再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)

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大川誠一の『GBIニュース』  1999年5月31#2 Berita GBI(#2 31 Mei 1999)
ユーフェン・ビアカイ(Yufensius Alfonsius Biakai)氏

インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3) 『アスマット(Asmat)地方随一の知識人ユーフェン氏が語る“真実の人間”』

昔々の大昔のことでした。
創造主フメリピッツ(Fumeripitsy=風の人)は
カヌーを操り天から地上に向かいました

ところが、カヌーは難破
彷徨った末に
サゴ椰子の生い茂る海岸に打ち上げられてしまいました。

そこには幾多もの動物たちが棲んでいました。
意識を失ったフメリピッツは鷲のおかげで我に返りました。
が、彼は孤独でした。

彼は密林を開きイョウ(Yeu=儀礼の家)を建て
次に木々を切り倒し男女の彫像を作り家の中に置きました。
それでも彼はまだ孤独でした。

彼は丸太をくり抜き太鼓を彫りました。
一方の端はトカゲの皮で覆って。
太鼓を打ち鳴らすと人形たちは立ち上がり
リズムに合わせて踊り、歌い始めたのです。
こうしてアスマット(Asmat)人が誕生しました。

後に、フメリピッツは巨大なワニに襲われました。
彼は闘いついに仕留めることに成功。
胴体を切り裂き空に向かって放り投げると
肉片は再び地上に舞い降りて様々な人種が誕生しました。
黒い肌、白い肌
そして褐色の肌の人間が。


----アスマット神話より----

イリアンジャヤ州の南西部。アラフラ(Arafura)海に面し、広大な湿原地帯が横たわる。アスマット(Asmat)地方だ。行政的にはメラウケ(Merauke)県に入る。8郡から成り立つアスマット地方には、総称でアスマット人(Suku Asmat)と呼ばれるおよそ7万人が暮らす。年平均最高気温は摂氏30.65度、平均最低気温は摂氏23.62度。年間降雨量は地域差があるが、約4千~1万ミリ。雨期は12月~5月、乾期は6月~11月。しかし、近年異常気象のため乾期が長い。どこまでが海で、どこまでが陸地かもはっきりしない泥土と湿原のアスマット。

アスマットとは地元語のAsakat(真実の人間)から生まれたとする見方と、Osamat(木から出来た人間)から生まれたとする二つの見解がある。一方、アスマット西方のミミカ(Mimika)地方の人々は、アスマット人をマヌエ(Manue)と呼称していた。マヌエとは『人喰人種』のことだ。地元政府や地元のキリスト教関係団体が作成するパンフレットでは、「アスマットとは、“真実の人間”並びに“我々は木だ”を意味する」と記されている。

アスマットの中心地であるアガッツ(Agats)村、その語源である「良い」がなぜ選ばれたのかと思えるほどの過酷な自然環境にある。そこは、人が立って歩ける地表がない、いわば“地面のない世界”。満潮になると、フラミンゴ湾の海水は、無数に交差する河川の上流百数十キロの奥地まで、マングローブの密林を浸す。干潮になると、沖合数キロまで、ネズミ色した泥土の干潟が出現する。

近代文明が入り込んだ現在でも、お年寄りたちはイョウと呼ばれる長屋に集まり、ウンブ(儀礼・祭事)を生活の原点に据える。かつて首狩りの出陣式が執り行われたイョウ。今では、主食のサゴ椰子澱粉の分配に始まり、砂時計型のティファ(Tifa=太鼓)を打ち鳴らしつつ踊りに興じる徹夜の饗宴、そしてトーテンポール型の祖霊像であるビスポールの製作などの会場として引き継がれている。

アスマット地方は、その精緻な原始美術品(Primitive Arts)で世界的にその名を轟かせている。特に欧米での人気が高く、アメリカ、ドイツ、オランダなどにはアスマット彫刻だけを集めた美術館があるほどだ。1961年、アメリカのロックフェラー財閥の御曹司マイケル・ロックフェラーは、『私をアスマットの虜にする鍵が、アスマットの木彫り彫刻だ』と述べ、原始美術品の収集旅行に出かけた。しかし、マイケルは水死。一時期、外電で『マイケルは喰人種に喰われた』とする誤報まで溢れ、西イリアン(現在のイリアンジャヤ)のイメージは一気に悪化。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館のマイケル・ロックフェラー・ウイングは、命と引き替えに手に入れたアスマット彫刻が、いかに崇高な芸術作品であるかを如実に物語っている。

