西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5)

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宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、西部ニューギニアに到着後に書いた現地行動図の裏面に、鉛筆でその辺りの事を書き留めている。それによれば、昭和18年11月6日、下関発、同年同月8日、釜山発、20日頃アンボン、そして翌昭和19(1944)年1月7~8頃マノクワリ到着、13日マノクワリ発、17日サルミ到着となっている。ちなみに、整理名票では、ニューギニア島上陸日が昭和18年11月21日となっているが、本人が生前に記録した日付が事実であろう。
後列右よりミチエの実父の高橋正次、左は日高岩男の実母の日高トナ、前列左より日高岩男、日高正代(岩男の末妹)、そして岩男の妻・ミチエと抱きかかえる長男の武臣。昭和18(1943)年11月、日高大尉の西部ニューギニア出征前に撮影されたものと思われる

また、別の日高自身が描いたマンベラーモ川の光景図の裏面には、釜山を出てからマノクワリに到着するまでの経路を示したものと推定される手書きの地図が鉛筆書きされている。それによると、釜山を出帆後、上海、台湾の高尾、フィリピンなどを経由して、ハルマヘラ島に寄港し、以降、アンボンに向かったことが分かる。陸士、そして秘密戦士養成の中野学校を卒業したエリート軍人らしく、作図や記録方法などに几帳面な人柄が表れている。

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)

https://youtu.be/qzaMsL7TRpg

日高の最側近であった鰐工作隊の徳野明元曹長が著した『鰐部隊とパプア人マンドル』(昭和45年8月15日、今日の話題社発行)によれば、西部ニューギニアへの進出に関して以下のように書かれている。「(前略)昭和十八年の秋、戦局はますます苛烈の度を加えた。ここにおいて、ついに、実験隊長小松原大佐(注:実験隊とは小松原大佐指揮下の陸軍中野学校実験隊のこと。皆廻、日高岩男、谷口義美、上野、小林らが教官で、秘密遊撃戦士たる幹部要員“に号部隊”の指導、養成にあたった)はビルマ方面遊撃隊司令官として転出の大命が下り、また日高少佐(注:正しくは当時大尉)をはじめ、森、林田、高城、大江、それに私の五名も、西部ニューギニア第二軍司令部情報部付として、急遽派遣を命ぜられた。

遊撃戦士としての特殊の使命はここでも厳しかった。上官にも、戦友にも、もちろん家族にも黙って、一通のたよりも許されぬまま、消えるようにひそかに死地に赴かねばならなかった。一行は釜山に直行、ここで満州から南下した第二軍司令部に合流して、マノクワリに向かったのであった。(中略)第二軍司令部(豊嶋房太郎中将)の後続の隷下各部隊が続々と上陸して、それぞれ奥地の密林に宿舎を設け、配置を完了したのは、昭和十八年十二月末日であって、(後略)」。

釜山からの出帆は、おそらく日高が記していたように、昭和18年11月8日のことであろう。しかし、日高自身は、どこかの地点で、徳野らとは別行動をとっている。つまり、陸軍第19軍司令部(通称号:堅)が置かれていたアンボンへ向かったのである。昭和18年11月下旬には、アンボンで第二方面軍(通称号:輝)の兵団長会議が催され、第二方面軍司令官の阿南惟幾大将と第二軍司令官の豊嶋房太郎中将らが会談している。11月20日頃アンボンに着いた、とする日高の記録を重ねると、勢16400部隊(第二軍司令部の通称号)直属の情報班員として、濠北方面(注:オーストラリア北方地域)の諜報、宣撫工作の重要性、緊急性が故に同会議の周辺部にいたことも十分考えられる。あるいは、第二軍がマノクワリに進出する以前は、西部ニューギニアの防衛圏維持を第19軍が担っていた関係で、堅部隊から情報収集する必要があり、このため翌年(昭和19年)1月初旬までアンボンに滞留したことも考えられる。

