再録『GBIニュース』1999.6.28 【会見】インドネシア・テレビ史の"生き字引"イシャルディ氏
大川誠一の『GBIニュース』 1999年6月28 Berita GBI(28 Juni 1999)
後方にジャカルタ証券取引所を望むダナモン銀行ビル32階。イシャルディTTV社長
WWCD dgn Ishardi Soetopo Kartasapoetro, MSc
【インタビュー】 インドネシア・テレビ史の"生き字引"TTV(Trasns TV)社長イシャルディ・SK氏。
『今年末にも新民間テレビ5局が認可され、2001年放送開始予定』
『21世紀、地方局も続々誕生。映画の衰退は避けられない』
過去一年のハビビ政権『改革開発時代』、インドネシアのマスコミは、中央・地方を問わず"メディアの春"を謳歌している。経済危機により、収入の激減という痛手を負ったものの、「言論・表現の自由」は独立後最大の黄金期に突入している。これまでGBIニュースで機会あるごとに伝えてきたが、この一年で一千を超す新たな印刷媒体が誕生した。それは今、電波メディアの世界にまで広がりを見せている。政府は年内にも五つの新民間テレビ局を認可する予定だ。TVRI(国営放送)の他に、既存の民放が五局あるから、2000年には計10民間テレビ局を数えることになる。そればかりか、政府はTVRIの民営化に向けて論議を始めた。
昨年五月のスハルト"王朝"崩壊の前後、民放がその機動力を駆使した現場生中継により、国民の間に「反スハルト」の渦を生み出したことは否定できない事実だ。その意味でも、スハルトは「電波」に倒されたと言っても過言ではない。ますます勢いづくテレビ放送。筆者は、"インドネシア・テレビ史の生き字引"たるイシャディ・SK氏と会見を行った。イシャディ氏は元情報相RTF(ラジオ・テレビ・フィルム局長)。情報大臣との意見の対立から突如更迭された経験の持ち主だ。また、同氏は近く新たな民放・TTV(トランス・テレビ局)を立ち上げる。以下、会見の抜粋。
簡単にインドネシアのテレビ史について説明していただけませんか?
まず1962年8月17日、国営テレビTVRIが放送をスタートさせました。これは当時のスカルノ大統領がジャカルタで行われる第四回アジア・ゲームを盛り上げるために決断したものです。当時、世界最大と言われる競技場(注:スナヤン国立競技場)を建設し、開局6ヶ月前に命じたのです。これには日本のNECが協力しています。そして次の革命的出来事は通信衛星を利用した全国放送でしょう。これは1974年に米ヒューズ社がサテライトを売り込み、1976年8月にスタート、78年には全土でTVRIが見られるようになりました。つまりテレビ放送が中央から地方へと広がったのです。次いで、1979年カラー放送がスタート。これはジャカルタで行われた第九回SEAゲームに合わせたものでした。カラー放送の実施にあたってはデモが起きました。つまり贅沢品だという声です。そして第四弾の転機は、1990年の民間放送スタートでしょう。その前、スハルト大統領は81年にTVRIのコマーシャル放送を禁止しました。それは農村部で生活がコマーシャリズムに走るおそれがあるとの判断からでした。LIPI(国立科学研究所)も大統領の決断を支持しました。つまり81年から10年近くもテレビ・コマーシャルがなかったわけです。ところが経済成長に伴って、TV広告を願う企業が増え、テレビがビジネスとしての魅力的な対象となりました。一方、国境地帯では、例えばスマトラ島のメダン市民などは、マレーシアのコマーシャル放送であるTV-3を観るようになりました。そこで、例えばタバコメーカーのベントールのように、マレーシアのテレビ局を通じてインドネシア国民に向けて、タバコの宣伝を行う試みを始めました。パラボラアンテナさえ付ければ、ASEANのテレビが観られるようになったのです。また、ビデオ・レンタルも急成長していて、ポルノ・ビデオだって一泊3000ルピアで観ることができたのです。そればかりか、「闇テレビ」すなわちアンダーグラウンドの小規模テレビ局が出現し始めたのです。ジャカルタ、スマラン、ソロ、スラバヤなどの都市で。例えばスラバヤの国立アイルランガ大学の学生たちは、半径20kmをもカバーできる出力で、自主制作番組やマレーシアの放送をパラボラアンテナでキャッチ、それを中継したりもしていました。スマランなどではコマーシャルさえ放送して、逮捕される者さえいました。そこで政府は民放の認可を決断したのです。
しかし、民間放送はことごとくスハルト・ファミリーによって独占された?