ビスポールやその他の彫刻物を製作することを専門とする人々は、かつては戦かしらや部族長と並ぶほどの社会的地位を与えられ、また村人から絶大な尊敬を受けた。アスマット彫刻が世界最高のプリミティブ・アートとして欧米人の強い関心を集め始めた20世紀初頭から今日まで、その社会的地位こそ変化したものの、彫刻師たちは現在でも『ウオゥ・イピッツ(創造者)』もしくは『ツエスチュ・イピッツ(器用な人)』と呼ばれて、地域社会の優れた芸術家として尊敬の念を集めている。

アスマット原始美術は、その製作地域や部族の違い、またその形状やモチーフの相違から、四つの地域に大別されている。ビスポールやワニ像で有名なアガッツ村やアツィ村周辺部とカスアリネン海岸一帯。そしてユニークな楕円形戦闘楯が特徴的な北西部のサワエルマ郡一帯。大型の戦闘楯に特色のある、シレッツ川中流から上流にかけての内陸部一帯。それから二つの目を描いた戦闘楯で有名な、中央高地に近いアスウエッツ川やシレッツ川上流部一帯。アスマット原始美術の種類は、ビスポールや屋内用小型ビス、戦闘楯、ウラモン(祖霊カヌー)、サゴ椰子皿、ワニ像、太鼓、パネル彫刻、櫂、槍など多岐に渡っており、近年では住宅用の玄関扉、家具などにもその卓越した彫刻技術が活かされている。

このアスマットで生まれ、現在アガッツ村にあるカトリック宣教団が運営・管理する「アスマット発展文化博物館(Museum Kebudayaan dan Kemajuan Asmat)のキュレーターを務める、愛称ユーフェン、本名ユーフェンシウス・アルフォンシウス・ビアカイ(Yufensius Alfonsius Biakai)さんは、自他共に認めるアスマット人の“インテリ”だ。サワエルマ(Sawa Erma)郡のヤマス(Yamas)村で、1956年11月、9人兄妹の3男として生まれた。

『1991年に二回ほどソワダ司教(アスマット地区のカトリック司教)に誘われてアメリカを訪ねました。通算二ヶ月半ほどの旅でしたが、ワシントンDC、ニューヨーク、ニューオーリンズ、シカゴなどをまわりました。そしてニューヨークのメトロポリタン美術館で、驚きの出会いがありました』とユーフェンさん。なんでも、そこには父親がかつて彫り上げた彫刻が分厚いガラスの向こうに展示されていたという。『少なくとも1-2本は父の作品だった。驚き、そして深い感動を覚えました』

ユーフェンの父親はいわゆる村人の尊敬を集める彫刻師『ウオゥ・イピッツ(創造者)』だったのである。カトリック教がヤマス村にやってきたのは、ユフェンさんが生まれる3年前、1953年のことだった。『それで、小学校以来、大学を卒業するまで、ずっとカトリック教会の環境の中で育ったのです』と。

1973年、アガッツ村の中学校を卒業すると、教会の援助で、セスナ機で2時間の距離にある州都ジャヤプラのSPG(教員養成学校)へ入学することができた。SPG時代に恋に落ちた女性は、彼と同じくヤマス村出身。現在の奥さんだ。『息子は四人、娘は三人も授かった(笑い)』と、子供は2名までと推奨するインドネシア政府主導のKB(家族計画)は完全に無視の立場。

1978-1981年、成績優秀なユーフェンは、教会の奨学金を利用してさらに上の学校へと進む。ジャヤプラの近く、アベプラ町にあるSTTK(Sekolah Tinggi Teologi Katolik=カトリック神学高等学校:大学レベルに相当)の生徒となる。そして卒業と同時に、ソワダ司教の薦めでアスマット発展文化博物館のキュレーターとして、アスマット原始美術の収集と研究をスタートさせた。

