再録『GBIニュース』2000.6.17 【講演】 ワルディマン・ジョヨネゴロ元教育文化大臣
大川誠一のGBIニュース(2000年6月17日)(Berita GBI: 17 Juni .2000) Ceramah Bpk WARDIMAN DJOJONEGORO di GBI
【講演】 ワルディマン・ジョヨネゴロ元教育文化大臣・現ハビビ基金議長
『ワヒド大統領は二期に挑戦するかも』
インドネシア文化宮(GBI)の第42期インドネシア理解講座「ワルディマン・ジョヨネゴロ元教育文化大臣講演会」が6月16日(金)、東京・高田馬場にあるGBIで開催された。"Jam Karet(ゴムのような時間。つまり伸びることはあっても縮まない)"文化を誇る(?)インドネシア共和国の元教育文化大臣 (GBIニュース1999.12.25号参照)だが、GBIのアドバイザーの一人でもあるワルディマン氏は時間に厳格なことで知られている。講演開始時刻の15分前にGBIへ到着、隣のカレー屋さんで、しっかりと腹ごしらえ。『このカレーは日本人には辛いような気がしますが、レシピはどこで覚えたのですか?』とお店の女性主人に質問。『このラッキョウは実に美味しい。追加できますか?』と計3皿。ご飯も残り少なくなったころ、『カレーを半分だけ追加して下さい』と、食に目がないワルディマン氏。
ワルディマン・ジョジョネゴロ元教育文化大臣氏(撮影:伊藤静子)
さて、ワルディマン氏の講演は、さる5月22日に、ハビビ前大統領(GBIニュース1999.7.11号&1999.8.26号参照)が正式発足させたハビビ・センター(THC:The Habibie Center)のミッションやビジョンに関する説明を中心に、現ワヒド政権の行方、統一インドネシア国家の運命など多岐に渡るテーマにも触れた。
以下、発言の抜粋。
【ハビビ政権】
『1998年5月、ハビビ政権が誕生したとき、多くのインドネシア専門家たちが、ハビビ政権は10日間ももたないだろうと予想した。しかし17ヶ月の政権だった。彼は三日で100人以上の政治犯に恩赦を与え、100日間で言論の自由を確立した。政治の民主化、言論の自由、表現の自由、そして透明性の高い総選挙など、すべて短い政権下でこなした。また彼は国軍と警察とを分離した。表現の自由の面から言えば、17ヶ月間に2,300件ものデモが発生。一方ハビビ政権は、そのわずか17ヶ月間で38もの法律を作った。これは32年間のスハルト政権時代と比較しても画期的なことだ』
『MPRでハビビ大統領の責任演説が否決された時、本当は何ら法的強制力はないが、彼はその否決を重視し、ゴルカルの仲間たちが「大統領選に立候補すべきだ!」と主張したが、彼は「私は立候補しない。私は民主主義の意味とモラルを示したい」と言って大統領選に加わらなかった』
【ハビビ・センター】
『THCのインスピレーションはアメリカのカーターセンターにある。大きなミッションは、ハビビ前大統領が始めた民主化プロセスを今後も継続して進めていく母体とすることだ。オープニングセレモニーそしてディナーセレモニーの双方にワヒド大統領が出席した。ワヒド大統領は、THCの主要アドバイザーになることに同意した。THCは6部門から構成されるが、初年度はセミナーやコロキウムなどの開催を主な活動とする』
『マスコミは、「THCはハビビのカムバックのための母体だ」とか「THCはどこから資金を集めるのか?」などといったことにだけ関心があるが、的確な捉え方ではない。カムバックを狙うのならば、政党の長にならなければならない。わずか30名程度のNGOで復権を狙おうなんてかんがえますか?。資金のことで言えば、ハビビさんはご承知の通り、独メッサーシュミット社の技術開発担当副社長を務めた経験がある。同社に関わった32年間の給与だけだって相当な額だ。もちろんTHCは諸外国の機関に寄付金を求めてもいます。例えば、日本財団に対しては海洋開発がらみの援助を求めていますが、これもTHCが今後計画するプロジェクトが受け入れられれば、資金援助を期待できるというもので、むやみにお金が転がり込むものではありません』
【次期大統領は?】
『確かに1999年の総選挙でメガワティ女史率いるPDIP(闘争民主党)は150議席ぐらい確保した。一方ゴルカルは120議席ぐらい。しかし得票率と獲得議席数とを比較した場合、ゴルカルもそれなりに頑張っている。しかし、大統領選でアミン・ライスが幾つかのイスラム政党を糾合してワヒドを大統領にすることで、メガワティは副大統領止まりだった。これはアミンの賢さがそうさせた。私の個人的な考えだが、メガワティは淡々と待てばいい、もしも大統領を狙うのならば。しかし、彼女はあまり賢くはない、同様に彼女のアドバイザーたちも利口ではない。彼女は自らのベネフィットのために現在の状況から力を結集できないでいる。つまり今の状況では彼女は大きな動きを作れないということだ。かつてスハルト憎し、ゴルカル憎し、といった国民感情がメガワティ人気に繋がった。しかし、今スハルトもゴルカルも憎しみの対象ではなくなった』
【ワヒド大統領】
『保守的な分析だが、ワヒド大統領は、身体にハンディキャップがあっても、実に賢い人物だ。従って来る8月のMPR(国民協議会)も乗り切ることが可能だろう。彼はいまだに強力な力を持っている。健康問題は別として、彼はこれまで多くのミステークもしたが、今後もやっていけるだろう。Power is Willなのです。彼は一期ばかりか二期やるだろうと私は予想しています。2004年前の政権交代ならばメガワティも大統領の座に座れるだろうが、2004年にはアミン・ライス、アクバール・タンジュン。そしてメガワティの三者の闘いとなるでしょう』
【アチェ&パプアなどの分離独立運動の動き】
『インドネシア共和国は、まだとても若い国家なのです。そして非常に多様性に富んでいる。経済危機以降、国民は非常にエモーショナルになっています。アチェを見てご覧なさい。アチェのピディ(Pidie)県という所は、150年間も中央政府に抵抗してきた土地柄なんです。経済危機で中央政府に力がなくなると、各地で反中央感情が噴き出しました。ワヒド政権は武装ゲリラがいるアチェでさえ対話姿勢で、GAM(独立アチェ運動)と一緒の席に着いています。確かに武力衝突はまだありますがね。そのようにアチェでさえ押さえ込んでいることを考慮すれば、パプア(イリアンジャヤ)のケースは、問題解決は比較的容易とも言えるでしょう。しかし、パプアでは外国の干渉が目に付きます。先々週、ジャヤプラで住民会議が開催されたとき、私も現地に行きましたが、米大使自らがやって来ているし、オーストラリアなどは諜報員を送り込んでいました。それにプラスして海外からのNGO。彼らがけしかけて政治状況を熱くさせています。つまり、やがては国軍が介入し、人権侵害を起こさせ、そして国際的な非難を巻き起こすといった狙いがあるのでしょうか。個人的にはこうした分離独立問題は、経済さえ良くなれば解決に向かうと思います。従って経済再建が最優先されなければなりません』
【経済回復の行方】
