再録『GBIニュース』1999.7.7 インドネシア最大のゲイ組織創設者デデ・ウトモ氏
大川誠一の『GBIニュース』 1999年7月7 Berita GBI(7 Juli 1999)
ガヤ・ヌサンタラ(インドネシア最大のゲイ組織)創設者デデ・ウトモ氏
スラバヤ発【インタビュー】
ガヤ・ヌサンタラ(インドネシア最大のゲイ組織)創設者デデ・ウトモ氏
『ゲイがゲイとして堂々と生きることのできる社会の創造を!』
インドネシアは多民族から構成される。ジャワ人、スンダ人、アチェ人、バタック人、ミナンカバウ人、ブギス人、バリ人、ダヤック人、ティモール人、イリアン人等々。人口は世界第四位の2億強。世界最大の多民族国家だ。髪の違いや、肌の色の違い、そして言語の違いは、このインドネシアではごく自然な、当たり前のことだ。違うことこそが、この国の豊かさでもある。だからゲイも堂々とその存在を世に示している。
GAYa NUSANTARA(インドネシア群島の型)という組織が東ジャワ州の州都スラバヤにある。GAYaは、「型・スタイル」の意味だが、「a」文字を小さく書くことで、本当は「GAY(ゲイ)」を強調している。すなわち、「インドネシアのゲイ」を意味する。
同組織は1987年、スラバヤにある国立アイルランガ大学(Universitas Airlangga)政治社会学部兼大学院の講師であるデデ・ウトモ(Dr. Dede Oetomo)氏によって創設された、インドネシアで最初にして最大のゲイ組織だ。
『まず1982年にソロ市に住む友人、それからジャカルタ在住の友人たちと、インドネシア初のゲイの集まりであるLambda Indonesiaを作ったんです。Lambda自体は1969年にアメリカで生まれたものです。事務局はソロ市に置きました。当初メンバーはスラバヤに40-50人、ソロに20人程度でした。私は、1982年に米コーナル大学で、言語学と東南アジア研究の分野でマスターを取得、祖国に帰国したばかりだったんです。コーネル大学留学中に、アメリカではゲイが堂々と自己主張している現実を知り、それが刺激となったのです』と、ウトモ氏。
1986年、Lambdaを解散、翌1987年、GN(GAYa NUSANTARA)を創設した。『このGNは、ゲイが必要とする情報を伝えるための本を出版しようということでスタートしました。劇的な転換期は80年代末に訪れました。有力週刊誌のテンポが、ゲイ特集を、確か10ページぐらい書いたのです。それをきっかけとして、情報誌のGNは、部数が200から400部へと倍増しました』。
『GAYa Nusantara』誌最新62号(Juli-Agustus 1999)裏表紙
テンポ誌が特集を組むことによって、ゲイが市民権を得た。『ちょうどその頃からエイズ問題が注目を集め始め、そこで89年に僕らはAIDSキャンペーンを実施、それに刺激を受けたのか、有力誌のコンパスも、91年に入ってようやくAIDS問題を扱うようになりました。92年には、ジャカルタ、スマラン、ペカンバル、マラン、ソロ、バンドンなどで、AIDS問題に関するワ―クショップを開催しました。楽しかったな、あの頃は。だって、昼間はワークショップですが、夜はパートナー探しに大忙し。ハハハ』
ウトモ氏率いるGNは、1993年12月10-12日、ジョグジャカルタで第一回『インドネシア・レスビアン&ゲイ会議(KLGI=Kongres Lesbian dan Gay Indonesia)』を主催。主催者は、ジョグジャカルタに本部を置くIGS(Indonesian Gay Society)だった。参加者は全土から集まったレスビアン・グループが10団体、一方ゲイ団体は計15団体。ゲイ団体としては、例えばジャカルタから参加したGaya BetawiとChandra Kirana、バンドンから参加のGAYa PRIAngan、そしてスラバヤからは、GNとGaya Baya。発言者はレスビアン2名、ゲイ30名だったそうだ。
この会議を通じて、全国ネットワークを作ることや、全国を7つのブロックに分けることなどが決まった。と同時にBKN(Badan Koordinasi Nasional=全国調整団体)が編成され、GN創設者兼代表のデデ・ウトモ氏がゲイ担当トップとなった、ちなみにレスビアン担当は、ジャカルタに拠点を置くレスビアン・グループであるChandra Kirana代表であるB.J.D.Gayatriさん。1995年12月29-31、第二回KLGIが、バンドン市で開催された。この会議を通じて、JLGI(Jaringan Lesbian dan Gay Indonesia=インドネシア・レスビアン&ゲイ・ネットワーク)が結成され、"男女"が、協力関係を高めることを決定。
また、特にメンバーの健康管理に関して積極的な措置がとられることが提案され、受理された。そして1997年11月21-23日、第三回KLGI会議が、バリ島のデンパサールで実施された。この会議では、各々の団体が発行している機関誌を互いに交換しあうことや、メディアを通じてより積極的にレスビアンそしてゲイに関する情報を伝えていき、国民を啓蒙することを決めた。
『今月7月21日から24日まで、ジャカルタのTUK(Teater Utan Kayu)でゲイとレスビアンをテーマとした映画祭が実施されます。改革時代を迎えて、これまで以上にゲイやレスビアンが堂々と活躍できる機会を手に入れられるようになりました』とウトモさん。
ウトモ氏は、現在スラバヤの東ムリオサリ地区にある大きな家に、"パートナー"のルディ・ムスタファ(Moch.Ruddy Mustapha)さん(40歳)と同居している。ムスタファさんは、マドゥラ人で、保険会社に勤めているサラリーマン。しかし趣味が骨董品収集で、家には古めかしい皿や壺などが所狭しと並んでいる。
『ムスタファとはもう16年間一緒に暮らしています。その間、実は僕は二度ほど"浮気"したことがあるんです。ムスタファはものすごく怒って、口もきいてくれませんでした。でも今では仲良くしてますよ』。
ウトモ氏によれば、家事はムスタファさんが主に行ない、公的な事をウトモさんが担当とか。『僕らには当然子供ができないよね。だから、ムスタファは熊のぬいぐるみを可愛がっているんだ』とウトモさん。
ムスタファとの間に生まれた"子供"だと言う縫いぐるみを抱くウトモさん
ウトモさんの家にたまたま居合わせた、ジャカルタからやってきたバレント・クトゥラティオ(Valent Kutratio)さん(愛称サビオ=Savio)さん(31歳)とも話す機会を得た。出張でスラバヤに来たついでに立ち寄ったとか。
『僕は1992年にジョグジャカルタに本部があるIGS(Indonesian Gay Soceity)へ入りました。僕が5-6歳の頃でしょうか、男の子をとても好きだと感じている自分に気づきました。特に中学校へ入ってからは、特定の恋人もできました』とサビオさん。同氏は1995年に私立サナタ・ダルマ大学教育学部(専攻は英文学)を卒業、現在は首都ジャカルタで民間銀行BCA(バンク・セントラル・アジア)に勤めている。『デデ・ウトモさんの活躍で、僕らゲイが少しずつですが市民権を得られるようになりました。幸せです』
サビオさん(左)とデデ・ウトモさん
GNは、創設以来『GAYa NUSANTARA』誌(一部5000ルピア)を発行してきたが、すでに62号に達した。メンバーからの投書やパートナー探しの自己紹介で埋まっている。また、短編の「My First Love」告白コーナーもある。また、海外からの写真付き「パートナー探し」コーナーもあり、"充実"している。ほとんどが電子メールで送られてきた情報だ。情報化社会はゲイ・レスビアンの世界をグローバル化している。