『1986年、半年間ドイツとオランダで学芸員としての研修を受ける機会を得ました。向こうではアスマットから来たということで大歓迎されました。それほどまでにヨーロッパにはアスマット彫刻のファンが多いのです。一方どうでしょう、ここアスマットでは? 近代化が進むにつれて、彫刻を彫ることよりも、ラワン材用の丸太を伐採し、高額で売れるガハルと呼ばれる香木を採ってきて、それらを売って現金を持っている人が羨ましく思われる社会となってしまいました。アスマット人自身がアスマット文化を誇りに思わなくてどうするのですか?』

木から生まれたと信じているアスマットの人々。よって死ぬと「木に帰る」ために彫刻作りが行われた。樹木に故人の姿を彫り込むのだ。ビスと呼ばれるトーテンポール状の6-7メートルもある祖霊像は、かつてどの村でも見られた。また、日常使用するサゴ椰子澱粉をこねる木製の大皿には、身内の故人の姿を彫り込んだ。いつまでも家族と暮らすという発想からだ。さらに、戦闘用の楯には、きまって勇士だった身内の姿を彫り込み、故人の霊能力を授かろうとした。しかし、1970年代に始まった、伐採を中心とする“開発”は、容赦なくこのアスマットの人々の生活を変貌させている。

未来を語るユーフェンさんの瞳は時に靄(もや)がかかり、時にギラギラと輝く。原始生活から“脱却”させてあげなくては、との政府の意気込みは、現金・商品経済の浸透と共に、それなりにアスマット人の心を捉えて離さない。しかしユーフェンさんは言う。『僕らにはイロリがある。昔から何でもイロリの周りに集まれば解決できない問題はなかった。先祖はずっとそうしてきた。僕らもそうすればいい』「真実の人間」社会で、“賢人”として指導者の才覚を思う存分発揮し、一方海外ではアスマット文化について流暢な英語で解説するユーフェンさん。『Dormom(アスマット語で愛を意味)』と言う言葉が一番好きだという、この“アスマットの星”にアスマットの明日について語ってもらった。

アスマット人にとって一番大切な哲学は?

それはバランスでしょう。人と人、そして人と自然、それから人と祖先。それらの調和のとれたバランスが大事です。人と人とのバランスで言えば、昔は敵対する村を襲った場合、殺した相手の名前を自分の子供や、いとこや知人に付けたものです。相手の霊魂を引き継いでやる、相手の力をもらうという意味からですが、こういった考え方はアスマットの外の世界ではないでしょう。人と自然ということで語れば、今はこのバランスが非常に危機に瀕しています。その昔、村人は禁じられた森や川へ入ることはありませんでした。そこは守らなければならない場所だったのです。しかし、どうでしょう。今では誰も彼もが自由に入っていき、木を倒し、魚を追っています。

開発は避けては通れない情勢と見えますが、伝統社会の維持と開発とのジレンマのようなものはどのように考えていますか?

例えば、ある種の樹木は切ってはいけないとか、ある種のもは使用しても構わないとか、森の木々について言えば、節度のある対応が必要でしょう。このアガッツ村にも、捨てられたペットボトルがあちこちに捨てられていますが、それらの多くはアスマットの外から住み着いた人々が捨てたものです。アスマット人なら、飲んだら、空き瓶を家へ持ち帰って、容器として大切に使います。私はアスマットの将来に対して楽観主義者です。外から来た人々は、地理的弱点を強調しますが、それは的を得た判断ではありません。ここアスマットには、村人が必要とする全てが森の中、海に、川に揃っているのです。すべて自然が提供してくれるのです。確かに、野菜が少ないとかこぼす外来人もいますが、そんなものは必要なら外から持ってくればいい。でもね、ここにはまるで湧いてくるかのような豊富な魚がいるんです。

開発と近代化によって、やがていつの日か、アスマットからあの見事な彫刻が消えてしまうとの懸念も聞こえますが?

たとえ50年後でも、アスマット人はアスマット人として生きていることでしょう。芸術生活は変わることはありません。オランダのライデンにある博物館にアスマット彫刻が展示されていますが、それは20世紀初頭の物です。でも、それとまったく同じ物を今ここアスマットでは作ることが可能なのです。もちろん彫刻の才能は遺伝的に誰もが受け継ぐことの出来る能力ではありません。しかし、芸術心はいつまでたっても消えません。だって、我々は木なんですから。やがて木に還るのですから。誰かが木に彫り込まなければならないのです。

21世紀、アスマット社会はどのように“発展”させていくべきでしょうか?

