再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
大川誠一の『GBIニュース』 1999年6月24 Berita GBI(24 Juni 1999)

【インタビュー】 アリ・アラタス外相
『東ティモールでの自由、公正、平和的な住民投票に最大限の努力をはらう』
『日本の国連安保理常任理事国入りを支持する。が、しかし.....』
コフィ・アナン国連事務総長が東ティモールにおける住民投票の実施日(当初来る8月8日を予定)について、突然二週間の延期を表明したことを受けて、インドネシアのアリ・アラタス外相は、6月23日、怒りの表情で不満をあらわにした。『大変驚いている。アナン事務総長サイドからは何ら事前連絡がなかった。国連側が同地域の(インドネシア側治安当局に遠因する----筆者注)治安状況を理由に延期するというのならばアンフェアーだ。国連側のロジスティックな問題で遅れるとするならば、正直に明らかにすべきだ』----アラタス外相は、ハビビ大統領との会談を終えた直後、記者団にそう語った。『確かにインドネシア・ポルトガルそして国連の三者会談の合意事項としては、事務総長が日程について決める権限を持っているが、しかし、関係国に対して何ら事前の通知をすることなく、突然アナン事務総長が記者らに発表するというのは、少なくとも東洋の考え方では理解に苦しむ』----スレイマン・アブドゥルマナン外務省広報課長は、筆者との電話インタビューに対してそう強調する。
アナン国連事務総長の延期表明の前日(6月22日)、筆者はアリ・アラタス外相と、およそ90分間の単独インタビューを行う機会を得た。インドネシア外務省本館2階。イリアンジャヤ州のスマット地方で彫られた、2本の立派なビス・ポール(祖霊像)が1階から2階への吹き抜け部分に設置してある。そのビス・ポールの頭頂部の目前に外相執務室がある。
同氏とは、外相として来日するたびに記者会見などで会っているが、かつて大阪でAPEC会議が開かれた際、筆者は同氏を相当立腹させる質問を投げかけ、周辺にいたインドネシア人記者たちが『あんなに怒った外相を見たことがない』と言わしめた。日本からの対イ経済援助に関係する質問で、日本の某大学教授のコメントを引用して、その教授の考え方に賛同できるかどうか尋ねたのだった。『誰だ?そんな意見を言うヤツは?どこの教授だ?』とアラタス外相。『取材源秘匿で申し上げられません』と筆者。『ならば、そいつに言っておいてくれ!インドネシアにもプライドがあると』とアラタス外相。
実は、今回の訪イでJALを利用したが、ジャカルタ行きの飛行機の中で、偶然アラタス外相と奥方と出会った。日本の経済新聞社が主催した国際シンポジウムに参加しての帰路だった。『こんどジャカルタでじっくり話しましょう』----アラタス氏からの"寛大な"お誘いだった。
外相歴12年目の大ベテラン。半世紀近くの外交官生活の中で、幾多の国際会議を通じて評価の高い「インドネシア外交」を築き上げてきた。非同盟諸国会議、国連総会、カンボジア和平交渉、ASEAN, ESCAP, APEC等々、アラタス外相の足跡は、そのまま近代インドネシア外交史そのものだ。最近では度重なる、東ティモール問題をめぐるポルトガル及び仲介役の国連との交渉作業。「インドネシア外交の最大のトゲ」であった東ティモール問題も、三者の合意に基づき、8月には住民投票が実施される見込みだ。以下、同氏との会見抜粋。
あなたは根っからの外交官ですが、聞けば子供のころの夢は将来弁護士になることだったとか?
と言うか、外交官が先で、ADLN(外交アカデミー)在学中、国際法もマスターしないといけないなと感じてUI(インドネシア大学)の法学部へ入学したのです。特に両親からの薦めがあったわけではなく、自分の意志で外交官の道を選んだのです。
あなたは故アダム・マリク元外相兼元副大統領の記録を塗り替え、外相としてはインドネシア史で最長ですね?
アダム・マリクさんがおよそ11年間。私が12年目。本当に私の人生は外国との関係の中にあった。
外務省に入る前に、マスコミ界でも経験もありますが、それらは外相職に大いに役立っていますか?
