再録『GBIニュース』1999.6.26 【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
大川誠一の『GBIニュース』 1999年6月26 Berita GBI(26 Juni 1999)
ムニール氏
【インタビュー】 ムニールKONTRAS(行方不明者と暴力の犠牲者のための委員会)代表 WWCR dgn Munir Said Thalib SH, Pendiri KONTRAS。
『改革時代を迎えてもなおも続く暴力と不条理』
『KONTRASが無くなる日、インドネシアは真の民主国家に』
身長159cm。体重53kg。小柄の体躯のどこにあれほどまでのパワーが秘められているのだろうか。改革時代を迎え言論の自由が確保された今でも、いまだに人権侵害・不条理な暴力事件が全国各地から次々と報告されるインドネシア。それらを一手に引き受け、「弱きを助ける」ヒーローがムニールさんだ。警察・国軍当局、そして政府機関、暴力団等々を相手に果敢にその不正・不条理を追求し続けている。生命の危険を含めて、これまで幾度となく脅迫・テロ行為を受けてきた。しかしムニールはこれっぽちもひるまない。明快な論理と喧嘩腰のポーズ。当局もたじたじだ。しかしそれでも、非人間的な事件は止まない。そればかりか人権侵害と暴力行為はますます巧妙化してきている。
一人の旧ソ連出身の年老いた女性が、かれこれ三ヶ月も、ジャカルタのディポネゴロ通りにあるYLBHI(インドネシア法律扶助協会)内のムニール氏の部屋で暮らしている。タイルの床に直に寝ている。掛け布団もない。クーラーだけはある。しかし着替えは持っていない。着の身着のままでYLBHIへと逃げてきたのだ。
『私はもう32年間もインドネシアに暮らしています。インドネシア国籍も持っています。しかし、夫(17年間夫婦生活を営んだスマトラ生まれの先夫と離婚、再婚した旧ソ連出身のインドネシア国籍所有者)が亡くなると、得体の知れぬチンピラ連中が「遺産を分けろ!」と言って家に出入りするようになったのです。そして三ヶ月前の深夜、2メートルもある高さの塀を、まるでニンジャ(忍者)のような身軽さで乗り越えて、覆面をした男たちが寝室へ進入してきたのです。私は猿轡をはめられ、目隠しもされました。「ここでは殺すな!」とリーダー格が言っているのが聞こえました。でも隙を見て、私は逃げることができたのです。以来ずっとここに避難しています。襲った連中は警察に捕まったと聞きましたが、本当かどうか分かりません。そればかりか、連中は警察や軍とつるんでいるのです。「戻ってきたら殺す」とも言われています。今、家がどうなっているのやら。ムニールさんだけが頼りです。今となってはモスクワへ帰りたいけれども、その前に家に戻れなくては』
LBH本部
LBH本部玄関前に最近建てられた『人権の碑』
最近YLBHIの中庭に『人権の碑』が建てられた。跪いた一人の男。拷問を受けている姿。碑の下部には、金色の金属プレートにこれまでの代表的人権侵害事件が刻印されている。一足の軍靴が踏みつける構図の下に、98年5月以降の計13件のケースが記されている。98年5月ジャカルタ、ソロ、ランプン、メダン、バニュワンギ......そして98年11月のスマンギ(国民協議会特別会議)事件まで。別のプレートには、歴代の事件、例えば1966-1968のPKI(インドネシア共産党)党員虐殺、1974年マラリ(Malari)事件、1984年タンジュンプリオク事件、1993年マルシナ殺害事件が明記され、またアチェ、東ティモール、イリアンジャヤでのDOM(軍作戦地域)の歴史も刻まれている。『Tak seorangpun boleh dikenai perlakuan atau pidana yang aniaya atau kejam yang tidak berperikemanusiaan atau merendahkan martabat(誰も非人間的あるいは人間の尊厳を卑しめる虐待や残酷を伴う行為・犯罪を受けるとことは許されない)』----人権宣言第5条の一文も添えられている。
以下ムニール氏との会見の一部抜粋。
人権問題に関わるようになったのは学生時代とか?
卒業論文を書くにあたって僕は労働者の地位、とくに賃金について関心を持ち、当時スハルト大統領三男のトミーの影響下にあったタバコメーカーであるPT.Bentoelの労働者たちと交流しました。そこでLBH(法律扶助協会)のスタッフと初めて知り合い、やがてLBHに就職するきかっけとなりました。労働者たちの賃金搾取はひどいものでした。そのころ、タバコ工場の隣にあるPT.Usaha Lokaの革製品工場でも労働争議が起きていました。マラン市のIKIP(師範大学)を中退して、そこで働いていたスチワティ(Suciwati)と言う名の女性が労組を作り、経営者側と労働待遇の改善を要求する運動を起こしていたのです。91年のことです。彼女は後に僕の妻になるわけですが、逮捕されたこともあります。その工場は韓国企業の合弁会社で、労働者の権利はことごとく無視されていたのです。
外資系企業による人権侵害は多いのですか?
