして日本軍政時代もそうでした。さらにスカルノ時代、そしてスハルト時代と、いつもプロパガンダの道具となってしまったのです。そして最後はビジネス・プロパガンダとなり、そして死んでしまったのです。

経済危機によってインドネシア映画産業は壊滅状態とも言われていますが?

確かに「危機」は相当なトラウマ(精神的傷痕)を生みました。しかし、僕は「危機」は一方で新たな力、エネルギーを生み出すチャンスも与えたと感じています。中国語で「危機」のことをWeijiと言いますが、「危(Wei)」とは文字通り危ないことを指しますが、「機(ji)」は機会、チャンスを意味します。つまり、アジアの哲学の中においては、クライシスは危険なものであると同時に新たなチャンス、新たなエネルギ―を生み出すきっかけともなるのです。ですから僕はさほど将来に悲観的ではありません。

インドネシア映画産業の"復活"のためには、自らの転換そして変身以外にどのようなことが必要となるのでしょうか?

まず、映画配給の透明性、開放性が大事です。独占的な配給システムを崩す必要があります。次に、映画もトペン(Topeng=仮面)の様に、売り物、非売品、新しい物、といった具合に、新旧が入り交じった状況で存在することが大切だと思います。つまり、クラシック映画も、いつでも上映されているような状況を生み出すことが期待されています。これまでの古いインドネシア映画は、ほとんど死んだ状態です。二度と上映されることがないのです。死に続けているのです。この状態を改善して、古い映画が映画館にかかり、新作も上映されるといった均衡が大切です。三番目には、映画は高いものだとの考え方を捨て去る必要があるでしょう。フィルムやカメラなどは、ものすごく高い関税がかけられています。それは映画は高い物だとの考え方のベースとなっています。フィルムがそしてカメラ機材などが安い値段で入手できるようになることが待ち望まれています。

ところで今後の映画制作の構想は?

11月ごろ、総選挙(Pemilu)をテーマに一本作る予定です。たぶんパロディとしての観点から描くでしょう。スハルトの新秩序の時代にどのように総選挙が行われていたのか、村を単位に皮肉を込めて、そして笑えるような構成にするつもりです。さらには、いつになるかは分かりませんが、プサントレン(イスラム寄宿学校)やセックスをテーマにした映画も作りたいと思っています。これまで、イスラムや性を真正面からテーマにすることは難しい状況でした。タブーだったのです。しかし、例えば、修道女やイスラム服に身を包んだ女性たちもキスしてみたい、と言っているのです。それも宗教生活の一部であると同時に、本当の気持ちだと思います。その辺りをどのように映像で表現できるのか、それは別問題ですけれどもね。僕は社会派監督とラベルを貼られることが多いのですが、実際は瞬間瞬間で変貌しているのです。自分自身が変貌しているのです。ラベルは自分が付けたものではありません。

あなたの映画は映像は美しい、ドラマティックだと言われる一方で、シナリオが弱いとの批判も浴びていますが? シナリオにないカットを多く取り入れてもいますよね?

人はある型にはめ込めようとしたり、"制服"を着せたがりますが、僕は色々な手法でやりたいのです。色々な国の映画手法も試してみたいのです。僕自身、助監督の経験もなく、試行錯誤でやってきたのです。インドネシア文化は劇場文化と言われるでしょう。それと同じで、映画も音声、人、自然そして時代などが集合して一つの作品ができるのです。いわゆる映像の中の劇場文化なのです。僕の映画は確かにモザイクです。でも森羅万象を取り込みたいのです。シナリオについて言えば、それはインドネシア映画界全体の弱点です。勧善懲悪的な内容のシナリオがまだまだ多いのですが、僕は自分の映画の中では極力「敵」の姿は描かないのです。僕らの周りにあるもの全てが「敵」になりうるのです。ですからそれが政府であるとか、為政者であるとかの特定した表現方法はとらないのです。つまりシステムが「敵」なのです。そのことを映画鑑賞者が感じ取ってくれればいいと考えています。例えば『枕の上の葉』のシナリオは僕自身が1996年に書き始めました。経済危機の前のことです。その映画の中で、潰れた「ホテル・アジア」の看板がぶら下がっているシーンがありますが、それはカオス(破局)に向かっていくインドネシアも含めた「アジア」を表現したかったのです。また、子供たちが「A」という文字を学ぶシーンで、「Aku Anak Asia(僕らはアジアの子供)」としゃべりますが、それはアジアの子供が直面している厳しい状況を間接的に表現したわけです。

日本へは今度で8度目とか。日本への期待は?

日本にも自国がアジアの一員だとの認識があることはありますが、そうではない顔をすることもあります。日本はアジアのためのアジアを考えることが期待されています。アジアを市場として捉えるだけではなく、アジアも「文化の部屋」と捉えてもらいたいのです。映画館は「夢の部屋」とも言えます。そこは暗いですから、色々な夢を見ることができます。アジアの映画が生き返ることができるように、その「部屋」作りに日本の協力を期待します。日本人はたくさんアジアへ旅行していますが、一方アジアの物を使っている人は極端に少ないと思えます。これはパラドックスです。日本人は「アメリカ文化」を食べていますが、一方「日本のモノ」をアジアの人々が食べている構図です。

