再録『ライラのイリアンジャヤだより』 Surat dari Irja【テンバガプラ・リポート】(1)

テンバガプラとは(前書きに代えて:インドネシア文化宮)
ジャカルタを夜21:00に発ち、翌朝08:00(ジャカルタ時間の06:00)、つまり9時間かかってようやく到着する、インドネシア最東端のイリアンジャヤ州の州都ジャヤプラ。人口およそ200万人。人口の半分は、1960年代から続く移民で入ってきた非イリアン人。イリアンジャヤは、ジャカルタ中央政府が、『21世紀のインドネシアはイリアンジャヤにある』というほど、その将来性が期待されている、まさに『天然資源の宝庫』。
実に豊かな資源に恵まれている。銅、金、銀、ニッケル、原油、天然ガス、森林資源、水産資源。かつて戦前、日本ではオランダより『西イリアン(現イリアンジャヤ)買収案』が国会で論じられたほどの地域だ。現在、銅、原油、森林・水産資源の多くが日本へと輸出されている。しかし、その豊かな天然資源の存在がゆえに、イリアンジャヤをめぐる最近の動きは、21世紀の輝かしいインドネシア未来像の“担保”と考えるジャカルタと、『独立しても経済的に十分やっていける』と考える地元住民との間で、危機的な軋轢を生んでいる。

ジャカルタに、すなわちインドネシアに『搾取』され続けてきたと感じるイリアン住民は少なくない。その“搾取”の代表例として挙げられるのが、同州南西部のテンバガプラ(Tembagapura)銅鉱山だ。その名の通り、テンバガ(銅)のプラ(都)。4800メートル級のオセアニ最高峰のジャヤ山が、その『宝の山』だ。
露天掘りで掘られている銅鉱石。世界最大規模と言われている。主役は、これまでスハルト政権並びにその取り巻き(クロニー)に“癒着”してきたといわれるアメリカの鉱業会社フリーポート社だ。フリーポート社はインドネシア政府並びに、クロニーと称せられる財界人、政府高官をマイノリテイ株主として、『地球最後の秘境』といわれるイリアンジャヤで、30年近くにもわたって資源ビジネスをエンジョイしてきた。民間会社としては、同国で最大の納税企業でもある。


一歩、フリーポート社のエリアに足を踏み入れると、そこはまさに『アメリカ』そのもの。五つ星の高級ホテルが存在し、通信衛星を通じて、米人社員たちはまるでアメリカ国内にいるような感覚で、米本土の本社、そして家族たちと会話を交わしている。『資源植民地』といった印象を拭えない。


フリーポート社の事業は、中央政府にとって納税巨人である一方で、地元の人々にとっては、徹底した環境破壊者と、部族伝来の土地の略奪者としての顔も持つ。アメリカの“資源植民地”的存在を意識してなのか、フリーポート社はこれまで極めて閉鎖的な姿勢を貫いてきた。マスコミに対するフリーポート社広報の『笑顔』とは裏腹に、実際に取材を申請すると、肝心な部分はほとんど『開放』しない“秘密主義”が徹底している。
このインドネシア最大規模の外資企業の素顔を覗くことは、『改革時代』を迎えた今でも簡単なことではない。イリアンジャヤの国立チェンドラワシ大学へ留学中の、東京外国語大学の大川麗良さんは、“フリーポート王国”とも言われるテンバガプラを訪れ、リポートを送ってきた。
今、イリアンジャヤ住民は、インドネシアからの『分離独立』をスローガンに、インドネシア中央政府に対して、民族自決権の行使を要求し始めた。イリアンジャヤの未来が『インドネシアの未来』なのか、それとも『西パプア(イリアンジャヤ住民の呼称)の未来』なのか。21世紀を目前に、“イリアン(ビアク語で熱い土地の意味)”はますます熱さを増している。


