再録『GBIニュース』1999.7.17 【インタビュー】インドネシアの"ラジオ王"ルスミン・クセン
大川誠一の『GBIニュース』 1999年7月17 Berita GBI(17 Juli 1999)
インドネシアの"ラジオ王"ルスミン・クセン氏
【インタビュー】 特集:インドネシアのラジオ事情:インドネシアの"ラジオ王"ルスミン・クセン氏
インドネシアのテレビ放送事情については、先にGBIニュース(99年6月28日)で既報済みだが、今日はラジオ事情について報告する。
情報省ラジオ・テレビ・フィルム局総務部長のアグネス・ウィディヤンティ(Agnes Widiyanti)女史が語る。『99年6月末現在、全土で1,144局を数えます。この内、改革時代(ハビビ政権)に誕生した新ラジオ局は計74局です。ちなみにRRI(=Rajio Republik Indonesia=インドネシア国営ラジオ)は計53局、さらに地方政府が運営するラジオ局が計133局あります』。
つまりこういう事だ。スハルト政権下で存在したラジオ局は、RRI局が53局、地方政府局が133局、そして民放が884局の計1,070局。これにハビビ政権下で認可されたラジオ局が74局。1,070+74=1,144局。ちなみに、情報省報道局によれば、スハルト政権下で289を数えたSIUPP(新聞や雑誌の出版許可証)は、ハビビ政権になってから急増し、7月5日現在その数は1,427に達している。
つまり、ハビビ「改革開発政権」の下で新たに計1,138のSIUPPが発行されたことになる。SIUPPに関しては別の機会に詳細な報告を持ちたい。また、テレビ事情報告で触れたが、政府は年内にも新たに民間テレビを5局認可する予定で、経済危機下でその健全な経営が疑問視されてはいるが、新聞・雑誌・ラジオ・テレビとマスコミのあらゆるジャンルで「言論・報道の自由」が謳歌されつつある。
スハルト政権下では、全ての民間ラジオ局が、PRSSNI(Persatuan Radio Siaran Swasta Nasional Indonesia=インドネシア・全国民間ラジオ放送協会。会長はスハルト前大統領の長女トゥトゥだった)への加盟が強制されていたが、今年の4月25日、タシクマラヤ(Tasikmalaya)市にあるシリワンギ大学に集まった計50の民間ラジオ局経営者らは、PRSSNIから脱退して、新たにARSSI(Asosiasi Radio Siaran Swasta Indonesia=インドネシア民間ラジオ放送協会)の設立を宣言した。新聞や雑誌の世界でも、これまで政府により強制加入させられていたPWI(Persatuan Wartawan Indonesia=インドネシア記者協会)からの脱退メンバーが相次いでおり、新たな記者組織が雨後の竹の子のごとく出現している。
RRIについてもう少し詳しく触れておくと、RRI Nasional局が首都ジャカルタに1局、そしてRRI Nusantara局が、メダン(スマトラ島)、ジョグジャカルタ(ジャワ島)、バンジェルマシン(カリマンタン島)、ウジュンパンダン(スラウエシ島)、そしてジャヤプラ(イリアンジャヤ州)に計5局。さらに、RRI Regional I局が、計26の州都所在地(内4局は県都並びに政令地方都市)にある。また、RRI Regional II局が計21局、県都並びに政令地方都市に存在している。
1997/1998版情報省ラジオ・テレビ・フィルム局白書によれば、同年のRRI放送時間は計652,620時間(海外向け放送を含む)、一日平均1,788時間だ。ちなみにこの数字は、前年比1.7%(30時間)のアップだそうだ。尚、53局中、24時間放送を実施しているのは計19局。
放送内容は、国内外ニュース、娯楽番組(ちなみに1997/1998年度にRRIが放送した音楽は計692,014曲で、著作権料はYCI(Yayasan Karya Cipta Indonesia=インドネシア著作権協会)を通じて歌手や作詞・作曲者にロイヤルティが支払われているそうだ)の他にも、農村向け特別プログラムや、宗教放送、語学教育放送(インドネシア語、アラビア語、英語など)、さらには41の地方語によるニュース放送、また各民族の伝統音楽プログラムなどから構成されている。
またRRIは海外向け放送も行っており、インドネシア語以外に9言語(英語、マレーシア語、アラビア語、中国語、ドイツ語、フランス語、日本語、タイ語、スペイン語)での放送もある。同白書によれば、RRI海外放送は、1997/1998年度に計1,235通の手紙を海外リスナーから受け取ったが、最も多いのが日本からの447通、次いでドイツからの283通、そして英語圏からの259通だそうだ。
PAS FMのスタジオでは女性経済評論家による解説番組の生放送が
さて、話は"インドネシアのラジオ王"に移ろう。ルスミン・クセン氏。今月末に50歳の誕生日を迎える中部ジャワ州マゲラン市(Magelang=スマラン市とジョグジャカルタ市の中間地点に位置する)生まれの華人系実業家だ。
GBIニュース(99.7.6)で伝えた新聞社のJawa Pos Groupを率いるダフラン・イスカン氏とよく似たパターンで、ルスミン氏も地方を基盤にラジオ放送局網を展開し、現在首都ジャカルタにある二つのFM局を含め、中部ジャワ州を中心に計42のラジオ局を経営している。特に1978年に設立され、1997年11月よりルスミン氏がCEOを務めるCPP(C.V.Cipta Prima Pariwara)グループの傘下に入った、首都ジャカルタにある「PAS FM」局(106.85FM)は、インドネシアで初の経済ビジネス専門ニュース局として注目を集めている。