『ワヒド政権は余りにも政治に力を注いでいます。その昔、一緒になってスハルト批判をした仲間たちを取り巻きに使って、政治に集中しているようです。身体的なハンディキャップにより、読まなければならない経済データ・資料に目を通すことができないので、その辺りでも経済政策面でハンディがあるようです。また、取り巻きが政治志向だということも、経済の軽視に繋がっています。今起きているBI(インドネシア中央銀行)の総裁解任騒動にしても、ワヒド大統領は政治的に辞めさせようとしています。しかし、BIと政府との分離は、ハビビ前大統領が押し進めたものです。まあ、今年の経済成長は2%程度はいけると思います』
【東ティモール】
『東ティモールの件は、ハビビ大統領の失敗だったとは思いません。アチェやイリアンジャヤ(パプア)と違って、東ティモールは後にインドネシア共和国に併合された土地です。東ティモールを手にれたのは陸軍なんです。ハビビさんはかつて私に言ったことがあります。「かつてドゴール仏大統領がアルジェリアを解放すると言った。しかし仏陸軍は猛反対。しかし、歴史はある日、それが正しかったことを証明するでしょう」と』
【社会不公正】
『ブラジルやフィリピンを見てご覧なさい。あっちの方がインドネシアよりも社会不公正が大きい。しかし、なぜかインドネシアだけがクロズアップされる。マレーシアだって一人あたりのGNPがUS$5,000の時、貧富の差はあった。但し底辺も底上げされたのです。ですから、インドネシアも、一刻も早く経済を立て直し、底上げをはかることが大切です』
【インドネシアの誇り】
『我が国は島国。400以上もの民族から構成されています。しかし経済危機があっても、いまだ統一を維持しています。Indonesia is still oneなのです。これはとても大事なことです。ただ残念なことにマルクで見られるような宗教対立といった騒乱が絶えない。これはネガティブな要素です』
講演を終えて記念撮影(撮影:伊藤静子)
【ワルディマン・ジョヨネゴロ氏プロフィール】
Name: WARDIMAN DJOJONEGORO
Position: Senior Scientist (Ahli Peneliti Utama) of the Agency for the Assessment and Application of Technology (BPPT)
Professor, in Mathematics and Sciences, University of
Padjadjaran Bandung, Indonesia
Chairman, Foundation for Human Resources in
Science and Technology, The Habibie Center
Place of Birth: Pamekasan, Madura, Indonesia
Date of Birth: June 22, 1934
Education: Dipl.-Ing., Mechanical Engineering, Technische Hochschule, Aachen, Germany, 1963
Doctor, Technical Sciences, Technische Hogeschool, Delft, Netherlands, 1985
Career: 1993-1998: Minister of Education and Culture, Government of the Republic of Indonesia
1992-1998 :Member of the People's Consultative Assembly, Republic of Indonesia
1992-1993: Member Advisory Committee for Nuclear Power Plant Feasibility Study
1990-1991: Guest Lecturer for Regional Development at the Institute for Teacher Training at Bandung (IKIP-Bandung)
1989-1991: Guest Lecturer for Regional Development at the Institute for Technology Bandung (ITB)
1987-1989: Rector, Institute of Technology Indonesia (ITI)
1985-present: Secretary General, Japan-Indonesia Science and Technology Forum (JIF)
1985-1993: Project Coordinator, Transport Projects jointly implemented by the Government of Indonesia and Japan
1983-1993: Chairman and Project Coordinator for Science and Technology Manpower Development Programs (STMDP)
1982-1993: Deputy Chairman, Agency for the Assessment and Application of Technology (BPPT)
1981-1982: Director for System Analysis, Agency for the Assessment and Application of Technology
1979-1993: Senior Scientist at the Agency for the Assessment and Application of Technology, responsible for energy planning project
1979-1988: Assistant I (Planning) to the Minister of State for Research and Technology, Government of the Republic of Indonesia
1967-1979: Department Head, Government of the City of Jakarta
1963-1967: Staff Credit Departments, Development Bank of Indonesia (BAPINDO), Jakarta
Publications: More than 100 publications, including numerous subjects
Highlights:
Throughout his career Prof. Wardiman Djojonegoro has been intimately involved, in various capacities, with research, education and training issues. Early on in his career, as Assistant Minister for Planning to the Minister of State for Research and Technology he dealt with the development of plans for, and priorities of, science and technology (S&T) research in Indonesia. while holding this position he also became involved as Deputy Chairman with administrative management and planning of all the work done by the Agency for the Assessment and Application of Technology (BPPT); an agency chartered to provide S&T services to all other Government Departments, and to provide policy advice on S&T development to the President of the Republic of Indonesia.
His career in BPPT is further highlighted by numerous assignments in addition to his official duties. Throughout the eighties Prof. Wardiman was also senior scientist in charge of specific research programs. These included energy planning programs, addressing national energy planning using Liner Programming models, fuel transportation studies, energy supply development studies, and research into innovative fuels such as methanol production and utilization. From 1987 on, he spearheaded major human resource development programs, supported by financing from the World Bank and the Overseas Economic Cooperation Fund (OECF), Japan, aimed at strengthening the specific manpower capabilities of BPPT. These programs amounted to expenditures of US$ 250 million over a 10 to 15 year period, and are still ongoing. One particular program - Science and Technology for Industrial Development or STAID - is currently executed, and is the basis for a major World Bank funded technology development program, jointly operated with the Ministry of Industry.
In the early eighties Prof. Wardiman also initiated efforts to establish intensive cooperation in science and technology with Japan, as a bridging initiative between public and private interests in both Indonesia and Japan. Since its formation Prof. Wardiman has served as the Secretary General of the Japan-Indonesia Science and Technology Forum (JIF), which was established as a result of the initial efforts.
In April of 1993-until March 1998, Prof. Wardiman was appointed by President Soeharto to the Sixth Development Cabinet of the Republic of Indonesia, as Minister of Education and Culture. In this capacity he manages one of the largest ministries in the Republic. He overseas operation of al state schools at the primary level (with about 30 million students), secondary level (with about 13 million students), and at the higher education level (with about 91 public universities, 1200 private universities and about 2.4 million students). One of the major policies Prof. Wardiman has introduced is the so called LINK and MATCH policy, requiring that education at all levels be closely linked to the world of work. The overriding goal of the policy is not only to make education more relevant to today's requirements in the productive sectors of the economy, but also to correct supply-demand imbalances in the labor market.
