再録 【安田和彦の沖縄マタハリ物語】 マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ
【安田和彦の沖縄マタハリ物語】
『マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ』(1999.3.25)


「マタハリ」が何のことかわかったのは、ある歌を聞いてからである。それは、「安里屋(あさどや)ゆんた」という歌で、この中の囃子ことばの部分に「マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ」とあるのだ。「安里屋(あさどや)ゆんた」は、八重山竹富島の古謡を元歌に昭和初期に近代風に編曲されたもので、1994年に郵便局の主催、ラジオ沖縄・琉球放送の共催で行われた「あなたが選ぶ沖縄の歌100選」では、40000余りの葉書が寄せられた中で第1位になったという、広い範囲で知られている歌である。
「マタハリ」が囃子ことばとしてどのような意味なのかは残念ながらわからないのだが、「マタハリってインドネシア語にもあるんですよね。」と言われる度に、沖縄とインドネシアの間につながっている何かを感じた。
その後、名護に住んでいて自分の中で大きく変化したものに、「地図」がある。この「地図」とは、自分がいる場所とインドネシアを結ぶ、自分の意識の中にある地図のことだ。大阪にいる時は、まず横長の長方形の右上に大阪があって、そこから左斜め下に向かうと、その先にジャカルタがあり、ジャワがあり、バリがあって、という絵を思い浮かべた。
現実には、大阪の真南はイリアンジャヤであるのだが、どうもうまく実感できず、ここから西南に飛んだ所がインドネシアだと感じていた。そして、大阪からインドネシアに引かれる線は、空の上を飛んでいくもので、具体的にガルーダインドネシア航空機の形をしていた。
ところが、いまは南に向かって目の前に広がる海の水平線の向こうにハルマヘラ・マルクがある、という絵を思い描くことができる。ここから南に行き、フィリピンを越え、赤道付近まで達したら、そこに東西に広がっている島々がインドネシアであると、実感できるようになった。もちろん、インドネシアに続く海上の線は船の形をしている。
さて、自分の中の「地図」が変わったことで、インドネシア語と日本語について、その起源を思うと心がときめくようになった。インドネシア語は系統的にはオーストロネシア語族に属すが、その起源について、台湾経由説というものがある。つまり、何千年もの昔にインドネシア語の祖先にあたる言葉が、中国大陸からまず台湾に広がり、そこからフィリピン・インドネシア西部・マレー半島に分布していったという考えだ。
日本語についても、その起源にオーストロネシア語族の影響を認めるという考えがあり、そのことを具体的に示す例として、琉球(特に八重山方言)語の語彙が挙げられている。これら二つの話は、大阪にいる時は一つの学説に過ぎなかった。しかし、ここに暮らしていると、それらを言語学的に検証するという前に、そうであったらいい、とか、そうであっても不思議ではないというような気持ちが先に来る。
原オ―ストロネシア語が大陸から台湾へ渡った後、ほんの少し北東に足を伸ばしていたかもしれないと、海を見ながら思い浮かべるのも楽しい一時に違いない。遠い昔から、つい何百年か前まで、沖縄・日本・インドネシアは海を間にして確かにつながっていたのだ。
【参考ブログ】
再録 【安田和彦の沖縄マタハリ物語】 沖縄からインドネシアを考える
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201306article_21.html
“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)5 Goa Jepang Pulau Biak Papua
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200909article_2.html
“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)4 Goa Jepang Pulau Biak Papua
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)3 Goa Jepang Pulau Biak Papua
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インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
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https://gbitokyo.seesaa.net/article/200712article_2.html
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インドネシア文化宮活動記録(日本語)
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インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
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