再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首

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大川誠一の『GBIニュース』  1999年7月15 Berita GBI(15 Juli 1999)
ヌルディン・プルノモPBI(多様性の統一党)党首
【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI(多様性の統一党)党首
『声をあげる勇気を今こそ!中国系そしてマイノリティの権利の主張を!』


1965年9月30日深夜から10月1日未明にかけて起きた「9.30事件」。同事件はこれまでPKI(インドネシア共産党)によるクーデター未遂事件とされてきたが、最近では米CIAに支援されたスハルト将軍(のちに大統領)による陰謀説など、諸説が渦巻いている。真相は依然闇のままだが、いずれにせよこの“アジアを変えたクーデター”によってスカルノ政権は崩壊の途を歩み、やがて32年間も続くスハルト新秩序時代が誕生することとなった。

1966年3月11日、スカルノ大統領は大統領権限をスハルトに委譲、翌3月12日、スハルトはPKIを非合法化。そして翌1967年、スハルト大統領代行は、「9.30事件」の背後に中華人民共和国が“存在”したとの理由で北京との外交関係を凍結した。翌1968年3月スハルトは第二代大統領に就任する。ジャカルタが北京と外交関係を正常化したのは23年後の1990年8月のことだった。振り返れば、俗に「ノンプリ=Non Pribumi=非純インドネシア人」と呼ばれる華人系インドネシア人は、スハルト新秩序時代に、経済分野でこそインドネシア共和国を“支配”してきたが、政治面では“無関与”を強いられてきた。

もともと商売上手のノンプリに対して、特別なファシリティ―(例えば独占権であり無担保融資であり、超法規的保護等々)を与えることにより、華人を経済活動に専念させ、その上がりをピンハネすることで、スハルト並びに取り巻きは巨額の富を手に入れていった。いわゆるスハルト・ファミリー・ビジネスと称される3男3女の財閥企業、そして「チュコン(政商)」や「コンチョ(クロニー)」と呼ばれる主に華人系財閥は、すべてがすべてスハルト政権の手厚い庇護の下、不条理、不公正な方法で蓄財に励んでいった。そして彼らに両手をあげて協力してきたのが他ならぬ日本企業であったことも否定できない事実だ。

スハルト時代、ノンプリ人口は全人口の3%、およそ500万人と言われていたが、そのわずか3%がインドネシア経済の8-9割方を牛耳っていた。一例を挙げれば、9割の民間銀行が華人の掌中にあり、また自動車、繊維、セメント、合板、不動産、タバコなどの産業もノンプリによって支配されていた。コングロマリットと呼ばれる巨大企業集団およそ200社の内、プリブミ(純インドネシア人)系はおよそ33社と言われていた。

華人によるインドネシア経済支配は、実は昨日今日に始まったものではない。数世紀もの歴史を持つ。350年間も植民地支配を続けたオランダ人が、バンテン(ジャワ島西部)に上陸した1596年、そこで見たものは、すでに経済を牛耳る中国人商人たちの姿であった。そしてオランダは、植民地経営の中で、これら中国人商人を巧みに利用することで、プリブミから富の搾取を続けることができた。

新秩序時代、ノンプリはスハルト政権とKKN(汚職・癒着・縁故主義)を結ぶことによって、巨利を貪ってきたが、一方で、日本を中核とする外資と手を結ぶことによって、スカルノ時代に破綻した同国経済を“離陸寸前”と言われるまでに牽引してきた功労者でもあった。裏返せば、華人系財閥の資金力とビジネス欲が、スハルト政権の長期政治的安定に寄与してきたとも言える。

1999年6月7日、総選挙。これまで猿轡をはめられてきた華人系インドネシア人がついに狼煙(のろし)を上げた。スカルノの旧秩序時代には華人系の閣僚さえ珍しくはなかったが、スハルト時代は、わずか2ヶ月余りの寿命だった第7次開発内閣において、ようやくというか、ついに“チュコン”のムハマド・ハッサン(通称ボブ・ハッサン)が商工大臣と入閣した。彼は中国名テー・キアン・センを持つ「ノンプリ」だ。しかし、浅黒い風貌から、庶民は日本の家電メーカーの名を転用して『HITACHI』と皮肉る。すなわち、Hitam Tapi Cina(黒いが華人の意味)だ。

今回総選挙に参加した48政党の中で、唯一「華人およびマイノリティ―の権利」を主張して闘った政党がPBI(Partai Bhinneka Tunggal Ika Indonesia=インドネシア多様性の統一党)。筆者はヌルディン・プルノモPBI党首とインタビューする機会を持った。以下、インタビューの抜粋。


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インドネシア国旗(左)とPBI党旗(右)そしてヌルディン党首

どのようないきさつでPBI創設を思い立ったのでしょうか?

