西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)

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米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で1944年7月31日の緊急救助活動に関し、負傷者の様子や救助の過程も記録されている。ロンベバイ湖のヤピナ島での戦闘においては、連合軍の前哨基地(水艇基地)を、日高岩男少佐率いる鰐工作隊が、自らの命と引き換えに、敗退させたわけだが、太平洋戦争という大きな枠内では、日本は無条件降伏を受け入れ、敗戦国となった。記述の中では、当時それが連合国軍側にとっては当り前な呼称であっただろうが、日本兵、日本軍を“ジャップ”と表記している。原文のニュアンスをできるだけ忠実に翻訳を試みたが、不完全な部分があるかもしれない。この点、読者の指摘を待ちたい。以下、『MISSION REPORTS - RESCUES - 10 31 JULY 1944』の一部抜粋翻訳。

敵兵は、およそ40マイルの地点からボートで近づき、歩哨にこっそりと近づき、ナイフで彼に重傷を負わせ、そして“バンザイ”を叫びながらハンモックで就寝中の兵を襲った。兵らは闇討ちを食らい、武器を探すことはできずに、拳と棍棒で応戦。この間、一人の米兵がおよそ300ヤードほどの湖岸までこっそりと離れ、そこで照明弾を打ち上げ、一時的に“ジャップ”を面食らわせた。米兵と豪兵は、素早く集まり、トミー銃(注:軽機関銃)をつかみ、将校(注:日高岩男少佐)と二人の兵(注:杉沢軍曹、村瀬兵長)を殺し、捕虜となる一人(注:小泉雅少尉)に負傷を負わせた。

残りのジャップ勢力は散り散りになり、幾人かはジャングルに隠れ、その他は彼らのカヌーにたどり着こうと試みた。照明弾が落ちるまでに、15名の敵兵を数えた。夜が明けるまでの間、防御側は、明らかに糾合しようと試みるジャップが互いに呼び合っている声を聞いた。しかし、負傷した三名の兵は、救助機が到着し、全員が乗機するまで、成功裏に彼らを退けた。

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)

https://youtu.be/qzaMsL7TRpg

キャンプは修羅場と化していた。三名の死んだジャップは、陣地にに横たわっていた。他の者たちは、湖岸とジャングルの端に配置されていた。生き残った者の内、7名はナイフ、サーベル、銃剣などによって重傷を負ったが、誰も殺されなかった。応急処置兵は、自ら負傷を負ったものの、負傷者に服を着せて、彼らをできるだけ快適にした。救助機が到着すると、医務官が上陸し、負傷兵を診て、モルフィネと点滴を投与し、撤退に向け準備した。負傷兵は一名ずつ救命筏に乗せられ、救助機へ搭乗。無線機や個人装備は湖の中に投げ捨て、あるいは陣地と共に焼却された。
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Squadron OA-10A SerNo 44-33876 on take-off after a rescue (Courtesy Mary Wientjes)。米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)所属の飛行艇OA-10A型機でシリアル番号44-33876機。ロンベバイ湖に着水・離水したシリアル番号「44-33875」機と同タイプ。

全員が搭乗すると、機は水深が深い場所へ移動、そこで着水に際して着陸装置にまとわりついた水草を外した。かなり重い装備が機外に捨てられ、500ガロンのガソリンも湖上へ投棄された後、三回目の試みで離水に成功した。離水することができるまでの過程で、湖岸沿いに大勢のジャップが目撃されたが、銃撃は双方の側からなかった。湖岸からの距離はおよそ1000ヤード(約914メートル)。生存者は、オウィ島へ運ばれ、待機していた救急車で第92総合病院へ移送された。生存者は言った『我々は昼光とPBYに祈った。もしも天国がPBYのような何かに見えるならば、我々はやり方を変えるつもりです』


DFC(Distinguished Flying Cross=殊勲飛行十字章・Oak-Leaf Cluste)勲章を授与された、ヤピナ島救出作戦の飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機のパイロットGerard F.Wientje少佐(左)。右は、同時受賞した別機のGeorge A. Barnes大尉。(Courtesy Guy Allbright))

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1944年11月以前、すなわちモロタイ島で11月25日に日本軍機の攻撃を受けて破損する以前に撮影された飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機。Lieutenant Frederick F. Hoss stands atop OA-10A SerNo 44-33875 sometime before November 1944. This aircraft was destroyed in a nuisance raid. Read the story. Lieutenant Harry Remington is shown in the foreground sitting on the wing as local tribesmen paddle their canoes alongside. (Courtesy Bill Harves)

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1944年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃を受けて破損した飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機の残骸。
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ロンベバイ湖上ヤピナ島の連合軍水艇(前哨)基地。徳野明元曹長著『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用