『異空間:ティミカのフリーポート社員住宅地』
ジャヤプラから飛行機で約1時間10分。ティミカの空港に降り立った。上空から見たティミカ空港周辺は色で表すと灰色一色。木々は枯れ、大きな灰色の泥の川が眼下に広がっていた。空港はとても簡易なつくりで、到着ゲートは金網が四方に張られただけのものでで、出迎えの人々が金網にへばりついて中を見ている様子は、動物園の檻をおもわせた。
空港からティミカ市内までは約15分ほど。街の様子は、これといって特別なこともない、イリアンジャヤの他都市と変わらない、または少し発展の度合いでは負ける程度のものであった。しかし、そこから20分くらい車を走らせると、自分は一体どこに来ているのだろうと思わせるほど、光景が一変した。整備された車道。その両脇には綺麗に作られた木々や花畑が続く。少し行くと「WELCOME」と書かれた立て札と 、一つの検問所があり、そこで中に入る車、バイクを一台一台チェックしていた。
そこはフリーポート社所有の、社員専用住宅地入り口で、許可無しには誰も中にはいることが許されない。ゲートくぐると、そこはもう異国。こんな場所がイリアンジャヤにあるのと不思議な気持ちになった。熱帯植物をうまく使った等間隔の街路樹と交互に並んだ背の高い街路灯。あちらこちらにある標識は英語も標示。これは極めて人工的な街だ。
その街の中心部には大きな公園があった。緑の芝生。その真ん中には、この地方の地元民であるコモロ族の独特なデザインをモチーフとした巨大な建造物が立つ。公園の周りにはイスラム教徒のためのモスクがあり、その向かいにはキリスト教徒のための教会もある。立派なスポーツセンターもあり、テニス、水泳、エアロビクスなどもできるそうだ。公園の裏には会員制ゴルフコースまであった。ゴルフ洋品ショップもあり、のぞいてみると一流ブランドがずらり。その上全てがドル標示だった。
公園の隣にはショッピングモール。なんとジャカルタの高級デパートであるパサラヤの支店もある。規模は、ジャカルタ本店と比べるべくもないが、衣料品から文具、家電製品、そしてインドネシアの特産お土産品まで揃っている。その向かいに食品などを扱うスーパーがあるのだが、ここには会員カードを通す機械が設置してあり、フリ―ポート社の社員並びにその家族しか入れない。
付き添いは一人まで許されるそうで、社員に付いて入ってみると、中は広く、カートを持った子供連れの白人が買い物をしていた。品ぞろいは豊富で、いかにも白人好みのチーズや、ピザなどのレトルト食品が豊富だ。食器や台所用品には日本製のものも多くあり、このイリアンジャヤにどうしてこんなものが、というような品々で溢れている。ここで私は久しぶりに、ジャヤプラでは食べられないアイスクリームを味わい、また外国製のおいしい高級チョコレート、新鮮なミルクなどの買い物の機会を得た。
このモールには、銀行、図書館、美容院、電話局、ピザレストラン、カフェ、ボーリング場、ビリヤード場、バーなどが揃っているのだが、これも白人向けであるがため、かなりのハイレベルもの。メニューも当然英語。このモールにはインドネシア人もたくさん来ていて、従業員も英語が堪能なインドネシア人だ。
ここから社宅までは車で5分ほど。道路沿いに、洋風の白い家々が向かい合って立ち並ぶ。家の前には、お洒落で、個性的な庭。まるで欧米のどこかの町にワープしたかのような錯覚に陥る。家の中に入って仰天。広い居間兼応接間には、アメリカ映画風の巨大なソファー。隣には食器洗い機付きシステムキッチン。
明るい台所と木製の重厚なテ―ブル。夫婦の寝室、そして子供部屋が二つ。バスルームにはベージュのバスタブ。金縁の蛇口、そして金縁のシャワー・ヘッド。そしていかにも洋風の豪華で綺麗な家具群・・・。おそらく「オラン・プテイ(白人)」にとってはこのぐらい当たり前の施設なのだろうけれども。イリアンジャヤに、この施設! 正直驚いた。この“ギャップ”は果たして健康的なのだろうか?
その後テイミカの町へ戻って、イリアン人の社会を見たとき、私は妙に落ち着いた。
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