通信社のPIAで3年間、経済・財政担当のエディターを体験しましたが、それに加え、外務省で広報課長やスポークスマンを経験したことが、非常に役立っています。特に記者のみなさんとの交流に関しては、その頃学んだことが活きています。
45年間の外交官生活の中で、特に嬉しかったこと、特に悲しかったことなどは?
喜びに感じたことの方が圧倒的に多いね。例えば、カンボジア和平交渉に奔走したこと。そしてフィリピン南部のミンダナオ島の回教徒反政府運動についてフィリピン政府との仲介役を務めたことなど。さらに国交を凍結していた中華人民共和国との国交正常化、あれも印象的な出来事だったな。非同盟諸国会議も意義のある活動舞台だった。
中国との国交回復についてですが、あれは外務省主導で進めたもの、それともスハルト前大統領がイニシアティブを取った?
あれは、確か私が外相になって1-2年目のころ、ジャカルタでESCAPの会議があって、その参加者の中に中国の副外相がいたのです。そこで、事前にスハルト前大統領に対して「どうでしょう、中国側の姿勢についてチェックしてみては?」と提案してみたのです。というのもその数日前にスハルト前大統領自身が「中国に対して門戸を開くについて、注意深く検討を始めてもいいのでは」とステートメントを発表していたのです。しかしながら、そういった発言が生まれるように外務省が何か特別に大統領に対してインプットしたわけではありません。あくまでも大統領サイドから発案されたのです。で、実際に中国副外相がやってきた時、私が面会し、その日のうちに、基本的合意すなわち遠くない将来国交を正常化することで意見が一致したのです。そして1990年に正常化が達成されたのです。さらに付け加えれば、ソ連との関係についても、1989年のスハルト大統領訪問を通じて関係が改善したことは記憶に鮮やかです。
で、悲しかった経験とは?
悲しいというか、どちらかと言えばフラストレーションが溜まったという意味では、やはり東ティモール問題をめぐる一連の外交交渉かな。国連を通じて一生懸命やってきても一向に解決しない。そしてこのイッシューが実際インドネシアの他の外交に相当な障害となった。シグニフィカントな影響はさほどなかったけれどもね。そういう一方で、東ティモール問題を抱えながらも、インドネシアは非同盟諸国会議の議長国になり、イスラム会議の議長国、77カ国会議の議長国、そしてAPECの開催国にもなった。つまり、世界の舞台で積極的な外交を展開したのです。
東ティモール問題の解決をめぐっては外務省それとも大統領サイド、いずれがイニシアティブをとったのでしょうか?
もともとは、1998年に外務省が大統領と閣議に対して、「国際社会で通用している方法に則って、同地域に対して広範な自治権を与える」という提案を行ったのです。フィリピンのミンダナオ島、そして香港のケースなど色々と検討した結果ね。98年6月に国連へ行き、以降98年8月まで何度か出かけ、この「広範な自治」をベースに交渉を続けていくことで合意したわけです。8月からの高官会議が99年1月まで続き、少しずつ進展していきました。ところがインドネシアの提案は不十分だとの声があちこちであがってきたのです。例えば、1-10年間の自治を経てから住民投票を再度行うといった提案や、数々の提案、提言、批判などが耳に入ってきたのです。そしてオーストラリアの首相からも手紙がきたのです。そういった中でハビビ大統領が「インドネシアの提案はことごとく拒否されている。ではBack Positionは?」と。
つまり外務省の発案ではなくハビビ大統領から「東ティモールのインドネシアからの離脱」の可能性をも含む住民直接投票案が生まれてきたのですね?
外務省はあくまでも同地域が「インドネシアの一州」としての事実を踏まえて交渉を進めていたわけで、「Lepas(放つ)」という考えは微塵もなかった。あくまでもハビビ大統領からアイデアが打ち出され、それを閣僚会議が認めたということだ。でも、誰が大統領にそのアイデアを提案したのか、それとも大統領自身が発案したものかは私は知らない。
シャルワン・ハミッド内相が私とのインタビューに応じて「住民投票の結果が50%プラス1%以上がインドネシアに留まることを望む結果が出れば、その時点で同地域の問題は完璧に内政問題となる」と言ってましたが、そのように考えていいのですね?
シングル・マジョリティで決まるということは、三者合意できている。従って仮にそうなれば、そういうことになるね。
で、内相は過半数がインドネシア併合を望む結果が出るだろうと予測していますが、あなた自身は?
