再録『GBIニュース』1999.8.6 【会見】ムハマッド・ユヌス情報大臣

大川誠一の『GBIニュース』 1999年8月6日 Berita GBI(6 Agus. 1999)
【インタビュー】ムハマッド・ユヌス情報大臣
インドネシアの最新メディア事情については、GBIニュースで何度も伝えてきた。テレビ事情(99.6.28)、そしてラジオ事情(99.7.17)。また、新聞事情(99.7.6、99.6.29など)。それから週刊誌事情(98.11.21、98.11.23#2、98.11.25、99.6.16、99.6.18)。さらには通信社事情(98.11.20#2、98.12.9#2など)。出版事情についても99.1.15、99.1.19、99.6.15などで触れてきた。映画事情についても多くのリポートをお届けしてきた(98.11.24、98.12.3、98.12.5、98.12.5#3、98.12.7、99.6.12など)。
スハルト新秩序時代が『地獄』ならば、今日のハビビ政権改革時代は『天国』。これはインドネシアのマスコミにとって率直な感想だろう。情報省プレス育成課が作成した統計データを眺めてみれば、そのことを実感できる。"雨後の竹の子のごとく"とは、まさにスハルト王朝崩壊後のインドネシアの新マスコミ誕生を表現するためにある。しかし、経済危機に伴う著しい購買力の低下、そして大幅な広告収入の減少は、30年ぶりに手に入れた『言論の自由』を大きく揺さぶっていることも事実だ。が、そのような厳しい経済環境にも関わらず、情報省に対するSIUPP(出版許可証)申請願いは引きも切らずに続いている。
【データ:改革前と改革後の出版事情】(出典:情報省プレス育成課)
(注)データは1999年7月5現在
種類
改革前 改革後 計
日刊紙
79紙 172紙 251紙
週刊紙
88紙 671紙 759紙
週刊誌
31誌 49誌 80誌
隔月刊誌
48誌 108誌 156誌
月刊誌
32誌 124誌 156誌
隔週刊誌
2誌 8誌 10誌
季刊紙
1誌 3誌 4誌
ブレティン
8紙 3紙 11紙
計
289 1138 1427
【データ:改革後におけるSIUPP(出版許可証)発行件数】
週刊誌 306誌
新聞 259紙
タブロイド 570紙
ブレティン 3紙
計 1138
【改革後における地域別SIUPP発行件数】
アチェ特別州 10
北スマトラ州 66
西スマトラ州 13
リアウ州 23
ジャンビ州 7
ベンクル州 11
南スマトラ州 14
ランプン州 24
ジャカルタ特別州 549
西ジャワ州 101
中部ジャワ州 42
ジョグジャカルタ特別州 7
東ジャワ州 67
バリ州 15
西ヌサトウンガラ州 3
東ヌサトウンガラ州 2
西カリマンタン州 10
中部カリマンタン州 1
南カリマンタン州 7
東カリマンタン州 10
北スラウエシ州 31
中部スラウエシ州 13
東南スラウエシ州 11
南スラウエシ州 82
マルク州 14
イリアンジャヤ州 2
東ティモール州 3
計 1138
スカルノ政権の崩壊に伴うスハルト政権の誕生。やがて"独裁者"となるスハルトも、当初の数年間は、マスコミに対して『言論・報道の自由』を与えていた。政権の変わり目に、束の間ならが言論の自由が出現することは、インドネシアに限らず、世界の多くの国々で起きてきたことだ。しかしながら、やがて政権に批判が向けられ始めたとき、あるいは独裁体制を敷くために情報のコントロールの必要が生じたとき、たいていの場合、言論の自由は"夭折"を余儀なくされる。
スハルト政権はその典型的な例で、およそ30年間にわたって、全てのメディアの生殺与奪の権を完璧に握り続け、マスコミは「指導された報道」を強いられた。マスコミ規制の第一は、情報省が抑えていたSIUPP制度だ。スハルト新秩序時代、このSIUPPを手に入れることは至難の業で、一方で、SIUPPの取り消しに伴って多くのメディアが発行禁止処分を受けた。
