再録 【画家ハルディの日本日記(5)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
1999/04/21
与那国島。二日目。早朝の雨もあがり、雲の合間から時折強い陽光が差し込む。ホテル・ホワイトハウスのオーナーが運転する車で比川(ひかわ)浜へ。
比川浜でTBS撮影クルーの取材を受けるハルディ氏。
このホテル経営者、実は元与那国町長だったのです。『町長をやったことがあるのならば、彼は相当な金持ちだろう。たぶんこの島に広大な土地も手に入れたことだろう?』と、ハルディ氏。同氏によれば、インドネシアでは、チャマット(Camat=町長)職は、うまいこと土地を手にする最もベーシックな地位だという。日本ではそのようなことは稀だ、と説明しても信じる気配のないハルディさん。
『しかし、元町長が、こうして宿泊客の運転手になったり、昨夜のように、お客の食事の世話をするなんて、インドネシアでは考えられない』と、驚愕のハルディ氏。『だから、ここの光景がインドネシア的であっても、やっぱりここは日本なんだ』とも。
比川(ひかわ)浜は、与那国島の南端にある、弓形をした白砂の浜辺。ここは、日本最南端の波照間島と並んで、黒潮が最初にぶつかる日本領土だ。浜には、アジアの各国から流れ着く漂流物が。台湾、フィリピン、中国、マレーシア、そして韓国。プラスチック容器や紙パックに印刷された製造国名は、それらが黒潮にのって、遙か南の方角からやってきたことを物語っている。韓国のハングル文字が印刷されたペットボトルは、おそらく東シナ海辺りで韓国漁船から投げ捨てられたものだろう。
比川浜に黒潮にのって流れ着いた漂流物。
1キロ余りの浜を、漂流物を一つ一つチェックしながら歩くハルディ氏。ふと、赤いハイヒールの片割れを見つけた。『どんな女性が履いていたんだろう?』とハルディ。引き潮の水際にある小さな岩に、そのハイヒールをのせると、ハルディは、すぐさま絵筆を握った。
作品「比川浜」を手にするハルディ氏。
一枚目を書き上げた頃、一日遅れで東京から与那国島に到着したTBS『ニュース23』の撮影クルーが浜に現れた。ハルディ氏の「日本列島縦断創作の旅」を取材するためにやってきたのだ。そして、ほぼ同時に与那国商工会の米城(よねしろ)智次さんが、二人の娘を連れて防波堤から浜へと下りてきた。
米城さんには、ミス与那国の絵を描きたいというハルディさんの要望を伝えた。軽い挨拶を済ませると、ハルディ氏は二枚目にとりかかった。テーマは一枚目同様に、「比川浜」。撮影クルーが左右前後と、子ネズミのように、忙しく動き回る中、ハルディ氏は、熱い陽光に黄色く染まった空、そして紫色に変貌した海を描いた。昼食は、ホテルで用意してくれた豪華弁当(1500円)。結婚式に出されるようなハデな内容だ。
比川浜を後に、ホテルへ戻り、一時間の休憩。夕刻、祖納のなんた浜へと急いだ。そこで、ミス与那国の田島さつきさんと待ち合わせしていたのだ。ちょっぴり茶髪で、目が愛くるしいさつきさんが現れた。『日本では彼女のような人を美人っていうの?インドネシアの美的感覚とは異なるね』と、ハルディさん、ちょっと失礼な物言い。
要するにハルディ氏の好みのタイプではなかったようだ。少なくとも第一印象では。なんた浜の上で、ティンダバナ(巨大な岩山で、伝説的な女傑サンアイ・イソバの碑がある)を背景に、ミス与那国を描くという、米城さんのアイデア(町の商工会の選択としては、実にまともで、それ以上のロケーションはない、という場所なのだが)は、ハルディ氏の一言でキャンセル。
『僕にとって、背景は重要ではない。なぜなら僕は女性を描くのであって、後ろの景色を描くんじゃないんだから』。これも、もっともな考え方だ。で、TBSのクルーも含めて、急遽、ホテルへ戻り、広い畳部屋で描くことに。
ハルディ氏が画いた肖像画を手にする田島さつきさん。
田島さつきさん。24歳。現在与那国の祖納保育所で保母をしている。保母さんとして4年目だそうだ。ミス与那国には3年前に選ばれた。1974年11月8日、祖納生まれ。6人兄弟の3番目だ。与那国小学校、そして与那国中学校を卒業後、沖縄本島の那覇市へ。那覇商業高校を卒業後、保母になるための専門学校へ3年間。
身長161cm。体重は『忘れた』とか。血液型はO型。与那国の方言で一番好きな言葉は、『ふがらっさ(ありがとう)』だそうだ。趣味は三味線と笛。与那国が好きな理由は『海が近いから』。そして与那国の嫌なところは『噂がすぐに広まる』。なるほど。
さつきさんは、来年にも「ミス」でなくなる。埼玉県出身で、祖納で自動車修理工と して働いている相田理(おさむ)さん、22歳(年下の男の子!)と結婚するのだ。 おめでとう!(じくしょー!)畳の上で足をくずした、与那国の伝統衣装に身を包んだ田島さん。ハルディ氏の目が 急に興奮状態に。田島さんの瞳に吸い込まれるような目つきになった。
『さっきはあ んな風に言ったけども、よーく見てみると彼女はインドネシア人のような瞳をしてい る。確かに美しい。素朴な美しさだ』とハルディさん。(だから、言ったでしょう! 与那国の人の目に狂いはないんだと!)。出来上がった絵画を手にしたさつきさん。絵の中の自分に惚れ込んでいる様子。あり がとう、さつきさん。与那国島を代表して、あなたは遠くない将来インドネシアの首 都ジャカルタで行われる「ハルディの日本展」で、きっとヒロインになります。
比川浜で米城さん一家と。
小雨降る祖内で港の護岸工事をスケッチするハルディ氏。地元の小学生らがのぞき込む。
【参考動画】
インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展(1999年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/k_p3FDr02Po
インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展2(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/ai84C_BdqxM
インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展3(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/RqXnE6Szcz8
インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展4(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/GbEHJeJPU5o
インドネシア人画家ハルディ氏東京で個展5(99年4月)Indonesian Painter Hardi
http://youtu.be/EewbR7wFwlM
作品『2001年インドネシア共和国大統領スハルディ(PRESIDEN RI.TH.2001 SUHARDI)』
作品『Tawaf』 80 X 60cm(油絵)1998
作品『Two Dancers』 60 X 70cm(アクリル画) 1998
【参考ブログ】
再録 【画家ハルディの日本日記(4)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_30.html
再録 【画家ハルディの日本日記(3)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_29.html
再録 【画家ハルディの日本日記(2)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_28.html
再録 【画家ハルディの日本日記(1)】 Pelukis Hardi di Negeri Sakura
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201307article_27.html
テーマ「インドネシアの絵画」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/e48ffb0122.html
再録『GBIニュース』1999.9.3【モデル・パート4】インドネシアのミケランジェロはヌード画一筋
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201209article_28.html
画家ハルディ氏らが『石油の世界絵画展』 Dunia Perminyakan Indonesia
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201205article_10.html
再録『GBIニュース』1999.7.4 画家ハルディ氏が初公開するウィナのヌード画
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201202article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201201article_21.html
再録『GBIニュース』1998.11.26 画家ハルディさんのモデル:デイス・エル・アンワール
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_25.html
再録『GBIニュース』1998.11.20#2 画家ハルディ氏が初の画集を自費出版
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_16.html
再録『GBIニュース』1998.11.11#2 画家ハルディ氏個展 Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201109article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.10 画家ハルディ氏14回目の個展Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201108article_28.html
再録『GBIニュース』1998.9.5#2画家ハルディWWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_31.html
再録『GBIニュース』1998.9.4 WWCR dgn Pelukis Hardi
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201107article_29.html
インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(5) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_39.html
インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(4) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_37.html
画家ハルディ氏と見たサッカーをする与那国島の子犬 Anjing main bola
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_36.html
インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(3) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_35.html
インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画(2) Pelukis Hardi di Tokyo 99
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_33.html
インドネシア人画家ハルディ氏東京個展の動画 Pelukis Hardi di Tokyo 1999
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200907article_32.html
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