大統領の子供たち、そして取り巻き連中だからこそ、いとも簡単に許可が下りたのです。皮肉なことですが、それが故にインドネシアの民放は一気に発展できたわけです。その意味ではチェンダナ(スハルト私邸のある地名)の子供らも、テレビ放送の発展に功績があったとも言える(笑い)。これはテレビ事業だけに限らず、例えば高速道路なども、長女のトゥトゥだからこそ、いとも簡単に開発許可が出たわけです。大統領令によって生まれた民放は、やがてTVRIを超えるプロフェッショナル集団へと発展し、経営面でもTVRIを超えました。少なくとも通貨危機が起こる前まではね。
ところで、この十年間の民放番組内容の傾向を総括すると?
ここに資料があります。見て下さい。これは1999年1月~5月期の全テレビ局の視聴率トップ30番組リストです。30の内、7番組だけが輸入物で、その他はすべて国内制作番組です。輸入物の多くは香港からです。1位(IVM局のTersanjung3で平均視聴率32%)から10位まですべて国産ものです。つまりインドネシア国民は、特に国内制作のテレビドラマ、シネトロンに惹かれているということです。これには理由があります。言語がインドネシア語であること、よく知っているタレントが出演していること、内容が単に夢物語、虚構の世界であり、例えば豪華な家や高級車が登場して、この経済危機の世の中にあって、逆説的に豊かさを演出しているのです。そしてストーリーが単純明快な点も重要なファクターでしょう。恋愛、離婚、不倫、憎悪、生死といった、誰もが関心を持てるテーマなのです。従ってこれからもシネトロン制作は伸び続けるでしょう。ただ問題は、制作費をどのように縮小し、効率を高めるかということです。一方、映画産業はどんどん衰退していくでしょう。これは避けられないことです。
1997,1998,1999年のテレビ広告額。経済危機により98年に激減した取扱額が99年に入り回復傾向を示している。
1999年1月~5月期の番組構成(国内制作VS輸入番組)
ところで、政府は近く5局の民間放送を許可するとか?
その通りです。昨年の11月から申請が始まり、今日現在15局の開設申請が情報相へ提出されています。その中には既存の民放が申請したものや、新聞社(注:『Republika』紙)からの申請、元労相からの申請、そればかりかハビビ政権の屋台骨であるICMI(イスラム知識人協会)からの認可申請も含まれています。15局すべてジャカルタをベースに考えています。政府はこの内、5局に許可を出す用意があります。と言うのは、電波の余裕枠が5局分しか残っていないからです。将来、新たな通信衛星が打ち上げられるまでは、当面5局の枠しかないのです。
で、あなたのTrans TV(TTV)も15局の一つなわけですね?