ところが、"暫定"と揶揄されながらも、ハビビ政権はマスコミ規制を急激に緩和して、これまでの複雑・煩雑な手続きの代名詞とまで言われたSIUPP申請プロセスの簡易化を実施した。スハルト退陣のおよそ二週間後、98年6月5日、ムハマッド・ユヌス情報相は、SIUPPに関する情報大臣令No.1/PER/MENPEN/1998を発布し、画期的なSIUPP申請手続きの簡素化を実現した。
結果は? 上記データに見られるように、スハルト時代の32年間にわずか289を数えたSIUPP数は、ハビビ政権の13ヶ月で、なんと4倍近くにも急増した。そればかりか、さる7月28日、ユヌス情報相は国会に提出した「プレス法案(RUU Pers)」を通じて、インドネシアのマスコミにとってさらに革命的な緩和策を提案した。その柱は、(1)外国資本の国内メディアに対する投資を認める、(2)SIUPPの全廃、の二つから成る。
RUU Persの第8条第3項では、これまで同様に、国内報道機関の設立に際しては、インドネシア国籍を有する者、もしくはインドネシアの国内法に基づいて設立された法人が、その資本金を全額出資することを義務づけている。しかしながら、同法案は、同時に「外国資本は証券市場を通じて国内メディアに出資することが可能」と付記されている。どの程度まで外国資本の参加が許されるのかについては、国会論議を待たねばならないが、その範囲については、ハビビ政権が国会への提出を図ろうとしたものの、それが実現していない「マスメディア法案(RUU Media Massa)」の中にヒントが隠されている。同法案第3章第7条によれば、新聞・出版分野への外国資本の参加は、最大で資本金の25%まで。そしてテレビ・ラジオ分野も最大25%まで。しかしながら映画産業については、最大40%までの資本参加を認める、となっている。
筆者は、「自由プレスの守護者」と地元マスコミが称賛を惜しまないムハマッド・ユヌス情報相と2時間30分にわたる単独会見を行った。以下、インタビュー内容の抜粋。
あなたが情報相になるやいなや、驚異的な数のSIUPPが発行され、マスコミ産業は今や「ジャカルタの春」を謳歌していますね。マスコミ規制の緩和は、時代の流れで余儀なくされて実施したものでしょうか、それともハビビ政権並びに情報省に、それを強く願う思いがあったから?
私の願いは素晴らしい民主主義をこの国に築きたいということです。その重要な柱となるのは、他ならぬ言論・報道の自由です。45年憲法の第28条だって、そのことを保証している。言論の自由があるということは、国民の中にある色々な考え方、異なった考え方が、それらのプレスを通じて世の中に打ち出すことが出来るということです。これまでは国民が猿ぐつわをはめられ、その結果、民主主義の表現方法として、騒動や対立をいった形でしか意見を主張できなかったので。こういったネガティブな姿勢をなくすためには、自由の保証が一番大切です。国民の誰もが参加できる言論。そして国民が、この国は私が持っている国なんだ、と認識出来るような社会の創造。そのためには可能な限り、言論の自由が存在していなければならないのです。またマスコミによる社会コントロールもあらゆる分野で重要な役目です。それによって政府の人間がとても慎重になるでしょう。国民の声に非常に注意深くなるでしょう。その意味で、言論の自由は確保されていなければなりません。例えば、地方紙も今後どんどん増えていけば、州や県レベルの社会コントロールとしての機能を果たせます。地方自治の向上に伴い、州知事や県知事が今後は重大な決定を行うことでしょう。それらを厳しく監視する上でもマスコミの役割は大いに期待されています。さらに可能な限り多くの情報を国民に提供すること、それによって見識が高まり、ひいては民族としての信用性が高まり、それが立派なインドネシアを築く力となるのです。そしてそれが実現すれば、秩序ある、そして規則正しい社会が生まれるのです。
あなたは、情報相になるやいなや、『言論の自由のない政府よりも、政府のない言論の自由の方が大切だ』と発言しましたね?
