終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

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2016年8月15日。終戦71周年。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話をしたい。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。

新穂智(さとる)少佐は、大正5(1916)年5月6日、鹿児島県日置郡上伊集院村直木(今日の鹿児島市直木町)生まれ。
日高岩男少佐は、今日の宮崎県日南市飫肥出身。大正6(1917)年1月8日生まれ。
共に長男だ。

日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

そして、二人は、秘密戦士養成学校として知られる陸軍中野学校を卒業している。
新穂少佐は、陸軍中野学校の前身にあたる後方勤務要員養成所の第一期卒業生。わずか18名の卒業生の一人で、昭和14(1939)年7月卒業。
一方の日高少佐は、陸軍士官学校の第50期卒業生(昭和12(1937)年12月卒)で、昭和16(1941)年5月、2甲期生として卒業。

共通項は、中野学校を卒業した後も続く。
両名は、連合軍が東部ニューギニア方面から迫りつつある中、共に西部ニューギニア(今日のインドネシア領パプア州&西パプア州)戦線へと送られる。

そして、共に、宣撫工作隊の隊長を務めた。
新穂少佐は、第二軍の隷下、東部ニューギニアとの境に位置する、要衝ホランジア(今日のパプア州都ジャヤプラ)一帯を管轄する「神機関(神工作隊)」のトップ。
日高少佐は、第36師団(雪部隊)隷下、大河マンベラーモ川流域と、中央高地一帯を管轄する「鰐機関(鰐工作隊)」の隊長。

新穂智少佐と遺髪
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そして、昭和19(1944)年4月22日の連合軍によるホランジア上陸を機に、「神機関」は「鰐機関」と、マンベラーモ川下流部で合流することとなる。それは、二人の“中野学校同窓生”の再会であると同時に、生死を分かつ出会いでもあった。

昭和19(1944)年7月30日、両工作隊は、マンベラーモ河口に近い、ロンベバイ湖の東北端付近に浮かぶ、小さなヤピナ島にあった連合軍水艇基地の夜襲を企図。決行日は、8月1日だった。湖の北側から新穂少佐が率いる「神機関」が、そして南側から日高少佐が率いる「鰐機関」が、同時に奇襲する計画だった。

しかし、戦場の状況は刻一刻と変化するもの。「鰐機関」は、単独でも勝機はあると判断し、7月31日未明、ヤピナ島の連合軍へ奇襲攻撃を仕掛けた。この作戦で、日高少佐以下三名が戦死。連合軍側は、夜明けとともに救援に駆け付けた飛行艇カタリナ機で撤収。日高少佐の亡骸は、8月1日、鰐機関員の手で鄭重に同島に葬られた。日高少佐、弱冠27歳と6ヵ月。

新穂少佐の“戦死”は、悲運としか言いようがない。B級戦犯として、終戦の三年後、昭和23(1948)年12月8日、ホランジアで刑場の露と消えた。32歳と7ヵ月。祖国日本に、妻の敏子と長男の智忠を残して。智忠さんは、71歳の誕生日をあと1.5ヵ月に控えた2014年9月1日、父のもとへ旅立った。それから一年後。2015年9月27日、息子を追うように、敏子さんも亡くなった。100歳と3ヵ月だった。

戦争は愛する者をひき裂き、祖国からさえも置き去りにされる。
新穂少佐の亡骸は、蘭印当局によって、ホランジア(現ジャヤプラ)のどこかに埋葬されてたはずだ。しかし、その場所はいまだに不明。その場を探し出し、故国へ帰還させようとする努力が、日本政府にあったと仄聞したことがない。

一方、日高少佐の亡骸については、去る4月、現地から、既報の通り、同少佐のお墓がヤピナ島に存在していることが伝わってきた。ご遺族の存在も明白になった。戦後71年。“英霊”に対する想いが国家にあるのならば、日高岩男少佐は、故郷の宮崎に戻ってくることが容易な状況にある。

終戦71周年。日高少佐は、新穂少佐は、彼らが愛してやまなかった日本国から真南におよそ4,200km、共に西部ニューギニアに瞑っている。


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中野学校実験隊教官として“に号部隊”の水中訓練中の日高少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』徳野明著・昭和45年8月15日、今日の話題社発行より引用)


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陸軍中野学校本校校舎(昭和53年3月10日、中野校友会発行『陸軍中野学校』より引用)

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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徳野明氏が描いたヤピナ島スケッチ画。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201604article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201512article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201412article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201411article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201409article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長13 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/u4ghF3-607U

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長12 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長11 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長10 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長9 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/SFcosVf6JDs

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長8 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長7 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長6 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長5 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/IAiz3UG32RY

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長4 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/17L4nhXTEnI

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長3 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長2 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)~(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)~(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)~(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea








新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)~(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea










新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)~(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea









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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 10:27
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-07 20:42
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />海抜3225mに位置するハベマ湖。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-08 18:18
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-11 10:35
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-12 10:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-13 11:03
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-14 11:34
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-15 17:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-16 12:40
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向け.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-17 11:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-18 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であるこ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 20:41
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-21 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-22 13:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-23 11:10
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録さ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-24 22:25
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-25 16:56
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-26 11:59
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-27 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-28 16:19
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-01 13:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-02 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-03 21:45
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-04 12:46
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-05 10:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-06 16:22
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-07 10:36
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上し.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-08 10:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-09 10:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-10 19:31
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。こ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-11 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-12 10:52
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-13 12:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-14 14:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-15 10:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-16 11:02
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-17 11:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-18 11:13
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-19 10:49
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-20 11:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-21 19:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-07-31 12:18
  • 終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-08-14 18:30