【参考ブログ】
GBIニュース
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/d29d402d07.html
再録『GBIニュース』2000.6.5 【アチェ&パプア】人道的休戦と独立再宣言・二人の革命家の明暗
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201304article_1.html
再録『GBIニュース』2000.5.29 【エディ・ハスビ報道写真展】7月1日~31日、GBIで開催
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_28.html
再録『GBIニュース』2000.5.17 【人】エディ・ハスビ---『コンパス』紙報道カメラマン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_27.html
再録『GBIニュース』2000.5.11 【ビデオ】 これがインドネシア全州だ!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_26.html
再録『GBIニュース』2000.5.10 【人】 サヨリ夫妻----イリアンジャヤからやってきた花婿
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_25.html
再録『GBIニュース』2000.4.21 【人】 歌手デシー・ラトゥナサリ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_24.html
再録『GBIニュース』2000.3.31 【画家ダルマジ展】 『素晴らしい多様性の世界へどうぞ』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_23.html
再録『GBIニュース』2000.3.27【映画パチンコ6】 3月27日、ついにクランク・アップ!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_21.html
再録『GBIニュース』2000.3.17 【映画パチンコ5】日イの文化衝突を乗り越えて
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_20.html
再録『GBIニュース』2000.3.9 【映画パチンコ4】 3月13日(月)クランクイン敢行!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_19.html
再録『GBIニュース』2000.2.27 【映画パチンコ】 クランクインまであと一週間
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_16.html
再録『GBIニュース』2000.2.24 【ダンドゥット】 東京・赤坂見附でムラユ・ロックが大爆発!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_15.html
再録『GBIニュース』2000.2.20 【映画】ハリー監督、ロケハン開始。キャスティングに悩み。
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_14.html
再録『GBIニュース』2000.2.14【旧日本兵(3)】さらに発見"見捨てられた日本軍将兵の遺骨
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_13.html
再録『GBIニュース』2000.2.13 【人】 映画監督ハリー・スハルヤディ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_12.html
再録『GBIニュース』2000.2.11【ライブ】 スランク東京公演・画像リポート
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_11.html
再録『GBIニュース』2000.2.1 【人】 アミン・ライスMPR(国民協議会)議長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_10.html
再録『GBIニュース』2000.1.30【ライブ】 『インドネシアン・ロック日本初公演』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_9.html
再録『GBIニュース』2000.1.14【インタビュー】 作家ユディスティラ・ANM・マサルディ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_8.html
再録『GBIニュース』2000.1.13【インタビュー】 ハサン・アルウィ国立国語研究所所長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_7.html
再録『GBIニュース』2000.1.12【インタビュー】アチェの反体制知識人オットー・シャムスディン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_3.html
再録『GBIニュース』2000.1.11【インタビュー】 Ali Hasjmy元アチェ特別州知事
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201303article_2.html
再録『GBIニュース』2000.1.7 【書籍】 Buku 『独立アチェ運動(GAM)』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201302article_4.html
再録『GBIニュース』2000.1.6 【政治コミック】漫画で見るメガワティの闘争
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201302article_3.html
再録『GBIニュース』1999.12.25 【人】 ワルディマン元教育文化相
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_27.html再録『GBIニュース』1999.12.16 【インタビュー】 リアス・ラシッド地方自治相
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_26.html
再録『GBIニュース』1999.12.13 【インタビュー】 アチェMP-GAM事務局長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_25.html
再録『GBIニュース』1999.12.12 【インタビュー】フサイニ・ハサンGAM協議会議長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_24.html
再録『GBIニュース』1999.12.11 【インタビュー】アチェ独立軍司令官アブドゥラ・シャフェイ
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_23.html
再録『GBIニュース』1999.12.9 【インタビュー】 特報!西パプア独立運動指導者テイス氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_9.html
再録『GBIニュース』1999.12.7 【旧日本兵】 特報! 映像が語る"見捨てられた日本軍将兵
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_8.html
再録『GBIニュース』1999.11.26 【旧日本兵】 イリアンの鍾乳洞に32体の遺骨
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201301article_7.html
再録『GBIニュース』1999.11.22 【新国家】 インドネシア共和国が10ヶ国に分裂?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_12.html
再録『GBIニュース』1999.11.18【国際情勢研修プログラム】NHK職員がGBIでイ勉強会
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_11.html
再録『GBIニュース』1999.11.16 【フォトエッセイ】ワヒド大統領来日
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_10.html
再録『GBIニュース』1999.11.13【インタビュー】ワヒド大統領 Gus Dur
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_9.html
再録『GBIニュース』1999.11.7【書籍】グス・ドゥールを知るための一冊
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_8.html
再録『GBIニュース』1999.11.6 【人】アイヌの詩人アト゜イ(Atuy) Suku Ainu
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_7.html