正直、これは非常に予測が困難です。しかし、インドネシア政府としては、今回の住民投票が自由に、公正で、平和裡に行われるように最大限の努力をするつもりです。
21世紀のアジア地域像そして国際関係について予測、期待も聞かせて下さい。
インドネシア外交の柱は21世紀に入っても、ASEANにあります。しかしASEANを核にして日本、ロシア、中国などの東アジア諸国との関係、そしてオーストラリア、ニュージーランド、さらにはアメリカといったアジア・太平洋全体での相互関係がますます重要になります。経済面ではAPEC、セキュリティ―面ではARF(アジア地域フォーラム)を核に、さらにグローバルな関係構築が期待されます。特にARFはさらに発展させ、もっと効果的にしていく必要があるでしょう。これは紛争の事前防止に果たす重要な機能を持っています。欧米はある問題を早急に解決しようとする傾向があります。しかし東洋では違います。我々はステップ・バイ・ステップで物事を解決する文化を持っています。よってARFもそういった東洋的なスタンスで発展していくべきだと思います。
例えば将来政権が変わった場合、その外交方針に変更が生まれる可能性は?
政党間で外交方針について違いがあるとは見ていません。外交原理は変わりません。
しかし、先般、ある政党からイスラエルとの国交樹立の話が出てきたり?
そのことを言った人物も後に訂正しているでしょう。はっきり言えることはイスラエルとの国交樹立は、もしもパレスチナとの問題が解決しないのならば、あり得ないということです。イスラエルはヨルダンやエジプトとの間で問題を解決していても、シリアやレバノン、そしてパレスチナ自身との間には解決すべき問題が残っています。我々には反ユダヤといったような考え方は微塵もありません。イスラエルの政治がインドネシアの憲法に抵触、すなわち合致しないのです。宗教の違いなども何ら問題ではありません。唯一、パレスチナ問題が解決したとき、インドネシアは国交を結ぶでしょう。
日本の国連安保理常任理事国入りについては?
日本はその経済の大きさに準じた役割を国際舞台で果たすべきです。これまでは十分活躍しているとは言えません。日本が安保理入りすることは大賛成です。しかし、同時に開発途上国からも入ることを我々は望んでいます。例えば、日本とドイツだけが入ることを許されるのならば、現在先進国4カ国対途上国1カ国つまり中国ですね、それが1対6になってしまします。これはどう見てもアンバランスです。
【プロフィール】
Ali Alatas, SH。インドネシア共和国外務大臣(Menteri Luar Negeri Republik Indonesia)。愛称Alex。
1932年11月4日、六人兄妹の第三子として、ジャカルタで生まれる。オランダの血を引くユニサ(Yunisa)夫人との間に、三女(Soraya, Nadira, Fauzia)。『外遊から帰国する際は、必ず孫たちへお土産を買ってかえる』と。アラタス氏自身はアラブ系(南イエメン)。父親の故Abdullah Alatas氏は、かつてUI(国立インドネシア大学)でアラビア語講師。小(1944)中(1947)高(1950)ともジャカルタ。1954年ADLN(Akademi Dinas Luar Negeri=外交アカデミー)卒業。また、 1956年、UI法学部卒業。1996年、スマランの国立ディポネゴロ大学から名誉法学博士号。イスラム教徒。外務省入省前の学生時代、マスコミ界での経験も。1952-1953:日刊紙『Niewsgier』校正スタッフ。1953-1954:通信社『Aneta』編集委員。1970年代、通信社『PIA』の経済・財政担当エディターも。
ADLN卒業と同時に外務省入省。
1954-1956:海外経済局スタッフ
1956-1960:バンコクのインドネシア大使館勤務(当初は二等書記官、のち一等書記官)
1965-1966:文化関係・広報課長
1966-1970:ワシントンのインドネシア大使館勤務(当初はCounsellor、のちMinister Counsellor)
1970-1972:文化関係・広報課長、のち外務省スポークスマン
1972-1975:政治局秘書
1975-1976:外相秘書長
1976-1978:ジュネーブ国連代表部インドネシア大使・代表
1978-1982:アダム・マリク副大統領秘書
1982.9-1988.3:ニューヨーク国連代表部インドネシア大使・代表
1988-1993,1993-1998, 1998.3.16-1998.5.21:スハルト政権下で外相
1998.3.22から今日までハビビ政権下で外相。故アダム・マリク氏が持つ記録を破り、歴代最長の外相。
身長172cm、体重70kg、血液型A。趣味・スポーツはゴルフ、水泳、そして散歩と読書。『ハンディキャップは22。読書は主に推理小説』。
日本軍がインドネシアに上陸した際、アラタス家はボゴールのセンプール(Sempur)へ避難。『父親が、逃げ去ったオランダ人の家から2000冊近くもの書籍を持ってきた。子供の私には難しい本だったけれども、あさるように読んだ記憶がある』と。ワシントンのインドネシア大使館に勤務していたころ、インドネシア独立記念日を祝うサッカー大会へ参加。しかし、腕を骨折。『以来、大好きだったサッカーは止めて、医師のアドバイスに従いゴルフを始めた。ゴルフ場を外交交渉の舞台だとは考えていない。芝の上はあくまでも相手方と親しくなるための場でしかない』と。
大好きなインドネシア語は『Ketekunan(懸命・夢中・真剣)』。『これこそが全ての成功の鍵だと思っている』
【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
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再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
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再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
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再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
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再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
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再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
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再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
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再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
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再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
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再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
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再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
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再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
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再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
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再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
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再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
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再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
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再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
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再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
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再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
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再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
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再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
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再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
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再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
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再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
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再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
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再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
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再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