ジャカルタ特別区にあるRRIを含む計39局は、放送番組のほとんどを音楽にベースを置いているが、PASFMの場合、午前6時~10時までは完全に音楽番組を排除し、証券取引所情報、外為市場情報、ワールド・ニュース、金融・ファイナンスなどの経済・ビジネス情報を流している。
『他局は一日におおよそ200~240曲の音楽を流しますが、PAS FMでは約50~60曲のみです』と、ステーション・マネージャーのビフィ・アリフィン(Bivie Arifin)さん。ちなみに音楽の90%は欧米のポップで、わずか10%がインドネシア音楽だそうだ。放送時間は通常一日に19時間(05:00-24:00)だが、ラマダン(Ramadan =断食月)には24時間放送となる。
ジャカルタのPAS FM局ニュース部。左端はビフィさん、中央がルスミン氏。
【データ】首都圏ジャボタベック(Jabotabek=Jakarta,Bogor,Tangerang,Bekasi)にある民間FMラジオ局名
1: Bahana FM
2: MS Tri FM
3: Trijaya FM
4: Hard Rock FM
5: Draba FM
6: ARH FM
7: SP FM
8: Kampus Dangdut FM
9: Assyafiiyah FM
10:RPK FM
11:FMoslem
12:Ben's Radio
13:Cakrawala FM
14:Camajaya FM
15:CBB FM
16:Classic FM
17:Ria FM
18:Delta FM
19:Elshinta FM
20:Femake Radio
21:Agustina FM
22:Gaya FM
23:KISI FM
24:Kiss FM
25:M97 FM
26:Megaswara FM
27:Muara FM
28:Mustang
29:PAS FM
30:Pesona FM
31:Prambors
32:Pro FM
33:Radio Kayu Manis
34:Radio SK
35:Radio Ramako
36:RRI Bogor
37:RRI Pro2 FM
38:RRI Programa Ibukota 1
39:RRI Programa Nasional
40:Safari FM
41:5 A Sec FM
42:Sonora
43:Sport FM
44:Star FM
45:TMI
46:Elgangga
47:Ika Lesmana
48:Delta
【データ】首都圏にあるAM局名
1: Adhika Swara
2: Lokawisesa
3:Cendrawasih
4: 882 AM
5: EL Pas
6: El Nury
7: Radio Bhatara
8: Radio Kauman Bogor
9: Radio Sipatahunan
10:Seroja
11:Swara Irama Kusuma Sena
12:Dwikarya 69
13:Paku Sarakan Rapita
14:Swara Adya Samudra
15:Purnayuda
16:Puspa Dwiswara Cipta
17:ROS
18:Tarumanegara
【CPPグループ傘下のラジオ局名】
(Semarang市)
1: RCT FM
2: POP FM
3: RADIKS
(Weleri市)
4: PESONA 99
(Pekalongan市)
5: DAMASHINTA
6: CHANDRA
7: RKB
(Pemalang/Wiradesa)
8: RKS
(Tegal市)
9: Anita FM
(Ajibarang市)
10: Satria
(Purbalingga市)
11: SBS
(Purwokerto市)
12: PRO2 FM
(Banyumas市)
13: Sendang Mas
(Kroya市)
14: Bayusakti
(Cilacap市)
15: Wijaya
(Gombong市)
16: SKB
(Kebumen市)
17: Birmasakti
(Purworejo市)
18: Irama
(Yogyakarta市)
19: Yasika FM
20: Mandala FM
(Klaten市)
21: Candisewu FM
(Wonogiri市)
22: GIS
(Solo市)
23: SAS FM
24: JPI FM
25: Konservatori
(Kartasura)
26: Permata
(Salatiga市)
27: Zenith
28: Suara Salatiga
29: Leonard
(Temanggung市)
30: RPK FM
(Wonosobo市)
31: Buana AM
(Magelang市)
32: POLARIS FM
33: RWB
34: CBS
35: RPD AM
(Muntilan市)
36: GSM FM
(Demak市)
37: Bintaro
(Kudus市)
38: Suara Kudus
(Jepara市)
39: Kartini
(Pati市)
40: Suara Pati
(Jakarta特別市)
41:PAS FM
42: RIA FM
以下、ルスミン氏との会見の一部抜粋。
"Raja Radio(ラジオ王)"の目から見て、21世紀のインドネシアのラジオ事情はどのようになるとお考えでしょうか?