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第二軍の行動記録によれば、同軍司令部は、昭和18(1943)年11月9日、摩耶山丸、にぎつ丸に分散乗船し釜山を出港、同月14日、台湾の高雄到着、19日高雄発、23日、フィリピンのダバオに寄港。ここではんぶるぐ丸に移乗し、27日、ダバオを出港、29日、ハルマヘラ島のカウに寄港、ここで豊丸、神日丸に分乗し、第一梯団は12月4日に、第二梯団は12月8日、マノクワリに上陸とされる。日高の記録と、釜山の出港日が一日異なるが、その理由は定かではない。おそらく日高は、フィリピンのダバオもしくはハルマヘラ島のカウ(カオ)から別の船、もしくは航空機でアンボンへ向かったものと思われる。

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再び『鰐部隊とパプア人マンドル』の徳野明曹長の記述に戻ると、「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した。軍が南進航行中、日高少佐(注:当時は大尉)はダバオでアンボンの第19軍に派遣されることになり、別行動をとっていたのであったが、いまその任務を終えて着任したのであった」。

日高岩男大尉は、昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。


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中野学校実験隊教官として“に号部隊”の水中訓練中の日高少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』徳野明著・昭和45年8月15日、今日の話題社発行より引用)


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陸軍中野学校本校校舎(昭和53年3月10日、中野校友会発行『陸軍中野学校』より引用)

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用

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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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徳野明氏が描いたヤピナ島スケッチ画。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_23.html

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_22.html

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_21.html

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_20.html

太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201612article_8.html

終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201608article_15.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201604article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201512article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201412article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201411article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201409article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長(13)~(1) Major Satoru Niiho & Toshiko Ota

https://youtu.be/u4ghF3-607U
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I
https://youtu.be/SFcosVf6JDs
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA
https://youtu.be/IAiz3UG32RY
https://youtu.be/17L4nhXTEnI
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)~(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/DPrhIlYgcds
https://youtu.be/yOy_Df4gCg4
https://youtu.be/XGEC1So2jCw
https://youtu.be/3zaND3i589Y
https://youtu.be/cgv_vElYbJg

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)~(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/ODVmX1C3CrI
https://youtu.be/FY5hkl__d3o
https://youtu.be/X7xevgJpPKw
https://youtu.be/khratcaZLj4
https://youtu.be/WZY7BzNnkgg
https://youtu.be/xEJxFwMwJ_U

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)~(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/C0gb0Ebpaw0
https://youtu.be/_uKp3R3dfWo
https://youtu.be/Xbjb4-yj6WI
https://youtu.be/KMsuJ2AWVtE
https://youtu.be/t-Q6lCwtpic
https://youtu.be/WRHowrZQwQM
https://youtu.be/hr0_tIkULwk

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)~(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/nekVoOIEeag
https://youtu.be/ODa6TIhOqOs
https://youtu.be/DqGPgFN2xNE
https://youtu.be/wxdgXrwsx10
https://youtu.be/S3knntKBZa8
https://youtu.be/EQo9dBIGcMk
https://youtu.be/x-iYOVg82CU
https://youtu.be/gZ5ocWeSABk
https://youtu.be/8AMVqSUJ_G8

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)~(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/bS90catYOlQ
https://youtu.be/9PUEGmVvKBU
https://youtu.be/pqNRMh2vFy8
https://youtu.be/ImbfxMIXCgM
https://youtu.be/fEIq-fNKcds
https://youtu.be/tG5MpPqH1QQ
https://youtu.be/5JURz97VbCs
https://youtu.be/t5-E1R8W2XE
https://youtu.be/eG7o-giOgk4
https://youtu.be/FzKN7LNQVug

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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-09 22:32
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-11 10:35
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-12 10:58
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-13 11:03
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-14 11:34
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-15 17:42
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-16 12:40
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向け.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-17 11:22
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-18 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であるこ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 11:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-19 20:41
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-21 11:16
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-22 13:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラー.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-23 11:10
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録さ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-24 22:25
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-25 16:56
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-26 11:58
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-27 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-02-28 16:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-01 13:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-02 17:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-03 21:45
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-04 12:46
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-05 10:57
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-06 16:21
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-07 10:36
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上し.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-08 10:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-09 10:18
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-10 19:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。こ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-11 21:04
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-12 10:52
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-13 12:27
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-14 14:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-15 10:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-16 11:01
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-17 11:33
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-18 11:13
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-19 10:49
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-20 11:47
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-21 19:23
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-07-31 12:18
  • 終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-08-14 18:38
  • 終戦73周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2018年8月15日。終戦73周年。今年も、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2018-08-13 18:53