再録『ライラのイリアンジャヤだより』 Surat dari Irja 祈祷を受けに帰郷(パート2)
ルームメート、祈祷を受けに帰郷(パート2)(1998/12/31)

二つの黒いビニール袋に、着替えと実家へのお土産の食用油を詰め込み、座席のない軍用機に乗り込んだ。立ったり、時々床に座ったりすること約50分、ワメナの空港に降り立った。いつ行くのかを、事前に両親や友人に知らせていなかったため、空港に出迎えの姿はなかった。
ティオム村は、中央高地の玄関口にあたるワメナ市の遙か西方の、急峻な山岳地帯にある。ラニ族(西ダニ族)が暮らす標高2,000メートル弱の高地だ。電話連絡なんて考えようもない地帯だ。とりあえず、高校時代に下宿していたワメナの叔父さんの家へと、ベチャに乗った。事情を話し、ティオム村へ向かうまでの数日間そこに世話になることになった。
12月13日。日曜日。家の近くの教会に日曜礼拝に出かけると、偶然にもワメナの高校に通う4番目の妹に出会った。なにやら彼女の恋人はスラバヤの大学を出たエリートで、近く結婚するらしい。この日は夜まで妹とおしゃべり。
12月14日。月曜日。ジャヤプラに電話をかけようと街をぶらぶら歩いていると、なんとまた偶然にも、たまたま用事で県都ワメナへ下りてきていた、ティオム村に住む父親と出会う。父は明日ティオム村へ戻る予定で、乗り合いタクシーの予約をしようとしているところだった。
ワメナの町からティオム村まで、ミニワゴンの乗り合いタクシーで、20,000ルピア。便数がものすごく限られているため、前日までに車をさがし、運賃を支払い、自分の住所を知らせておき、翌日家まで迎えに来てもらう仕組み。この作業を忘れると、当日空きのタクシーを見つけることはほぼ絶望的とか。
父親は、娘のデピナを一緒に帰ろうと誘うが、父の持ち金は10,000ルピアのみ。デピナの持ち金もタクシー用にと大事にとっておいた20,000ルピアだけ。しかも父親がやっとの思いで確保した座席は、わずか一席のみ。迷わなかった。デピナは父親に10,000ルピアを手渡し、自分は後から行くことにした。
12月15日。火曜日。明日のタクシーの予約をしようと街へ。12月のクリスマス前は皆が村へ帰省するため、バスターミナルは人の海。中央高地では、ほぼすべての村人がクリスチャン。クリスマスは、一年に一度の大祭だ。乗車賃が不足してはいたものの、デピナは、とりあえず三台のタクシーを仮予約。
12月16日。水曜日。ティオム村行きの乗り合いタクシーは、早朝三時出発。そのため午前2時半に起きて、家で車を待つが、どうしたことか一台もやって来なかった。
仕方がないのでターミナルへ行き、空きの車を探すがなかなか見つからない。午前十時ごろまで、付近で6時間もの間、車を探し続けた。今日はもう諦めよう、と思い始めたその時、偶然にもティオム村の親戚のタクシーが通りかかった。行き先を尋ねると、これからティオム村へ戻るとのこと。
喜々として同乗。ところが、事はスムースには進まない。ワメナを出発して1時間後、道中でラジエーターの故障。車は動こうとはしない。修理用の道具など積み込んではない。さらに周辺には人家の一つも見あたらない。その場でおよそ2時間ほど、ああだこうだと車をいじっていると、そこをオーストラリア人の宣教師の車が通りかかった。助けを求め、車を修理してもらい、やっと再出発したできた頃には、西の空の太陽はだいぶ低い位置にあった。
やっとの思いでティオム村のタクシーターミナルに着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。そこから歩いて30分。実家へと向かった。家の囲い(豚柵)を乗り越えて中庭へ入ると、そこでは彼女の母が芋を蒸していた。デピナが来ることをまったく知らされていなかったお母さんは、驚きの余りデピナに抱きついて大声をあげて泣き出した。『病気だって聞いて心配していたのよ。良かった!無事に帰って来られて。あなたのために大きな豚を殺さなきゃネ。ああ、もしもあなたの友達のライラもいればウサギをつぶしてもいいのに、ネ?』(99年はうさぎ年だというのに。。。。。)