それは1802年に米国第三代大統領のトーマス・ジェファーソンがいった内容です。100年近くも前に言論の自由を求めたアメリカ。それが1999年のインドネシアでできないわけがないでしょう?あの時代、一体アメリカにいくつの大学があったのでしょう?今日のインドネシアの方が遥かに多くの大学を有しているはずです。そしてアメリカは世界一の強国になった。報道・言論の自由があったからです。米タイム誌はインドネシアでも売られています。世界中のどこでも手に入ります。どうしてインドネシアの新聞や雑誌は世界で売られていないのでしょう?インドネシアのメディアもこれからどんどん成長して、海外へと進出していくべきです。もっと言えば、将来インドネシア人ジャーナリストを海外へと輸出できるようにならないといけない。今は、低賃金労働者だけ輸出している現状でしょう。海外の市場も考えろ、と私はインドネシアのメディアに強く要望したい。言論・報道の自由は決してプレスにとってのみ利益があるものではなくて、正に国民に利益があるのです。私はSIUPPの数の制限なんてまったくおこなう気持ちがありません。どんどんSIUPPを出して、次から次へと新たなマスコミが生まれることを望んでいます。それによって競争が激化し、そしてクオリティが高まるのです。マネジメントも向上するでしょう。これからのグルーバル化の流れ、情報化の中で、インドネシアが生き残るためにも、マスコミはどんどん拡大していかなくてはなりません。何も心配はしていません。自由な言論、そして自由な競争。これ無しにはこの国は伸びません。
しかし、SIUPPの氾濫の結果、いわゆる『ポルノ』論争も起きていますね。歯止めのないSIUPP 発行が、いわゆる公序良俗に反するメディアも生んでしまうのでは?
全然気にすることはない。なぜなら絶対的な自由というのは無いのだから。例えば、ポルノに関しては、それを律する法律があるでしょう。その法律に照らし合わせて取り締まればいいのであって、発行停止とか発禁とかの、これまでの方法をとる必要はまったくありません。もう一つSIUPPの氾濫に伴うポジティブな側面を見てみましょう。それは税収入の点です。かつて300弱の数のメディアから一体いくらの税収入があったのでしょうか。今はおよそ1500に達しています。当然、税収入が増えるでしょう。さらに、新たなメディアの誕生で、働き口が増えます。一石二鳥でしょう?その上、まともでない政府役人を監視、コントロールできるんだから、報道・言論の自由万歳ということだね。
ところで、失礼な質問かと思いますが、情報省ってまだ必要な政府機関でしょうか?
今はまだ必要だと思いますが、やがて縮小していく必要はあるでしょう。先進国には海外PRを行う機関がありますよね。そういった方向に持って行くべきではないかと思います。従って、将来的には省ではなくて局(Biro=Bureau)みたいの組織で十分でしょう。しかし、これまでのような政権与党のPR機関のようでは困るがね。
21世紀のインドネシア像を想像してみて下さい。
もしもこの国に報道・言論の自由があったのならば、スハルトも退陣しなかったと僕は確信している。もしもそれが存在していれば、清潔な政府があったはずだからね。彼をコントロールするものがなかったんだね。
ところで1994年の『TEMPO』誌の発禁処分ですが、僕もそれで職を失いました。あの情報省の措置をどう考えていますか?
発禁という処分は正しくない。あくまで裁判を通じて処理すべきだった。あまりにも非人間的な措置だったと思う。誰がやったって?それは当時情報相だったハルモコに尋ねてくれ!
【プロフィール】
Muhammad Yunus。1944年8月7日、南スラウエシ州ラパン(Rapang)県のラオタン・サロ(Laotang Salo)村で、11人兄妹の長男として生まれる。小学校の先生だった父親のYosfiah氏は対オランダ独立闘争時代にインドネシア国軍へ参加。『私が生まれてから直ぐに、父親は5年間も山中をまわり対オランダゲリラ戦を続けました。父親に抱かれたのは戦争が終わった1949 年のことでした』と。マカッサル人の父親は大尉で退役。母親はブギス人のMapiさん。『友人やマスコミは僕の氏名をYunus Yosfiahと呼び、書くけれども、これは間違いなんです。僕がAMN(陸軍士官学校)に在籍していた頃、ユヌスという名前の生徒が3名いて、間違わないように父親の氏名を足して呼んでいたのです。父親がAMNを尋ねた際に、「どのユヌスでしょうか?」と尋ねられ、そこで「Yosfiahのせがれのユヌスだ」と答えたことから、そうなってしまったんです』。高校卒業時(1962年)に、本来はアメリカへの留学が内定していたが、イリアン解放闘争の影響で、米国からの奨学金が取り消しとなり、そのため『格好がいいからAMNへでも入ることにした』そうだ。
1965年、AMN卒業。1966年、第二グループ大隊司令官。1975年、東ティモールで「Operasi Seroja(蓮華作戦)」に参加。1973年、米国Fort Braggでグリーン・ベレー心理戦訓練に参加。1977年、東ティモール744大隊司令官。1979-1980、米国Fort Leaven Worthにて陸軍幕僚学校で学ぶ。1985年、バンドンの国軍幕僚学校、同時に陸軍特殊部隊(Kopassus)作戦参謀。1985-1987年、東ティモール駐留第164軍分区(ウィラ・ダルマ)司令官。1988年、陸軍士官学校で教育部長。1989年、英国ロンドンにあるThe Royal College Defence留学。また、アフリカ6カ国、ヨーロッパ6カ国、アジア5カ国、オーストラリア及び米国へと研修。1990-1993年、カリマンタン島を傘下におく陸軍第6軍管区(Tanjungpura師団)参謀長。1993.4-1994.8、歩兵武器センター(Pussenif)司令官。1994.8-1995年、南スマトラを傘下におく陸軍第2軍管区(スリウィジャヤ師団)師団長。1995年、国軍(ABRI)幕僚指揮学校校長。1997.7、ABRI政治社会参謀長(Kassospol)。1997年、MPR(国民協議会)ABRI会派副議長。1998.5.22以降、情報相。
身長166cm、体重63kg、血液型B。趣味はゴルフ(HCは12)、テニス、チェス、ドライブなど。『私は形式的なことが大嫌いなので、お供を付けずに、自分でキジャン(トヨタ製大衆車)を運転してバンドンを往復する』。好きな言葉は"Kasih Sayang(愛情・慈愛)"。『Cinta(愛)は盲目でしょう?でもKasih Sayangは普遍的だからね』と。
妻は、東ティモールで任務に就いていたときに知り合った東ティモール人のAntonia Yacinta Ricardo Da Costar。1979 年に結婚。アントニアさんは元はカトリック教徒だったが、婚姻に伴いイスラム教徒に。『彼女の父親はポルトガル人。母親は東ティモール人。だから僕の子供たちには、ポルトガル、東ティモール、マッカサル、ブギスの四つの血が流れているのです。ですから東ティモールの住民投票に関しては、どのような結果が出ようとも私そして妻も受け入れます。1975年にインドネシア軍が介入したことを批判する人もいますけれども、あのとき入らなければ、兄弟戦争はもっともっとひどかったことでしょう。現在の状況は1975年とよく似ています。願いはエモーショナルではなくて、公正にそして高度な認識の元で投票を実施して欲しいということです。そうでないと、どのような結果が出ようとも、兄弟戦争が勃発するでしょう。かつてのギニアビサウやアンゴラのような事態が起きる可能性を懸念しています』。
5人の子供(女3,男2)の内、19歳の長男エリック(Eric Akbar Ricardo Yunus)は、プロゴルファーですでに2年間米国在住。『エリックは身長189cm。欧米人にも引けを取らない。インドネシア人、そしてアジア人の威信をかけて活躍するようにいつもアドバイスしている』---ユヌス大臣は、鞄の中にいつでも一枚の米国地図と、エリックのツアー・スケジュールを書き込んだノートをしまってある。『第二のタイガー・ウッズを目指せと言ってある』と。

【参考ブログ】
再録『GBIニュース』1999.7.29 【インタビュー】スシロ・バンバン・ユドヨノ国軍領域参謀長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201204article_2.html
