再録 【画家ハルディの日本日記(4)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura

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1999/04/20
インドネシア共和国の広大な広がりを称して「Dari Sabang Sampai Merauke(サバンからメラウケまで)」と言うが、これはスマトラ島北端に浮かぶウェ(Weh)島のサバン(Sabang)市から、最東端のイリアンジャヤ州の東南端に位置するメラウケ(Merauke)市までの、東西およそ5100キロメートルの「タナ・アイル(Tanah Air=祖国)」を示す。日本で言う「北は北海道から南には九州・沖縄」とよく似ている。
『日本国最西端之碑』の前に立ち、西崎(いりざき)から見た久部良港を描いたスケッチを掲げるハルデイ氏。

画家ハルディは、「日本とアジア、日本のアジア」をテーマに、4月20日、南の沖縄から北の北海道を目指す“魂の旅(Spiritual Journey)”のスタートを切った。
4月20日、午前5時5分、東京・下落合のガンマ誌東京支局を出発。ハルディの両目は赤い。『僕はジャカルタでは、毎朝5時~6時の間に起きている。睡眠時間は平均5時間ぐらいかな。確かに足りない感じもするけれどもね』とハルディ氏。午前6時52分、JTA(日本トランスオーシャン航空)のB737-400型機は羽田の空に舞い上がった。

高所恐怖症のハルディ氏は、充血した目を閉じたまま、何か呟いているようだ。イスラム教の一節でも唱えているのだろうか。3時間12分54秒後、機は、小雨模様の石垣空港に到着した。着陸前に見た、与那国島のある西方の空は厚い雨雲に覆われていた。案の定、アナウンスが接続便の遅れを伝えた。与那国島の天候が悪いため、回復を待つ、と。30分おきに放送される情報は、次第に悲観を帯びる。

『与那国の天候回復の見通しはたっていません。30分後に改めてご案内致します』と。これはまずい。ひょっとするとサマーセット・モームの『雨』のようなことになるかも。石垣島で足止めになってしまったら、どうしよう。そうでなくとも、飛行機が大嫌いなハルディさん。出発の延期につぐ延期は、否応なしに不安を駆り立てる。だだをこねる子にはアメが一番だ。


日本最西端の与那国島にいたサッカー犬 Soccer Dog of Yonaguni Islands
http://youtu.be/Rk4410wkkac

で、空港の売店で売っていた一個300円のアイスクリームを“天才画家”に手渡したてみた。『ありがとう。おいしいね、これ』と、無邪気になめ回すハルディさん。一方、地元の人々は慣れたもので、天候によるフライト変更など「いつものことさ」といった感じで、淡々と我が道を行く。

4月20日から与那国町長選が始まった関係で、八重山(やえやま)群島の中心地である石垣市から各陣営を応援するために与那国入りを目指す、バリッとした背広姿のおじさまたちは、『ソバでも食べよう!』と言いながら、空港内のレストランへ。地元の人々のビヘイビアを真似すれば、たいていの場合間違いのないことを熟知している『ガンマ』誌記者は、ハルディ氏を誘って、おじさまたちの後に続いた。

画家は月見うどん(500円)を、記者は八重山ソバ(650円)を注文。満腹になっても、アナウンスは「もうしばらくお待ち下さい」の一点張り。と、ハルディ氏は何を思ったのか、突然、ポケットから日本円の小銭を取り出し、テーブルの上で、一円玉、五円玉、十円玉といった具合に整理を開始。それらをプラスチック製のフィルムの空きケースへきちんと押し込むと、腕を組んで眠り始めた。

12時32分45秒、ようやくJTAのプロペラ機YS-11が与那国へ向けて石垣空港を飛び立った。客席数64。戦後日本の初の国産航空機であるYS-11。国内での初就航は1965年4月のことだ。JTAの機内誌によれば、JTA(かつての南西航空)に同機の1番機が到着したのは1968年5月のことで、「ゆうな」のペットネームで、宮古島・石垣島路線に投入されたそうだ。

現在では、与那国⇔石垣間(一日二往復)と、石垣⇔宮古間に一往復している。手作りの面影を十分に残し、ジェット機と比べるとずっと人間くさいYS-11。しかし、同機も来る7月に与那国空港の滑走路が改修・強化されることに伴い、沖縄の空から消える運命にあるそうだ。飛行高度の低いYS-11。しかし、あいにくの雨模様は、眼下に広がっているであろうコバルトブルーのサンゴ礁のパノラマを見せてはくれなかった。

離陸後ちょうど32分、私たちが乗ったYS-11機は与那国の土を踏んだ。宿は、空港と祖納(そない)地区の中間地点にある、その名もホテル・ホワイトハウスという名の、客室数30部屋の、与那国島最大のホテル。バス・トイレが各部屋に付いていて、地元紙『八重山毎日新聞』の記者松田さんによれば、『外国人が不自由なく滞在できる島で唯一の宿泊施設』だそうだ。
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日本最西端の西崎灯台の下で、小雨混じりの強風の中、久部良港を描く。