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昭和19(1944)年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃に遭って破壊された米軍飛行艇PBYのOA-10A型機の シリアル番号「44-33875」機。機種に75の番号が。整備兵の表情に笑顔の余裕がある。撮影は、11月25日の数日前と思われる。まさに、この機が、同年7月31日、日高岩男少佐率いる鰐工作隊に夜襲をくらった、ロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地の隊員救助に向かった。

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右はマンベラーモ川。左がロンベバイ湖(Panoramioから引用。撮影者:DmitryTelnov)

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マンベラーモ川流域作戦行動図
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日高岩男大尉(右)と徳野明軍曹(左)。昭和18年10月頃、ニューギニアへ出発前に撮影。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用。

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背広姿の日高岩男。陸軍中野学校を卒業し、西部ニューギニアへ派遣されるまでの、昭和17(1942)~昭和18(1943)頃の撮影と思われる

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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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後列右よりミチエの実父の高橋正次、左は日高岩男の実母の日高トナ、前列左より日高岩男、日高正代(岩男の末妹)、そして岩男の妻・ミチエと抱きかかえる長男の武臣。昭和18(1943)年11月、日高大尉の西部ニューギニア出征前に撮影されたものと思われる

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)~(1)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_14.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_13.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_12.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_11.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_10.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_9.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_8.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_7.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_6.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_5.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_4.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_3.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_2.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201702article_1.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_31.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_30.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_29.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_28.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_27.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_26.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_25.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_24.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_23.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_22.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_21.html
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201701article_20.html

太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201612article_8.html

終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201608article_15.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201607article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201605article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201604article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
https://gbitokyo.seesaa.net/article/200901article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201512article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201412article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201411article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201410article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
https://gbitokyo.seesaa.net/article/201409article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長(13)~(1) Major Satoru Niiho & Toshiko Ota

https://youtu.be/u4ghF3-607U
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I
https://youtu.be/SFcosVf6JDs
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA
https://youtu.be/IAiz3UG32RY
https://youtu.be/17L4nhXTEnI
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)~(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/DPrhIlYgcds
https://youtu.be/yOy_Df4gCg4
https://youtu.be/XGEC1So2jCw
https://youtu.be/3zaND3i589Y
https://youtu.be/cgv_vElYbJg

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)~(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/ODVmX1C3CrI
https://youtu.be/FY5hkl__d3o
https://youtu.be/X7xevgJpPKw
https://youtu.be/khratcaZLj4
https://youtu.be/WZY7BzNnkgg
https://youtu.be/xEJxFwMwJ_U

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)~(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/C0gb0Ebpaw0
https://youtu.be/_uKp3R3dfWo
https://youtu.be/Xbjb4-yj6WI
https://youtu.be/KMsuJ2AWVtE
https://youtu.be/t-Q6lCwtpic
https://youtu.be/WRHowrZQwQM
https://youtu.be/hr0_tIkULwk

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)~(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/nekVoOIEeag
https://youtu.be/ODa6TIhOqOs
https://youtu.be/DqGPgFN2xNE
https://youtu.be/wxdgXrwsx10
https://youtu.be/S3knntKBZa8
https://youtu.be/EQo9dBIGcMk
https://youtu.be/x-iYOVg82CU
https://youtu.be/gZ5ocWeSABk
https://youtu.be/8AMVqSUJ_G8

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)~(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea

https://youtu.be/bS90catYOlQ
https://youtu.be/9PUEGmVvKBU
https://youtu.be/pqNRMh2vFy8
https://youtu.be/ImbfxMIXCgM
https://youtu.be/fEIq-fNKcds
https://youtu.be/tG5MpPqH1QQ
https://youtu.be/5JURz97VbCs
https://youtu.be/t5-E1R8W2XE
https://youtu.be/eG7o-giOgk4
https://youtu.be/FzKN7LNQVug

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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-02 17:29
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    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-03 21:44
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-04 12:45
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点で.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-05 10:56
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-06 16:21
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-07 10:35
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上し.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-08 10:08
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-09 10:17
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-10 19:30
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。こ.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-11 21:03
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_arrowup_a.gif" />昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-12 10:51
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-13 12:26
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-14 14:09
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-15 10:29
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-16 11:01
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-17 11:32
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-18 11:12
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-19 10:48
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-20 11:46
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-03-21 19:22
  • 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と.. Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-07-31 12:17
  • 終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2017-08-14 18:37
  • 終戦73周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐

    Excerpt: <img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_bomb_a.gif" />2018年8月15日。終戦73周年。今年も、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) racked: 2018-08-13 18:49