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再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
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再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
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再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
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再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
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再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
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再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
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再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
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再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
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再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
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再録『GBIニュース』1998.12.10 【グラフ】 東ティモール展(TTF'98)が開催される
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再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9#2 【会見】ANTARA通信社社長パルニ氏
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再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9 YLBHIで ハンストを続ける農民
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再録『GBIニュース』1998.12.8 【インタビュー】 インドネシア“ヤクザ”社会の元ボス
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再録『GBIニュース』1998.12.7 【最新インドネシア・ポルノ映画事情】
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再録『GBIニュース』1998.12.6 【グラフ】 ♪ジングルデモ・ジングルデモ・靴が減る♪
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再録『GBIニュース』1998.12.5#3 【人】 映画・テレビドラマ制作プロデュ―サーのケマラ氏
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再録『GBIニュース』1998.12.2#2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く『木炭画のバリ島』
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再録『GBIニュース』1998.12.2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く動物ファンタジー
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再録『GBIニュース』1998.12.1#3 【詩の夜】 詩人レンドラが最新作を発表
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再録『GBIニュース』1998.12.1#2 【書籍】 『Free East Timor』
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再録『GBIニュース』1998.12.1 【ビジネスパートナー求む】“黒檀の位牌はいかが?
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再録『GBIニュース』1998.11.30#2【インドネシアの民主化と東ティモール問題国際セミナー】
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再録『GBIニュース』1998.11.30 【インタビュー】 オーケストラ指揮者アディ・MS氏
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再録『GBIニュース』1998.11.29#2 【人】ジャカルタのキャリア・ウーマンたち
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再録『GBIニュース』1998.11.29 【人】 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター・稲見和己
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再録『GBIニュース』1998.11.28 【グラフ】 GBIジャカルタ事務所スタッフ紹介
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再録『GBIニュース』1998.11.27 大統領府開発監査官ラオデ・カマルディン氏
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再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
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再録『GBIニュース』1998.11.25#2 Poli-T-Shirt(政治Tシャツ)
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再録『GBIニュース』1998.11.25 『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?
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再録『GBIニュース』1998.11.24 会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏
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再録『GBIニュース』1998.11.23 国際セミナー『インドネシアの民主化と東ティモール問題』
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再録『GBIニュース』1998.11.22 アジス&ドゥイの結婚式
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再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏
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再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
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再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
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再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
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再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
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再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
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再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
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再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
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再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
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再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
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再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
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再録『GBIニュース』1998.11.13#2 血塗られたSIMPR(国民協議会特別会議)最終日
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再録『GBIニュース』1998.11.13 ダワムUNISMA学長 Dawam Rahardjo
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再録『GBIニュース』1998.11.12#3 スナヤン地区を警備する国軍ジャヤ師団の兵士
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再録『GBIニュース』1998.11.12 画家ダルマジ・サティマンDarmadji Satiman
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再録『GBIニュース』1998.11.12 LBH(インドネシア法律扶助協会)が“野戦病院”態勢に
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