1996年半ばから騒乱があちこちで目立つようになり、いつものことながらノンプリがその標的となりました。ノンプリはプリブミとは異なり、国民としての「安全」を保証してもらえていませんでした。これではいつまでたってもノンプリは日陰者のように暮らさなければいけない。インドネシア国民になれない。なんとかそういった状況から脱出しなければいけない。そう考え始めたのです。ロンドンの国際アムネスティへ出かけ、ジュネーブの国連人権委員会にも相談に行きました。しかし、政府はそういった海外からの団体の入域を認めませんでした。国内に国家人権委員会があるだろう、という態度だったのです。そこで私はいっそ海外に政党を作ろうかなとさえ考えました。そして昨年5月のジャカルタ大暴動の発生です。多くのノンプリ所有の商店が焼かれ、略奪にあい、多くの婦女子が強姦され、その上、生きたまま焼かれたのです。
そしてスハルトの退陣が5月21日。その4日後、私は政党を創設する決意を固め、翌26日、内務省へ出向き、PBIの結党を一方的に届けました。もちろん受理するとかしないとか状況ではなく、とにかく一方的に届け出たまでです。ジャカルタ暴動がピークに達した98年5月14日、私はバリへ脱出し、17日、妻や子供たちが暮らすオーストラリアのパースへ向かいました。私が経営する旅行会社の社員、彼らはノンプリですが、二人が焼かれ、二人の、やはり華人女子従業員がレイプされました。そして5月24日、オーストラリアからジャカルタへ戻り、結党を決心したのです。華人系インドネシア人、そして声なきマイノリティ―の声を国政に反映させるためにです。結党宣言は6月1日に発しました。

今回の総選挙では、中央政府レベルですでに5議席獲得したとか?

Stembus Accoord(少数政党が獲得票を合算する方式)によって、おかげさまで、今日(7月12日)現在5議席を確保しました。その5人とも全員華人系です。内、2名が女性です。東ジャワ州、西ジャワ州、西カリマンタン州、リアウ州、そして南スマトラ州での勝利です。一方州議会レベルでは、これまでに10議席を確保、県議会レベルは30議席を数えています。

しかし、風の便りによれば、当選した議員たちの多くが、実際には国会議員になることに躊躇しているとか?これまでの歴史の教訓から、華人系が政治の世界へ進出することに対して華人系自身に抵抗感があるとか。そのことで損失を被るよりも、今まで通りにビジネスで儲けていた方が得策だとの判断が働いていると聞きますが?

確かに、過去のトラウマによって政治の世界への進出をまだ恐れている華人系がいることは否定できません。しかし、今だからこそ、我々は声をあげなければならないのです。今こうして合法的に総選挙で議席を得たのですから、これを自ら捨てては愚か者でしょう?勇気が必要です。今こそ立ち上がるのです。我々は勇気を持たなくてはいけません。このインドネシアで生まれてこのインドネシアで死ぬんだという姿勢を示すためにも。華人系は東南アジアのあちこちにいますが、彼らは決してその国を侵略しようなどとは考えていません。ビジネスチャンスを求めているだけです。逃げようなどとも思っていません。

ところでインドネシアの華人系人口についてまちまちの情報がありますが、PBIとしては何人ぐらいいると見ているのでしょうか?

最低でも全人口の3%、つまり600万人ぐらい。しかし、私は厳密に華人系つまり華人の血が流れている人々の数は最小で1000万人、最大で2000万人ぐらいいるのではないかと想像しています。

さて、国会でどのような主張をしていくのでしょうか?

PBIは新インドネシア(Indonesia Baru)の建設に努めます。憲法改正も必要です。今あるUUD45(45年憲法)は、オランダ植民地支配が残した要素を色濃く引き継いでいます。独立してからもう54年も経つのですから、そろそろ現状に合った憲法に変えるべきでしょう。地方自治の飛躍的向上も大事です。なぜならこれまでのような中央集権化の下では、中央の汚職の規模は兆単位になりますが、仮に地方自治が飛躍的に高まれば、たとえ汚職があったとしても、その単位は億単位以下でしょう。少なくとも、無駄に消えていく国家財政は小さくなります。政治社会面からは、すべての国民に平等な権利と自由が保証されなければいけません。個人の希望が活かされる社会、個々の民族の伝統や言語、文化が自由に表現できる社会。そして信仰の完璧な自由。人権の確保も最重要課題です。つまりは、党名の如く、「多様性の統一」なのです。

PBIを構成する民族構成について説明していただけますか?

総裁である私が華人系、そして副総裁2名と事務局長も華人系。事務局次長のハリンダール・シン氏はインド系で、もう一人の事務局次長のマンシュールはアンボン人です。この他、財務担当や組織部長、業務部長はジャワ人、宗教担当はパダン人などです。つまり、けっして華人系で固めたわけではありません。


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左より次女のDeavi Purnomo(呉梅平)、ヌルディン氏、長女のVivi Purnomo(呉彗平)。

【プロフィール】

Nurdin Purnomo。中国名は呉能木杉(注:木へんに杉の字)。客家人。広東語ではGo Nen Pinと発音、マンダリンではWu Nen Pingと発音。1948年8月15日、ジャカルタで13人兄妹の第四子、四男として生まれる。父親は中国の広東省梅県生まれ。母親はモリシャス島生まれの華人。兄弟の内3人は香港、1名がアメリカ、一人がニュージーランドで暮らしている。ヌルディン自身もオーストラリアのパースに家を所有している。雅城中学(1950年代までジャカルタにあった華人のための高校)を卒業。香港のSt.Stephen's College を卒業。身長167cm、体重67kg。血液型B。1976年に観光旅行会社Setia Groupを設立、現在従業員およそ200名を抱える会社に成長。現在ではニューヨーク、オランダ、オーストラリア、シンガポールなどにも支店を持つ。娘三人は、全員がオーストラリアの大学を卒業、上の二人はそのままオーストラリアで会計士、大学講師として働き、末っ子は現在北京で中国語を学習中。

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