翌日は雨が降り肌寒い陽気。外出はせずに、家の中で両親に、州都ジャヤプラでの大学生活のことや、日々の出来事などを、一日中話して聞かせた。
12月18日。金曜日。村の市場へ買い物。だいたいどの野菜も一束100ルピアで売られているので1000ルピアで色々な種類の野菜が買えるそうだ。いんげん、ニンジン、ジャガイモなどを夕食用に選んでいると、デピナの母の姉に出会った。彼女はとても悲しそうな表情で、デピナを見るやいなや泣き出してしまった。
どうしたのか尋ねると、デピナの父から預かっていた豚が、大雨で流されて死んでしまったらしい。中央高地一帯では、豚は今でも大切な家宝。とっても大事に育てられている。家族の一員と言っも過言ではない。その豚が死んでしまったとなれば、それは相当のショックだ。
その豚を今夜焼いて食べてしまうので、デピナもどうかと誘われた。その叔母の家は、ティオム村から歩いて約2時間の距離にある。市場で仕入れた野菜をノッケン(網袋)に入れ、頭にかつぎ、叔母のボナニ村へ着いたのは夕方の四時。
男たちは、豚を丸焼きするための準備。デピナはジャヤプラで磨いた腕で、野菜を料理。その日はもう暗くてティオム村の実家へ戻れないため、叔母の家に泊まった。翌日、叔母からもらった芋の葉っぱを大量に背負って、両親の元へ戻った。
12月20日。日曜日。クリスチャンゆえに、日曜日は働くことが禁じられている。そこで、昨日のうちに収穫しておいたイモなどを朝ご飯として食べる。午前9時から11時まで、家の近くにある教会へ。家に戻ると父親が一匹の豚を用意して待っていた。娘デピナの病気治癒を願っての「お祓い」儀式のためだ。
デピナの村では、病人の病気の原因を探り、それを治すのに豚を一匹殺すのだ。豚を殺し、その豚をよく調べると、その豚の悪いところが病人の悪いところとぴったり一致しているという。デピナのために殺された豚をしらべると、肩の部分から真っ黒なドロドロとした血が流れ出した。そして胃は傷つき、小さな幼虫がいっぱい詰まっていた。さらに腎臓も腫れ上がっていたそうだ。
奇しくも、デピナが以前ジャヤプラの診療所で指摘された病気の箇所と一致していた。
それを見たお母さんは、あまりのひどさに思わず泣き出した。お祓いのために、熱湯を沸かし、豚の悪い部分を洗い流した。そして、それをゆでて、病人自身(デピナ)が食べてしまう。他の人は口にしてはならない。もし食べると病気が移るらしい。こうして豚の悪い部分がなくなったらお祓いは終了する。残りのなんでもない部分の肉は、村人が分けて食べても構わない。
こうしてティオム村での「儀式」を終え、デピナは数日後ワメナへ戻った。親戚から借りたお金で航空券を購入、やがてデピナは故郷の中央高地から、灼熱のジャヤプラへと戻った。デピナは、私のために村からたくさんのお土産を持ってきてくれた。彼女のお母さんが編んだ網バック、腰みの、コテカなどなど。
『お祓いをしてから、なんだか身体の具合が少し良くなったみたい。豚を食べると体の中がきれいになるんだよ。ライラも今度私の村に行ったら試してみなよ!』とデピナ。確かに前よりも元気になった感じがするデピナ。
原始時代、石器時代とも言える風習を強く残す、イリアンジャヤの中央高地。日本でも、入退院の日を「大安」の日に希望する患者が多いと聞く。迷信と言って片づけられない何かがある。ブタの祈祷を終えたデピナ。早く全快してネ!
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