そうです。TTVは確実に許可されるでしょう。そう感じています。年内に許可が下れば、2000年1月より本社ビルの建設にとりかかり、2001年1月の放送開始を目指します。本社用地はすでに2ヘクタール確保しました。将来は4ヘクタールに拡大する予定です。投資額は2000億ルピア。これは既存の民放と比較すると確かに小規模です。しかし、我々が目指すのはコンパクトで強い民放なのです。従業員数は最大200名を目指します。見てご覧なさい既存民放を。RCTIは従業員がおよそ1300名、Indosiarが約1000名、そしてSCTVが800人、TPIとAnteveがそれぞれ400人。多すぎます。非効率です。RCTIだけは2000年に株式上場を計画していて、生き残れるでしょうが、他ははっきり言ってサバイバルできるかどうかも分かりません。と言うのも巨額の債務を背負っているのです。米ドルの借入金が巨大で、いまでは財産を差し押さえられている状況なのです。TTVのモットーは「High Quality, High Taste and Down to Us」です。対象者も20歳~50歳のミドルクラスで、ニュース番組(20%)、娯楽番組(40%)、広告(20%)、教育・文化番組(10%)、その他は情報(5%)、宗教(3%)、公共の利益に供する番組(2%)の構成です。当初5年間は既存民放のアンテナを借用しますが、後に自前のアンテナを建設します。また、段階的に全国放送にもっていく予定です。
なんでも地方にもテレビ局を設立するとか?
そうです。いわゆる日本のような系列局もしくはフランチャイズ局を展開していく計画です。当初はジャカルタ、スラバヤ、バンドン、スマラン、ジョグジャカルタの5都市で放送をスタートさせますが、やがてソロ、メダン、ランプン、デンパサール、ウジュンパンダンへも拡大します。そしてTTVの最大の特色は、系列局を地方に作ることです。既存の民放のようにジャカルタから全国に向けて放送するだけではなく、地方局が独自に、地方に密着した番組を作り、中央のニュースはTTVから送るというものです。もちろんやがてそういった地方局制作の番組をTTVが購入することも十分考えられます。今度成立した地方自治法に基づいて、地方の時代が幕開けします。財政的にも地方はこれまでよりも豊かになります。つまり地方にビジネス・チャンスが生まれるわけです。5年後には中央は地方に寄りかからないとやっていけない時代を迎えるでしょう。その頃、テレビ放送のデジタル化も達成するでしょうから、幾つもの地方局が生まれる可能性があります。地方で規模の大きなビジネス・サークルが育てば、彼らが有力広告出稿者となり、地方局の財政基盤も強化されます。また、来年新たな通信衛星C-3が打ち上げられる予定です。それは48個のトランスポンダーを備えています。
政府は現在新たなマスメディア法を審議中ですが、それが成立するとテレビ界はどのようになるのでしょうか?
インドネシアの人口はおよそ2億400万人、それは4850万世帯に相当します。内、32%は都会に暮らしています。1997年末時点で、全土におよそ2530万台のテレビが普及しており、その内70%がカラー、30%がモノクロです。つまり52%の普及率となります。毎年15-20%の拡大を続けていますから、そう遠くない将来全世帯に普及するでしょう。一方ケーブルテレビは72万5千世帯に入っています。これはテレビを持つ世帯のわずか3%でしかありません。1997年にできた放送法の見直しが現在進められており、その修正の主なポイントは、ラジオ局の新規開設を制限(注:現在、全土でおよそ996局が登録されている)すること、これはすでに周波数が満杯状態ですから止む得ません。次いでその新法案が新規テレビ局を認可するのです。つまり先ほど説明した5局のことです。そして国営TVRIの民営化も想定されています。そうなると、TVRIはこれまで民放から徴収していた12.5%の広告コミッションを失います。しかし、その代わりにTVRIはコマーシャル放送を再許可されるようになるでしょう。さらに、これは重大な変化ですが、外資がテレビ放送業界へ入ることが許されるようになります。最大25~30%まで株式取得が認められる予定です。ですからTTVも外国資本と組む用意があります。またその新法は、出版メディアの発行許可取り消し条項を削除するでしょう。活字メディアもさらに自由な活動を確保できます。21世紀に入ると、民放局の競争はものすごく激化することでしょう。弱肉強食によって自然淘汰される局も当然生まれます。インドネシアのテレビはやがてはアメリカのような姿になることでしょう。しかし問題もあります。つまりテレビ界でのSDM(人材)不足です。TTVでは2000年の一年間、重点的に人材開発に努める予定です。
昨年の5月政変で果たしたテレビ・メディアの役割をどのように評価していますか?