1989年ここアガッツ村に高校(SMU)がオープンして以来、それ以前のように進学のために、遠くメラウケ市や州都のジャヤプラまで子供を手放さなくてはいけなかった事情が一変しました。親たちは自分の息子や娘を、地元の高校へ入れることによって、10代の多感な時期をアスマット文化の中で過ごさせることができるようになったのです。この意義はとても大きい。私たちの先祖は、マラリア蚊がぶんぶん飛び回り、大洪水で住居が浸水するような過酷な環境の中で、営々と生き続けてきたのです。こういった厳しい自然こそが、我々アスマット人が何事にたいしても一生懸命立ち向かうことを可能にしてくれたんです。かといって、アスマット人が外の世界に行き、“道具”として使われ、珍しい文化の“対象”となることには反対します。とはいえ、伝統文化を守る一方で、アスマットの子供たちが高い教育を受けることも大切です。

ところで、あなたにとってインドネシア共和国とは一体何なのでしょう?

インドネシアは多様な民族、多様な宗教、多様な文化から成り立っています。しかし、目をアスマットに移すと、ここも実に多様な部族と伝統、そして文化から成り立っていることに気付きます。アスマットには、問題を解決するための独特な民主主義システム、つまり長老たちの寄り合い的な会議も残っています。ひとたび集会場のイョウのイロリの周りに集まれば、全ては平和的に解決します。そこでは誰もが自由に発言し、誰もが他人の意見を尊重しなければないのです。ジャカルタでかつてスカルノ初代大統領時代に、「指導された民主主義」というものがありましたが、ここアスマットでは何世紀も前からそれがあったのです。だから未来のアスマットを描く時、我々若い世代もイロリの周りに集まればいいのです。

アスマット文化の観光化についてどのように思われますか? 例えばバリ島のように、将来は外国人観光客などに大勢来て欲しいと願いますか?

ネガティブな影響の方がポジティブ面よりも大きいとは思います。しかし、時代はドラスティックに変化しています。その中でアスマット人の価値観や生き様が無視されていくとするのならば、それは問題です。教育が伴わない発展、それは操り人形です。独りで自惚れているようではダメです。でも、僕は信じています。アスマット人ならば、どんな問題でも克服できることを。

日本、日本人についてどうお考えでしょうか?

なんだか、日本人というのは本当の自分を持っているような気がします。僕はアスマットの大衆によく言っているのですが、それは日本人とその歴史のことです。その昔、ヨーロッパ列強がアジアはダメだと思っていたところ、日本はロシアを戦争で敗り、さらに第二次世界大戦ではアメリカに挑み、パールハーバーを襲い、でもヒロシマ、ナガサキの原爆で復讐されました。ところが戦後、日本は自らの努力で、アジアばかりか世界の経済大国になりました。ヨーロッパと太刀打ちできる唯一のアジアの国でしょう。そればかりかいつの日か、アメリカだって追い越すかもしれません。日本人は努力を惜しまない国民で、努力する人を尊敬すると聞きます。我々アスマット人も人間です、アジアの人間です。アメリカ人やヨーロッパ人と同じ人間なんです。我々だって努力すれば彼らと同じようになれるはずです。そのためにも、教育の機会が大事です。孤立していてはいけません。


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アスマット彫刻

【備考】2011年12月現在、ユーフェン氏はパプア州アスマット県(Kabupaten Asmat)の県知事を務めている。

Copyright 1998-2011 Graha Budaya Indonesia (GBI)
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【参考動画】


パプア州のアスマットへ Ke Asmat, Papua, Indonesia (1)~(7)
http://www.youtube.com/watch?v=w6k09Tozsf4
http://www.youtube.com/watch?v=-8fkoFVSU18
http://www.youtube.com/watch?v=PYk3-HQeZtI
http://www.youtube.com/watch?v=lUO97Ak0ixg
http://www.youtube.com/watch?v=DmYPxCZDMYY
http://www.youtube.com/watch?v=hIqSMUs5gUw
http://www.youtube.com/watch?v=-l5EhHYdQwY0>

【参考ブログ】

パプアで今何が起きているのか? “独立”50周年とされる2011年12月1日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_1.html

再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(2)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html