特に韓国そして台湾系の企業で目に付きます。日系企業は彼らと比べればはるかに良い条件でしょう。労使の対立も比較的少ないのが現状です。ところが韓国、台湾系企業はその多くが「国の道具(Alat Negara)」と結びついて事業を興しているのです。つまり軍や警察関係者と合弁を立ち上げているのです。靴とか衣類関係のメーカーです。彼らはミリタリスティックな弾圧経営の下で、従業員の人権、権利を無視しつつ、大規模な搾取を行っています。それで、安い製品を作り、競争力を高めているわけです。しかし、それはあくまでも労働者の犠牲の上に成り立っているのです。
KONTRAS結成のいきさつは?
1997年にクリスモン(通貨危機)が起きる前後から、数々の人権侵害、暴力事件が目立つようになりました。それも全土的にです。スハルト退陣前後、そして総選挙に向けても、学生射殺事件、活動家誘拐事件等々多くの事件が表面化しました。そこで16のNGOを糾合してまずKIPPHAM(人権侵害監視独立委員会)を作りました。しかし、やがて16のNGOの内9グループが離脱、態勢を立て直して98年3月22日、KONTRASをスタートさせました。
スハルト時代と比較して、ハビビ政権下での人権状況面での改善は?
KONTRASの活動がかつてに比べれば非常に自由になったことは事実です。昔のように怯える必要はなくなりました。しかし人権状況はこの一年改善されたとはとても言えません。国家権力による不条理な暴力行為はいまでも続いています。確かにデモも自由に行えるようになりました。しかし、その結果どうなるかと問えば、人間的な扱いを受ける保証はどこにもないのです。デモは、スハルトによる不正蓄財問題並びに人権侵害問題、さらには汚職構造の払拭、そして経済危機からの脱却が達成されれば、相当なくなると思います。スハルト政権崩壊後、活動家誘拐事件に関してはコパスス(陸軍特殊部隊)が裸にされ、裁判も行われましたが、それでも昨年11月にはスマンギ事件が起きました。皮肉なことに、民主化、改革と叫びながら人権状況は何ら改善されていないのです。
では、スハルト退陣でプラス面はそれほどないと?
いや。ミドルクラスの台頭は力強く感じています。かつてミドルクラスは上の支配者階級と結びついていました。しかし最近では下のクラスのことを真剣に気にかける層も生まれてきているように思えます。ミドルクラスがグラスルーツ層のことを考えようとしているのです。実を言えばスハルト政権崩壊に伴ってミドルクラスも崩壊したのです。メガワティ率いるPDIP(闘争民主党)の勝利は、これまで虐待を受けた多くの人々にとって、その虐待のシンボルとしてメガが捉えられたからです。特にメガのPDI(インドネシア民主党)党本部が襲われ発生した、96年7月27日のいわゆるジャカルタ暴動以降、メガは「虐待のシンボル」と化したのです。しかし、メガワティも、将来仮に政権をとっても、そういったグラスルーツの要求に応えられなければ、やがて抵抗を受け、スハルトと同じ運命に遭うかもしれません。ところで最近、例えばGSJ(Gerakan Sarjana Jakarta=ジャカルタ学士運動)のような知識層を主体とする社会問題を問う動きが出てきました。これは力強いことです。
いつになったらミドルクラスが公正な社会の創造に力を発揮するのでしょう?
おそらく5-10年後のことでしょう。特に今回の大激変期に学生だった者たちが、やがて社会の主役となり始める時代が来るとき、彼らはグラスルーツのことをとても気にして、新しい民主的、公正な社会の建設に挑むでしょう。だって、今の学生たちは軍のバックもなく、素手であのスハルト政権を倒したのですから。
いつになったらKONTRASの役目は終わるのでしょう?
権力が国民を弾圧しない日がやってきた時です。真の民主主義が達成された時です。KONTRASが存在する限り、この国に民主主義はないということです。早く無くなってほしいと切に願っています。
では、あなたが考える21世紀の理想とするインドネシア像は?