可能性はますます拡大すると見ています。もちろんテレビ普及の影響を無視はできませんが、ラジオはラジオなりのマーケットを持っています。21世紀に入ってもインドネシア経済は拡大を続けるでしょうから、いわんやグローバル化の波は否応なしに押し寄せてきます。人々はますますリアルタイムの情報を必要となるでしょう。とくに地方自治の拡大に伴って、地方経済が活性化していきます。そうなると、地方であっても首都と同様レベルの情報が必要となります。それを我々は提供します。もう一つ大事なことは、やはり我々がリスナーのニーズをいち早く察知して、彼らが何を求めているのかを常にモニターし、それを提供していくことです。ラジオはテレビと比べれば、もともと地方に根ざした放送文化とも言えましょう。もちろん、今後は地方テレビも生まれてきます。しかし、仕事をしながらでも楽しめ、情報をキャッチできるラジオ放送は、サバイバル可能です。だって、何と言っても、ラジオは安上がりですし、どこでも聞けますから。
これまでスハルト政権下では、すべての民間ラジオ局が国営ラジオ局RRI制作のニュ―ス番組を放送することが義務づけられていましたね?
スハルトの新秩序時代、私たちはニュース番組を制作することが許されませんでした。しかし新政権が発足して、そうですね昨年10月頃からでしょうか、独自取材のニュ―スを放送できるようになりました。かつては、一日に計12回のRRIニュースの中継放送が義務づけられていましたが、今では4回のみに削減されました。内訳は、中央からのニュースが計3回、そしてRRI地方局のニュースが1回です。もちろん我々としては、この義務を撤廃してもらいたいが、別の見方をすれば、ニュース制作費の圧縮にもなっていますから、内容さえ問題なければ、RRIのニュースを中継しても構いませんね。おそらく政府としてはこの政策を今後10年ぐらいは続けるでしょう。だって、地方局はまだまだ独自にニュース番組を作る能力がありませんからね。
番組制作の上で、21世紀の構想は?
現在のラジオ放送は全体的に娯楽番組に偏っていますが、我々のPAS FMのように、専門分野の情報を提供できるようなラジオ局の出現が期待されるでしょう。また、民主化と国民に対するデモクラシー教育の上でも、ラジオの役割はますます高まると思います。しかし、ラジオ局が政治的に利用されることには断固反対です。でも、宗教や教育といった、国民の精神生活を豊かにする上で欠かせない分野で、独自プログラムを制作していくことは必要となるでしょうね。
PAS FMのスタジオでは女性経済評論家による解説番組の生放送が
【プロフィール】
Rusmin Kusen(中国名:古晋明=Ku Tjin min)。1949年7月28日、中部ジャワのマゲラン市で、6人姉弟の第二子、長男として生まれる。CPPグループ(従業員およそ800名)のCEO。身長170cm、体重62kg、血液型O。プロテスタント教徒。
両親とも客家出身の華人で、父親は広東省生まれ、母親はマゲラン生まれの二世(両親は広東省生まれ)。サラティガ市にある私立Kristen Satya Wacana(UKSW)大学へ入学(電子工学専攻)するも、『自分の正確には合わない』との理由で自主退学、1971年より父親が経営する雑貨店の手伝い。
『でも、やはりおもしろくない。自分には合わない。そこで子供の頃から好きだったラジオ放送の分野へ挑戦してみようと思った。と言うのも、当時マゲラン市には2-3の民間ラジオ局があったが、どれも音楽を流しているだけで広告収入を得ることができると友人が語っていたからね』と。
1972年12月28日、POLARISという名称でAM局を開局(のちFM局に変更)。『資本金は、およそ2kgの金だった。当時は1kgが約500ルピアの価値だったと思う。高卒の給与が月に50~100ルピアの時代だった』。
出力は半径20kmぐらいで聴取可能だったとか。スタート時は9人のスタッフ。ところがわずか1年で倒産の危機。共同経営者との考え方の相違から無駄が多かったとか。1974年新たな資金投入で再出発。従業員も25名に。1976年には負債ゼロ。1990年にFM局へと変更。聴取半径は40kmへと。
『政府がテレビ広告を禁止した1981-1990年、ラジオ局の黄金時代でした。急激な収入増。92年からはアメリカの音楽番組さえ輸入しました。しかしテレビ広告の復活に伴い、再び冬の時代がきました。しかし、僕は1982年頃からすでに事業拡大に乗り出していて、まず手始めにサラティガ市で二番目のラジオ局をオープン、それは二年目にサラティガで一番のラジオ局に成長しました。次いで1985年にスマラン市進出。そのRCT局も二年でリーディング・ラジオ局に成長。そしてあれよあれよで、気がつくと1995年に計30局になってました。現在42局ですが、今後はジャワ島以外の地域でのラジオ局開設を考えています』と。
妻Lie Hsie Ling (中国名:李雪玲)さんとの間に1女(高校3年生)1男(中学1年生)の子供。好きなインドネシア語は「Serius」、好きな中国語は「忍」。趣味は、テニス、ジョギング、欧米音楽、読書、映画。『最近アメリカ映画のYou have got a mailを観ました』。
ルスミン氏は最近、マゲラン市に、「Bunda Wacana」という名称の財団を設立し、幼稚園から中学校までの私立学校を経営し始めた。『これからのインドネシアはSDM(人材)開発が一番重要だと考えたからです』と。
【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_28.html
再録『GBIニュース』1999.7.12 【インタビュー】 マトリPKB(民族覚醒党)党首
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_27.html
再録『GBIニュース』1999.7.11 【インタビュー】 B.J.ハビビ大統領と単独会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_25.html
再録『GBIニュース』1999.7.10 【会見】 作家プラムディア・アナンタ・トゥ―ル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_22.html
再録『GBIニュース』1999.7.8 獄中のブディマン・スジャトミコPDR党首と書面会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_21.html
再録『GBIニュース』1999.7.7 インドネシア最大のゲイ組織創設者デデ・ウトモ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_18.html
再録『GBIニュース』1999.7.6 インドネシアの新聞王ダフラン・イスカン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_15.html
再録『GBIニュース』1999.7.5 スラバヤ発【血判】 メガワティを大統領に!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_14.html
再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.3 スラバヤ発【紙幣】 新50,000ルピアが発行される?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_10.html
再録『GBIニュース』1999.7.2#2 【会見】アファン・ガファールUGM講師
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_9.html
再録『GBIニュース』1999.7.2 FOSMIが機関誌『PORT NUMBAY』を発行
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_8.html
再録『GBIニュース』1999.7.1 国立国語研究所でインドネシア語の検定試験を実施
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_7.html
再録『GBIニュース』1999.6.30【新刊】HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングルム
