鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka

画像

終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。
昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。この時計は、ニューギニアで亡くなった日高少佐のものである。

日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

まだ米軍が西部ニューギニアに攻撃を開始していないころ、米軍が上陸するという情報がはいった。日高少佐は部隊を連れ、現地に情報をとりにいった。
日高少佐は若いころ、日本陸軍の工作隊長としてソ連に潜入していた。そのとき旧ロシア皇帝と接触があったらしい。ロシア国家は共産主義国家になった。旧ロシア皇帝としてはなんとかスターリンを倒したい。その旧ロシア勢力に協力していたのが日高少佐だった。そのとき旧ロシア皇帝から記念品として銀時計をもらった。それをニューギニアでももっていた。
ところが、日高少佐はこの作戦で重傷をおった。
「もうだめだ」
と死期をさとり、部下の千原に、
「この時計はロシア皇帝からもらった貴重な品だから、日本へもちかえって国の財産としたほうがいい」
と遺言した。千原は、通信兵で私の部下である。山形出身で、千原の実家は代々山形藩の能役者の家元であった。
その千原もサルミ帰還後、病気で斃れた。千原が死ぬとき、
「日高少佐の時計をあずかっています。これをご遺族にわたしてください」
とたのまれた。見ると、その時計は三重構造になっており、ロシアの国歌とロシア皇帝の肖像画が浮き彫りになっている。途方もない価値がある時計であることはすぐにわかった。
私は日高少佐の遺族にわたしてあげようと思い、大切にあずかっていた。

以上、『西部ニューギニア戦線 極限の戦場』(久山忍著・2012年12月3日、潮書房光人社刊)収録の『サルミの戦い』(第36師団通信隊の陸軍軍曹だった中里文吉さんの証言)より引用。

しかしながら、その銀時計が日本の日高少佐のご遺族の手に渡ることはなかった。というのも、サルミからの引揚船に乗船する直前の身体検査で発覚することをおそれた中里氏は、身体検査を待つ長蛇の列に並ぶ中、その時計を足もとに落とし、足で砂の中に埋めた、と述懐している。

インドネシア文化宮(GBI)とPAMIC(パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター)は、レオン・サヨリ氏並びにインドネシア国軍の協力の下、遠くない将来、ロンベバイ湖に浮かぶヤピナ島を訪れ、真相調査に乗り出す。


画像

ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

画像

昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
画像


画像


画像

ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

画像


画像

徳野明氏が描いたヤピナ島スケッチ画。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

画像

ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

画像

マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

画像


画像


参考ブログ

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201604article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201512article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201412article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201411article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201409article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea
https://youtu.be/FzKN7LNQVug


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />陸士第50期卒で、陸軍中野学校の甲2卒業生でもある日高岩男少佐。72年前の昭和19(1944)年7月31日未明、西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-19 10:06
  • 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />西部ニューギニアの大河マンベラーモ川一帯を、主要な宣撫工作活動地域に設定した、日高岩男少佐率いる「鰐部隊(機関・工作隊)」。同少佐は、昭和19(1944)年7月31日未明、河口に近いロンベバイ湖(.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-07-26 16:11
  • 終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2016年8月15日。終戦71周年。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話をしたい。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2016-08-14 22:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)

    Excerpt: 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-19 21:39
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-20 19:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-21 23:54
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭和53年4月、83歳で没.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-22 22:01
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-23 21:21
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワリに置かれた第二軍(豊嶋.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-24 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いにあったが、戦局の激変に伴.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-25 21:53
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官らが、前年の12月8日、開.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-26 19:03
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描いたスケッチ画。マンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-27 18:39
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖に繋がる二つの水路は、川.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-28 18:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を発った。以降、バタビア瀑.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-29 18:17
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が。また、左端には、祖国か.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-30 17:54
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publis.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-01-31 18:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル』で、ヤピナ島奇襲攻撃は.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-01 20:24
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか、兵要地誌情報をしたため.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-02 19:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-04 17:14
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思われる。ちなみに「7.2.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-05 18:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの●印の上には消しゴムで削.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-06 18:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 10:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 20:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />海抜3225mに位置するハベマ湖。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-08 18:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-09 22:32
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-11 10:35
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-12 10:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-13 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-14 11:34
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-15 17:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-16 12:40
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向け.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-17 11:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-18 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であるこ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 20:41
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-21 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-22 13:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-23 11:10
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録さ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-24 22:25
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-25 16:56
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-26 11:58
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-27 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-28 16:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-01 13:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-02 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-04 12:46
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-05 10:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-06 16:22
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-07 10:36
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上し.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-08 10:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-09 10:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-10 19:31
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。こ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-11 21:02
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-12 10:52
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-13 12:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-14 14:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-15 10:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-16 11:02
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-17 11:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-18 11:13
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-19 10:49
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-20 11:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-21 19:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-07-31 12:18
  • 終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-08-14 18:38
  • 終戦73周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2018年8月15日。終戦73周年。今年も、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2018-08-13 18:53