荷を部屋へ置くやいなや、ハルディさんは島の最西端、つまり日本国の最西端に当たる西崎(いりざき)を目指した。台湾までは125km。一方東の石垣島までは127km。台湾の方がより近い、まさしく日本最西端の岬だ。強風に混じって肌を打つ小雨。ハルディさんは、駐車場から徒歩数十メートルの西崎灯台へと小走りに駆け上がった。

そして、東の方角をじっと見つめると、急に芝生に腰を下ろし、眼下に見える久部良(くぶら)地区を描き始めた。わずか10分間の出来事だった。キャンバスの上には、墨汁で描かれた久部良岳と久部良漁港があった。
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Pelabuhan Kubura-Pulau Yonaguni 『久部良(くぶら)港』
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暗くなる前に、もう一枚描きたいというハルディ氏は、『日本最西端之碑』を後にすると、与那国島の中心地である祖納へと向かった。『さっき、ちらっと見たけれども、気になる光景だった』という祖納港。そこでは大規模な護岸工事が行われていた。遠くない将来、大きな港が完成するそうだ。

16年前に、記者が同島を訪れた時もそうだったが、「与那国の基幹産業は公共事業」と言われるほど、島のあちこちで“産業”である護岸・離岸工事が行われている。『僕は木はあまり好きではない。どちらかと言えば鉄が好きだ。それが故、木彫りの彫刻も好きじゃない。木で作った新聞や雑誌も嫌いだ。だから東京のガンマ東京支局で寝ていると、寝付けない。何かに押しつぶされそうだ』とハルディ氏。

確かに、ハルディ氏が東京の宿泊地として使用しいている同支局には、溢れんばかりの木製のアスマット彫刻や、押しつぶされんばかりの雑誌と新聞がある。そうか、あれが赤目の原因だったのか。

『この祖納の港工事のように、大自然の中に、鉄でできた大型クレーンが立ち並んでいる光景は、僕を刺激する。鉄にはパワーがある。だから僕は車も大好きなのさ』と。与那国島滞在の初日から、ハルディ氏は言った。
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Sonai Port- Yonaguni 『与那国島祖納(そない)港護岸工事』
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『ここは余り興味ないね。だって、景色も、街並みも、家の作り方も、ジャワとほとんど変わらないから。ここは日本じゃないね。どちらかといえばインドネシアだ』数時間で与那国島の“正体”に気付いたハルディ氏は、『三日も滞在する必要はない。早く那覇へ急ごう!』とも。スケジュールの変更以外に方法は残されていなかった。それほどまでに、「インドネシア的な」光景に飽きたのだ。言い換えれば、与那国島は、ハルディ氏にとって、まさしく「アジア」そのものだった。話し合いの末、与那国滞在は二日間に短縮することとなった。

深夜、ホテルの部屋の中で、ヤモリが可愛い鳴き声をあげていた。睡魔に引き込まれる直前、『ここはインドネシアのどこかの島か?』と自問した。

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小雨降る祖内で港の護岸工事をスケッチするハルディ氏。地元の小学生らがのぞき込む。

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【参考動画】


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展(1999年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/k_p3FDr02Po


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展2(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/ai84C_BdqxM


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展3(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/RqXnE6Szcz8


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展4(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/GbEHJeJPU5o


インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展5(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/EewbR7wFwlM

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作品『2001年インドネシア共和国大統領スハルディ(PRESIDEN RI.TH.2001 SUHARDI)』
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作品『Tawaf』 80 X 60cm(油絵)1998
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作品『Two Dancers』 60 X 70cm(アクリル画) 1998

【参考ブログ】

再録 【画家ハルディの日本日記(3)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_29.html

再録 【画家ハルディの日本日記(2)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_28.html

再録 【画家ハルディの日本日記(1)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_27.html

テーマ「インドネシアの絵画」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/e48ffb0122.html

再録『GBIニュース』1999.9.3【モデル・パート4】インドネシアのミケランジェロはヌード画一筋
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_28.html

画家ハルディ氏らが『石油の世界絵画展』 Dunia Perminyakan Indonesia
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201205article_10.html

再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html

再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_21.html

再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_25.html

再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_16.html

再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_2.html

再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_28.html

再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_31.html

再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_29.html

インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(5) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_39.html

インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(4) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_37.html

画家ハルディ氏と見たサッカーをする与那国島の子犬 Anjing main bola
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_36.html

インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(3) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_35.html

インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(2) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_33.html

インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画 Pelukis Hardi di Tokyo 1999
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_32.html

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