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_3.html
再録『GBIニュース』1999.6.29【セミポルノ新聞】タブーに“挑戦”するタブロイド紙『POP』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_1.html
再録『GBIニュース』1999.6.28 【会見】インドネシア・テレビ史の"生き字引"イシャルディ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_31.html
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_30.html
再録『GBIニュース』1999.6.26 【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_28.html
再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_24.html
再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_23.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_21.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#3知られざるアリー・スミットの名画に触れる
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_20.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.22 バリ島ウブドゥのコマネカ・ファイン・アート・ギャラリー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.21【トッペン】GBIがバリ島最高峰のトッペン(仮面)を東京へ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_16.html
再録『GBIニュース』1999.6.20 【会見】スリ・スルタン・ハメンクブォノ10世
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.19 【会見】イフラスル・アマールUGM(国立ガジャマダ大学学長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_9.html
再録『GBIニュース』1999.6.16 【インタビュー】ヘリー・コマール『GAMMA』誌編集長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_8.html
再録『GBIニュース』1999.6.15【出版事情】 笑いでストレス解消! ユーモア本が氾濫
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_7.html
再録『GBIニュース』1999.6.14【総選挙&マスコミ】 GBI代表TVRI出演
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_6.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_5.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_4.html
再録『GBIニュース』1999.6.13 【総選挙】 UGM教授が開票最終結果を予想
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.12 【映画】 新作『SRI』 月中旬ジャカルタと東京で初上映
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_13.html
再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_12.html
再録『GBIニュース』1999.6.7 『漫画で学ぶ改革派の闘士アミン・ライス』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.5 インタビュー:女優のクリスティン・ハキムさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_10.html
再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_5.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_28.html
再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_20.html
再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_24.html
再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_19.html
再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_18.html
再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_17.html
再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_16.html
再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_15.html
再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_14.html
再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_13.html
再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_12.html
再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_11.html
再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_10.html
再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_9.html
再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html
再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_7.html
再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_6.html
再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html
再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html
再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html
再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html
再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html
再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
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再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
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