ユニークなのは、インドネシアの各地における「パートナー・スポット」も紹介している点だ。例えば、遠く最東端のイリアンジャヤ州の、州都ジャヤプラの項を見ると、「イリアン通り全域、A.ヤニ通り全域ことにスーパーマーケットのビンタン・マス店付近。パラマウント・ディスコでは土曜の夜、水曜日と金曜日の夜が狙い目だ」と懇切丁寧な情報が掲載されている。役だっているんだろうな、この本。
『正しいゲイ語を覚えよう!』と題する、ピンク色の中綴じ付録も付いている。いわゆるゲイ語の辞書だ。笑ってしまう。例えばゲイ語では「女性(Perempuan)はRacun(毒)」であり、「大使(Dubes=本来はDuta Besarの省略形)はDubur Besar、つまり大きな"肛門"」と言うのだそうだ。ヒエー!さらにBBC(bibisi)はベチャのこと、ATM(自動現金支払機)は、いつでも、どこででも現金を引き出せるというところから、どのようなテクニックも可能だ、を意味するそうだ。凄い、この辞書は。
『私自身は、1965年の中学1年生の頃、自分はゲイだと感じ始めた。というのも父親が読んでいた雑誌「Libarty」にゲイの話が出ていて、そこにホモのことが書いてあり、ああ、自分はこれなんだと感じた』と。1974年、両親にうち明けると、心理カウンセラーへ通うことを勧められる。『しかし、そこでホモのことをさらに知る機会を得た。そして米国留学で僕の姿勢は決まった。ゲイで生きようと』。『このインドネシアにはゲイの閣僚だっていたくらいです。そればかりか僕の目から見るとH大統領だって、その気があるな、と感じます。で、思い出すのは、僕が幼い頃、生まれ故郷のパスルアン市の郊外の村では、男性の村長が男性と暮らしていたことです。実はインドネシアにはたくさんゲイがいるのです』とウトモさん。このGN会長の推測によれば、インドネシアのゲイ人口はおよそ100万人。『ほぼ同じ数のレスビアンがいると思います』とも。
GN機関誌
スラバヤ市にあるフランス文化センター(仏政府機関)が発行している『Le Journal』No.7(1999年6-7-8月合併号)には、同センターとGNが共催したイベント「GAY PRIDE」の全面広告が。フランス政府はなんともユニークな活動をするものだ。日本政府では無理だろうな。
【プロフィール】
Dr. Dede Oetomo。1953年12月6日、東ジャワ州のパスルアン(Pasuruan)で、四人兄妹の長男として生まれる。身長177cm、体重90kg。血液型O。父親のYudo Oetomoはココナッツ石鹸を製造する家内工業を経営していた。1975年、スラバヤIKIP(師範大学)卒。1978年、マランIKIPから英文学学士。1982年、米コーネル大学より言語学修士。1984年、同大学より言語学・東南アジア研究でPh.D取得。現在国立アイルランガ大学講師、言語学と人類学を教える。同時に同大政治社会学部・社会問題研究所所長(1997-2000)。また、ゲイの権利を守る目的で、PRD(Partai Rakyat Demokratik=民主人民党)の中央委員会メンバー。好きな言葉は「Berlawan(争う、敵対する)」。
インドネシアの『ゲイの世界』を覗いてみたい方は、GNが開いている下記のホームページでどうぞ!
http://welcome.to/gaya
【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.7.6 インドネシアの新聞王ダフラン・イスカン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_15.html
再録『GBIニュース』1999.7.5 スラバヤ発【血判】 メガワティを大統領に!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_14.html
再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.3 スラバヤ発【紙幣】 新50,000ルピアが発行される?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_10.html
再録『GBIニュース』1999.7.2#2 【会見】アファン・ガファールUGM講師
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_9.html
再録『GBIニュース』1999.7.2 FOSMIが機関誌『PORT NUMBAY』を発行
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_8.html
再録『GBIニュース』1999.7.1 国立国語研究所でインドネシア語の検定試験を実施
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_7.html
再録『GBIニュース』1999.6.30【新刊】HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングルム
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_3.html
再録『GBIニュース』1999.6.29【セミポルノ新聞】タブーに“挑戦”するタブロイド紙『POP』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_1.html
再録『GBIニュース』1999.6.28 【会見】インドネシア・テレビ史の"生き字引"イシャルディ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_31.html
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_30.html
再録『GBIニュース』1999.6.26 【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_28.html
再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_24.html
再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_23.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_21.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#3知られざるアリー・スミットの名画に触れる
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_20.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
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再録『GBIニュース』1999.6.22 バリ島ウブドゥのコマネカ・ファイン・アート・ギャラリー
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再録『GBIニュース』1999.6.21【トッペン】GBIがバリ島最高峰のトッペン(仮面)を東京へ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_16.html
再録『GBIニュース』1999.6.20 【会見】スリ・スルタン・ハメンクブォノ10世
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.19 【会見】イフラスル・アマールUGM(国立ガジャマダ大学学長
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再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
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再録『GBIニュース』1999.6.16 【インタビュー】ヘリー・コマール『GAMMA』誌編集長
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再録『GBIニュース』1999.6.15【出版事情】 笑いでストレス解消! ユーモア本が氾濫
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再録『GBIニュース』1999.6.14【総選挙&マスコミ】 GBI代表TVRI出演
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再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
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再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
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再録『GBIニュース』1999.6.13 【総選挙】 UGM教授が開票最終結果を予想
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再録『GBIニュース』1999.6.12 【映画】 新作『SRI』 月中旬ジャカルタと東京で初上映
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再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
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再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
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再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
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再録『GBIニュース』1999.6.7 『漫画で学ぶ改革派の闘士アミン・ライス』
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再録『GBIニュース』1999.6.5 インタビュー:女優のクリスティン・ハキムさん
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再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_5.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_28.html
再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_20.html
再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_24.html
再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_19.html
再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_18.html
再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_17.html
再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_16.html
再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_15.html
再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_14.html
再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
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再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
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再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
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再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
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再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
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再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html
再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
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再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
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再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html
再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html
再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html
再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html
再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html
再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_21.html
再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_19.html
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