私はPhDを取るために、まさにそれをテーマに論文を書こうとしています。インドネシアでは1992年の総選挙以降、政党がテレビ媒体をキャンペーンに利用してきました。お金さえあればどの政党でもコマーシャルを打てたのです。政変前後、各テレビ局は競って反スハルトのデモの様子をオンエアーしました。これはとても信じられないことでした。だって、ほとんどのテレビがスハルト・ファミリーの支配下にあり、情報相も当初は厳しい規制・警告を発していたわけですから。ところが実際は、現場のテレビ記者たちは、ひるむことなく報道を続けました。その時、一体テレビ局の中にどのような変化が生まれていたのか、そこを調べようと思っています。ところで、スハルト政権崩壊前後、民放はトークショーを通じて、色々な異なる意見を視聴者に伝えました。また特筆したいことは、テレビの生中継の威力です。センサー無しに流れる現場中継は、事実を茶の間にダイレクトに届けました。学生たちによる国会占拠の模様、記者会見、そして流血事件、すべてが同時国で茶の間に流れたのです。これは民主化の道具としていかにテレビが有効であるかを如実に示しました。
【データ】
インドネシア民放テレビ局の設立史
1989年: RCTI(Rajawali Citra Televisi Indonesia)スハルト次男のバンバン・トリハトモジョがオーナー
1990年: SCTV(Surya Citra Televisi)スハルトの父方の従弟であるスドウィカトモノがオーナー
1991年: TPI(Televisi Pendidikan Indonesia)スハルト長女のシティ・ハルディヤンティ・ハストゥティがオーナー
1993年: AN-TV(Andalas Televisi=ANTEVE)プリブミ財閥バクリー・グループがオーナー
1993年: INDOSIAR(Indosiar Mandiri Televisi=IVM)スハルト政権最大の政商(チュコン)リム・スゥリョンがオーナー
(インドネシア政府は1993年Open Sky Policyを決定、誰でも、どこの国の放送であってもキャッチしてもよいことになる)
【データ】
19998年民放局の視聴率(全時間・平均)ランキング(ソース:AC Nielsen)
RCTI : 33%
IVM: 22%
SCTV: 18%
TPI: 18%
ANTV: 9%
TTV本社建設予定地(ジャカルタのキャプテン・テンデアン通り)を指すイシャルディ氏
【プロフィール】
Ishardi Soetopo Kartasapoetro, MSc。1943年4月30日、南スラウエシ州のマジェニ(Majene)県で、8人姉弟の第三子、長男として生まれる。父も母もジャワ人。従ってイシャディ氏も民族的にはジャワ人だが、『自分は出生地南スラウエシのママサ(Mamasa)人と呼ばれたい』と。父親は農業省に務める公務員で、そのため各地を転勤、『たまたま僕が生まれたときには南スラウエシに暮らしていた』そうだ。
身長167cm、体重67kg、血液型A。イスラム教徒。
小学校はスマトラ島のパレンバン、中高と首都ジャカルタ。1962年UI(国立インドネシア大学)政治社会学部入学。専攻はコミュニケーション。1967年、卒業と同時に、5年前に開局したばかりのTVRI(Televisi Republik Indonesia=国営テレビ)へ見習いリポーターとして入社。1972年、ニュース管理課長。1979-1981:ニュース・インフォーメーション企画課長。 1982-1985:ニュース局部長。1985-1987:TVRIジョグジャカルタ支局長兼UGM(国立ガジャマダ大学)政治社会学部でコミュニケーション担当講師。1980年から現在まで、UI政治社会学部でコミュニケーション担当講師。1987-1992.8.6:TVRI社長。『ハルモコ情報相(当時)と報道姿勢をめぐって意見が対立、僕は更迭された』と。1992-1996:情報相マスメディア調査開発センター長。『6000人の従業員を抱えるTVRIのトップから、一気にわずか40名の、それも何もすることがない調査開発センターの長へと降格された。いわゆるイジメです』。1996-1998:民間テレビ局・TPI(=Televisi Pendidikan Indonesiaインドネシア教育テレビ)の放送局長。
『スハルトの長女トゥトゥがオーナーのテレビ局で、負債は300億ルピアを超え、イメージもはなはだ悪かった。しかし僕は改革に乗り出し、負債額も150億ルピアまで激減することに成功、イメージも改善された。国際通信会社のインドサットも株主となり、またオ―ストラリアのチャンネル7とも業務提携。TPIを家族のためのテレビ局へと変身させた』。
1998.5.14スハルト政権崩壊の一週間前に情報相RTF(Radio-Televisi-Film)局長就任。
『ところが情報相内部の抵抗にあって、結局はユヌス情報相は僕の更迭を決断せざるを得なくなり、わずか4ヶ月半で情報相を去った』。
1998年12月13日のPT.Televisi Transformasi Indonesia[略称:Trans TV(TTV)]の設立に伴い今日まで代表取締役。Trans TV(TTV)は、プリブミ財閥のPARA GROUPが全額出資(二千億ルピア)。会長は、元内相で現KPU(総選挙委員会)議長のルディニ(Redini退役陸軍中将)氏、相談役にPara Group会長のハイルル・タンジュン(Chairul Tanjung)氏。
『遅くとも年内に情報相からテレビ局開設の許可が下りることになっている。2000年1月に本社ビルの建設をスタートさせ、2001年1月の放送開始を目指している』とイシャディ氏。『すべての放送はデジタルで行う。地方にも系列局を5局オープンする予定です』とも。
著書多数。主なものは『Touches of the Third Wave: The Information Society its Siginicance in Developing Countries』(ABU 9th News Group Meeting刊:1986年)。『Dunia Penyiaran: Prospek dan Tantangannya』(PT. Gramedia Pustaka Utama刊:1999年)、『Prospke Bisnis Informasi di Indonesia』(Pustaka Pelajar刊:1999年5月)。
1969年、Djuariah Djumadjintin(1947.3.3生まれ)と結婚、長男Mohammad Maulana(1976年3月12日生まれ)と長女Khalista Amalia Fatima(1986年12月4日生まれ)がいる。趣味はゴルフ、マウンテンバイク、ジョッギング、そして映画鑑賞(主にハリウッドもの)と読書(伝記物+コミュニケーション関係)。
【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
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再録『GBIニュース』1999.6.26 【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
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再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
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再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
