再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
大川誠一の『GBIニュース』 1999年6月2 Berita GBI(2 Juni 1999)

インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5) 『ジャヤウイジャヤ元県知事J.B.ウエナス氏が語る21世紀のイリアンジャヤ中央高地
1998年2月25日付け『チェンドラワシ・ポス(略称チェポス)』紙。そのイリアンジャヤ州最大の日刊紙に「彼はとっても素晴らしい人物だった。我々は彼のような県知事を求める」と題する記事が掲載された。彼とは、二期十年間、中央高地のジャヤウイジャヤ県知事を務めたJos Buce Wenas氏のことだ。
「県庁を後にするウエナス知事に、涙声でさよならと叫びながらウエナス知事に抱きつく大人たちは、まるで子供のようであった」と、現場からチェポス記者がリポートした。ジャヤウイジャヤ県が生まれ、ワメナに県庁が置かれたのは1965年のこと。当時、正確にはイリアンジャヤは未だインドネシアに帰属していなかった。あくまでも行政権が委譲されていたに過ぎない。その初代県知事から数えて6代目、それがJ.Bウエナス知事だった。
1989年に赴任、1998年1月末北スラウエシ州の副知事に就任するまでの10年間、ウエナス氏は“Bapak Bupati(県知事さん)”として、イリアンジャヤ州最多人口のジャヤウイジャヤ県の県都、標高1,550メートルのワメナで過ごした。
客観的に見ても、過去十年、イリアンジャヤ州でウエナス知事ほど地元住民に惜しまれて赴任地を去った知事は他県を含めていない。それは軍人でありながら、比較的小柄で、その上ロープロファイルな姿勢、そしてどんな状況の下でも部族民らと、直に膝を交えて接した、そのオープンな性格が親しまれた結果だ。また、彼が奥方共々、地元住民同様に敬虔なクリスチャンであることに加え、ニョニャ(奥さん)がモデルと見まごうばかりの美人であり、そのくせ、部族の村を訪問した際に、夫婦共に地面に直接腰を下ろし、村人たちから差し出されれる焼き芋を、ニコニコ顔で食べる、その気さくで親しみのもてるパフォーマンスが、さらに彼の人気を高めたようだ。
ウエナス知事の功績として、地元の人々が必ず取り上げる話題は、ウエナス氏が1995年に県条例第14号で定めた「県の紋章」に挿入された一文だ。ウエナス知事は、あえてインドネシア語を避け、地元の言葉で「Yogotak Hubuluk Motok Hanorogo(明日は今日よりも良くなくてはならない)」と書き込むことを主張し、その通りになった。
次いでピラモ(Pilamo)博物館を建設し、ジャヤウイジャヤ県に暮らす幾つもの部族民のあらゆる伝統・文化の品々を収蔵させたことも、高い評価の一因となっている。また、シリモ・ペムダ(Silimo Pemuda)と呼ばれる職業訓練所を開設し、陶芸、羊毛織物、革靴、籐製品、木彫り彫刻等々の、これまで中央高地にはなかった新しい文化と技術の伝授の場を、若者たちに提供したことも、アイデアマンとしてのウエナス知事の名をインドネシア全土に知らしめた。


『この中央高地の人々は昔から容器というものを持っていなかった。強いて言えば、竹筒だけは容器と呼べないこともないけどもね。でも、今ではイモだけではなくて、ここワメナでは水稲、陸稲の収穫もある。村人はコーヒーを飲むし、インスタント麺も食べる。それにはどうしても食器が必要となる。しかし、陸の孤島であるジャヤウイジャヤ県では、そういった容器類はすべて飛行機で州都のジャヤプラから持ってこなくてはならない。当然高くつく。でもね、ある日、バリエム川の上流で良質の粘土がとれることを聞いたんだ。それで、陶器作りを思い立った。やがて将来、ジャヤウイジャヤ県民が使う食器や入れ物は、すべてワメナ製ということになるでしょう』と、ウエナス氏。