政治面でデモクラシーが達成され、経済面で公正と自由が保証される社会。しかしそれまでには、もしかすると何百年もかかるかもしれません。一世紀では無理かもしれません。まあ、政治面でのデモクラシーは20年もたてば相当改善されているでしょうが。
LBH本部構内で断食抗議活動をするスマトラからやってきた零細物売りグループ。『死ぬまで断食行動』とある
【プロフィール】
Munir, SH。1965年12月8日、東部ジャワ州マラン市で、7人兄弟の第6子、5男として生まれる。姉が一人で、他はみな男兄弟。『兄弟の四人は商売をやっている。そして二人は医師。専門はそれぞれ肺と総合』。ムニール氏はアラブ系。ムニールが11歳の時に他界した父親のサイド(Said)の父親(つまりムニールの父方の祖父)は、アラブ・インドネシアの混血、祖母はスラウエシ島出身のブギス人。一方ムニールの母ジャミラ(Jamilah)も、アラブ系とインドネシアの混血。祖父がアラブ系、そして祖母はカリマンタン島出身のバンジェルマシン人。
『小さいころはケンカ好きな少年だった。小学生の時に、教師が僕のことを"アラブの子"とからかったんだ。僕は怒ったね。ボールペンで先生を突いてやった』と。『でも、アラブ系ということをそれほど意識したことはなかった。というのも父親は、アラブ系社会に染まることを避けて、わざわざアラブ系の少ない東部ジャワのマランに住むことにしたんだ』。
ムニール氏が祖父や祖母から聞いた話を総合すると、彼の先祖は、インドネシアに渡ってきたアラブ人の第二波のグループに所属する。『第一波はインドネシアにイスラム教をもたらしたアラビア商人たち。そして私の先祖は主に北イエメンを出身地とする貧しいアラブ人。貧しいがゆえに地元民と結婚していった。ところがその後にやってきた青い目の、主にサウジアラビアやレバノンから渡ってきたアラブ人は金持ち階級で、地元民との混血を避けた。僕は第六世代にあたる』と。
1985年、国立ブラウイジャヤ(Brawijaya)大学法学部入学、1989年卒業。1988年、同大法学部学生代表評議会秘書、1988年、マラン県イスラム組織Al -Irsyadの秘書。1989年、ブラウイジャヤ大学法学部学生自治会議長、同時にHMI(イスラム学生協会)メンバー。在学中の1989年からYLBHI(インドネシア法律扶助協会)スラバヤ支部でボランティアとして働き始める。1991年、LBHスラバヤ支部マラン市代表。LBHの正規スタッフとなる。1992-1993:LBHスラバヤ支部、労働問題&政治市民権部コーディネーター。1993-1995:LBHスラバヤ支部、オペレーション部長。1996年、LBHスマラン支部長。1996年、ジャカルタへ移りYLBHI本部でオペレーション部秘書。1997年、YLBHI執行部オペレーション部副部長。1998年よりKONTRASのコーディネーター。
妻スチワティ(Suciwati)との間に一男(8ヶ月)。身長159cm、体重53kg、血液型O。イスラム教徒。『身長が規定条件よりも1cm足りないから、ABRI(インドネシア国軍)に入らなくて済んだ』と冗談。趣味は読書(社会・政治関係)。スポーツはかつてサッカーに熱中したが、現在は『毎日のように卓球』。好きなインドネシア語は『Keadilan(正義・公平)』。根っから「弱きを助け強きをくじく」弁護士だ。
【備考】ムニール氏は、このインタビューの5年後の2004年9月7日、ジャカルタからオランダへ向う機内で毒殺された。
【ムニール氏プロフィール】
http://en.wikipedia.org/wiki/Munir_Said_Thalib
Wawancara dgn Munir Said Thalib(No.1)
http://youtu.be/sZIQ2cKocBM
【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
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再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
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再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
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再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
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再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
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再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
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再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
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再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
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再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
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再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
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再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
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再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
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再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.30#2【インドネシアの民主化と東ティモール問題国際セミナー】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_1.html
再録『GBIニュース』1998.11.30 【インタビュー】 オーケストラ指揮者アディ・MS氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_30.html
再録『GBIニュース』1998.11.29#2 【人】ジャカルタのキャリア・ウーマンたち
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_29.html
再録『GBIニュース』1998.11.29 【人】 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター・稲見和己
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_28.html
再録『GBIニュース』1998.11.28 【グラフ】 GBIジャカルタ事務所スタッフ紹介
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_27.html
再録『GBIニュース』1998.11.27 大統領府開発監査官ラオデ・カマルディン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_26.html
再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_25.html
再録『GBIニュース』1998.11.25#2 Poli-T-Shirt(政治Tシャツ)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_24.html
再録『GBIニュース』1998.11.25 『GATRA』誌で経営側クーデタ成功?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_23.html
再録『GBIニュース』1998.11.24 会見:映画監督スラメット・ラハルジョ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_22.html
再録『GBIニュース』1998.11.23 国際セミナー『インドネシアの民主化と東ティモール問題』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_21.html
再録『GBIニュース』1998.11.22 アジス&ドゥイの結婚式
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_20.html
再録『GBIニュース』1998.11.21 『Tajuk』誌編集長モハマド・ホリッド氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_19.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#4 アンタラ通信社WWCR dgn Parni Hadi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_18.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#3 バンドン文化人の詩集カセット『Sajak LUKA』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_17.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_16.html
再録『GBIニュース』1998.11.20 『アミン・ライス大統領の座への道のり』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_15.html
再録『GBIニュース』1998.11.19 イリアン出身の歌手エド・コンドロギットさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_14.html
再録『GBIニュース』1998.11.18 対日輸出を夢見るインドネシアの女性起業家たち
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再録『GBIニュース』1998.11.17 IWAPI(インドネシア女性経営者協会)会長スルヤニ女史
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再録『GBIニュース』1998.11.16 行政関連3法案の初期草案を入手
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再録『GBIニュース』1998.11.15 大人気のハビビ切手&『改革』切手シリーズ
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再録『GBIニュース』1998.11.14 “革命”前夜?の首都ジャカルタ
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