再録『GBIニュース』1999.7.28 【書籍】幻のプラムディア(Pramoedya)氏未発表作品
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_28.html
再録『GBIニュース』1999.7.27 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_13.html
再録『GBIニュース』1999.7.24 【紙幣】 メガワティ政権誕生!?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_12.html
再録『GBIニュース』1999.7.22アチェ問題大統領顧問チーム・TPPUAムマッド・サレ氏に聞く
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.21【会見】 『Kalyanamitra』イタ・F・ナディアさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_9.html
再録『GBIニュース』1999.7.20 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
http://gr再録『GBIニュース』1999.7.20 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_7.html
再録『GBIニュース』1999.7.19 【インタビュー】エミー・ハフィルドWALHI代表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_5.html
再録『GBIニュース』1999.7.18#2 【最新流行語】 Bahasa Gaul(交際語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_4.html
再録『GBIニュース』1999.7.18【モデル・パート3】マルパチ航空スチュワーデスのヘニーさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_3.html
再録『GBIニュース』1999.7.17 【インタビュー】インドネシアの"ラジオ王"ルスミン・クセン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_1.html
再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_28.html
再録『GBIニュース』1999.7.12 【インタビュー】 マトリPKB(民族覚醒党)党首
1ttp://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201202/article_27.html
再録『GBIニュース』1999.7.11 【インタビュー】 B.J.ハビビ大統領と単独会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_25.html
再録『GBIニュース』1999.7.10 【会見】 作家プラムディア・アナンタ・トゥ―ル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_22.html
再録『GBIニュース』1999.7.8 獄中のブディマン・スジャトミコPDR党首と書面会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_21.html
再録『GBIニュース』1999.7.7 インドネシア最大のゲイ組織創設者デデ・ウトモ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_18.html
再録『GBIニュース』1999.7.6 インドネシアの新聞王ダフラン・イスカン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_15.html
再録『GBIニュース』1999.7.5 スラバヤ発【血判】 メガワティを大統領に!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_14.html
再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.3 スラバヤ発【紙幣】 新50,000ルピアが発行される?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_10.html
再録『GBIニュース』1999.7.2#2 【会見】アファン・ガファールUGM講師
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_9.html
再録『GBIニュース』1999.7.2 FOSMIが機関誌『PORT NUMBAY』を発行
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_8.html
再録『GBIニュース』1999.7.1 国立国語研究所でインドネシア語の検定試験を実施
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_7.html
再録『GBIニュース』1999.6.30【新刊】HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングルム
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_3.html
再録『GBIニュース』1999.6.29【セミポルノ新聞】タブーに“挑戦”するタブロイド紙『POP』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_1.html
再録『GBIニュース』1999.6.28 【会見】インドネシア・テレビ史の"生き字引"イシャルディ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_31.html
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_30.html
再録『GBIニュース』1999.6.26 【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_28.html
再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_24.html
再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_23.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_21.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#3知られざるアリー・スミットの名画に触れる
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_20.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.22 バリ島ウブドゥのコマネカ・ファイン・アート・ギャラリー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.21【トッペン】GBIがバリ島最高峰のトッペン(仮面)を東京へ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_16.html
再録『GBIニュース』1999.6.20 【会見】スリ・スルタン・ハメンクブォノ10世
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再録『GBIニュース』1999.6.19 【会見】イフラスル・アマールUGM(国立ガジャマダ大学学長
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再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