シリモ・ペムダで生まれた、灰皿や人形などの小物は、今ではジャヤプラのハマディ市場に並ぶようになってきている。『ワメナ盆地は牧畜に適した自然環境だ。そこで、牛革を使って革靴の製造にも挑戦している。ご承知のように、ジャヤウイジャヤの人々は、もともと靴を履いていなかったけれども、今では、子供たちは皆靴を履くようになっている。これも外部から飛行機で持ってくるのではなくて、この地で自給自足できればどんなに素晴らしいことでしょう。さらにここ中央高地の気温は冷えるでしょう。だから、羊毛を使って、セーターやシャツといった編み物も始めてみたんだ。他に依存しないで自立する。それが未来のジャヤウイジャヤ県民にとって重要だと考えるのです』
シリモ・ペムダで、羊毛セーターや木彫り人形、ワメナ・バティックが作られている『インドネシア全土の中で、ここジャヤウイジャヤ県が最も秘境と言われているでしょう。確かにコテカ(ペニスケース)を着けた全裸に近い住民も、まだまだ奥地に多く暮らしていますからね。でもね、私はこの高地人の勤勉さに敬服しているのです。彼らは実に努力家です。勤勉です。いずれの日か、ジャヤウイジャヤ生まれの子供たちが、ジャヤプラへ、そしてスラウエシ、さらにはジャワへと出かけることもあるでしょう。
そんな時に、「ああ、あのコテカのワメナ出身かい?」と言われて馬鹿にされるかもしれない。そこで私は、ここの子供たちが、将来都会の子供たちに引け目を感じないようにも、色々と工夫しているんだ。例えば、この県知事公邸前の道路は、毎週金曜日には車の出入りを禁止して、子供たちがスケートボードで自由に遊べるようにしたんだ。スケードボードは僕の個人的なお金で買ったんだ。もしもワメナの子供が上手にスケードボードに乗れると知ったら、きっと驚くと思うよ、例えばジャカルタの子供は。ははは』

筆者は1996年122月16日、知事公邸で、ウエナス知事と会見する機会をもった。アイヌの音楽集団「モシリ」と共にワメナを訪れ、アイヌ民族が持つ口琴楽器であるムックリと、ダニ&ラニ族が持つ口琴楽器ピコンとの共演会を開催したのだ。ムックリとピコンは、うりふたつの構造。「モシリ」メンバーのムックリ演奏に地元住民はうっとり。『モシリの音楽と舞踊に接して、大いに刺激を受けました。ここワメナでもいつの日か、モシリのような質の高い民族音楽集団が生まれることを願って止みません』とウエナス知事。
まず、8年間のジャヤウイジャヤ県知事としての体験から、ここジャヤウイジャヤの県民の特徴についてお話下さい。
私は、イリアンジャヤ州の住民を大きく三つのグループに分けて考えることを常にしています。まず、海岸部に暮らしている住民。そして海岸内陸部、さらに山岳部です。ここジャヤウイジャヤは当然、最後の山岳部地域に属します。海岸部や海岸内陸部の人々は、実に豊かな自然に恵まれています。手を伸ばせば魚がいて、そして果物、動物がいます。のんびり暮らせて、強いて言えば、明日のことなど考えなくともやっていけます。しかしながら、山岳部の住民は違います。彼らは、伝統的農民として何代にも渡って暮らしています。急峻な山肌にへばりついたような農地は、いつもいつも手入れしなければなりません。開墾も重労働です。かつては部族戦争で、いつ敵に襲われるか分からない常に緊張した状況の下で、畑を守り続けたのです。気温差の激しい厳しい気候も、高地人がのんびりとする暇を与えませんでした。そこで、彼らは生きることに対してある種のしっかりとした思想を持っています。生きるために、厳しい自然とそして敵対部族と対峙しながら、常に闘ってきたのです。ですから、高地人は勤勉で、努力家で、一生懸命働くことを当然と考えています。そこが海岸部や海岸内陸部の人々とは決定的に異なっています。確かに、教育のチャンスや近代文明へのアクセス面では、他地域よりも劣っています。しかし、その孤立し閉塞した状況も、逆に住民のパワーの源となっていると考えれば、決してマイナス面とも言えないでしょう。
ジャヤウイジャヤを称して、「石器時代」と「宇宙時代」が共存していると言われます。パラボラアンテナを通じて世界のテレビ放送が見られ、またカード式電話で国際電話も直接かけることができるようになりました。一方、ちょっと町を離れると、そこには「石器時代」さながらの生活様式が残っています。この文化差違によって起こる問題をどのように解決していくべきだとお考えですか?