再録『GBIニュース』1999.11.2【グス・ドゥ―ル政権分析】(No.3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_6.html
再録『GBIニュース』1999.11.1【グス・ドゥ―ル政権分析】(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_5.html
再録『GBIニュース』1999.10.31【グス・ドゥ―ル政権分析】(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_4.html
再録『GBIニュース』1999.10.30【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_3.html
再録『GBIニュース』1999.10.29【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_2.html
再録『GBIニュース』1999.10.28【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201212article_1.html
再録『GBIニュース』1999.10.11 【人】デヴィ・スカルノ初代大統領夫人
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201211article_30.html
再録『GBIニュース』1999.10.7【トペン展】小学生がGBIでイ文化理解授業
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201211article_13.html
再録『GBIニュース』1999.9.6 デヴィ・スカルノ初代大統領夫人声明
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201211article_12.html
再録『GBIニュース』1999.9.3【モデル・パート4】インドネシアのミケランジェロはヌード画一筋
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_28.html
再録『GBIニュース』1999.9.2 【セミナー】 JICA主催『インドネシア再生の道を探る』
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_27.html
再録『GBIニュース』1999.8.26 【インタビュー】 ハビビ大統領
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_15.html
再録『GBIニュース』1999.8.21【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_14.html
再録『GBIニュース』1999.8.13【インタビュー】 AGグループ総帥トミー・ウィナタ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_13.html
再録『GBIニュース』1999.8.10 【インタビュー】 ルスマンハディ警察庁長官
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_12.html
再録『GBIニュース』1999.8.9【犯罪】インドネシア警察庁最新データにみる犯罪傾向
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_11.html
再録『GBIニュース』1999.8.8 【スハルト前大統領】脳卒中の遠因は?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_10.html
再録『GBIニュース』1999.8.7 【ポルノグラフィー】 TVRIのディベート出演
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_9.html
再録『GBIニュース』1999.8.6 【会見】ムハマッド・ユヌス情報大臣
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201206article_7.html
再録『GBIニュース』1999.7.29 【インタビュー】スシロ・バンバン・ユドヨノ国軍領域参謀長
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201204article_2.html
再録『GBIニュース』1999.7.28 【書籍】幻のプラムディア(Pramoedya)氏未発表作品
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_28.html
再録『GBIニュース』1999.7.27 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_13.html
再録『GBIニュース』1999.7.24 【紙幣】 メガワティ政権誕生!?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_12.html
再録『GBIニュース』1999.7.22アチェ問題大統領顧問チーム・TPPUAムマッド・サレ氏に聞く
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.21【会見】 『Kalyanamitra』イタ・F・ナディアさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_9.html
再録『GBIニュース』1999.7.20 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
http://gr再録『GBIニュース』1999.7.20 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_7.html
再録『GBIニュース』1999.7.19 【インタビュー】エミー・ハフィルドWALHI代表
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_5.html
再録『GBIニュース』1999.7.18#2 【最新流行語】 Bahasa Gaul(交際語)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_4.html
再録『GBIニュース』1999.7.18【モデル・パート3】マルパチ航空スチュワーデスのヘニーさん
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_3.html
再録『GBIニュース』1999.7.17 【インタビュー】インドネシアの"ラジオ王"ルスミン・クセン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201203article_1.html
再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_28.html
再録『GBIニュース』1999.7.12 【インタビュー】 マトリPKB(民族覚醒党)党首
1ttp://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201202/article_27.html
再録『GBIニュース』1999.7.11 【インタビュー】 B.J.ハビビ大統領と単独会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_25.html
再録『GBIニュース』1999.7.10 【会見】 作家プラムディア・アナンタ・トゥ―ル
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_22.html
再録『GBIニュース』1999.7.8 獄中のブディマン・スジャトミコPDR党首と書面会見
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_21.html
再録『GBIニュース』1999.7.7 インドネシア最大のゲイ組織創設者デデ・ウトモ氏
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_18.html
再録『GBIニュース』1999.7.6 インドネシアの新聞王ダフラン・イスカン
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_15.html
再録『GBIニュース』1999.7.5 スラバヤ発【血判】 メガワティを大統領に!
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_14.html
再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html
再録『GBIニュース』1999.7.3 スラバヤ発【紙幣】 新50,000ルピアが発行される?
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_10.html
再録『GBIニュース』1999.7.2#2 【会見】アファン・ガファールUGM講師
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_9.html
この記事へのコメント