【プロフィール】

Garin Nugroho Riyanto(ガリン・ヌグロホ・リヤント)。1961年6月6日、中部ジャワの古都ジョグジャカルタで、8人兄妹の4男として生まれる。兄妹全員が大学卒。例えば、長兄はITB(バンドン工科大学)でグラフィックを専攻、次兄はITBで陶芸を専攻。1979年に亡くなった父親のスチプト(ジャワ人)は、出版会社USA(Usaha Soetjipto Amin)を経営していた。主にジャワ語の小説本を出版。同時に私設図書館を開放。
『従って小さい頃から読書に親しんでいました。小学校4年生の時に、家にテレビが入りました。その時、父はこれからは書籍ではなくてオーディオ・ビジュアルの時代になると言いました。僕が映像の世界に入っていく原動力となったのは父のその一言です』とガリン氏。
母のマリア(スンダ人。現在65歳)は、バンドンにあった郵政学校を卒業したインドネシアで初めての女性。ジョグジャカルタ市内の郵便局勤務の後、定年時はスマラン市郵便局の副局長。『視察に出かける母に連れられて、あちこちの郵便局を車で廻ったことをよく覚えています』。
身長170cm、体重67kg、血液型AB。イスラム教徒。小学校と中学校はイスラム系私立学校へ。高校はスマラン市にあるカトリック系私立高校。バンドンのIKIP(教育師範大学)を卒業し、商業高校の教師をしていた2歳年下のリアニ・イカス(Riani Ikas:スンダ人)と、IKJ(ジャカルタ芸術学院)の映画学部を卒業した翌年、1986年2月6日結婚。二人の間に二女一男。5歳の末娘の名には日本語も使用。アディンダ・フディア・ハナミチ(Adinda Fudia Hanamichi)。『彼女は、僕が1994年の東京国際映画祭ヤング・シネマ部門でゴールド賞を受賞して帰国後に生まれたので、日本語の"花道"を寸借したのです』。13歳の長女(カミラ)、10歳の長男(ギブラン)の名は、中東の詩人の名からとった。『僕は小さい頃から、詩を読むことが好きでしたから』と。
1992年、UI(国立インドネシア大学)法学部卒業。『1983年にUIへ入ったのは、映画作りのためには、映画の知識だけではなくて、あらゆることに精通していなくてはいけないと感じたからです。そして政治もアートそのものですから』とか。
IKJ在学中の1985年から今日までIKJ講師を務める。当初は映画学を教えていたが、最近はテレビについて講義している。映画制作活動のワークショップとしてSET(Science Esthetic & Technology)を運営する傍ら、新聞・雑誌にメディアと政治に関するエッセイを寄稿。趣味は読書(特に社会学・コミュニケーション関係に興味があり、あらゆる国の詩も愛読)、映画鑑賞、旅行。『日本映画では、「東京物語」や「生きる」が特に好きです』と。

これまでの主要監督作品:
1986年:ドキュメンタリー映画『Tepuk Tangan(拍手)』でデビュー。
1986年FFI(インドネシア映画祭)科学ドキュメンタリー部門最優秀作品賞であるWidya Prizewp受賞。
1986年:ドキュメンタリー映画『Komodo Permata Purba』。1986年FFI観光ドキュメンタリー部門Widaya 賞受賞。
1987年:ドキュメンタリー映画『Catatan Kecil Bumiharjo』。
1987年FFI最優秀ドキュメンタリー映画にノミネート。1989年:ドキュメンタリー映画『Tanah Tantangan』。
1989年FFI最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞。
1989年:ドキュメンタリー映画『Menyuling Masa Depan』。日本のビデオ・映画祭で審査員特別賞受賞。
1991年:『Cinta dalam Sepotong Roti(一切れのパンの愛)』。FFI最優秀作品賞受賞。
1993年:『Surat untuk Bidadari(天使への手紙)』。
1994年東京国際映画祭ヤング・シネマ部門ゴールド賞受賞。
1995年:『Bulan Tertusuk Ilalang(そして月も踊る)』。ナント三大陸国際映画祭審査員特別賞受賞。
1997年:『Daun di Atas Bantal(枕の上の葉)』。
1998年カンヌ国際映画祭正式参加。
1998年アジア・太平洋映画祭(台湾)最優秀映像賞受賞。
1998年東京国際映画祭審査員特別賞受賞。


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再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
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再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
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再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
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再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
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再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
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再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
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再録『GBIニュース』1998.11.13#2 血塗られたSIMPR(国民協議会特別会議)最終日
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再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo
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再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
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再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
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再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
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再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.11.11 会見:政治学者アルビ・サニット Arbi Sanit
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再録『GBIニュース』1998.11.10#3 SIMPR(国民協議会特別会議)
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再録『GBIニュース』1998.11.10#2 SIMPR(国民協議会特別会議)開催
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再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
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再録『GBIニュース』1998.9.29 東経141度 岩手・衣川村の太平洋戦史館
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再録『GBIニュース』1998.9.19 東京Asian City Festival '98
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再録『GBIニュース』1998.9.11日本の農協システムに学ぶDelegasi Mendagri
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再録『GBIニュース』1998.9.10 イ内相がGBIで記者会見 Mendagri di GBI
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再録『GBIニュース』1998.9.8#2 Solidamorが『東ティモールの昔と今』を発刊
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再録『GBIニュース』1998.9.8 “改革”音楽カセット限定販売 Lagu2 Reformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.7 書籍「スハルトからハビビ」限定販売BukuReformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.6#2インドネシア内相がGBIで記者会見予定
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再録『GBIニュース』1998.9.6 WWCR dgn Sri Bintang Pamungkas
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再録『GBIニュース』1998.9.5 大阪のアジア展 Dynamic Asia di Osaka
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再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.9.3#3 WWCR dgn Poppy Darsono
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再録『GBIニュース』1998.9.3#2 Berita GBI 3 Sept. 98 YLKI
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