それはそんなに難しいことではありません。ジャヤウイジャヤの住民は非常にオープンな性格、気質を持っています。自分にとって良いものなのか悪いものなのかを、直ぐさま選択できる能力を持っています。そしてその性格・気質があってこそ、私が打ち出す政策が、次々と受け入れられ、うまくいっている背景となっているのです。例えば、ここにはかつて豆腐なんてありませんでしたが、栄養が高いと分かると、地元出身者が豆腐製造業を始めました。また、これまでコーヒー文化もありませんでしたが、この中央高地の気候がコーヒー作りに適していると分かると、多くの村人がそれに着手しました。今では、彼らもモーニング・コーヒーを飲んでいますよ。私が地元の子供たちに無料で貸しだしている20個のスケードボードだって、数日の練習で上手に乗りこなしています。また、県政府が所有しているシンセサイザーやギターを始め、音響機器一式も、音楽に挑戦しようとする若者に無料で貸し出しています。今では四つのグループが誕生しています。ここ中央高地の人々は見かけとは違って、実に進取の精神に富んでいるのです。姿格好から原始的と見るのか、それとも彼らの心の中に潜むポジティブな姿勢を見いだすのか、その違いによって政策の結果は大きく違ってきます。
あなたは、歴代の県知事の中でも特筆されるほどの人気を誇っていますが、どうしてなのでしょう?イリアンジャヤの他県、さらにはインドネシアの他地域の県知事と比べても、その人気度は抜群ですが?
私は国軍の出身です。本来国軍というものは国民、民衆のものなのです。国軍兵士は国民、住民に対して常に礼儀正しくなくてはいけません。国民のために国軍があるんだという、国軍の本来の精神に則って国民と接すれば、国民と心は一体になれます。簡単なことです。私は住民が何を望んでいるのか、いつも住民の声に耳を傾けるようにしています。だって、彼らの望みが理解できなくて、政策なんて打ち出せますか? 例えば、ここの部族社会を例にあげてみましょう。部族長らは、決して権威的ではありません。村人たちの希望を忠実に遂行しているに過ぎません。私も彼らのその姿に学んでいます。そればかりか、私よりも年長の部族長らは、私のことを「子供よ!」と呼んで、色々と教えてくれます。
【データ】
ジャヤウジジャヤ県に初めてキリスト宣教団系の小学校ができたのは1959年のこと。アングルック(Anggruk)村にオープンした。初めての中学校は1971年、やはりミッション系でワメナにできた。初めての公立高等学校は、1979年ワメナで開校。そして短大に相当するキリスト教アカデミーは、1990年ワメナに誕生。その10年前の1980年、ワメナでテレビ放送の受信がスタートした。1997年の統計によれば、同県には6幼稚園(427名)、230公立小学校(生徒数約29,500名)、81私立小学校(11,500名)、20公立中学校(4,100名)、8私立中学校(1,600名)、4公立高等学校(894名)、5私立高等学校(1,400名)がある。また、州都ジャヤプラとワメナとを結ぶ「トランス・イリアン」道路(636km)は、1996年時点で583kmが完成、2000年には貫通する予定だ。
【プロフィール】
Jos Buce Wenas。1945年5月22日、北スラウエシ州トモホン(Tomohon)生まれ。身長165cm、体重75kg。1968年AMN(国軍アカデミー)卒業。同期に、現国防相兼国軍司令官のウィラント陸軍大将がいる。陸軍大佐。カトリック教徒。妻Jeane Maria Monigaとの間に2女1男。


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【参考動画】
パプア州中央高地ワメナ盆地の彫刻家ハルク氏(1) Haluk, Pemahat Papau Indonesia
http://youtu.be/DK0HzH8RrQs
http://youtu.be/omBtidpT30s
http://youtu.be/T-MF4FKDfVs
http://youtu.be/xTIjPq9C6Bc
パプアTVの番組に見る西部ニューギニア・ワメナの編み袋
http://youtu.be/hlkLPwBrROY
【参考ブログ】
12月4日(日) 映画「大本営最後の指令~遺された戦時機密資料が語るもの」
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_4.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
パプアで今何が起きているのか? “独立”50周年とされる2011年12月1日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_1.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_28.html
再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_20.html
再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_24.html
再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_19.html
再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_18.html
再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_17.html
再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_16.html
再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_15.html
再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_14.html
再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_13.html
再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_12.html
再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_11.html
再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_10.html
再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_9.html
再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html
再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_7.html
再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_6.html
再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html
再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html
再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html
再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html
再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html
再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_21.html
再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_19.html
再録『GBIニュース』1998.12.10 【グラフ】 東ティモール展(TTF'98)が開催される
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_18.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9#2 【会見】ANTARA通信社社長パルニ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_17.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9 YLBHIで ハンストを続ける農民
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_16.html
再録『GBIニュース』1998.12.8 【インタビュー】 インドネシア“ヤクザ”社会の元ボス
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_15.html
再録『GBIニュース』1998.12.7 【最新インドネシア・ポルノ映画事情】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_13.html
再録『GBIニュース』1998.12.6 【グラフ】 ♪ジングルデモ・ジングルデモ・靴が減る♪
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_12.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#3 【人】 映画・テレビドラマ制作プロデュ―サーのケマラ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_11.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#2 【テレビドラマ・映画事情】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_10.html
再録『GBIニュース』1998.12.5 ジャカルタの映画制作会社が日本人の女優候補を公募