再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_28.html

再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_20.html

再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_24.html

再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_19.html

再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_18.html

再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_17.html

再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_16.html

再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_15.html

再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_14.html

再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_13.html

再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_12.html

再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_11.html

再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_10.html

再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_9.html

再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html

再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_7.html

再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_6.html

再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html

再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html

再録『GBIニュース』1999.1.15  【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html

再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html

再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html

再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html

再録『GBIニュース』1998.12.15  【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html

再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html

再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html

再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_21.html
再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_19.html
再録『GBIニュース』1998.12.10 【グラフ】 東ティモール展(TTF'98)が開催される
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_18.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9#2 【会見】ANTARA通信社社長パルニ氏 
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_17.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9 YLBHIで ハンストを続ける農民
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_16.html
再録『GBIニュース』1998.12.8 【インタビュー】 インドネシア“ヤクザ”社会の元ボス
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_15.html
再録『GBIニュース』1998.12.7 【最新インドネシア・ポルノ映画事情】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_13.html
再録『GBIニュース』1998.12.6 【グラフ】 ♪ジングルデモ・ジングルデモ・靴が減る♪
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_12.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#3 【人】 映画・テレビドラマ制作プロデュ―サーのケマラ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_11.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#2 【テレビドラマ・映画事情】 
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_10.html
再録『GBIニュース』1998.12.5 ジャカルタの映画制作会社が日本人の女優候補を公募
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_9.html
再録『GBIニュース』1998.12.4 【メディア】BUMN(国営企業)の民営化に備えて創刊
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_8.html
再録『GBIニュース』1998.12.3 【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_7.html
再録『GBIニュース』1998.12.2#2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く『木炭画のバリ島』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_6.html
再録『GBIニュース』1998.12.2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く動物ファンタジー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_5.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#3  【詩の夜】 詩人レンドラが最新作を発表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_4.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#2 【書籍】 『Free East Timor』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_3.html
再録『GBIニュース』1998.12.1 【ビジネスパートナー求む】“黒檀の位牌はいかが?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.30#2【インドネシアの民主化と東ティモール問題国際セミナー】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_1.html
再録『GBIニュース』1998.11.30  【インタビュー】 オーケストラ指揮者アディ・MS氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_30.html
再録『GBIニュース』1998.11.29#2 【人】ジャカルタのキャリア・ウーマンたち
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_29.html
再録『GBIニュース』1998.11.29 【人】 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター・稲見和己
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_28.html
再録『GBIニュース』1998.11.28 【グラフ】 GBIジャカルタ事務所スタッフ紹介
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_27.html
再録『GBIニュース』1998.11.27 大統領府開発監査官ラオデ・カマルディン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_26.html
再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_25.html
再録『GBIニュース』1998.11.25#2 Poli-T-Shirt(政治Tシャツ)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_24.html
再録『GBIニュース』1998.11.25 『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_23.html
再録『GBIニュース』1998.11.24  会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_22.html
再録『GBIニュース』1998.11.23 国際セミナー『インドネシアの民主化と東ティモール問題』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_21.html
再録『GBIニュース』1998.11.22 アジス&ドゥイの結婚式
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再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏
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再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
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再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
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再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
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再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
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再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
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再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
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再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
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再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
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再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
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再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
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再録『GBIニュース』1998.11.13#2 血塗られたSIMPR(国民協議会特別会議)最終日
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再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo
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再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
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再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
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再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
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再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.11.11 会見:政治学者アルビ・サニット Arbi Sanit
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再録『GBIニュース』1998.11.10#3 SIMPR(国民協議会特別会議)
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再録『GBIニュース』1998.11.10#2 SIMPR(国民協議会特別会議)開催
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再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
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再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
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再録『GBIニュース』1998.9.29 東経141度 岩手・衣川村の太平洋戦史館
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再録『GBIニュース』1998.9.19 東京Asian City Festival '98
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再録『GBIニュース』1998.9.11日本の農協システムに学ぶDelegasi Mendagri
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再録『GBIニュース』1998.9.10 イ内相がGBIで記者会見 Mendagri di GBI
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再録『GBIニュース』1998.9.8#2 Solidamorが『東ティモールの昔と今』を発刊
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再録『GBIニュース』1998.9.8 “改革”音楽カセット限定販売 Lagu2 Reformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.7 書籍「スハルトからハビビ」限定販売BukuReformasi
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