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再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
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再録『GBIニュース』1999.6.16 【インタビュー】ヘリー・コマール『GAMMA』誌編集長
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再録『GBIニュース』1999.6.15【出版事情】 笑いでストレス解消! ユーモア本が氾濫
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再録『GBIニュース』1999.6.14【総選挙&マスコミ】 GBI代表TVRI出演
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_6.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_5.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_4.html
再録『GBIニュース』1999.6.13 【総選挙】 UGM教授が開票最終結果を予想
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再録『GBIニュース』1999.6.12 【映画】 新作『SRI』 月中旬ジャカルタと東京で初上映
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_13.html
再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_12.html
再録『GBIニュース』1999.6.7 『漫画で学ぶ改革派の闘士アミン・ライス』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.5 インタビュー:女優のクリスティン・ハキムさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_10.html
再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_5.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201112article_2.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_28.html
再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_20.html
再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_24.html
再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_19.html
再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_18.html
再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_17.html
再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_16.html
再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_15.html
再録『GBIニュース』1999.3.7【インドネシア・ジョークユーモア特集3】インテル・インサイド
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_14.html
再録『GBIニュース』1999.3.5 【ビジネス】イリアンジャヤから熱帯魚バラムンディを輸出希望
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_13.html
再録『GBIニュース』1999.3.4【インドネシア・ジョークユーモア特集2】 それだけは求めるな!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_12.html
再録『GBIニュース』1999.3.3【インドネシア・ジョーク&ユーモア特集1】 『地獄への電話』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_11.html
再録『GBIニュース』1999.2.25 【人】 アンティック・ストーンとジュナイディ・ハンドコ氏
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再録『GBIニュース』1999.2.24 イリアンジャヤへ帰った研修生ベルナドゥス・ティパガウさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_9.html
再録『GBIニュース』1999.2.23 【インタビュー】 作家セノ・グミラ・アジダルマ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_8.html
再録『GBIニュース』1999.2.14 IWAPI(イ女性経営者協会)が3月ジャカルタで国際セミナー
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_7.html
再録『GBIニュース』1999.1.19#2ラトゥナ・サルンパエット女史が演じる『マルシナは訴える』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_6.html
再録『GBIニュース』1999.1.19 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_4.html
再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15 【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_2.html
再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201111article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_31.html
再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_30.html
再録『GBIニュース』1998.12.15 【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_29.html
再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_28.html
再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_27.html
再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_26.html
再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_25.html
再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_24.html
再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201110article_21.html
再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
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