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再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
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再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
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再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
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再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
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再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
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再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
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再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
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再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
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再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
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再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html
再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
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再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_6.html
再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html
再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html
再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html
再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html
再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html
再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_21.html
再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_19.html
再録『GBIニュース』1998.12.10 【グラフ】 東ティモール展(TTF'98)が開催される
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_18.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9#2 【会見】ANTARA通信社社長パルニ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_17.html
再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9 YLBHIで ハンストを続ける農民
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_16.html
再録『GBIニュース』1998.12.8 【インタビュー】 インドネシア“ヤクザ”社会の元ボス
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_15.html
再録『GBIニュース』1998.12.7 【最新インドネシア・ポルノ映画事情】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_13.html
再録『GBIニュース』1998.12.6 【グラフ】 ♪ジングルデモ・ジングルデモ・靴が減る♪
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_12.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#3 【人】 映画・テレビドラマ制作プロデュ―サーのケマラ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_11.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#2 【テレビドラマ・映画事情】
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_10.html
再録『GBIニュース』1998.12.5 ジャカルタの映画制作会社が日本人の女優候補を公募
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_9.html
再録『GBIニュース』1998.12.4 【メディア】BUMN(国営企業)の民営化に備えて創刊
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_8.html
再録『GBIニュース』1998.12.3 【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_7.html
再録『GBIニュース』1998.12.2#2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く『木炭画のバリ島』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_6.html
再録『GBIニュース』1998.12.2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く動物ファンタジー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_5.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#3 【詩の夜】 詩人レンドラが最新作を発表
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