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_9.html
再録『GBIニュース』1998.12.4 【メディア】BUMN(国営企業)の民営化に備えて創刊
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再録『GBIニュース』1998.12.3 【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん
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再録『GBIニュース』1998.12.2#2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く『木炭画のバリ島』
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再録『GBIニュース』1998.12.2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く動物ファンタジー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_5.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#3 【詩の夜】 詩人レンドラが最新作を発表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_4.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#2 【書籍】 『Free East Timor』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_3.html
再録『GBIニュース』1998.12.1 【ビジネスパートナー求む】“黒檀の位牌はいかが?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.30#2【インドネシアの民主化と東ティモール問題国際セミナー】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_1.html
再録『GBIニュース』1998.11.30 【インタビュー】 オーケストラ指揮者アディ・MS氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_30.html
再録『GBIニュース』1998.11.29#2 【人】ジャカルタのキャリア・ウーマンたち
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_29.html
再録『GBIニュース』1998.11.29 【人】 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター・稲見和己
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_28.html
再録『GBIニュース』1998.11.28 【グラフ】 GBIジャカルタ事務所スタッフ紹介
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_27.html
再録『GBIニュース』1998.11.27 大統領府開発監査官ラオデ・カマルディン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_26.html
再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_25.html
再録『GBIニュース』1998.11.25#2 Poli-T-Shirt(政治Tシャツ)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_24.html
再録『GBIニュース』1998.11.25 『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_23.html
再録『GBIニュース』1998.11.24 会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_22.html
再録『GBIニュース』1998.11.23 国際セミナー『インドネシアの民主化と東ティモール問題』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_21.html
再録『GBIニュース』1998.11.22 アジス&ドゥイの結婚式
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_20.html
再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_19.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_18.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_17.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_16.html
再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_15.html
再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_14.html
再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_12.html
再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_11.html
再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_10.html
再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_9.html
再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_8.html
再録『GBIニュース』1998.11.13#2 血塗られたSIMPR(国民協議会特別会議)最終日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_7.html
再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_6.html
再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_5.html
再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_4.html
再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_3.html
再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.11 会見:政治学者アルビ・サニット Arbi Sanit
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再録『GBIニュース』1998.11.10#3 SIMPR(国民協議会特別会議)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_30.html
再録『GBIニュース』1998.11.10#2 SIMPR(国民協議会特別会議)開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_29.html
再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_28.html
再録『GBIニュース』1998.10.5 東ティモール住民が対日戦時賠償要求 Tim2
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_27.html
再録『GBIニュース』1998.9.29 東経141度 岩手・衣川村の太平洋戦史館
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_26.html
再録『GBIニュース』1998.9.19 東京Asian City Festival '98
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_25.html
再録『GBIニュース』1998.9.11日本の農協システムに学ぶDelegasi Mendagri
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_24.html
再録『GBIニュース』1998.9.10 イ内相がGBIで記者会見 Mendagri di GBI
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再録『GBIニュース』1998.9.8#2 Solidamorが『東ティモールの昔と今』を発刊
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再録『GBIニュース』1998.9.8 “改革”音楽カセット限定販売 Lagu2 Reformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.7 書籍「スハルトからハビビ」限定販売BukuReformasi
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再録『GBIニュース』1998.9.6#2インドネシア内相がGBIで記者会見予定
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